第3話 未来の大英雄はテントを張る
「まだいたか、ニンゲン」
「―――っ、……あ、兄貴ぃ」
レオンハルトは両手を上げて抵抗する気がないことを示す。
肘で軽く小突いてやると、アニエスもそれにならった。
「こっち来い、ニンゲン」
促されるままに歩きながら、思考を巡らせる。
道には冒険者の亡骸が三つ転がっているが、目立った戦闘の痕跡はない。
死んでいるのは前衛を任されていたはずの二人と、先刻レオンハルトを睨みつけてきた古参―――つまりレオンハルトとアニエスが抜けたことで最後尾に付くことになった者―――だ。
山道で前後から奇襲を受け、すぐにも降参したと言うところか。
まあやむを得ない選択ではあるだろう。
魔物とは言ってもオークは空を飛んだり、炎の息吹を吐いたりはしない。ただ人間のどんな偉丈夫よりも大きく重く、体格相応の筋肉を備え、暴力に慣れている。つまるところ、こと戦闘力においてオークのそれは完全に人間を上回る。
山道で前後を挟まれ、加えてよく見れば周囲の藪の緑の中にも質感の違った緑色が混じっている。数でも冒険者一行と大差はない。
となると下手に戦闘になるよりは、大人しく降参した方が生き残る可能性は高い。
自分達で畑を耕すことも家畜を育てることも酒を作ることもしないオーク達にとって、人間というのは大切な搾取対象なのだ。人間の数が減った昨今では捕まっても無事解放されることが多い。―――もちろんそれは男に限った話ではあるが。
冒険者と依頼人の聖心教の面々は男女で分けられていて、女達の集まりには他に糧食を積んだ駄馬や、取り上げた武器などもまとめられている。そちらが巣穴に持ち帰る今回の収穫と言うことだろう。
―――しかしこいつら、何だってこんなところにたむろしてやがるんだ?
獲物の選別が終わったならさっさと引き上げれば良いものを、ご丁寧に包囲陣など築いて“待ち”の体勢だ。
前後からの挟み撃ちという手際と言い、妙に統率の取れた様子はオークらしくもない。
―――あっ、やっべ。
はたと理由に思い当たった。
要するにこの群れはただの大所帯と言うだけでなく、統率者がいるということだ。そしてその統率者の帰りを待っている。
恐らくその統率者は、並みのオークよりも優れた聴覚と嗅覚でもって集団と別行動をする人間の存在に気付き、挟撃作戦を他のオーク達に任せて後を追い、―――そこで討たれた。つまりはあの古強者だ。
「…………」
「―――きゃっ」
隣りを歩くアニエスの足を引っ掛ける。
「あーあー、何やってんだよ」
「い、いや、今、兄貴が―――」
「いいから、さっさと拾え」
幸いにも弟分は転ぶだけでなく派手に荷をぶちまけてくれた。
手伝う素振りでしゃがみ込み、死角を作って “証拠”を隠滅する。
「おい、ちょっと待て」
立ち上がり、男達の集団に混じろうとしたところでオークの一頭に呼び止められた。
「……な、なんでしょう?」
「武器を寄こしな。それと荷物の中を見せろ」
「はいはい、もちろんです」
愛剣と折れたドワーフの業物、短剣も手渡し、腰にくくった鞄も開いて見せる。
とっておきの干し肉を奪われたが、それだけで済んだ。
ほっと胸を撫で下ろしていると―――
「―――てめえっ、抵抗しやがるかッ!」
「こ、これは大事なものなんだっ、オークに渡せるもんかっ」
「ッ、このッ、いってえなッ」
アニエスが例の鈍らをぶんぶんと振り回していた。
剣はオークの腕や腹をとらえるも、分厚い肉に弾き返されている。
「おい、馬鹿、何をやってやがるっ」
「だ、だって、兄貴、―――きゃっ」
レオンハルトに言葉を返す隙をついて、オークがアニエスの剣を掴み取った。本当にどうしようもない鈍らで、オークは刀身を平然と拳で握り込んでいる。
腕力で相手になるはずもなく、それは容易く奪われた。
「かっ、返せっ!」
「……ちッ、こんなもん持ち帰っても仕方がねえか」
「ああっ」
その鈍らっぷりにオークさえも呆れ、ぽいっと剣は足元へ放り捨てられた。
慌てて拾い上げようとしたアニエスを―――
「おっと、待ちなッ」
「くっ、―――は、離せっ」
背後から近寄った別の一頭が羽交い絞めにする。
「……? …………」
オークは小首を傾げ、アニエスの首筋に豚鼻を寄せふんふんと鳴らす。
「……オメエ、…………まさかメスか?」
「なにッ!? ちょっと顔を見せてみろ」
最初の一頭がフードと口元を覆う襟巻きに手を伸ばす。
「くっ、汚い手でっ、私にっ、触るなっ!」
「―――ッ!」
蹴り上げた小さな足が、見事に股座に突き刺さる。
オークは内股になってうずくまった。
「お、おい、大丈夫かッ? ちッ、暴れんじゃねえッ」
「は、離せッ、離しなさいッ!」
「……こ、この野郎」
立ち上がったオークの顔は淡い緑から深緑色へと一変していた。要するに頭に血を上らせている。
「があッ!」
オークが吠え、緑の巨拳がアニエスの小さな頭部に突き刺さる。
「やり過ぎだぜ。メスかもしれなかったのによ」
羽交い絞めにしていたオークが拘束を解くと、少女の身体は糸の切れた操り人形のようにどしゃりと崩れ落ちた。首がおかしな方向に曲がっている。
―――ちっ、無駄死にしやがって。
レオンハルトは胸中で吐き捨てると、ひっそりと男達の中に混じった。
あとはこのまま何事もなくやり過ごすだけだ。
「―――お、おい、オマエたちッ、大変だッ」
状況が再び動いた。
三頭のオークが藪をかき分け姿を現した。
いや、正確に言うならば二頭と一頭分の肉の塊だ。
オーク二頭に左右から担がれているのはあの古強者の亡骸である。
「親分が。……ど、どうする?」
「と、とりあえず、巣に帰るしかねえんじゃねえか?」
「男達はどうするよ? 親分は男は生かして返すって言ってたけどよ」
「もしかしたら、親分を殺したやつもこの中にいるんじゃねえか?」
周囲の視線を感じる。
頭の鈍いオークならともかく、人間の冒険者達には犯人が誰かなど自明の理と言うものだ。
「……もうやっちまうか?」
「そうだな、それがてっとりばやい」
物騒なことを囁き合うと、オーク達が一斉に腰の棍棒に手を伸ばした。
男達は慌てふためき、女達はどこか“ざまあみろ”という表情だ。自分達を生贄に助かろうとしていたのだから、それも当然の感情か。
「待て待て待てっ、―――そ、そっちのオークっ! 俺と一発試しちゃあみねえかっ?」
レオンハルトが狙いを定めたのは積み上げられた武器の山を見張っているオークで、乳当てを巻いた個体だ。
雄は革のベルトに腰巻き、雌はそれに加えて乳当てというのがオークのお決まりの服装である。
「あん? 試すっていったい何をだい? …………まさか」
「男と女がすることなんて一つに決まっているだろう? 男達にばっかり良い思いされて、それで良いのかっ? どうだ、俺と一発っ!?」
自慢の金髪をかき上げ、翡翠色の瞳で流し目など送りながら言い募る。
オークは基本的に異種族―――人間や亜人との交配で増える魔物だ。当然そこには略奪が伴うわけだが、さらわれるのは決まって女である。
それは何故か。
男をさらったところで、物理的に交配が不可能なためだ。緑色をした豚面の大女を相手にモノを戦闘態勢に出来る男などそういるものではない。
故にオークの雌は常に性に飢えている、と言われている。
「……は、はんっ、ニンゲンが何を抜かしてやがる? どうせアタイらあいてに立ちやしないくせにさ」
嘲笑いつつも、声にはどこか期待するような響きが混じる。
「おいおい、その辺のヘナちんヤロウどもと一緒にされちゃあ困るなっ。―――こいつを見ろっ!!」
レオンハルトは腰を突き出し、ズボンにぴんと張ったテントを誇示してみせた。
「へ、へえ、アタイらのあいてが出来るニンゲンってのはめずらしいね」
「どうだ? その気になったかい?」
言いながらずんずん近付いていく。
他のオーク達も止めはせず、どこか興味深げな視線を向けて来るだけだ。
「た、たしかになかなか立派なものを持ってるみたいじゃないか」
「どうだ。試しにちょっと触ってみなよ」
「へえ、こんなに固く、反り返って」
「ほら、もっと強く握ってみてもいいんだぜ」
「あ、ああ。―――えっ! う、嘘だろ、引っこ抜けちま、……った?」
雌オークが掌の中の物の正体―――古強者の牙を見て取った瞬間、ズボンの中に隠してあったもう一本の牙も取り出し、緑の喉元に突っ込んだ。
「あっ、があっ?」
「おっと、悪い悪い。ちょっと深く咥え込ませ過ぎちまったか?」
余裕ぶった台詞を吐くも、すぐさま武器の山に取り付いた。
剣と言わず槍と言わず、手当たり次第に男達へ向けて投げ渡す。
「お前らっ、こうなっちまったら覚悟を決めろっ! オークか人間かっ、生き残るのはどちらか一方だっ!!」
それらしいことを叫ぶと、レオンハルトも掴み取った一本の剣を―――前々から密かに目を付けていた冒険者一行団長の愛剣だ―――を引き抜いた。