七願目
嫌悪がマックスに振り切った状態でキスをするのは酷だろう。
キスが不発に終わった横島。その表情は癇癪を起した子供によく似ていた。
「~~~っ、何でだ!!俺とお前は付き合ってるだろうが!!どうして一回もキスさせてくれねぇんだよ!!」
そしてそれは表情から遅れてやって来る。
理不尽と不理解。まるで自分こそ正しいんだと言わんばかりの暴論が心川を襲う。
「でも……」
「でもじゃねぇよ!!俺たち付き合ってるんだよな?!どうして拒絶すんだよ意味分かんねぇよ!!」
意味が分からないのはそっちだと声を大にして言いたい。
しかしああした手合いに正論は通じない。何故なら正論など人の価値観でしかない以上常識から外れた者にそれは無意味だ。
「くそがっ!!どうして俺の思い通りにならねぇんだ!!」
その思い通りとは一体何を指しているのか。
癇癪の収まらない横島が手を握り締めて振り上げる。
「おいおい!?」
「マジです!?」
「ぷはっ、お姉ちゃん!!」
自分の彼女に向かって暴力を振るおうとする。二人が唖然として恵は姉を呼ぶ。
あの拳は間違いなく心川に振り下ろされるだろう。
横島の理不尽に逃げるのもままならず目を強く閉じた心川は迫る暴力を耐えるべく身を強張らせる。
「その辺にすれば?」
「っ!?」
だから止めた。これはあまりに行き過ぎているから。
横島の振り下ろされた拳を僕は掴んだ。………手がヌルヌルして気持ち悪い。
「何だてめぇは!?邪魔すんじゃねぇよ!!」
「邪魔するよ。デートでもDVは犯罪だよ?」
「うるせえっ!!」
さっき以上に強く反応する横島は横柄な態度を強くする。
「俺が俺のモノをどうしようが勝手だろうが!!」
掴まれた手を振りほどいた横島が強く睨むも然したる威圧感は無かった。
ただワガママに生きていた横島の身体は脂肪で覆われ、運動も何もしていないと分かる。
「うざってぇんだよ!」
「ぐっ!」
それでも巨体から繰り出されるパンチは重く、僕は腹部を殴られて地面を転がる。
「……?」
殴った感触に違和感があるのか横島は首を傾げるも一発で僕が倒れた事で気のせいだったと思い直し睨み付けて来た。
「だ、だいじょ…」
「おい向奈!何そいつを介抱しようとしてんだよ!」
自分の代わりに殴られた僕に駆け寄ろうとした心川。しかしそれも横島によって止められる。
「大丈夫か奏多!」
「奏多っち大丈夫です!?」
「うん、大丈夫だから」
僕が殴られた事で隠れているのを止めた三人が姿を現わす。
特に恵は憎々しそうに横島を睨みながら姉を守るべく立ち塞がった。
「もうお姉ちゃんに付きまとわないで!」
「なんだてめぇは?」
「め、恵…」
いきなり現れた妹に困惑する心川に事態を飲み込めない横島が眉をひそめる。
「貴方がお姉ちゃんを苦しめてるのは知ってるんだからね!いい加減にしてよ!」
相手が上級生だろうが自分より大柄な体型だろうが食ってかかった。
想定外な状況に横島は不快感を隠せていない。
あと少しでキス出来たのを邪魔された。こいつらがいたからキス出来なかったんだと被害妄想しているのがよく分かる。
邪魔をした心川の妹を横島は忌々しそうに見た。だがその目は次第に色欲の混ざった目に変わる。この手合いの考えは明け透けだった。
恵は心川の妹なだけあって美少女と言って差し支えない。姉と違うその気の強さもまたそそられるのだろう。
――次はお前にしよう、コールタールよりも濁った横島の目が語っていた。
「止めて恵。私は別に…」
しかし言葉は続かない。
自分でも分かっているのだ。横島と付き合い続ける意味の無さを。
だから手紙にも綴っている。どうして付き合っているかわからないと。別れたいと。
「そうだ。てめぇらどういうつもりで人のデートの邪魔をしやがる」
心川の心情を知らず今までの行いをデートだとする横島は自分は正しいと心川を殴ろうとした事や僕を殴った事も忘れ偉そうにふんぞり返る。
「あれがデートだと?お前の一人よがりだろうが」
「そうです。少なくとも私はあれを見て楽しそうとは思わないです」
「デートだと思ってるのは貴方だけよ!」
心川への同情からあんなデートを見せられたフラストレーションを発散するように皆が横島を罵倒した。
あんなつまらないデートは他にない。ペットの散歩よりも酷かった。
「てめぇらに何が分かる!!」
そうした思いをぶちまけられ、怒り心頭になっているがそもそも何も分かりたくない。
愛が何かは知らないけど、自分の欲望をぶつけて悦に浸るのが愛になるのなら世の中はカオスだ。
人と言うよりそれは獣。ある意味自然的だが、人の社会においてはあまりに不自然な求愛行動をこれはしている。
「取り敢えず殴って言う事を聞かせようって考えは間違ってると思うけど?」
「~~~~~っ、それがどうした!!もう一回…」
横島が拳を握った。
しかしそこで少ない理性が働いたのか人気のない公園でも完全に人がいなかった訳じゃない。
騒ぎに気付いた人が集まり、自分が見世物にされていると気付く。
「……ちっ、くそが」
ペッ、と唾を吐くと横島は一人で勝手に帰って行った。
「大丈夫かよ奏多」
「思ってるより力が弱かったから問題ないよ。それよりもそっちは無事?」
一応横島の拳は当たってはいない。それでも精神は堪えただろう心川は未だに顔が青いままだった。
「は、はい、ありがとうございます。それよりお腹は…」
「気にしなくて良いよ。そんなに痛くないから」
「先輩が早く私の手を離してくれたら怪我しなくて済んだんですよ?」
「それだと君が暴行犯になってるからね?」
憎悪の果てに姉の彼氏を撲殺なんて新聞の一面は見たくない。
しかし角材を持って襲撃しようとした事を恵は反省していなかった。
「先輩が怪我するよりマシです。だいたいお姉ちゃんもどうしてあんなのと付き合ってるの。別れなよあんな奴」
それが一番の解決法だ。
「そうだぜ。言っちゃっなんだがあれは最悪だろ」
「そうです。無理に付き合ってても不幸なだけです」
第三者から提示するならこの一択だ。別れる以外に有り得ない。
それでもその選択は第三者だからこそ簡単に言える。当事者である心川にとってその選択はハードルが高かった。
「そうなんだけど、でも…」
心川から出たのは迷い。
本来なら何を迷うのかと。もう既に一生分も悩んでいるだろうに。
手紙だって書いている。それも手紙の行方は願いを叶える木なんて当てにならない七不思議。
なのにあと一歩が心川には踏み出せなかった。
「……もしかしてお姉ちゃん、あいつに脅されてるの?」
「え?ううん、そんな事ないんだけど。何か心がモヤモヤするって言うのかな?いつも別れが切り出せなくて…」
脅されている。それをすぐさま否定した心川に嘘は無かった。
心川は、ただただ自分の意思と反している感覚があると。これはもう当たりだろう。
脅しの線が消えた今、心川を縛る鎖が他にあるとは思えない。
まあ、極々薄い線で催眠術とか【願望器】の存在を知る僕から言わせたらバカげた手段が残って無くもないが、これは【願望器】が関わっている可能性が高い
「お姉ちゃん、もう分かったでしょ?態々好きだった吹奏楽止めてまで付き合う事無かったじゃん」
「うん、ホント、何でだろうね……」
本格的に調査して、もし【願望器】を持っているのなら回収は一週間後か。
心川には悪いが姉さんにも準備の手伝いをしてもらう必要がある。
本当に心川を思うのなら今日にでもやるべきなんだろうが僕にはメリットのない行動をする理由がない。
準備もしないで陥る危険を享受するだけ心川と親しくないのだ。
キスも拒めるのなら数日は問題ないだろう。
皆が心川を立ち直らせている間、僕は一人【願望器】を回収する算段を整えていた。




