第25話 女たちは英雄を語る
「それでっ、どんくさいもんだから私だけ逃げ遅れちゃったんだけど。そしたらハルト、すぐに駆け戻ってきて。木剣で相手の大人たちの脛をガーンって叩いて回って。それでそれでっ、“ほらっ、早く行くぞ”って、私の手を取って」
聖心教の信徒や集まった避難民達を相手に、ヤスミーンが拙いながらも必死な様子で語る。
籠城生活もまもなく二ヶ月目に突入しようとしていた。籠城開始直後に商会からかき集められた教会の備蓄もほとんど尽き、今は信徒達のなけなしの寄進で一日一回の薄いかゆを配給するだけとなっている。
それでも教会へ来れば何か良いことでもあると思うのか、それとも神に縋りつく思いなのか、連日教会には多くの人間が集まり、中庭に力無くたむろしていた。
アニエスから何か気晴らしでも出来ないかと問われ、エイラが答えたのがこの“英雄レオンハルトを語る会”であった。本当は踊り子の経験を買われたのだろうが、エイラの踊りは教会で披露するにはちょっと扇情的すぎる。
教会の中庭にはレオンハルトを古くから知る者や、籠城が始まってからの英雄的活躍で知り応援する者などが集まり、車座に並んでいる。
「それでそれでっ、ハルトのお陰で悪い大人たちは懲らしめられて、貧民街の子供たちは飢えを凌ぐことが出来たのでしたっ」
「―――――っ! ――――っ!」
ヤスミーンが話を終えてぺこりと頭をさげると、車座に並んだ観衆たちがわーっと拍手を打ち鳴らす。“レオンハルト様は昔から弱い者の味方だったのだなぁ”とか“大人複数人相手の大立ち回りっ、すでに今のご活躍の片鱗が見えるなっ”などと感心しきりだ。
「…………」
本当はその“悪い大人たち”と言うのは貧民街のクソガキにごっそりと商品を盗まれた店の店主やら店員やらである。ヤスミーンはその部分を濁して上手く話せるような性格はしていないので、幼かった彼女には本当に追ってくる大人達が悪党で、それを叩きのめしたレオンハルトが英雄に見えたのだろう。
「それじゃあ次は、……エイラさん、何かありませんか?」
「えっ、私ぃ?」
アニエスに話を振られる。
「はい。会の発案者として、何か」
「いやぁ、私が話すとどうしても愚痴っぽくなっちゃうからさぁ。他の人に話してもらった方が」
日々聞こえて来る活躍は間違いなくこの籠城戦における英雄、遠目に目にすれば金髪緑眼の美丈夫、しかして実際に言動に触れると金に汚いチンピラでしかない、―――と言うレオンハルトに対する心証を少しでも良くするために企画した会だ。
自分が話して、趣旨にあった内容になる気がしない。
「えっと、エイラ姉ちゃんが話さないなら、もう一つ私から……」
「ではヤスミーンさん、続けてよろしくお願いします」
「う、うん。えっとね、これは最近の話なんだけど」
ヤスミーン無双である。
駄目男なエピソードもヤスミーンの目を通して語られると、甘酸っぱい素敵な思い出になる。
―――ほんと、こんな良い子他にいないんだから、しっかり捕まえておきなさいよね、ハルト。
料理上手で気立て良く、男を立てまくってくれる都合の良過ぎる娘だった。正直ハルトが弟でなかったら、あんな男はやめときなさいと引き離しているところだ。
「それでそれで、夜に冒険から帰ってくると、近所を見回りしてくれたり、お爺ちゃんお婆ちゃんの家なんかはこっそり様子を覗いたりしてくれてるんです。本当にお金が無くて餓えちゃってる子がいたら、口では文句言いながらご飯を奢ってあげたりも」
「あっ、俺奢ってもらったことあるっ。クズ汁だけどっ」
「私もっ。やっぱりクズ汁だったけどっ」
「そうそう、本気で腹減らしてると奢ってくれるんだよな、クズ汁だけどっ」
一緒に避難してきた近所の子供達が声を上げた。
「あんたら、そのクズ汁ってのはうちの屋台のスープのこと言ってるんじゃないだろうねっ!」
「わあっ、クズ汁屋が怒ったぁっ!」
「あ、あんたらねぇっ」
「ま、まあまあ、お婆ちゃん、落ち着いて」
「ったく、うちの栄養満点のスープをクズ汁だなんて呼び出したのはいったいどこの誰なんだろうねっ。ハルトの奴かい?」
「はははっ、どうだったかなぁ~」
何の動物のものか分からない肉と、野菜と言うより食べられる草を煮詰めて作ったスープは、貧民街でもっとも安価に食べられる料理だ。それをクズ汁呼ばわりし始めたのはハルト、―――ではなく自分だった気もする。
「あのレオンハルト様がお食事をお奢りになるんですかっ。珍しいですねっ。やはりレオンハルト様にも弱い者を助けようと言うお気持ちはあるのですねっ」
「そう思うんならクズじ―――、スープなんかじゃなく、もっと栄養になるようなもの奢ってあげれば良いのにね、結構稼いでるんだから。まったく、あの子ったらなんだってああもお金にがめつい子になっちゃったのかしらね?
つい愚痴っぽいことを言ってしまう。―――いけないいけない、今はハルトを褒めないと。
「まっ、まあでも、考え無しに散財するよりかはマシよねっ。せっせと貯め込んで、いったい何に使うつもりなのか知らないけど」
「おや、お忘れですか、エイラさん?」
「あら、アニエスちゃんはハルトから何か聞いているの?」
「ええ、この前一度話したじゃないですか。家を建てたいと仰っていましたよ。それも城内に立派なお屋敷を」
「……あー、はいはい、そういえばそんなことも言ってたわね。まったく、あの子ったらまだ諦めてなかったのね。いくつになってもお姉ちゃんっ子なんだから」
「お姉ちゃんっ子? どういうことでしょう?」
「う~~ん、この話はして良いもんかなぁ。……うん、まっ、いっか」
わずかに悩むも、それは珍しくエイラから話せるレオンハルトのちょっと良い話だ。しない手はないだろう。
「アニエスちゃんにはうちの母さんの話はしたわよね?」
「確か、孤児だったレオンハルト様を引き取り育てたと言う。そういえば、まだ一度もお会いしていませんでしたが……」
「ええ、何年か前に病気でね」
「それは、―――お悔やみ申し上げます」
「この中には覚えている人もいるんじゃないかしら。貧民街で病が流行って、結構な数の人が亡くなった年だったわ。母さん、元々あんまり身体が強い人じゃなかったし、今思えば寿命と言うやつなのかもしれないけど」
母はまだ十分に若かったが、貧民街では年寄りになるまで生きる人間の方がずっと珍しい。
「でも当時はお金さえあれば、良い薬さえ手に入れば治るって思ってね。それで、以前から誘われていた貴族からの専属の踊り子の話を受けたのよ。でもほら、私ってこんな性格だし、照れ臭いじゃない。だから母さんやハルトには城内のお屋敷で良い暮らしが出来るから出てくって言ったんだけど」
「もしかして、それで?」
「ええ、ハルトが屋敷ぐらいいつか自分が手に入れてやるって言い出してね。だから私もその“いつか”が来たらあんた専属の踊り子になってやるって言い返したんだけど」
「なるほど。レオンハルト様は今もその“いつか”のために」
「そういうことみたいね。結局母さんが亡くなって、専属の仕事もあんまり合わないから貧民街の家に戻ったんだけど。あの子、人のこと出戻りだなんだと馬鹿にするもんだから、まさかいまだにそんなことを考えてただなんて、思いもしなかったわ」
“あのレオンハルト様にもそんな可愛いところが”などと、やはり聴衆からの反応は良い。話してよかった。
「でもあの方、すでにけっこう貯め込んでいますよね、たぶん。古強者の討伐だけでも結構な金貨を得ていると思いますし。お金になりそうな遺物を嗅ぎつける嗅覚もすごいですし。建てるのは難しいにしても、ちょっとした屋敷を借りることくらいならもう出来そうなものですが」
「でしょうね、私にも教えてくれないから具体的にいくら貯め込んでるのかは知らないけど。ただ私もね、あの子に無茶をして欲しくはなかったから、諦めさせようと思って色々注文を付けちゃったのよ」
「注文?」
「ええ、“ただのお屋敷じゃ駄目よ。私と母さんはもちろん、隣のヤスミーンも裏のお爺ちゃんお婆ちゃんも、向かいの家族も、三軒隣の子だくさんもみーんな暮らせるようなお屋敷じゃないと。私と母さんだけ特別扱いなんて悪いもの。それと、中古もいやよ。新しく一から建ててね”、とかってね」
「それはまた……」
人類に許された限られた大地の、そのまた限られた城郭内の土地だ。城主や王族であっても達成は困難な条件だろう。それを一介の冒険者が行うというのはほとんど不可能に近い。
「いや、こっちはすっかり忘れてたってのに、まさかそんなこと本気にしてたなんてねぇ」
「ううっ、それはちょっとひどいと思うの、エイラ姉ちゃん」
「―――お前らっ、人の名前出していったい何の話をしてやがるっ?」
そこで当の本人が教会に帰還し、“第一回英雄レオンハルトを語る会”は解散となった。