第12話 勇者レオンハルトは窮地に陥る
「何だ、来やがったのか。いや、ちょうど良い。神聖魔法を使えば俺が壺二つ、お前も一つくらい抱えられるだろう。根こそぎもらってっちまうとしよう」
「……」
アニエスが何やら冷たい視線を向けてくる。
「なんだ、文句あるのかよ。これは女を買うためのオークの資金だぞ。取り上げるのが正義ってもんだろうが。違うか?」
「それはそうですが、……どうせ独り占めされるつもりなのでしょう?」
「ちっ、仕方ねえな。お前にもちょっとは分け前をくれてやる」
「そうではなく、被害にあったあの女性たちに分け与えるであるとか」
「ああん? タダで助けてやった上に、金まで恵んでやろうってのか? 本来ならこっちが金を要求する立場だろうが」
「慈悲の心と言うものはないのですか、貴方には」
「うるっせえな、金がいるんだよ」
「そうもお金に執着して、いったい何をしようと言うのですっ」
「それは―――」
レオンハルトは口を濁した。
「んん? もしかして何かあるのですか、目的が? ただの守銭奴だとばかり思っていましたが」
「お前に教えるようなことじゃねえ」
「なら神聖魔法を掛けてあげません」
「ちっ、生意気になりやがって。兄貴兄貴言って後ろ付いて来てた頃が懐かしいぜ」
「そう思うなら少しは兄貴分に相応しい行動をしてください」
「……ちっ。家を買うんだよ、家をよ」
「家、ですか?」
「おうよ。あんなあばら家生活は、俺に相応しくねえだろう。城内に立派な屋敷を建てるのさ」
「……そんな理由ですか」
拍子抜け、と言う顔をアニエスはした。
「悪いかよ」
「いえ、思ったよりもずっとまともな使い方で驚きました。良いと思いますよ」
「へっ、偉っそうに」
「ですが、何度も言っていますが貴方はオークキングを討ち取り王に、いえ、王を超えた王、救世主様言われるところの皇帝になるのです。このようにコソ泥のような真似などなされずとも、後々は王宮で暮らされるのですよ」
「あー、はいはい、それな」
「むっ、もしかしてまだ信じていないのですか?」
口では答えず、肩を竦めて見せた。
たかだか良く斬れる剣一本でオークを駆逐出来るなら誰も苦労はしない。
「これはエイラさんに相談して、また諭してもらわないといけませんね」
「ちっ、姉ちゃんは関係ねえだろうっ、姉ちゃんはっ」
「あら、レオンハルト様、エイラさんを姉ちゃんなどと呼ぶのですね。ご本人の前では否定していらしたのに」
「いやっ、これは」
まずい奴にまずい事を聞かれた。レオンハルトが狼狽していると―――
「―――んん、ニンゲンか?」
入口―――聖剣で斬り開いた穴ではなく、本物の扉―――から、オークが顔を覗かせていた。少し騒ぎ過ぎたか。
「ブヒッ」
無言で飛び掛かり、肩口で扉に体当りした。豚鼻を挟み込んで閉め切れないが、ちょうどいい。扉越しにザクザクと聖剣を突き立てオークを仕留める。
「…………」
扉から肩を離すと、扉と一緒にオークの亡骸が倒れ込んで来た。急いで宝物庫内に取り込んで証拠隠蔽を図るも―――
「―――テメエッ、ナニしてやがるッ! おいッ、オマエら、ニンゲンだぞッ!」
そこを他のオークに見られた。
「アニエスっ、ぼさっとしてねえで、さっさと神聖魔法を―――」
振り返った瞬間、眼前に棍棒が迫っていた。咄嗟に聖剣を走らせ、直撃する寸前で切断するも―――
「―――っ」
斬り落とされた棍棒の先端は勢いそのままに飛来し、顔面にぶち当たった。
「つうっ、斬り方考えねえと駄目だなっ!」
痛みに耐え聖剣を返しオークを仕留めた。が、その一頭で終わりではない。繁殖部屋と繋がる穴から、続々とオーク達が入り込んで来ていた。
考えてみれば当然だ。
何か異変があった時、オークが一番に気に掛けるのは宝物などではなく女のことだろう。
「ちっ」
“アニエスのやろう、なにをしてやがった”と視線を彷徨わせると、額を陥没させた少女の亡骸が目に入った。
そして―――
「やっぱりいやがったか」
ぬっと部屋に足を踏み入れたのは古強者だ。
オークが二百頭もいると言うことは、それを統率するものが存在すると言うことなのだ。
背後の扉からもドタドタとオークが詰め寄せ、完全に囲まれていた。と言うより、室内は緑の巨体で大混雑状態だ。
「―――オメエらッ、やっちまえッ」
古強者が、くいっと顎をしゃくった。オークが一斉に襲い来る。
「くっそ」
正面の一頭。身体ごとぶつかるように突きを放つ。聖剣はするりと何の抵抗もなく胸骨を穿ち、心臓を貫く。
すぐさまくるりと身を反転させると、こちらにしな垂れかかって来るオークの亡骸に背中を預けた。ずしりと重いが、長身のレオンハルトを縦にも横にも覆い隠す巨体である。これでひとまず正面の敵に集中出来る。
「はあぁぁぁああっっ!!」
滅茶苦茶に斬りまくった。
棍棒を握る手首を飛ばし、頭蓋を割り、腹を裂く。
聖剣の斬れ味があれば、腰を入れたり、振り被ったり、体重を乗せる必要がない。虫でも追い散らすような軽く速いだけの振りが、オークの巨体を斬り刻んでいく。
これならいけるか、と希望が見えかけたところで―――
「―――っ!」
背後、オークの亡骸から凄まじい力が圧し掛かる。
「ぐへぇっ」
そのまま押し潰され、死体諸共に地面に抑えつけられた。
「オメエらッ、たかがニンゲンひとりを相手に、なにをしてやがるッ」
頭上から聞こえて来る声は、偉そうな口調からして先程の古強者だろう。
オークの亡骸越しに踏みつけられているようだ。振り向いても死んだオークの顔面が視界一杯に広がるばかりで、背後を窺い知ることは出来ないが。
「おらッ、さっさとフクロ叩きにしちまえッ」
「くっ、つっ、うおおっ、や、やっべえっ」
必死にもがくも、びくともしない。
むしろもがくほどに圧は増し、口から内臓が飛び出しそうだ。
動けないレオンハルトの前で、腹から腸をあふれさせたオーク、片腕を失ったオーク、頭蓋から脳漿を垂れ流したオークがのっそりと起き上がった。さすがは魔物、実に頑丈なことだ。いずれも人間の目にも明らかな憤怒の表情を浮かべている。
もはやこれまでなどと諦めるつもりは毛頭ないが、しかしこの状況は―――
「―――おうッ!? オメエ、まだ生きてやがったのか? つうッ、舐めやがって」
背中に感じる圧が、わずかに弱まった。
「―――っ!?」
レオンハルトは渾身の力を込めて縛めから這い出る。その鼻先に、どしゃりと肉の塊が落ちた。
ほっそりとした下顎の、綺麗に並んだ歯並びと薄く小さな舌までがはっきり見て取れた。―――それより上が無かった。
「ちっ」
立ち上がり様に聖剣を振るい手負いのオーク達を手早く片付け、振り返る。
想像通りオークの亡骸を踏みつけにする古強者。
その巨体の右の脇腹には短剣―――確かアニエスのものだ―――が突き立ち、何かを掴んだ左手の指の間からは白銀の長い髪が垂れている。
幾度となく回復魔法で死地を乗り越えてきた少女も、これではもう。
「勝手に助けて、勝手におっ死んじまいやがった。これだから善人は嫌いだ。―――っ!?」
ぽんっと古強者がその“何か”を、アニエスの“上顎から上”をこちらへ投げて寄こした。
咄嗟に受け止めていた。両腕で抱えるように優しく、そして無防備に。
「ぐあっ」
古強者が横薙ぎに振るった棍棒が、まともに右の肩を打った。偉丈夫のレオンハルトの身体が軽々と吹き飛び、宝物庫の壁にぶち当たる。
「へへッ、このすげえ剣、いただくぜ」
取り落としたアニエスの頭半分と聖剣の、その後者を古強者は摘まみ上げた。
「剣ってなぁ、使い慣れねえが。おッ、こんな感じか? こうかッ!」
ぶんぶんと振り回しながら近寄ってくると、上段から振り下ろした。
壁際に追い詰められ、得物もなく、右腕は肩の骨が折れて動かない。
レオンハルトは左手で右の手首を引っ掴み、強引に頭上に掲げた。つまり右腕を盾代わりにした。
「ぐっうぅ」
折れた。
長年使い古してきたなめし皮の手甲ごと、それはもう容易くぽっきりと。が、斬り落とされてはいない。
レオンハルトが握らない限り、聖剣はただの鈍らだ。―――手甲越しに刃に触れただけで無類の斬れ味が発揮されたらどうしようと言う不安もあったが、杞憂だったらしい。
「?」
古強者は眉―――正確には人間であれば眉がある辺り―――をひそめる。自身の腕力と聖剣の斬れ味なら人間一人くらいすっぱり両断出来ると踏んでいたのだろう。
その訝し気な顔に、残った左手を突っ込んだ。
「グあああぁあぁぁぁッッ!! テメエッ、やりやがったなっ!」
眼球を抉り取られた右の眼窩を抑え、古強者が怒号を上げる。
「うるっせえ、豚野郎がっ!」
負けじと怒鳴り返すと、緑の脇腹に突き立ったままの短剣を引き抜き、首筋を斬り裂いた。
ぴゅうっと勢い良く血が噴き、古強者は何もない虚空でしばし腕をバタつかせた後、倒れた。
「こ、このニンゲン、ボスをやりやがったぞッ」
恐らくはこの砦最強の強者であり、それゆえに統率者でもあった存在の死に、オーク達は驚き慌てる。
「だ、だが、マンシンソーイってやつだッ! みんなで囲んじまえば―――」
「―――ボスだけじゃねえっ。てめえらオークは皆殺しだっ!」
左手で聖剣を拾い上げ、余計なことを言い掛けたオークを斬り捨てる。同時に、心にも無い脅し文句を叫んだ。
「お、おいッ、どうする?」
「オ、オマエ行けよッ」
オーク達は気圧され、互いに先陣を譲り合う。が、数を頼みと逃げ出す気配はない。
利き腕を失った今、もはや戦って勝ち目はない。もう一手、何か―――
「――――。―――。“回復”」
柔らかい光が全身を包み、右腕の激痛が収まり、力と機能を取り戻した。
「……はあ?」
すぐ側らに、アニエスが立っていた。
白磁のような透き通った肌には、毛筋ほどの傷もない。はっきりそう断言できるのは、何故か全裸だからだ。
「あ、あまり見ないでください」
恥ずかしげに言うと、少女は床に落ちていた自身の衣服をいそいそと身にまとい始めた。レオンハルトは、そしてオークも呆気に取られたままその様を見守る。
その時、欲しかった一手が予想外のところから訪れた。
「―――“爆炎”」
「ぐあああぁっ!?」
繁殖部屋に繋がる穴の前に陣取っていたオークが燃え上がり、床を転がり回る。
「貴様っ、やっぱりここかっ」
「無事か、レオンハルトっ」
「よ、よかったぁ。成功した、無詠唱魔法」
アイリにヘルガ、それに興奮した面持ちのカトリが穴から顔を覗かせる。
殿を買って出たレオンハルトを心配した、訳ではなく、宝物庫を漁りに戻ることを見透かされたようだ。
「くッ、あ、新手かッ」
「はははっ、覚悟は良いかっ! この砦のオークは一頭残らず皆殺しにしてくれるっ!」
これを好機ともう一度叫び、右手に持ち直した聖剣で手近な数頭を立て続けに斬り伏せた。
「お、おいッ、オメエら、どこに行きやがるッ?」
「な、仲間をもっと呼んでくるッ。オメエはここで足止めしとけッ」
「ず、ずりいぞッ。オレだって。お、おいッ、ドアの前で足を止めるんじゃねえッ!」
ようやくオーク達が三々五々逃げ出してくれた。
「こちらも逃げるぞ、レオンハルト」
「待ちなっ、団長さん」
「むっ。まさか本当にオークを皆殺しにしようと言うのではないだろうな。その意気は買うが、さすがに戦力不足だ」
「何言ってやがる。馬鹿言ってないであんたも壺を持て。ヘルガ副団長も一つ頼む」
たとえ山分けでも、何も手に入らないよりはるかにましと言うものだった。