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第三話

 翌日のお昼頃。


 僕はまた、祖母のところへ来ていた。


 お祖母ちゃんは病院から出された昼食を半分残し、食後の薬をケースに移している。


「それで? 一瞬目を離した隙に、落ちた…………と?」

「はい、スミマセン」

「別に私に謝らなくてもいいじゃないの。でも……ちょっと油断したわねぇ。ほほほ……」



『まだまだ未熟ねぇ』と、言いたげな笑いを僕に向けた。




 昨日の屋上での事。


 僕は彼女の死ぬ動機を見逃した。


 “暗闇の眼”を持つ者が、一番陥りやすいミスだそうだ。


 “暗闇の眼”は、死の現場で実際起こる時間から、時を遡ってその瞬間を見たり、被害者と話して原因を探ったりできる。


 しかし、それは一日一回だけであり、その瞬間を見逃したり、被害者と意志疎通が取れなければ、後日やり直しになる。精神疲労も物凄いので、時間もそんなに使っていられない。僕はせいぜい、事の起こる三十分前がギリギリだ。


 だから、昨日は三十分遡ったが、残りが数分だったので油断できなかったわけだ。



「直接探ってみたのね? うーん、悪いけど、あなたじゃまだカウンセリングは難しいのではないかしら……?」

「いや、でも……僕だってそれくらい…………」

「人の心のパターンを知ることは大事だけど、あなたは応用が利かないからねぇ……」

「応用…………」



 ぐぬぅ……。


 未熟者の自覚はある。でも、しょうがないじゃないか。そこは、ベテランと新人、若造と熟女という、年月を掛けた経験というものが…………


「ねぇ、まさか『熟女』には勝てなーいとか、思ってなーい?」

「……………………別に」


 熟女じゃない……魔女だ。魔女。


「ほほほ。顔にすぐ出るわ。だからこそ、無理は禁物だと言っているのよ」

「でも…………僕は、できれば死の瞬間は見たくない……」



 そう。被害者から原因や動機を探れなければ、単純に傍観して見ればいいのだ。


 その人の死の瞬間を。


 どんな顔だったのか。

 どんな動きだったのか。

 どんな叫びだったのか。



 “暗闇の眼”はその現場にいる者を救える。


 お祖母ちゃんも、その前のお祖母ちゃんも、こうやって救けてきたのだ。


 それが誰にも「ありがとう」とは言われない、常人には理解し難い出来事だとしても……。




 でも正直、救けたい気持ちとは別に、僕は現場は苦手でもある。



「…………瞬間を見る前に解決したい」

「……でも、解決するために『結果』を視ないとねぇ」

「う……」

「行きましょうか。()に」


 …………『下』……。


「……落下地点…………」

「えぇ、そうよ。『下』で視て『上』に原因探りに行けばいいのではない? その方が早く終わるわよ」


 いや、そこはヤバイだろう。

 まさに『死の瞬間』だ。


「……僕、夜にゼミがあるんだけど…………」

「首突っ込んだのだから諦めなさい。早くしないとどっちもできなくなるわよ。時間は有限でしょ?」

「うぅ……」


 …………精神擦りきれそう。




 その後、お祖母ちゃんも一緒に行こうとしたのだが、熱があるという理由で先生から許可が下りなかった。

 だから、お祖母ちゃんは病室のベッドから、僕を見送る。


「気をつけて。同情や恐怖で視ていると、暗闇に飲まれるからね。気を強く持ってね」

「解ってる」


「ちゃんと、救けてあげなさい」

「…………うん」



 あと五分くらいで『墜ちる』

 早く下に行かないと……。






 外の裏庭。


 僕は建物の軒のところの段差に座り、その時を待った。腕時計のタイマーを『開始』から三十分を計れるようにセットする。


 ここは祖母の部屋の真下。

 裏庭の歩道は綺麗にアスファルトで舗装されていて、車椅子や見舞い客が並んで歩けるくらいに、ゆったりとした道幅で作られていた。


 今は一番日が高くなるため、アスファルトの表面は屋台の鉄板のようにユラユラと熱を発している。


 そろそろ時間だ。


 僕は腕時計のタイマーを構え、前を見据える。


 …………

 ……………………

 ………………………………。



 ヒラッ…………ぺそっ…………。


「……?」


 何か上から降ってきた小さなモノが、僕の足の近くに落ちた。


「何、これ……?」



 キラキラ光る桜色の小さな涙型。たぶんプラスチック製で五百円玉くらいの大きさ。

 最初は貝殻かと思ったが平べったくて地面に貼り付いている。


 見たことあるような……?


 僕は思わず手を伸ばして、その涙型を拾おうとした。


 その時、



 ――――――ズッドォオッ!!!!



 目の前、二メートルもない距離に『それ』は落ちた。


「っ! タイマー……!!」


 慌てて腕時計のボタンを押す。

 三十分のカウントダウンがはじまった。


「はぁ……はぁ……」


 落ちてきた『それ』は、やはり水色のパジャマだった。


 薄い布地の裏から染み出した血液が、パステルカラーを容赦なく塗り潰していく。


「………………うっ……」


 僕は後退りしながら段差に上り、建物の外壁にぴったりと背中を押し付ける。ゴツゴツした外壁の塗装が背中に当たった。


 これ以上は下がれない。覚悟を決めて視ろ!!


 原因の後の『結果』を!!



『あ……あぁ…………あああ……』

「……………………」


 地面に潰れていたものが、低い唸りをあげる。


 普通なら、この人物は唸り声などあげる余裕もなく…………死んでいるのだ。



 僕に見えているのは、この世の向こう側に有るはずのもの。




 ぐぐっと身体を持ち上げて、赤黒い腕が伸ばされた。


 その腕の先には――――僕がいる。



 ズ……ズズズ…………ズ……ズズズ…………



 たぶん、ほふく前進の要領で前に張ってくる。

 落ちた衝撃でたぶん足は使えないのだろう。前へ突き出すのも片手だけだ。その手も折れ曲がって斜めになっている。


 屋上で見た靄が、足から頭と思われる場所近くまで、身体を覆い隠していた。


 まるで黒い蓑虫が這っているようだ。



『あぐ……あ……う~……う~……』

「……………………」


 どんどん迫ってくる。本当なら、すぐにでも走って建物の中へ行きたい。


 しかし、今逃げてはいけない。


 動かず、冷静に様子をみる。


 斜めに曲がった腕が、ズルズルとアスファルトの上を撫でて、そして身体を引き寄せていた。


 ズ……ズズズ…………ズ……ズズズ…………


 近付かれるほど、背中が氷を入れられたようにヒヤリとしてくる。


『あ……う……』

「……………………」



 ズ……ズズズ…………




『う……うぅ…………』


 ズ……ズズズ……ズ……




「…………?」




 その時、僕はあることに気付いた。


 ほふく前進で進んでいるこの人は、ひとつ進む毎にアスファルトを撫でる。


 撫でて、止まり、進む。


 撫でて、止まり、進む。


 これって…………。




「…………探し物……?」


『うぅ……うぅ……』


 僕が声を出したのにも気付かないのか、この人は何か必死でアスファルトを撫でている。



「そうか…………」


 段差の近くに落ちている、涙型のプラスチックを拾った。


 それを手の中に握り、僕は大きく息を吸う。


 覚悟を決めて、しゃがみ込むと、アスファルトを探る手をとった。グジュッ……と、例えると熟しきった烏瓜を握ってしまった感触。


 うっ…………。


 伝わる感触に少し顔をしかめるが、僕は『彼女』の手を放さない。

 折れ曲がった指をかき分け、血塗れの手のひらに自分の手を重ねる。


「…………探していたのはコレ?」


『あ……あ……』


「もう、落としちゃダメだよ?」


『……………………』


 彼女が顔を上げた。

 血で真っ赤になった顔。その血が少し剥がれたのが見えた。


 おそらく、それは彼女の涙。

 空洞のような目から、頬にかけて一筋、道ができるように血が洗い流される。


『あ………………』


 僕の顔を見たまま少し唸って彼女は消えた。




「これが、この人の『結果』か……」


 彼女に握らせたはずのプラスチックは、まだ僕の手のひらにある。


 あんなにあった肉の感触や、血の跡はどこにもない。

 不思議な余韻だけが辺りにのこる。



 そう、今起こったことは、この場で『起きていない』のだ。



「忘れ物、届けないと…………」


 腕時計のタイマーを確認すると、もう半分も時間がない。


 僕は拳を握ると、『彼女』の待つ屋上まで急いだ。



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