第6話 予言者アニエスは勇者宅を訪問する
父が死んだ。
父と言っても血の繋がりはなく、育ての親であり、師でもあった。
訳の分からないことばかり口走る男だったが、その出所不明の奇妙な知識を求める者達が集まり、自然と宗教のようなものとなった。いつしか救世主と呼ばれ始めた父を、やがて国は危険視し始めた。
捕らえられ、三日後に蘇ると言って処刑に臨んだ父は、かねて弟子達に告げていた通りに磔にされたが、しかして宣言通りに息を吹き返すことはなかった。
「…………」
アニエスは首から下げたT字架に触れる。
これも父が生前から指示していたものだ。自らを吊るした磔台を教団の象徴にせよと。もっとも父はT字ではなく十字の磔台を想定していたようだが。
父は蘇りはしなかったが、その教えはより強くなって人々の中で生き続けた。
“全人類に代わって救世主が磔刑を受け、それによって人々は原初の罪より解放される”、という父が言い残し、兄弟子が広めた教義が広く受け入れられたためだ。
それから、アニエスの身にもおかしなことが起こるようになった。予知夢である。
夢で見たことが、そっくりそのまま現実世界で繰り返された。
当然、悪夢の類を見た際には―――例えば信徒が連邦政府の兵士に殺されるなど―――、回避するべく立ち回ったが、一度として予知の結果を退けることは出来なかった。
―――お前が見ているのは神が定めたもうた運命であり、人の身で覆し得るものではない
兄弟子はそう言って、予言者の異名をもってアニエスを称えた。
しかし覆せもしない予知など、見るものではない。
人類にとって受難の時代であり、教団も迫害にあえぐ状況だ。見る夢は悲劇がほとんどだった。
そんなアニエスを唯一楽しませたのが、一人の青年が活躍する夢だった。
絵物語の主人公のような見目麗しい若者だ。彼は一本の剣を手にオークの王を討ち果たし、ついには英雄となる。
青年の名は―――
「あっ、レオ兄ちゃんだっ」
「おう、坊主たちか。元気にしてたか?」
ぼろを着た子供達が何人か、レオンハルトの足元にまとわりついた。
エクシグアにいくつかある城郭都市の一つ、その郊外に広がる貧民街である。
城郭それ自体の十数倍にも及び、住民は各国からの避難民とその子孫達だ。
そのため城壁近くの一等地とでも言うべき土地には、避難以前には貴族であったり豪商であった者達の住居が立ち並び、城内と遜色ない豪勢な街並みが続いている。
一方で城壁から離れれば離れただけ、家屋とも言えないようなボロ屋が増えていく。着の身着のままで逃げ出してきた避難民とその子孫の棲家なのだから、それも当然だろう。
外縁部ともなれば、恐らく避難当時から使い続けてきたであろうテントで生活する者も少なくないのだ。
そんな場所が、レオンハルトの生まれ育った町であり、今なお彼が拠点を置く土地ということらしかった。
「あれ、レオ兄ちゃん、こっちのお姉ちゃんは?」
「わあ、綺麗な人。まるで城内のお店で売ってるお人形さんみたいっ」
「だけどレオ兄ちゃん、女の趣味変わった?」
「あーもー、うっせえぞ、お前らっ。あっち行ってろっ」
しっしとレオンハルトが子供達を追い払う。
「なーなー、レオ兄ちゃん、儲けて帰ったんだろう? そこのパンを奢ってくれよっ」
「俺は肉の串が良いっ」
「私は甘いお菓子っ」
子供達はめげずに、通りに並んだ露店を指差し口々に言う。
―――なるほど、そういうことでしたか。
アニエスは一人納得した。
この男が金に汚いのは、この貧民街の子供達を食わせてやるためであったか。
そう感動していると―――
「だー、うっせえ、去れ去れっ」
レオンハルトが男の子の尻を―――さすがに加減しているが―――蹴り飛ばした。
「なっ、何てことをするのですか、レオンハルト様っ。ああっ、みなさん、大丈夫ですか?」
「おい、アニエス、このガキどもに甘い顔見せんな」
「このお兄さんの代わりにお姉ちゃんが買ってあげようね。どれが欲しいのかな?」
「あっ、馬鹿っ」
わっ、と子供達が散っていった。
「今の聞いたよな、おやじっ。レオ兄ちゃんの連れの支払いで肉の串十本っ」
「パンをここからここまでぜーんぶくださいっ!」
「お菓子ありったけ、この袋に詰めてっ」
「……俺は知らねえからな」
「かっ、構いません。それでお腹を空かせた子供達が助かるのなら」
「へっ、ご立派なことで」
幸いにも場所が場所だけに高額な商品はなく、手持ちのエクシグア硬貨で全て購うことが出来た。
「じゃーねー、お姉ちゃーん!」
「また奢ってねっ!」
「レオ兄ちゃんっ、その優しいお姉ちゃんとは長続きしてねっ!」
子供達が食物を抱えて帰っていく。
懐は痛いが悪くはない気分だ。この最低な勇者とそういう仲だと思われているのは、勘弁して欲しいが。
「で、どこまで付いてくんだよ、お前」
「レオンハルト様のご住居を確認させて頂きます。聖剣を持ち逃げなどされては困りますから。―――ああ、私をまこうとされても無駄ですよ。この辺りにも我が教団の信徒はおりますから、ここまで絞れれば探させるのは難しいことではありません」
「……ちっ、付いてきな」
レオンハルトは路地裏に―――といっても表通りと呼べるような道を外れてすでにずいぶんと来ているが―――入り込む。
狭い道をいくつも抜けて、辿り着いたのは一軒の小屋だ。いや、小屋と言うべきかテントと言うべきか分類に困るような建物だ。
いちおう柱というか、木枠のようなものは組んであるが、板張りの壁はほんの一部だけで、他は魔物の毛皮のようなもので覆われている。
「……入れよ」
一枚の毛皮を持ち上げ―――扉代わりと言うことらしい―――、中へ促された。
「おかえりー、ハルト。―――って、あら? 誰このかわい子ちゃん」
屋内に寝そべっていた女が身を起こす。
「まだいたのかよ、出戻り女」
「なんだー、文句あるのか、弟よ。……んん? というかその子、マジでめっちゃ可愛くない!?」
女が近寄って来てアニエスの手を取る。
浅黒い肌に長く艶やかな黒髪。下着と見紛うような露出の多い衣装と豊かな乳房。目鼻立ちのくっきりした美女だった。
「ええと、レオンハルト様のお姉様でしょうか?」
金髪緑眼で、野外活動の多い冒険者にしては色白のレオンハルトとは対照的な女性だった。ともに派手な美男美女ではあるが。
「まっ、お姉様だって、可愛いー。私、ほんとは可愛げのない弟じゃなく可愛い妹が欲しかったのよねっ」
「お前の弟になった覚えはねえよっ!」
「もう、怖い声出さないの。ほら、こっち来て座って座って」
いまいち関係性が掴めず混乱していると、女に手を引かれ部屋の奥へと誘われた。勧められるままに毛皮の上に腰を下ろす。
「エイラよ。あなたは?」
「アニエスと申します。ええと、レオンハルト様のお姉様、ということで良いのでしょうか?」
「そうよ。この子のおしめを変えてあげたこともあるんだから」
「だから、適当な嘘抜かすんじゃねえっ。ただの幼馴染だろうが」
「なによー、孤児だったあんたを母さんが育ててくれたのを忘れたの?」
「おばさんには感謝してるけどよ。だからってお前が姉はないわ。だいたい、お前んちに世話になるようになった頃には、もうおしめなんてするような年じゃなかっただろうが」
「あらぁ、そうだったかしら?」
エイラがにんまり笑う。分かっていてからかっている顔だ。
「で、この子、アニエスちゃんとはどんな関係なのよ? 新しい彼女?」
「あー、何かお告げがどうとか抜かしやがってよ」
「お告げ?」
「ご家族には話しておくべきでしょうね」
レオンハルトが“別に家族じゃねえ”などと喚いているが、気にせず続ける。
「私、聖心教から参りました。今後レオンハルト様には教団の元で勇者として活動して頂きたく」
「ん? 聖心教? ってことは、もしかしてだけどアニエスちゃんって予言者アニエス様?」
「おいおい、何でお前がそんなこと知ってんだよ」
アニエスが問い返すよりも前に、レオンハルトが反応した。
「そりゃあ知ってるわよ。だって、これ」
エイラが胸の谷間から見慣れたものを引き出す。
「ああ、そういやお前」
「そっ、私、聖心教徒よ。まあ、前の御主人との付き合いで入会しただけで、それほど熱心な信徒ってわけじゃないけど。―――ああ、ごめんなさい。予言者様の前でこんな」
「いいえ、構いません。信仰心は強いるものではありませんから」
「そう言って頂けるとありがたいわ、です。それで、お告げって言うのはもしかして、アニエス様の予知ですか?」
「はい。レオンハルト様は聖剣を持ってオークキングを討ち、かつてこの大陸に存在しなかった超大国をお築きになるのです。そして王の中の王、初代の皇帝にお成りになります」
「なっ、こんな訳のわからねえこと言ってきやがるんだよ」
「―――やりなさい、ハルト!」
「はあ?」
「知らないの? 予言者様の予知はね、絶対に外れないの。だからあなたは絶対にオークキングを討つし、大国の王様になれるのよっ」
「いやいやいや、何言ってやがる。そんなの無理に決まってるだろっ」
「やった、こういう場合、私も王族の一員ってことになるのよねっ!」
「聞けよっ!」
あばら家に血の繋がらない姉弟の叫びがこだました。