十五願目
白馬の王子様はやって来なかった。
颯爽と駆けつけるヒーローもやって来なかった。
姫を守る騎士もやっては来なかった。
しかし、しかしながら常に心配していた妹だけは姉の窮地に駆け付けた。
それは必然であり、当然とも呼べる結末。
恵は横島と姉が一緒にいたと聞きつけ行動に移していた。
姉の動向を探るために密かに入れていたGPSのアプリで何処にいるかを把握。近くに落ちてた鉄パイプを片手に公園に行けば襲われる寸前の姉の姿を見れば一も二もなく横島を殴打するのは自明の理だった。
本来は奏多にも一緒に来て欲しかったが、捜しているだけの余裕はなく、教えて――無理矢理聞き出した――貰ったスマホの連絡先にメッセージを入れるに留まった。
だが結果としてそれが功を奏した形となった。もしも奏多を待っていれば姉は確実に横島に喰われていた事だろう。
そう考えれば恵の行動はファインプレーと言える――
「お姉ちゃん!」
恵は微動だにしない姉を揺り動かそうとする。
しかしその反応は乏しく、泣いたまま動こうとしない姉に恵は困惑させられる。
「――――っ……、…」
「お姉ちゃん?」
姉の口は何かを呟こうと開閉するも聞き取れなかった。
恵は聞き取ろうと口元に耳を近付ける。
「…にげ……て、恵……」
「え?」
――ただし、横島を一撃で仕留められていたのなら、だ。
「きゃっ!?」
「よくもやってくれたなっ、おい!!」
甘かった。勝算の見通しがまだ甘かったのだ。
恵は誰かに暴力を振るった事などない。ましてや人の頭部を鉄パイプで殴打する経験など持ち合わせてはいなかった。
ましてやその一撃が死に繋がる可能性があるとすれば躊躇もしてしまう。
それ故に恵は横島をしっかりと気絶させるだけの威力を出せていなかった。
鉄パイプを血で濡らすだけの威力はあったにしても、『女の力』で、横島の『脂肪の多く付いた頭部』に一撃入れた程度ではダメージとしては弱かった。
だからこそ恵は今、横島に押し倒されマウントを取られてしまっている。
武器である鉄パイプも押し倒された衝撃で取り落としてしまう。
立場は一気に逆転してしまった。
「痛ぇじゃねぇかクソが。覚悟は、……てめぇ向奈の妹か」
憤怒で膨れた横島は押し倒した相手が向奈の妹だと初めて認識する。
「退きなさいよ、この豚!早くお姉ちゃんを解放しろ!!」
押し倒されてなお気丈に振る舞う恵は恐怖に打ち勝とうと大声で叫ぶ。
が、それで事態が好転する筈も無かった。寧ろ事態はより最悪へと転化した。
「へぇ、向奈の妹。状況が分かってんのか?」
血濡れの顔で笑みを浮かべる横島は実に不気味だった。
何をその頭が考えているかなど誰が見ても明白な状況であり、目に浮かぶ好色の色が全てを物語っている。
「大声で叫んだら人が来てお前なんて終わりよ!」
「させると思うか?――黙ってろ」
「――っ」
パクパクと開閉する恵の口は一切の音を無くした。
恵は何も知らなかった。あくまでも脅されての事だとしか認識しておらず、【願望器】による強制など理解もしていない。
身体の自由はまだ効くが故に抵抗するが、マウントを取られた状態では恵の力では横島を押し退けられはしない。
「ちっ、――暴れるんじゃねぇよ」
「っ――――」
ビクン、と身体が震えたと思えば恵は一切の微動を止めさせられる。
(お姉ちゃんが変だったのはこの力のせいだったの?!)
ここに来てようやく恵は姉の不可思議な状況を理解させられた。
【願望器】にまでは至っていないものの、今自分を拘束する力が普通では有り得ないもの。
「――ああそうだ。今からお前の目の前で妹を犯してやるよ。どんな気分だ、おい」
マウントを取られ身動きの取れない自分。更には今、目の前の男が姉に対しナニをしようとしていたのか。――それが自身の身に降りかかる恐怖心に支配される。
「……やめ、て………。恵には……手を………出さないで」
声を出せなかった向奈が必死となり横島に制止の声を掛ける。
しかし無情にもそれで横島が止まる事はなかった。
「ひひひひっ、妹の心配よりも自分の心配してろよ。妹の次はお前だぞ」
そう言うと横島は躊躇なく恵の制服のボタンを引き千切りながら強引に開いた。
「「――――っ!!」」
薄い青の小さめなブラが外気に触れる。
直ぐにでも手で覆い隠したいのに言う事の効かない身体に絶句する。
大声で助けを呼びたくても口から漏れるのは吐息ばかり。どうにかしたいのに足掻く事さえ許されない現状に絶望を覚えた。
「ふひ、なんだこれ?お前ら本当に姉妹だよな。胸無さ過ぎだろ」
カチンときて平手を打ちたくなる二人だが手はまるで出せない。
胸の小ささには二人揃って思う所があり、かつこれを不快な相手に言われれば怒りもする。
しかしながら暴れる権利は既に奪われている。どうにもならないのだ。
「せめてどっちかはデカい方が良かったが、それはこいつでどうにかするか」
殴られても手放さなかった十手。
横島は不気味な笑みを浮かべたまま狂気に満ちた声音でペラペラと喋り続ける。
「本当に何をさせてやろうか。全裸で公園を散歩するか?それとも肉体を改造して学校にも通えないくらい無茶苦茶にしてやろうか?」
自身の欲望を曝け出す横島に二人の顔は青くなる。
自分たちは既に詰んでいた。
ここには誰もいない。誰も来ない。来たとしても助けも呼べない。
唯一の希望があるとするのならそれは奏多以外になかった。
だが、いつ来るのか。少なくとも一時間もすれば二人は犯されてしまう。
「――いや、最初はやっぱ調教からだ。俺に絶対逆らえないように躾けてやるよ」
手始めにと横島の手が恵に伸びる。
恵にはその手がどうしようもなく汚物に見えた。
人のエゴを煮詰めて固めた姦悪な精神が人体の表面にまで現れ、姿見となっている。 見た目以上に醜悪であれば触れられるのも嫌悪して仕方ない。
「――――っ、いや、………いやっ…」
あまりの嫌悪感から【願望器】の支配からも逃れようと必死に抵抗する。
しかしながらその抵抗も声が多少出るばかりで大声にまでは至れない。死に際のカナリアの鳴き声のように囁かで細く消えてしまいそうな声は響き渡りはしなかった。
「お願い、……恵は………許して」
向奈は下着姿のまま横島に懇願を繰り返す。まるで媚を売る娼婦のようであったが、横島にはそんなもの通じはしない。
「ははは、ばーーか。俺を殴った罰だよ。どうせこいつはどっかで調教するつもりだったがな。順番が変わっただけだ。大人しく見てろよ。どうせ次はお前の番なんだからよ」
このままでは二人とも犯されてしまう。
身体はもちろんの事、心も何もかも侵されて終わってしまう。
だから彼女たちに出来る事はただ一つ。
「「助けて……」」
それはどうしようもなく強い願いであった。
「ぶっ、笑わせんじゃねぇよ。ここには誰も来やしねぇんだからよ。助けなんて来ねぇよ」
あまりにも強い、強過ぎる救済欲求が二人の運命を変える。
「それじゃあ、てめぇの貧相な胸でも拝むとするか」
――ぼんやりと立ち上がった一つの影法師。
まるで世界の裏側から這い出て来た呪いのように存在感の弱いそれはゆったりと動く。
「「―――っ!」」
二人が驚くのも無理はない。
横島の背後から迫るそれは物音一つ立てずに僅か数メートルの位置にまで接近していた。
「なっ!」
バッ、と影に気付いた横島はその脂肪塗れの巨体からは考えられない横跳びを見せながら恵の上から退き、その影と対面する。
「てめぇはなんだ?!」
上下膝や袖まで密着した黒のランニングウェアに黒のウエストポーチを腰に着けたそれは、それだけ見ればただのランニングをしていた人物なのだろう。
しかし今は夜であり、走るには相応しくない姿。それでいて更に違和感を与えるのが顔全体を覆う黒い布だった。
――――黒子。主役の影でしかない存在が表に立っている不気味さ。
向奈たちの困惑は無理もない。自分たちを助けた者が正体不明な異常者であるのだから。
しかしその混乱は更に拍車を掛ける。
「はぁ、やっぱり無理か」
「「――――――」」
その聞き覚えのあるやる気のない声。
どうしてそんな姿で現れたのか。しかしながら確証を持つにはまだ甘い。
――なのに、いたずら好きの風が正体不明の黒子の顔を撫でる。
「崎原、先輩……?」
黒い布が揺れ動き、僅かに見えたその冷たい目をした顔は間違いなく崎原奏多であった。