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八願目 

心川side



 心川向奈は内向的で真面目な少女である。

 中学から始めているフルートも、横島より吹奏楽部を止めされなければそのまま卒業まで続けていたのは間違いない。

 言い方は悪いが心川は付き合おうと思えば選り取り見取りであった。事実、彼女は人気者だった野球部の部長から読者モデルを務めた男までも綺麗に振っている。

 心川にとって優先順位は吹奏楽が高く、友達以上の関係など誰にも求めてはいなかった。


 だからこそ自身のここ最近の急激な変化に着いて行けていなかった。


 何故か大事であったフルートを捨て、悪評ばかり聞いていた男の彼女になっている現実。

 更にその現実を直視すれば、評判以上に酷い傲慢さをその身に受ける羽目となる。


「お姉ちゃんフルートはもう吹かないの?それに最近凄く元気ないし。やっぱりお父さんには私が…」

「ううん、大丈夫。大丈夫だから…」


 デートと称した拷問により心川は多大なストレスを感じていた。

 それは父親より中途半端に止めるなら二度と吹くなと激怒された時や複数人で囲まれ強引な告白の末にストーカー行為を受けた時の比ではない莫大な負荷。


 横島のお陰で最近の心川は笑い方を忘れてしまったように上手く笑えなくなった。

 目の下に出来る隈をファンデーションで誤魔化しても近くにいる妹には気付かれてしまう。

 気丈に振る舞い続ける心川だが、一体そのやせ我慢がどこまで続くのか。


 終わりの見えない悪夢から解放されるのを望むも、自分から彼女になったのだ。少なくとも心川の中ではそうなっており、罪悪感が表に出る所為で別れが切り出せない。

 それも【願望器】による改ざんの仕業であるが、心川の内向的性格も自身を苦しめ続ける要因となった。


「明日。明日には別れを言おう」


 そうして一ヶ月の苦行に耐え続けた心川は何度も自分に言い聞かせている。

 しかし本人を前にすると途端に言い出せなくなり、それどころか命令されるがままにデートや弁当など作らされている。





「うう、また言えなかった…」 


 横暴で我の強い横島の相手は心川にとって相性は最悪だった。

 別れを上手く切り出せず、それどころか死んだ魚の方がマシな目でのデートが続き、キスまでされかける始末。

 未遂に終わったが心川の中ではされたも同然な酷い気持ち悪さで満たされていた。


 美醜の問題は目を瞑れば回避出来たが、やはりキスの前に食べた物がマズかった。

 強烈なニンニク臭は食物に使われる分には香りとして鼻孔を(くすぐ)るが、人の口から発せられればそれは悪臭として襲い掛かる。


 強く言い出せない心川でもあれには待ったを掛けたくなるもの。

 キスを拒絶された横島は激怒して殴って来たのは驚きだった。


「あれは怖かったよ…」


 自室でポツリと呟く心川はベットの脇に置いてある猫のぬいぐるみを抱き締める。

 恐怖心からの無意識の行動であったが、心川自身それに気付けていない。


「あ、そう言えばあの人って誰だったのかな?」


 心川を間一髪のところで助けた少年。それが崎原奏多であり、屋上でも一度会っているのだが、やはり人見知りする性格から顔を碌に見れてはいないので記憶には残っていない。


「恵が知ってるよね」


 しかしながら恵と一緒にいたのは覚えており、いつかお礼が言いたいと思い始める。

 向奈自身の心の中で知らずと奏多の存在が膨れ上がっていた。

 自身のピンチに颯爽と現れたその姿は物語のようでドキドキした。それが果たして何なのか。ただの吊り橋効果であればいつか熱も冷めるものでしかないのか。


「ねぇ恵」

「お姉ちゃん何かあった?」


 だが熱が冷めるにはまだ日も殆ど経っていない。向奈は善は急げと部屋で寛ぐ恵の元に向かっていた。


「あの人って誰?」

「あの人?」

「恵と一緒にいた人。私を守ってくれた」

「あー、崎原先輩の事?」

「崎原先輩?」

「校舎裏で色々あって知り合ったからお姉ちゃんを一緒にストーカーしてたの」

「ストーカーって他に言い方しようよ!って、やっぱり着けてたんだ」

「じゃないとあのタイミングで出れないから」


 姉の前では素直な恵はあっさりと事実を口にする。

 恵としては姉が奏多に恋心を抱いても構わなかった。


 一緒に姉を見守り、かつ奏多の人柄にも触れたので横島と別れて奏多と付き合い始めてもなるようになったんだとしか思わない。

 そもそも比較対象である横島がかなりの底辺にいるだけに奏多の多少の問題など仮に見つけた所で気に止めるレベルではなかった。


「それでお姉ちゃんは崎原先輩にどうしたいの?」

「どうしたいって、単にお礼がしたいだけで…。その守ってくれた時に代わりに殴られてたから怪我が大丈夫か気になるだけだけど」

「ふーん」


 含みのある恵の頷きは僅かに喜色が込められる。

 姉が学校の大抵の男達を振ったのは知っている。


 だからこそ姉は男に興味ないのかと思っていた。それこそ横島と付き合い始めた時は何かの間違いじゃないかと疑う程に。

 そんな姉が奏多に興味を示したのだ。さっさと横島を振って鞍替えししてくれれば奏多が姉にとって丁度良い防波堤になると睨んだ。それに義理でも兄になるなら奏多の方が断然良いとも踏んでいた。


「お姉ちゃん崎原先輩の事好きなの?」

「ふぇ?!」


 しかし向奈には寝耳に水の衝撃だった。あまりにド直球な妹の物言いに目を白黒させる向奈は慌てて弁解する。


「ち、違うよ。好きとかそんなの顔もよく見てないのに」

「男は顔じゃないよ。経済力だよ」

「妹がゲスい!?」


 経済力はともかく横島と顔も将来性も上である奏多では比べるものではない。そもそも実家から見放され努力する気もない横島に将来性もなにもあったものじゃなかった。


「良いんだよお姉ちゃん。素直になっても」

「そんな生暖かい目で見られても!」


 私は全部分かってます的な微笑を浮かべる妹に向奈は困惑で一杯だった。


「冗談はともかくさ。お姉ちゃんあんな奴と早く別れちゃいなよ」

「そうしたいんだけど…」


 出来ない。暴力を振るい始める事態となって別れを言おうと決意しても何かが足を引っ張っている自覚が向奈にはあった。

 気持ち悪い妙な違和感はある。しかしそれは錯覚だ。自分の意思が軟弱なんだと否定する。


「……はぁ、お姉ちゃんに行動力を期待するのは無理か。やっぱりどうにかするしかないか」

「め、恵?」


 不穏な発言をポツリと漏らす妹に姉の本能が何かマズイものを感じ取った。このまま放置したら誰かに迷惑が掛かる。主に恵と一緒にいた人辺りに迷惑がきっと掛かってしまうと。


「恵、私は大丈夫だからね。ね?」


 妹の暴挙を止めるべく姉としての威厳を発揮する。もっともその在り様は保母さんが子供をあやしている程度の威厳であった。


「うん!分かってるよお姉ちゃん!」

「絶対に分かってないよね!?」


 無論妹に効く筈のない威厳。

 肝心の恵は姉を助けてくれたお礼にお弁当を作って一緒に厄介ごとも持ち込む気満々に画策していた。

 一体どうして同じ両親からこんなちぐはぐな姉妹が生まれてしまったのか不思議で仕方ない。


(お願いだから何もしないで!!ああ、神様お願いします妹が変な気を起こさないようにしてください!!)


 向奈は冷や汗を掻きつつ妹がなるべく穏便に何もしないでくれますようにと神に祈る。

 しかしこの世界に神様はいない。いたとしても人の意思と行為を止めないのが神様なのだ。向奈のちっぽけな祈りは誰にも届かない。なるようにしかならないのが人生だ。

 向奈の不穏な思いを抱えたまま夜は明ける。舞台に集められた役者たちが躍る時は近い。

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