四願目
学生の本分とは何だろうか?
勉学しかり、部活しかり。学問に集中する者もいればスポーツに精を出す者もいる。
時には青春として恋を育むのも良いだろう。
数年も経てば社会に翻弄され、現代社会の歯車に変わるのを思えば自由を謳歌出来る今こそ、好きな物事に打ち込んで楽しむのが学生の許された特権である。
ゲームに夢中になっても悪い事ではない。
それでしか見出せない価値も世の中にある以上、否定するのは間違っている。
堕落しないメリハリさえあれば勉強ばかりで疲れた脳を癒すのにゲームをして張り詰めた糸を緩めるのも悪くないだろう。
「ちょっとちゃんと見て下さいよ」
「何で僕がこんな事を…」
「面白そうだし良いだろ奏多」
「そうです。奏多っちには若さが欠けてるです」
それを踏まえて考える。ならこれは一体何なのか?
男女二人が仲睦まじく歩いている後ろをひっそりと付け回すこれは一体何だろう。ストーカー行為ではなかろうか。一歩間違えれば犯罪じゃなかろうか。自由を謳歌するにしてもこの謳歌の仕方には異議を唱えたい。
心から嘆きながら時を少し遡り、この流れに行き着いた経緯を思い返す。
・・・
いつも通りの放課後。
部活なんて更々する気の無い僕は図書館で適当な本を読んでから校舎裏に手紙がないのを見て帰る日々を送る予定だった。
「あれは…」
しかしその予定は少しズレた。
僕が向かった校舎裏には既に先客がいた。一瞬だけそれが告白の相手でも待っているのかと思ったが、あの表情は違う。
どうにもならない現実に溺れ、一人ではもう浮き上がる力の残っていない者がする顔をした少女。しかもその少女を僕は知っていた。
「心川向奈、だったっけ?」
屋上にいた『嘆きの天使』。意志薄弱そうな彼女がここに何の用があって来たのか。
その理由は直ぐに分かった。
「どうか、助けて下さい」
ここにはいない神様に強く懇願する。
そんな行為は甚だ無意味だと分かりながら祈るのは何のためか。
顔のある樹木の口に差し込まれた手紙が如実に語る。もう私に余裕はないと。だから助けてと願い続ける。
しかしそこに神様はいない。
そもそもこの世界に神様がいるかどうか。いるのなら【願望器】などで茶を濁さずに全人類を救済してくれているだろう。
だが、それはそれとして今回は当たりだろうか?
そう思えてならない心川の反応。あの表情をするのは決まって理不尽を掴まされた者。
なら、接触するのが得策か?そう考えていると心川はいない神様への祈りを止める。
「………はぁ」
溜め息一つ溢して立ち去る彼女の背中はとても寂しげであった。
だからと僕に同情する気はない。
僕の目的はあくまでも【願望器】。関係がないのなら突っ込む首など持っていないのだ。
「どんな願いを書いたのかな」
側から見ればゲスな行為でしかないと分かっている。
それでも僕にはやるだけの理由があった。
心川の手紙を手に取り中を開く。
「………これは微妙だけど」
ないな。僕にはこれが【願望器】と関わりのある内容には思えなかった。
要約して彼氏と何で付き合っているのか分からない、別れたいけど別れられない。
何度も見て来たよくある悩みだ。
しつこい男がいてどれだけ別れ話を出しても自分が優れているとアピールする。別れるのも時間の問題で、取るに足らない悩み。
しかし一つ懸念を上げるなら、こんな迷信に頼ってまで別れたいと願っている所か。
そうした意味では珍しい。
確かに意志薄弱な者がネットを頼りに背中を押して貰いたがる傾向はある。
ただあれはコミュ二ティが確立している場での話。
ひと昔前ならともかく、本来こんな誰にも自分の意思が届かない場で発信されるケースの内容とは思えなかった。
「何で付き合っているか分からない、か」
昔は好きだった。でも今はそうじゃない。そんなものはザラにある。
誰かを好きであり続けられるのは確かに素敵だ。しかしそんなものは、特に思春期である学生であれば尚更難しい。
見えていなかった相手の部分が近くなって見えるようになり、好きを維持出来なくなって別れる者がどれだけいるか。
これは傾向からしてそれだろう。
【願望器】の影は多少感じるものの、願いの内容からは世間的でよくある男女関係の話でしかない。
僕はこの願いを切り捨てようとした。しかし事態は僕の想定外を辿る。
「何をしてるんですか」
「っ…」
油断が無かったと言えば嘘になる。
手紙だけさっさと持って帰り、内容を吟味すれば良かったと内心思わずにはいられなかった。
「特に何もしてないけど?」
手紙を後ろに隠しながら振り向くと、そこには可愛いらしい少女がいた。
胸元の涼しい少女はまだ成長途上なのか、それとも遺伝なのか。見た感じ後輩だろうか。同学年では見た事がなく、年上にしては色々と小さかった。
ショートカットのさっぱりした髪と強い目付きでこちらを睨みながら仁王立ちでそこにいた。
「嘘ですよね。お姉ちゃんが木に差した手紙が無くなってますし。その背中に回した物は何ですか?」
確信を持って言って来るのが面倒だった。
誤魔化すにも手紙を掴んでいるのは事実だ。それにお姉ちゃんとこの少女は言った。
恐らく心川の妹なのだろう。その面影が見て取れた。
「理由なんてないけど?」
「だったら手を前に出して下さい」
「はい」
「今ポケットに入れたんですよね。後ろを向いて下さい」
「知らない人に背後を取られたくないな」
「先輩はどこのゴル○ですか。観念して後ろを向いて下さいよ」
知ってるんだなゴ○ゴ。
それはさておき、本当に面倒だな。このまま逃げてしまうか。
「逃げたらお姉ちゃんのストーカーだって言いふらしますよ崎原先輩」
「なんで僕の名前を知ってるんだ?」
これでも学校では目立たない過ごし方をしているつもりだったんだが。
「残念イケメン時兼先輩✕誘い受け崎原先輩とのカップリングで有名ですから」
「ちょっと待って。その噂は何なの?」
初めて聞いた自分の噂にびっくりだよ。なんで僕が悟と恋人扱いされてるんだ。
「先輩もそこそこ見た目が良い上にイケメンなのに彼女がいない時兼先輩と一緒にいる時が多いのでもしかしたら、って言うしょうもない噂ですよ。……え?まさか本当に?」
そこで顔を赤くしないでよ。本当みたいじゃん。そもそも弥生だって近くにいるんだから噂が流れる方がおかしい。
これは怒ったら負けだ。僕は冷静に対処する。
「違うに決まってるでしょ。僕はノーマルだ」
「つまりノーマルにお姉ちゃんが好きでその背中を追いかけた末に手紙を取ってしまったと」
「それ誤解だから」
だけど完全に嘘とも言い切れない部分があるだけに強く否定し切れなかった。
なんたって心川の手紙は僕の後ろポケットに入っている。こんな状態で本人に興味ありませんと言った所で信じられる筈がない。
「何が誤解ですか。証拠は先輩のポケットにありますよ。ほら、そこでジャンプして下さいよ」
「カツアゲされてる気分になるな」
「だったら素直に手紙を取ったのを認めてお姉ちゃんを助けるのに協力して下さい」
「………はぁ」
僕は諦めて後ろから手紙を取り出した。
この少女が手紙の存在を確信している。これ以上長引かせても話がややこしくなるだけだ。
「やっぱり持ってるんじゃないですか」
「面倒に巻き込まれる気がしたからね」
この件に僕は関わる気がなかった。【願望器】がない以上は不必要な労力でしかない。
男女のあれこれに付き合っても所詮は本人同士の問題であり、外野が何か言った所で解決するとは思えなかった。
それでも心川の妹は僕から手紙を手に取り中身を見る。
「やっぱり悩んでるじゃん……」
くしゃ、と込めた力で手紙が歪む。
心川の妹は前々から何かしら感づいていたのか。でなければこんな校舎裏までやっては来ない。少なくとも僕以外に好んでここに来る者を僕は見た事がなかった。
きっと彼女なりにどうにか出来ないかと奮闘したのだろう。
悩んでいるのにそれを隠し、そして隠しているつもりになってて隠し切れない姉。身内にさえ相談しない姉に対して何とかしないとと頑張った結果がこれなのだ。
一人この不気味な校舎裏に赴き、一つ上の先輩に果敢に喰って掛かり協力を得ようとする。
そうした意味では心川の妹を高く評価出来た。人とはこうあるべきだと思わされるから。
「じゃあ、先輩約束通り協力して貰いますよ」
「いつそんな約束したのかなー…」
「今です。お姉ちゃんを救いますよ先輩」
「はいはい分かったよ。……あー、そう言えば名前を聞いてないよね。妹さんで良い?」
心川の妹では呼びにくい。差別化を図るために敢えて名前を聞いた。
「私は心川恵ですよ。崎原先輩」
こうして僕は心川の悩みの解決に巻き込まれた。
もっとも断ろうと思えば断れたのにそうしなかったのは心の何処かでやっぱり引っ掛かる物を感じるからか。
見え隠れする【願望器】の影を追いつつ、僕はこの頑張り屋な妹さんの助力をするのだった。