第21話 勇者レオンハルトは警戒心を募らせる
「うわぁぁぁぁぁぁぁっ!」
一頭のオークが城壁上まで到達した。赤銅の剣ではなく、別の冒険者たちが防衛する区画だ。
オークがたかが一頭。しかし手早く片付けなければ、その一頭を仕留める間に二頭、三頭と城壁に上がり込んでくる。
「レオンハルトっ、行けるかっ?」
「行けねえっ、ってわけにもいかねえだろうがっ。―――ちっ、お前らどけどけっ、道明けろっ!」
冒険者や兵士達をかき分けるようにして進み、オークの前に踊り出るや聖剣で両断する。が、すでに他に三頭が城壁の上へ辿り着いていた。しかもそのうち一頭は古強者。三頭の処理に手間取れば、今度は十数頭に膨れ上がりかねない。
「ふっ!」
一息に間合いを詰め、まずは古強者を斬り伏せる。
「ガアッ、ナッ、ナンだッ!?」
次の一頭は横薙ぎの斬撃で頭部に浅く斬り付ける。狙いあやまたず眼球二つを揃って斬り裂いた。視界を閉ざされたオークはパニックになって棍棒を振りたくる。これで後続のオークも近付いて来れない。
「キ、キサマァッ!」
最後の一頭が向かってくるのを、左へすり抜け様に聖剣で足を払った。オークの丸太のような足が何の抵抗もなく切断され、失った足の方向へ―――城外に向けて巨体が傾く。ぶんぶん残った手足を振って、何とかバランスを保とうとするのを―――
「落ちてろっ!」
「ウガァァァ~~~ッッ!!」
蹴りを一発くれてやる。城壁を登って来ていた他のオーク数頭を巻き添えにして、オークは落ちていった。
「後は自分達でやれるなっ」
残されたオークは視力を失い闇雲に棍棒を振る一頭だけ。遠巻きにしている冒険者達に言い残すと、古強者の首だけ取って担当箇所へと戻る。
「ったく、よその尻拭いまでしなきゃなんねえとはな」
「仕方ないだろう、一箇所が破られればそこからどんどんオークが入ってくるのだから。と言うか、そもそも初めに“担当箇所でないからと言って放置すればジリ貧だ”とか何とか言い出したのはお前だろ」
「そりゃそうなんだけどよ。ちょっと俺らの、というか俺の負担が大き過ぎんだろ、団長さんよぉ」
「良いから、黙って働けっ」
「はいはい」
オークキングの出現から十日が過ぎていた。
オークキングはニンゲンの不実を糾弾した後、オーク達へ号令を発して本格的な攻城戦が開始された。すなわち籠城生活もこれで十日目となる。
先刻のようなちょっとした危機に見舞われながらも、今のところ人類は大きな損害を出すこともなく防衛に成功していた。
と言うのも、オークの攻撃は力任せで単調で、変化というものがない。攻城手段と言えば城外の廃屋から拾い集めた建材を梯子代わりにするか、厚く鋭利な爪と強靭な握力を使って城壁を這い登るかだ。前者は当然駆け登れるような代物ではないので、もたついている間に弓や投石、魔法の餌食となる。後者に関してはいくら握力が強いと言っても巨大で肥満体なオークであるから、防衛側が何もしないでも途中で力尽きて落下していくことも少なくない。
加えて昼夜を問わず攻撃する、―――なんてこともなく、日が落ちると飯を食って騒いだり、惰眠を貪ったりし始める。
そんなわけで現状では―――レオンハルトら数名の実力者の献身もあって―――攻城にはそれほどの脅威は伴わず、守備側もルーティーンと化しつつあった。時間ごと場所ごとに担当が決まり、冒険者も兵も交代で休憩を取るようになっている。
「―――ようっ、レオンハルトっ、今日もご活躍だったみてえじゃねえかっ」
間もなく赤銅の剣の本日の担当時間を終えると言うところで、大男―――金の爆斧のギルバートが声を掛けてくる。ぶら下げた古強者の首級二つに目を止めたらしい。
「まあな。あんたらは俺達に代ってここの当番か? しっかり守ってくれよ」
「おめえらはこれで上がりだろう? そっちはしっかり身体を休めるんだな。―――おうっ、お前らっ」
金の爆斧が前に出て、赤銅の剣の本日の担当時間は終了した。
「……さて、そんじゃ、俺は組合に首級を渡して来るぜ」
「ああ、頼んだ」
城壁を降りたところでアイリ達と別れ、組合へと向かった。
普段ならレオンハルトが報酬をちょろまかさないか見張りの一人も付けられるところだが、今は状況が状況だけに帳簿を付けられるだけで即時の現金支給はない。守備の疲れもあってか、あっさりと送り出された。
「……おいっ、あれ」
「まあっ、赤銅の剣の方よ」
通りを歩いていると、こちらを見てひそひそと囁き合う者達から手を振って微笑み掛ける者達まで反応は様々だ。
オークの侵攻の切っ掛けを作った赤銅の剣に対して、城内では“よくやった”と言う好意的な意見と、“よくもやったな”と言う恨めし気な意見が拮抗していた。下手をすればオーク達への生贄に捧げられるんじゃないかとまで考えていたレオンハルトとしては、実に意外な展開である。
好意的な者が少なくない理由の一つは、あくまで赤銅の剣はこの城郭都市の城主を務めるヴァ―サ家の依頼を受けたに過ぎないこと。そしてそのヴァ―サ家がオークとの人身―――女の―――売買を容認、もしくは関与していたと考えられることだ。
そしてもう一つ、聖心教が赤銅の剣を支持、と言うより礼賛すらしていることだ。赤銅の剣の行いを英雄的行為として盛んに褒め称えている。城外からの避難者の中には籠城後の生活で聖心教の世話になった者も少なくないため、必然的に赤銅の剣の支持を増やすこととなっていた。
「古強者二体ですね。赤銅の剣はこれで金の爆斧と並んで古強者討伐数第一位です。あちらは人数も多いのに、すごいですねっ」
組合に古強者の首級を提出すると、受付嬢がパチパチと拍手までして称えてくれた。
契約違反―――令嬢の安否を偽った事―――があるとはいえ、赤銅の剣は基本的に依頼を果たしただけであるから、組合の面々はそろって好意的である。
「あら、ハルトじゃない」
「エイラか。こんなとこで何やってんだ?」
「アニエスちゃんに頼まれて、伝言を届けに来たのよ」
「聖心教の関係者の方ですね。お伺いします」
「えっと、午前中は西の城壁で負傷者が多く出たみたいだから、午後は東の城壁からそちらに神官を一人回すって」
「はいっ、ありがとうございますっ」
聖心教では神官を派遣して負傷した冒険者の治療を無償で行っている。それもまた組合がレオンハルト達に対して好意的な理由の一つと言うわけだ。
「……まったく、聖心教さまさまだな」
「ん? 何か言った、ハルト?」
「何でもねえよ。用事が終わったんならさっさと行こうぜ」
「お二人とも、ありがとうございましたーっ!」
受付嬢に盛大に見送られ、エイラと並んで組合を出た。
「ハルトも仕事終わったとこ? 今から教会?」
「ああ、さすがに疲れた。さっさと飯食って寝てえ」
ググっと伸びをしながら言う。
運動量自体はむしろ普段の探索活動より少ないくらいだが、慣れない戦争だけに気が抜けず余計に疲れがたまる。特にレオンハルトは味方のはずの兵士にも警戒しなければならないだけに。
「ふふっ、それじゃあお姉ちゃんが、久しぶりに子守歌でも歌ってあげようかなっ」
「そんなもん歌ってもらった覚えはねえよっ!」
「あらあら、覚えてないのね~。ハルトったら、お姉ちゃんが歌ってくれないと寝れないって、毎晩求めてきたくせにぃ」
「いや、そんなことなかっただろっ。なかったよな?」
エイラの母親に拾われたのはレオンハルトがすでに物心ついてからだし、エイラとは年も一つしか離れていない。そんな過去はたぶん無いはずだ。
「…………」
「ん、どったの? 急に怖い顔して。そんなに恥ずかしい過去だった?」
「……いや、ちょっと寄ってくとこ思い出してよ」
「そう、それなら先に帰って、たまにはお姉ちゃんがご飯の用意でも―――」
「いや、お前も付いて来てくれっ」
「きゃっ。ちょっと、ハルトっ」
エイラの手を取り、道を右に曲がった。
「なになに? どこ行くわけ?」
その先の道をまた右に曲がり、次を左に曲がり。
物資輸送のために大通りは整備されているが、ちょっと小道に入ると避難民達の建てたバラック小屋やら積まれた家財一式やらがところ構わず並んで、城内は迷宮さながらとなりつつある。
「ハ、ハルト?」
何度目かになる分かれ道を右に曲がって、―――そしてすぐに後ろを振り返った。
「―――っ!?」
曲がったばかりの角から、目深にフードを被った男が飛び出してきた。レオンハルトに気付いて、すぐに回れ右して逃げ出そうとするのを―――
「ぐあっ」
どかっと背中に蹴りを一発。男は地面に倒れ込んだ。蹴った足をそのまま男の背中に踏み下ろして、縫い止めるようにその場に拘束する。
「ちょっ、ちょっとハルトっ! いきなり何してるのっ!」
「てめえっ、さっきから人の後をちょろちょろ付け回しやがって、いったい何のつもりだ?」
エイラは無視して、男を問い詰める。
「な、なにをおっしゃいますっ、私は付け回してなどっ」
「だったら俺の顔を見るなり逃げ出したのは、いったいどういうわけだ?」
「に、逃げ出しただなんて、そんなつもりは」
「まずはその面を見せやがれっ」
「―――ひっ。……うぐぅっ」
男を再び蹴り飛ばし、腹這いから仰向けに半回転させると、今度はみぞおちに足を踏み下ろした。転がした拍子にフードがはだけ、露わになった顔は―――。
「…………誰だ?」
顔など隠しているものだからてっきり見知った相手かと思えば、レオンハルトの記憶に無い男だった。痩せぎすで血色が悪く、冒険者とは違った意味で質の悪そうな空気をまとっている。
「……だ、だから申しましたでしょうっ、後など付けてはいませんとっ」
「そうか、そいつは悪いことをしちまったな」
「ちょっとハルトっ、ちゃんと謝りなさいっ! ごめんなさいねっ、馬鹿な弟が馬鹿な勘違いをしたようでっ」
エイラが助け起こそうとするが、まだ掴んだままだった手首をぐいっと引いて男から遠ざけ、代わりにレオンハルトが男に手を差す出した。
「おらっ、つかまれ」
「あ、ああ、すいません」
何か仕掛けてくるかと警戒したが、男は普通にレオンハルトの手を取って立ち上がった。―――これは、本当にこちらの勘違いか。ちょっと神経質になり過ぎていたか。
「あんまり紛らわしいことするんじゃねえぞ。俺だから良かったようなものの、いま城内にはガラの悪い冒険者が大勢いて、しかも籠城中ってことで気が立ってやがるんだからな。おかしな真似したら、連中に何されるか分からねえぞ」
自分のことは棚に上げてレオンハルトは言う。
「ハルト、貴方ね。ちゃんと謝りなさいっ」
「い、いえいえ、お気になさらず。貴重な忠告、感謝いたします、レオンハルト様」
「……ん? お前、何で俺の名前を?」
「そっ、それはもうっ、レオンハルト様は今回の籠城戦で名を上げておりますからっ。特に聖心教の方々は、貴方様を英雄だと称えておりますよっ」
そう言えば先程通りでも、赤銅の剣に好意的な住民の口から“レオンハルト様”なんて歓声が聞こえていた。聖心教の思惑に乗せられているようで、何となく気分が悪い。
「で、では、私はこれで」
男がそそくさと去ろうとするのを―――
「おうっ」
「は、はいっ!?」
「悪いことしちまったなっ、すまねえっ」
「いえいえ、レオンハルト様には街をお守り頂いているのですから、この程度お気になさらず」
深々と頭を下げると、今度こそ男は去って行った。
「まったくもー、ハルトっ、あんまり他人様に迷惑かけちゃ駄目よっ」
「はいはい、分かってるよっ。ほらっ、さっさと帰ろうぜ」
「もうっ、あんたが勘違いしてこんなところまで引っ張って来たんじゃない。と言うか、ここどこ?」
「……あー、とりあえず大通りに出るか。たぶんあっちだろ」
「あんっ、ちょっと痛い」
「ああ、すまん」
歩き出し、そこでまだ手首を掴んだままだったことに気付いてぱっと離した。
「ふふっ、もー、あんたはいくつになってもお姉ちゃんが大好きなんだからぁ」
「そっ、そんなんじゃねえよっ。さっさと行くぞっ」
「もー、歩くの速いっ」
エイラの文句を背中に、レオンハルトは仮住まいの教会への家路に付いた。