第14話 予言者アニエスは敬虔なる信徒を保護する
「エイラ姉ちゃん、ご飯出来てるよ。ハルトももう帰ってるんだよね?」
秘密を語り終え一息付いたところで、扉代わりの毛皮を持ち上げて女が一人顔を覗かせた。
「あっ、アニエス様も来てたんだ。どうしよ、ご飯足りるかな」
「こいつなんかに食わせる必要ねえぞ、ヤスミーン」
「えっと、でも」
女はおどおどと視線をさまよわせる。
「もう帰るところですから、本当にお気遣いなく」
「よかったぁ」
ほっと胸を撫で下ろしたのは、お隣に住むレオンハルトとエイラの幼馴染である。アニエスも今ではすっかり顔馴染みだ。
「こら、ハルトっ。ヤスミーンを困らせるような言い方しないの」
「いってえなっ。さっきからポカスカ人の頭を叩くんじゃねえよっ」
「叩かれるようなことばっかり言うからでしょうがっ」
室内で姉弟が騒々しく揉み合いを始めると―――
「姉ちゃん達、ハルトのコレか? へへっ、あの野郎もすみに置けねえな。―――ぐあっ、なっ、何しやがるっ」
「誰があんな男の女だっ」
室外からも喧騒が聞こえて来た。
「ちょっとアイリ、よしなさいよっ」
「ええいっ、離せ、ヘルガっ」
漏れ聞こえる声から、何が起こっているのかはおおよそ想像が付いた。レオンハルトと顔を見合わせ、家を飛び出す。
「アイリさんっ、一体どうされましたか?」
扉の前には後ろからヘルガに羽交い絞めにされたアイリと、その足元で尻もちを付いた男。
アイリ達の背後にはパーティの冒険者たちも続き、何ごとかと住人達も集まり始め、貧民街の狭い路地にちょっとした人だかりが出来上がっていた。
「おう、聖心教の嬢ちゃんっ、ハルトっ、この姉ちゃんを何とかしてくれ。おめえらに用があるって言うから連れてきたら、突然暴れ出しやがった」
男はこちらを見上げ、その拍子にタラリと鼻から血を垂らした。
見るからに柄の悪そうな男だが、見知った顔だ。レオンハルトの家のすぐ側で露店を営んでいる者で、アニエスの説法にもほぼ毎回参加してくれている。
「おいおい、団長さんよ、ひとんちの前で何をしてやがる。うちの近所のもんに、ずいぶんな真似してくれたなぁ。この落とし前どう付けるつもりだ、ええっ?」
「い、いや、これは」
レオンハルトが詰め寄りチンピラが如く絡む。さすがに流血沙汰はやり過ぎたと思ったのか、アイリが口籠る。
アニエスはその隙に男の隣に跪いた。
「――――。―――。――――――。――――。“回復”」
「お? おおっ? 痛くねえっ。これがエイラがいっつも自慢してる、嬢ちゃんの奇跡ってやつか!?」
「あっ、アニエスっ。てめえっ、勝手なことすんじゃねえっ」
ついには誠意がどうの治療費がどうのとアイリをなじり始めていたレオンハルトが、今度はこちらへ詰め寄ってくる。
「な、何か問題でも?」
「お前なぁ、奇跡ってのはそう軽々しく施すもんじゃねえだろう」
何やらそれらしい台詞を言ってくるが、察するに―――
「アイリさんから治療費をせびれなかったのがそれほど不満ですか?」
「そんな小さなことを言ってるんじゃねえ。もっと大局を見ろ」
「大局?」
おやと、思わず耳をそばだてる。
「お前らの使う奇跡は、ほら、金の卵を生むガチョウってやつだ。自ら価値を下げるような真似をするんじゃねえ」
「はぁ、あなたはどこまでお金に卑しいのです。救世主様の伝えた寓話まで持ち出して、何を言い出すのですか」
日々の説法でアニエスが語った挿話の一つである。
強欲を戒めるための教えなのだが、レオンハルトに掛かればこれだった。それでも話を覚えてくれていたことをほのかに嬉しく思ってしまうのは、この男に対する期待がすでに底値に近いからか。
「だいたい、この家だって気の置けない隣人に恵まれた素晴らしい住まいではないですか。城内に屋敷が欲しいなどと―――」
「―――おい、馬鹿っ、やめろっ」
「へーえ、ハルト、城内に屋敷を買うつもりなんだ」
エイラが扉から顔だけ覗かせた。何かあるのか、にやにやと意味ありげに笑う。
「そっ、そんで、アイリ団長よっ。俺に何の用だ?」
レオンハルトは何かを誤魔化すようにアイリ達に目を戻す。
「用があるのはお前ではない。―――アニエス様、一つお頼みしたいことがあるのですが」
「何でしょう?」
「メルヴィ様の説得をお願いしたいのです」
「説得、と言いますと?」
「実は彼女、組合へ向かう途中で暴れ出しまして。依頼人であるご両親の元に戻る気はないなどとごねているのです」
「ご両親の元へ戻らない? 何故そのような?」
「我々が聞いても、何も答えてくれません。しかし熱心な聖心教の信徒ですから、アニエス様の言葉になら耳を傾けてくれるかと」
「そうですか。……分かりました、任せてください」
「助かります。―――おいっ」
アイリが背後の冒険者達へ呼び掛ける。
「何をするのですっ、放しなさいっ」
冒険者二人に両脇からがっちりと腕を取られ、メルヴィは引きずられてきた。
少々手荒だが、そうでもしないと逃げ出されると言うことなのだろう。今も左右に身をゆすり、拘束から逃れようとしている。
「メルヴィ様」
「―――っ、アニエス様」
声を掛けると、メルヴィは大人しくなった。
「放してあげてください」
「それは」
「―――構わん。アニエス様の言う通りに」
アイリが命じると、冒険者二人はメルヴィから腕を離した。
「エイラさん、お家をお借りしても?」
「ええ、どーぞ」
室内にはアニエスとメルヴィ、それにアイリとレオンハルトが同席し、エイラたちは気を使って席を外してくれた。
当然、公言するような話ではないはずだ。
「ご両親の元に帰るのを拒んでいるそうですね。理由をお聞きしてもよろしいでしょうか?」
問うまでもなく、想像に難くない。
オークに汚された身では父母に合わせる顔がない、そんなところだろう。山砦では気丈に振舞い、帰路も他の女達に励ましの言葉をかけて回っていたが、彼女だって被害者の一人なのだ。
しかし―――
「あのような汚れた家、二度と足を踏み入れたくはありませんっ」
予想外の、むしろ予想の真逆と言っていい答えが返って来た。
「汚れた家とは、どういうことでしょう?」
「アニエス様も目にしたのでしょう? 女性達をオークに売る男どもの姿を」
「ええ。しかし貴方の家が関わったわけではないのでしょう? 同じ貴族と言っても、あの男達はコンティオラ家に使われていると言っていましたが」
「コンティオラ家は我が家の門閥の一つです。そうでなくてもこの地であのような狼藉、我が家の許可無く行えるとは思えません」
「御父上はこの街の御領主でしたね、メルヴィ・ヴァ―サお嬢様」
アイリが口を挟む。
「ええ」
この街、と言っても当然この貧民街のことではない。
貧民街を抜け、いくらかまともな住居が立ち並ぶ中流区域も豪商や貴族が住まう富裕区域も抜けた中央にそびえる城郭。ここの住人達からは単に“城内”と呼ばれる場所。ヴァ―サ家は城郭都市一つを有する領主だった。
元来、貴族が領地を持ち、城を構えるのは当たり前のことだと言える。しかしオークの支配で状況は大きく変わった。人類が有する土地はあまりに狭く、エクシグア王国に身を寄せる他国の王達ですら今は王都に軒を借りているのだ。
実際、ここの城内にも領主であるヴァ―サ家以外の貴族たちが幾人も屋敷を構えている。件のコンティオラもそんな家の一つだ。今や城持ちの貴族は極めて希少な存在である。
「アニエス様、私をお側に仕えさせては頂けませんか?」
「それは教会に身を置き、神官となるための修業をしたいと言うことですか?」
「はい。オークに汚されたこの身では、許されない望みでしょうか?」
「……アイリ様、メルヴィ様のしたいようにさせてあげることは出来ませんか?」
「ああっ、アニエス様」
メルヴィが目を輝かせ、そして胸の前でT字を切る。
「聖心教の皆様にはお世話になっておりますし、可能な限り協力は惜しみませんが。……我らとしても御領主様からの依頼を失敗したですませるわけには」
「依頼は確かメルヴィ様の救出か、あるいは―――」
「ご遺体、それが無理であればご遺品の回収ですね」
アイリがぽんと手を打ち、―――直後に顔をしかめた。
「いや、遺品になる様なものが何もない、か」
救出された時、メルヴィを含め女達は全員裸にむかれていた。
「いえ、それならたぶん大丈夫です。オークの宝物を回収しておりましたね? 私が身に付けていた首飾りもオーク達に奪われましたから、恐らくそこに」
「分かりました。―――おい、収穫品をこちらへ」
アイリが毛皮の扉から外へ顔を突き出して呼び掛けると、貴金属が満載された壺が三つ運び込まれた。
メルヴィがごそごそと漁り始める。
「手伝います。首飾りと言うのは、どのような?」
「ええと、胸元にダイヤが一粒あしらわれていて、銀のチェーンの―――」
つまらなそうに傍観を決め込んでいた―――報酬さえ手に入るならメルヴィの処遇に興味などないのだろう―――レオンハルトの顔が固まった。
アニエスもその首飾りの特徴に聞き覚え、と言うよりも見覚えがあった。
「それってもしかして、―――むぐっ」
「お、おい、アニエス、いったい何を言うつもりだ?」
大きな手に口を塞がれ、耳元で囁かれた。
「……こうなった以上、諦めてください」
「いやいや、あれは今回ちょろまかしたもんの中でも、一番値が付きそうな品だぞ。そんな簡単に諦めるやつがあるか。最後まで希望を捨てるな」
「何を良い感じに言っているのですか。盗品を返すだけでしょうに」
アニエスも仕方なくレオンハルトの囁き声に付き合い、コソコソと言い合う。
「おいっ、何をしている、レオンハルト。お前も探さないか」
「あ、ああ。……ちなみに見つからなかった場合はどうするつもりだ、アイリ団長?」
「……そうだな、道中で落としたかもしれないし、山狩りかな。最悪、お前にはもう一度山砦に潜入してもらうことになるか」
「うげっ。…………そのお嬢様をふんじばって組合に連れてっちまうってわけには、―――い、いかねえよな。ははっ、冗談冗談」
女達からぎろりと睨まれ、レオンハルトは言を左右にする。
「―――おっ、あったあった。これじゃあねえのか?」
結局三つの壺全てを浚い終わる頃になって、ようやく観念したレオンハルトは首飾りを見つけた“振り”をした。
この勇者が正義に目覚める日はいつ来るのか。
アニエスがあばら家の低い天井を仰ぎT字を切った。