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十一願目

「ん?この音は…」


 帰宅しようと図書館から出た瞬間に耳に入って来たのは高音質の笛の音だった。

 でも不思議だった。ここら辺にある第二音楽室は部活には使われていない。何せ図書館から近く、部活で大人数の演奏をしたものなら騒音問題になってしまう。


 それに第二音楽室は防音が第一音楽室よりも甘い。だから授業以外で使われる筈がないんだけどな。

 どの道第二音楽室の前を通らなければ帰れないし見ておくか。

 歩みを進めると第二音楽室に近付くにつれてはっきりと音を聞き取れるようになった。


「…フルート?」


 妙に(はかな)げで悲しくなる音色だ。

 感情の乗った音は音楽の素人でも心を揺さぶるものを感じさせる。

 上手い下手は僕には分からないが、少なくともこれは上手いんじゃないだろうか。

 

 声と違って楽器に感情を乗せて伝えるのは難しい。技術ばかり上手くても相手に届かなければ意味はない。

 その点この音色には素人でも分かる痛々しい孤独な悲鳴を感じ取ってしまう。

 だから思わず見てしまった。


「ああ、なるほどね……」


 第二音楽室の扉のガラス越しに見てしまった演奏者。

 小さな段差でしかない赤い舞台の上でたった一人で吹いていた少女、――心川向奈はあろうことか泣いていた。

 大粒の涙でフルートと床を濡らしながら何もかもをぶつけるように演奏している。


 あれだけ強い感情で吹けば嫌でも伝わるものがあるのだろう。現に僕自身が釣られてしまった。

 横島との関係の悲壮感からか?

 思い通りにならない自身の不満からか?

 たった一言の辛いさえも言えない環境からか?

 

 あらゆる想いの詰まった演奏だからこそ突き刺さるものを感じさせたのか。

 僕は気付けば聞き入っていた。たった一人の観客として、わき役にさえ名を連ねないようひっそりと舞台を見守りながら。


 僅か数分の演奏。

 主役は彼女。

 他には何も要らない。


 思う存分吹けば良い。邪魔する者はここにはいないのだから。

 数分間のソロが終わる。

 引き戻される現実で心川と目が合ってしまった。


「あ…」


 何か妙な罪悪感を感じその場を立ち去ろうとした。

 

「待って!行かないで!!」


 慌てて扉を開けた彼女が悲しい感情を引き摺ったままの色を載せて叫んで来る。

 ………どうでもいいけど他に人がいたら誤解されるんだけど、そのセリフ。




 ・・・




「すみません大声出しちゃって」

 

 涙を拭った心川が充血した瞳を向ける。


「いや気にしないで。こっちも不躾に見てたわけだし」


 何をどうすればこうなってしまうのか。

 心川と関わる気が毛頭無かったのに気が付けばこうして向かい合って座っている。


 相手は【願望器】を使い横島の欲を満たす対象となった人物。

 安易な接触は感情移入してしまい後の禍根となる可能性だってある。


 あの音色に誘われてしまったのもあるが一目見て吹いているのが心川だと気付いた時に動けなかった自分が悪い。


「………」

「………」


 気まずい空気が流れる。

 心川にしても勢いで僕を止めてしまったのだろう。何を話していいか分からない顔をしている。

 

 仕方ないか。僕は心川を強く意識しないようにしながら共通になりそうな話題を出す。


「今日は心川さんの妹が教室まで来たよ」

「え、恵が?あの子何かやらかしていませんか?」


 ここで妹が何かやらかしたのが前提なのが恵の日頃の行いに問題があるのを実感する。


「大丈夫だよ。単にお弁当持って来てくれただけだから」


 持ってき方には大変問題があったがお弁当自体は美味しかった。

 下心は丸見えで隠す気も無かったから気分が悪くもならなかった。


「恵ったら…。すみませんご迷惑をお掛けして」


 しかしここで謝るのが心川クオリティか。

 妹が作り上げた今までの実績を知るだけにただお弁当を持って来たと認識していない。


「いや迷惑じゃなかったから。それに美味しかったよ」


 ちょっと対価が無駄に大きかっただけで。

 たとえ対価を要求されても突っぱねるし、向こうもそのつもりでは言っていない。


「ありがとうございます」


 妹の手料理を褒められ喜ぶ思いと、自分は横島に強制的に作られされたのに怒られた悲しさからか何とも言えない影のある笑みを浮かべる。


「それで何で心川さんはこんな所で吹いていたの?」


 それも一人でだ。

 部活を辞めたとしても顔馴染みなら和に入るくらいは出来るだろう。

 なのに態々人の来ない校舎に来てまでフルートを吹いているのだ。気になってしまうのは仕方ない。


「あ、それは、その…。今は吹奏楽部も大会が近いですから辞めた私が顔を出して一緒にやろうなんて言えません。それに今は一人で吹きたかったので」


 感極まり泣いてしまう程だからな。

 みんなの前で泣いてる姿を見られたくなかったのか。

 それに吹奏楽部を辞めて横島を優先にしている自分が今更どんな顔をして戻りたいなどと言える筈もない。

 

 それもここでなら気にしないでいられる。

 防音設備が拙い為に吹奏楽部ではまず使う事もなく、他に使う予定のない第二音楽室でなら咎められる心配もなく自由気ままに演奏出来ると足を運んだのだろう。


 どうして心川がそうなってしまったのか原因を知るだけ何も言えない。

 【願望器】はいつだって身勝手で傲慢に使用者の願いを叶え、他人の願いを壊してるな。

 

「最近全然吹けなくて。フルートがとても好きだったのにいつの間にかこんな事になっちゃって。それで、それでも私……吹きたいなって」


 心川の目から大粒の涙がまたも零れる。

 

「親からも、フルートを取り上げられちゃって…。半端にやるならもう止めろって…、半端って私、そんなつもり無いのに……」


 持っているフルートを心川は胸元で強く握りしめた。

 悔しそうに涙を拭う心川はもう限界だった。

 安寧を求め、日常的に来るストレスから解放されようと支えに吹いたフルートは押し留めていた感情を爆発させた。


 ああ、本当に止めて欲しい。そんな顔をされると困ってしまう。

 確かに原因となるものを知っているし、それが起こす悲劇をいくつも見て来た。

 だからと言って僕に助ける気はない。

  

 もしも助ける気があるのならずっと前から行動しているし、心川がこんな状態になるまで放置はしなかった。

 そのせいだろうか。まるで僕自身が心川をこうしてしまったように錯覚してしまうのは。


「す、すみません。また泣いちゃって……」


 しかも心川は僕を責めない。

 心川は【願望器】を知らないから。

 知られれば軽蔑されるだろうか?

 なにより囮として使っている。軽蔑されても仕方ないだろう。


「泣くくらいフルートが好きなんだね」


 僕の口からは心配とも取れる声音が流れる。これを偽善と言わずになんと言うのか。もはや善と付くのも烏滸(おこ)がましい。

 ただの悪だ。詐欺師の常套句とさえ呼んでも良い。

 

 何せ僕は助けない。助ける気が無いくせにその口からはまるで話せば助けて上げると言わんばかりの声音が発せられている。


 これが詐欺師でないなら一体何なのだろうか。

 あたかも良い人のフリをして騙す。違いがあるなら金銭を奪うか否か。どちらにしても悪人であるのに変わりない。

 だけど僕は心配する素ぶりを見せながら心川さんの話を聞く。


「はい。フルートが私の支えなんです。なのに…」


 ――なのにその支えさえも奪われた。

 蹂躙陵辱。横島は彼女を奴隷と勘違いしているのか。それともその全てを束縛しないと気が済まないのか。

 どうしてそんな自分勝手な考えに行き着けるのか不思議で仕方ない。


「だから私、吹いて…、吹いていたのに…」


 環境が邪魔をする、か。

 思わず手を差し伸べて上げたくなる。

 しかしそれは間違った行為だ。


 今動けば俺たちのような【願望器】を奪う者の存在が露見する。それだけは避けなければならない。

 もし準備が伴わないまま一つの【願望器】を回収すれば多くの【願望器】を失う結果となる。

 少なくとも【願望器】を保有する者たちは表に出すのを良しとしなくなるだろう。ひっそりと自分の願いを叶えるべく【願望器】の存在がバレないよう工夫しだす。


 これが【願望器】が複数あると思わない人間なら好き勝手に使う。隠そうとしても願いを叶えたい欲望に負けて使い出す。


 だが【願望器】が複数ある知り、かつ、その【願望器】を回収する者がいると知れば表に出難くなってしまう。

 それだけは何としても避けなければならなかった。


「でも、何で今は吹いていられるの?」


 横島が束縛する以上そんな暇はない。放課後であれば横島がデートと言う拷問を繰り返しているのだから。

 なのに心川はここでフルートを吹いている。

 それは横島に何らかの動きがあったと見た方が良い。


 得られる情報は多い事に越したことはない。

 必要か不要かの取捨選択は後ですれば良いと心川へ耳を傾ける。


「それが最近学校に来てなくて。いつもなら嫌でも呼び出して来るのにスマホも音沙汰がないから」

「そうなんだ」


 ………学校に、来ていない?

 あまり良い予感がしなかった。

 通常の生活サイクルから外れ、自身の願いの対象にした心川をほったらかしにしてまでしたい事。


 横島の行動に嫌な予感を感じつつ、それでも俺は放置せざるを得ない。

 全ては準備が整ってからだ。

 今後について思案していると心川は思わぬ言葉を投げ掛けて来る。


「あ、あの崎原くんはどうしてこの前助けてくれたの?」

「え?」


 心川が何を言いたいか分からない訳では無い。

 が、本当の理由は伝えられない。伝えれば直ぐにでも助けてとせがまれる。

 着々と進められる準備を自ら壊す必要性はなかった。


「ああ、心川さんの妹がお姉ちゃんの様子がおかしいから手伝ってって言われてね。偶々意気投合したからあの場にいただけだよ」


 だから当たり障りのない事実だけを述べる。

 

「そうなんだ」


 その後もごく普通の会話だけで乗り切り心川と別れる。

 気付かれるのは支障が出ると分かっているだけに嫌な心苦しさを感じながらも僕は心川を見捨てた。

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