03.気持ち
「ここでなにしゅてるの?」
私がそう問いかけた時、夕陽は生気の無い顔でこちらを向いた。
まさに不死人。浄化魔法をこの子に使用したら成仏してしまうんじゃないかっていうくらいの生気のない顔。
「別に」
返事が戻ってきたということは死人じゃなくてちゃんと命ある人らしい。
一瞬本当に不死人かもって思ってた私は安心して夕陽に近づいていく。
「とにゃりいい?」
「なんで?」
「ちょときになりゅから」
「勝手にしたら」
「ん」
許可が出たので隣に座る。
そこから観察してみると首などに傷の跡。
彼女が着ている長袖カットソーの袖口から除く手首にも傷跡がある。
じっと見ていると夕陽に気づかれた。
「み、見るな」
私から素早く距離を取って右手で左手を庇うように袖を上げる。
その時前髪が少しふわりと上がり、そこにも大きな傷があるのが見えた。
目を逸らす。虐待か或いは虐めか。いずれにしても放ってはおけない。
お節介だとは分かっていても私は立ち上がって今度は夕陽の膝の上で腰を下ろす。
「ちょ、なっ!?」
幼女に突然座られて困惑、動揺している夕陽が少し面白い。
根は良い子なのだろう。その証拠に私のことを乗せたままにしている。
邪魔なら突き飛ばすなりする筈だ。それをしないということは、それをしてしまえば私が怪我をすることを理解しているから。怪我をさせたくないと思っているから。幼女に気を使える子が悪い子である筈がない。
「にゃまえ」
「は? 何?」
「にゃまえおしゅえて」
「にゃまえ? 名前か?」
「あい」
「篠崎夕陽。君は?」
「しいにゃひまり」
「ああ、椎名先生の」
「おかあしゃんのことしってりゅ?」
「知ってる。君を…。日葵ちゃんを連れて来てること有名だから」
「しょかー。ゆうひ」
「何?」
「そのきずだれにしゃれたの?」
「…っ。関係ないだろ」
「……ごめんなしゃい」
「いや、…いいけど」
やっぱり良い子だ。私を責めたりしない。
嬉しくなって夕陽の平べったい胸に頭を寄せると夕陽は当たり前のように私の頭を撫で始める。
心地いい。撫で方上手い。下手したら由佳里先生より上手いかも。
ぽかぽか陽気。それも相まって眠気が襲ってくる。
「ねみゅい」
「なら寝る? 誰か来たら私が起こすけど」
「あい」
目を閉じる。完全に睡魔に襲われるその前に『治癒魔法』。
一度には治さない。この魔法は元々人が持ってる免疫力を活性化させて治癒させる仕組みの魔法だから。
一度にしてしまうと一時的に体のすべての免疫力を奪ってしまって結果、あらゆるウィルスに対する抵抗力が無くなって変な病気などにかかってしまう可能性がある。
なので今は治癒は少しだけ。無事発動したのを見届けてから私は眠りについた。
◇
夕方になってお母さんと共に帰宅した私はそれとなく夕陽のことを聞いてみた。
それによると彼女は元々孤児で、女性と女性の同性愛者・婦々に引き取られたはいいが、それが原因で酷い虐めを受けているらしい。
それなら額の傷などはその虐めが原因かと聞いてみたところ、孤児時代からのものではないかという返事が戻って来た。
「日葵ちゃんは夕陽ちゃんと会ったの?」
「あい」
「そう。私たちも気にかけてるんだけど、あの子学校に居場所が無いみたいなの。日葵ちゃん、見かけたら仲良くしてあげてくれる?」
「あい」
「ふふ。日葵ちゃんはいい子ね」
お母さんの言葉。私はその日、夕陽を構い倒そうと決意した。
◇
「ゆうひ」
「また来たのか」
「あい」
夕陽は今日も屋上にいた。
気怠げに私を見る夕陽の膝の上にちょこんと乗る。
「また…」
「ゆうひ。いや?」
「嫌じゃないけど」
頭を撫で始める。私はまた治癒魔法を使用する。
昨日よりも夕陽の傷は全体的に若干薄くなっている。
とは言っても近くから見ないとその濃淡の差は分からない。
目立たなくなるのはもう少し先になる。
私は夕陽がくれる心地良さに目を細めつつ彼女に気になっていることを聞いてみる。
「ゆうひ」
「何?」
「ゆうひはおかあしゃんたちしゅき?」
「お母さん? お母さんって椎名先生のこと?」
「ううん。ゆうひのおかあしゃん」
「私のお母さん」
夕陽が手を止めて空を見る。
その顔はとても穏やか。それだけで夕陽が両親のことをどう思っているか良く分かる。
「好きだよ。私のことを引き取ってくれた人たちだし」
「しょかー」
「うん。でもどうして?」
「ゆうひのきもちしりたかた」
「良く分からないけど、お義母さんたちのことを嫌うわけないよ。さっき言った私を引き取ってくれた人たちだからっていうのもあるけど、優しいし、格好いいし、二人は私の憧れなんだ。私もいつかお義母さんたちみたいに……」
そう話す夕陽を見て何故か私は小さな胸が高鳴った。
あれ? なんで? 今のって何? ………いやいや、まさかね。
「日葵ちゃんは?」
「ふぇっ!?」
「何驚いてんの? どうかした?」
「にゃんでもない」
うん、何でもない。何でもない。気のせい気のせい。
「で、日葵ちゃんはお母さんのこと好き?」
「だいしゅき」
「そっか」
私はくるりと体を反転させて夕陽の方を向く。
彼女の足を踏まないように挟むように立ちあがって彼女の頭に精一杯手を伸ばす。
「ゆうひ。もうしゅこしちぢんで?」
「縮んで? もしかして頭を撫でてくれようとしてる?」
「あい」
笑う夕陽。その笑顔は子供らしく可愛らしく、それでいて何処か艶のある笑顔。
また胸の鼓動が早くなる。
気づかないふりをして私は夕陽が私に届くようにしてくれた彼女の頭に手を置いた。
「ゆうひはいいこ」
「ありがとう」
「おかあしゃんたちのまえでゆうひなけない。いまはわたししかいないよ? ゆうひないていいよ」
「いや、それはちょっと」
「ゆうひ、がんばりすぎなくていいんにゃよ」
「私は………」
私の言葉で夕陽の瞳から一筋の涙が零れる。
それに気づき、咄嗟にそれを拭おうとする夕陽だが、それより早く堰は決壊して夕陽の行動は敢え無く失敗に終わる。
「私、私は……」
「いいこいいこ、にゃいていいよ。ゆうひ」
「私は、悔しいんだ。お義母さんたちは本当に愛し合ってるのにそれをバカにするのが許せない。なのに私は何もできなくて」
「うんうん。つらかったね、ゆうひ。じぇんぶはきだしていいよ」
「お義母さんたちのこと何も知らないくせに、お義母さんたちのこと偏見の目で見るのが許せない。それを許す私が許せない。世の中が許せない。私は…」
「ゆうひ…」
この子は本当に良い子だ。
まだ小学生なのにそれだけの気持ちを持っているなんて。
助けてあげたい。助けてあげないといけない。
私に何ができる? 私は…。
そのうち全部を吐露して疲れたのだろう。
夕陽が私の胸の中で安らかな寝息を立て始める。
天使のような寝顔。その寝顔を見ていると魔が差した。
「ゆうひ」
唇に唇を重ねて、我に返り、すぐに離れる。
体は幼児とはいえ中身はこちらの世界で言えば女子高生。
恥ずかしい。顔が熱くなる。一人悶える私の耳に聞こえる声。
「日葵ちゃん、何処にいるの?」
お母さんだ。丁度いいところに来てくれた。
私は先程の煩悩を振り払うようにお母さんに声を上げた。
「おかあしゃん、ここー」