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消極的自殺志向者の場合4

 修が僕の病気を検出したようだと分かった時から、祖父と父は修に街を歩かせ、積極的に人と遭遇させるようにした。

 その結果として、藤沢病院の患者数は微増、それによって保険点数も微増。もっとも、収益に関していえば、ウチがカバーする地域住人の早期発見早期治療が促進され、長期入院患者が減ることが予想できるので、長期的な視点で考えると空きベッドが増え、減収方向にあるのではないかと思う。実際に一つの病棟が閉鎖になったことからも、その影響がうかがえた。修は自身の能力によって、巨大な寝床を得た訳だ。彼がそれを狙っていたかというと、そんなことはないのだろうけど。

 そんなある日、修が連れてきた患者様を検査するも、特に問題のある検査値は見当たらなかった。

 誰もが修だって間違えることはあるだろうと考えた。

 だが、その認識は一週間もしない内に救急車のサイレンと掻っ切られた頸動脈から噴き出る血によって覆されることになった。

 その患者様が運ばれてきたことによって、僕らの家族は、修は死に近づいている人間を判別出来るようだと考えるようになった。

 ウチには腕のいい心療内科医がいなかった、そっち関係の患者様は父の知り合いが経営している市外のクリニックを勧めている。その先生は処方して、終わり。なんていう人ではないと父も言っていたし、確かにそういう急患は以前より減った気がする。

 そんな彼も、事故のように突発的に振りかかる運命を予測することはできないようだった。交通事故は今でもある程度は起こる。それすら、彼は事故が起きるということを予見しても、それは天命なのだと、僕達に黙っているだけなのかもしれない。

 そして、彼に関して今、分かったことがある。

 それは、彼は死の匂いが、『不快』だということだ。




 病院のエントランスを抜け、ホールの横並びの椅子に光を促した。

 彼女は椅子の列の中央に座り、僕は彼女の左の位置に座る。

 先程、この場所に対してメルヘンな妄想を抱いていた僕を裏切ることになりそうだった。けれど、密談のできる気の利いた喫茶店なんてものはこの町にはなかった。そのせいで病院のホールが人々の憩いの場として使われることになるのだろう。結局はウチくらいしか、ソフトで軽めな悪口を話せる場所がないのだ。

 僕がそんな実情にショックを受けているのを知ってか知らずか、光が話し始めた。

「うすうすはタクミも気がついていると思うけど――」

 彼女はリストバンドを外して太ももの上に置いた。

 黒の綿に隠されていた左の手首には、細長く色素の薄い痕や、短く活きのよい赤の痕が軽く見積もって十は残されていた。

「自分で?」

 僕は訊く。まさか、これが偶然だとすれば、不自然すぎる多さだ。

「そうだね。これを創ったのは自分だね」

 ピクリと揺れる薄い傷がひどく気になった。

「触ってみても?」

「……気持ち悪い感じだよね」

 吐き捨てるように言いながら、彼女は僕の方に手を伸ばした。

 僕は慎重に右手を動かし、人差し指の腹で傷痕に触れる。

 それは手術用の糸で縫った痕とは違い、歪だ。欠損した体を補うために盛り上がったその様子から、うかがうことのできる傷の深度は様々で、深く創られたのであろう痕に触れると光がわずかに身をすくめるのが分かった。

 その反応を見て、自身も体験したことのある、直接、骨に電気が流れたような鋭い痛みを思い出し、手を止めた。

「傷を触って僕に何が分かるわけでもないんだけどね。でも、こういうのをうまく隠せる専門の先生なら紹介できると思うよ」

 完全に消し去るのは難しいかもしれないが、もう少し綺麗にすることなら出来るかもしれない。光の左手首に走る痕は他人の僕にすら痛々しく映る。本人にすれば、その痛みはそれ以上なのではないだろうか。

「ふーん。そうするのがいいの? タクミにとって」

 僕はすぐには返答できなかった。

 たぶん僕は他人の死を悼めない。

 その逆に他人が僕の死を悼むことを想像できない。

 そんな自身を思いとどまらせようとして、同窓会に顔を出してみたが、もう、まったく、全然、死んでみてもよかった。

 僕に想像力が足りないのだろうか。いや、結局のところ、僕はセルフィシュなのだろう。

 しかし、目前で悩める人を見て、そんな主張を出来るほど人間として簡潔に出来てはいなかった。

「誰かに話をして楽になるのなら、聞く時間はあるけど」

 そして、結局、美しい解決策を打ち出せるわけでもなく、現状に流されるような発言しか生み出せなかった。

 こういう無力さも自分を嫌いな理由なのだろうなと思った。




「タクミは大人しい異性の同級生がクラスにどうする?」

「時と場合と環境による」

 僕の応えに、彼女は数秒の間、唸った。

 時は年齢を、場合は友人を、環境は担任を意味する。

 男女間の隔絶があまりない小学生のとき、コイツさえいれば大丈夫と言える心強い友人が傍らいて、保身に走らず懲戒処分に値しないような最低限の勤務態度で働いてくれる担任だったなら『皆で手を取り合おうよ』みたいな、ドラマのようで非現実的なことも言ってしまえるかもしれない。だが、逆に僕はそのくらい整った状況でなければ、動けないだろうと思う。

 僕が他に何も言わないのを確認し、彼女はひとつ頷いてから、話し始めた。

「とりあえず、全ての原因は中学の修学旅行……だと思う。あの頃のアタシ、私はかなり大人しくて、それなりにいい子で、人間関係は広く浅く、だったわけ」

 彼女はわざわざ、『アタシ』を『私』と言い直した。これから彼女が語る事は『私』が『アタシ』に成る過程なのかもしれない。言い直すということは、恐らく、そういうことなのだろう。

 僕が頷くと、彼女は続ける。

「そうすると、修学旅行のグループ分けで組むことになる人が見当たらないわけ。私にはいわゆる親友? そういう人がいなかったし、私に対してそう思ってくれている人もいなかったみたい。そういうの、タクミはどうだった?」

 僕は、というか中学生の男子は、そういう部分でモメることは少なかったように思えたので、「ま、支障はなかったよ」と言うと、「ふーん」という言葉が返ってきた。下手で大した意味のない一見、優しげな嘘は簡単に見抜かれるだろうと思った。だったら、余計な気遣いはしないほうがいいだろうと思う。

「で、グループ編成が女子だけ、という形になったなら、まだよかったんだろうね。でもね、ウチの暑っ苦しい担任は、まず少人数でグループを作らせて、その集まりを男女でくっつけ始めたわけ。彼なりに男女の仲を取り持ってあげようとしていたことは分かるんだけどさー」

 確かに、そういう自己満足の好きな人間もいた気がすると、僕は頷いた。

「それで、私ともう一人の娘の余り物組みに対して、くっつけられたのは、男子の人気者の二人組だったわけ。――あ、ちなみに言っておくと、私が人気者を好きとか、そういう甘酸っぱいヤツじゃなくて、担任がめんどくさい女子抗争の勃発を防ごうとした結果、大人しいとこに人気者という爆弾を置いていった、って感じかな?」

 彼女は否定の意を示すために、やたらと手を左右に振りながら話すので、不覚にも僕は少し愛らしさを感じていた。

「その人気者男子は優しくてさ、どんよりとした私みたいな奴にも、やっぱり人気者的態度は崩さないわけ。例えば、移動のバスの中とかで気を使って、私達に話題を振って、しっかりと聞いて、相槌を打って、笑ってね」

 僕のような不人気者男子が、その人気者男子の全てを読み取ることは不可能だ。しかし、その彼は光のことが気になっていたのではないかと思う。なにせ、人気者と言っても田舎育ちの素朴で純朴な中学生の男子だ。もともと特別なことを抱いていないにしても、一緒のグループにされただけで意識はしてしまうだろうと思う。それに彼女の見栄えは、かなり少なく見積もったとしても、悪くない、以上の評価はつく。

「私はその車中の様子を観察している他の女子のことを気にしておくべきだったね。彼女達もさ、人気者に嫌われたくないから、正攻法のイジメではこないわけ。花瓶を机の上に置くとか、そういうことはしないの。うーん、なんだろ、私が近くにいると、ちょっと距離を取るとか、そんな感じ」

 僕は花瓶を机の上に置く意味を、知ってか知らずか、してしまった同級生のことを思い出した。

 確か小学校二年生の頃だ。その時の担任教師はそれをイジメと取り扱った。だが、花瓶を置かれた方はその意味を知らず、その行為をまったく意に介さなかった。もし、加害者、被害者がともに意識せずに行ったことだとすれば、あの時の担任教師は意味のない話題を振りまいただけに過ぎないことになる。

 ただ、普通の感性でいくと、花瓶を他人の机の上には置かないだろう。しかし、これは小学生がしたことで、その時の真意については花瓶を置いた本人も記憶の彼方だろう。後で間違いを正しておけば済むことだ。

 ちなみに被害者(仮)は元気に大学生をやっているはずで、加害者(仮)がどうしているかは仲良くなかったので、知らない。まあ、こんな狭い世界で余計な噂を聞かないということは、ある程度は普通に暮らしているのだろうと思うのだけど。

「まあ、で、そのうちに修学旅行で私とグループになっていた娘は学校に来なくなったよ。でも、その娘はもともとクラスに馴染めてない感じだったから、担任も大して心配しないの。ま、いわゆる自己責任ってヤツ? アンタこそ自己の責任を果たせってのって感じだよ、今にして思えば、さ」

 不登校の生徒は僕のクラスにもいた。その時、僕はどう感じた? 学校に行きたくなくなったなら、それでいいんじゃないか? みたいな感じだったか?

 もしかしたら、その考え方は間違っていたのかもしれないと感じた。もうその人の名前は、ユカリなのか、それともユリカだったのか曖昧な記憶しか浮かばない人なのだけれど、心のなかで申し訳なく思った。

「私はまだ学校には行けていたんだけどさー。でも、そのうちに攻撃の表面化すら厭わないという考えになってくるんだなぁ。そうなると、容赦ないんだよね。例えば、鋏で髪を切るとかね。休み時間に後ろからジャキンって音がしたときは何事かと思ったよ。頭が軽くなってるって気づいたときに、私、何を考えたと思う? こういう時は、なんて言えば許してもらえるだろう、とかそんなこと考えてたんだよ。情けなくて泣けるよね」

 彼女は度々、空気を吐くように笑いながら続けた。

 その笑いはあまりに虚しく、誰の心も救うことはないのだと感じた。

「で、手首の傷だけど、これは、ある人の真似なんだ。もっとも、SNSでしかつながりはないんだけどね。ネット上の日記にリスカ痕の画像をアップロードしている人がいて、その人の真似。――何故、そんなことをって? その人がコミュニティーの人気者だからだよ。ネット上ではね、ちょっと過激で血の匂いがしそうな画像を作れれば、人気者になれるの。だから、何度も切っちゃうんだよ。こんな私だって、求められるんだって感じられるからね」

 それは求められているのではなく、面白がっているのが大多数だ。とは言えなかった。だって、彼女もそんなことは分かってはいるはずだ。でも、もしも彼女がそのことに気がついていなかったとしたら、どうなる?

 僕は、ユ……あ、さっきの人の名前はユカリでもユリカでもなく、ユイカさんだ、思い出した。僕は数秒前にユイカさんに謝罪したんじゃなかったのか?

 彼女は僕よりも死に近づき過ぎていると感じた。多分、彼女自身には死ぬという意識がないにも関わらず。このままエスカレートしていって、気がついたら演出過剰で死んでしまうことも十分にありえるだろう。

「タクミはこんな話をしても、怒らないね」

 怒らないのではない。僕には彼女を咎めるだけの後ろ盾を何も持っていないので怒ることなんてできるわけがないと思っているだけだ。僕の言葉には説得力がない。

「どうする? 先生を紹介することなら出来るけど」

 たぶん紹介するのは、先程想定していた皮膚の専門家ではなく、心の方の専門家になるのだけど。

 君のことが心配なんだ、と言い切れるような、心を震わせ言葉を伝えるような人間でありたかった。けれど僕には、少なくとも、今の僕には無理だ。

「アタシは大丈夫だよ。私を救ってあげたかったけど、それは今更の話で、どんな名医にも難しいはずだよ。その娘のことならアタシが一番知っているんだ」

 魔法のような言葉を持たない僕は、今度また一緒に豊子さんに会いに行こうという約束だけをして、別れた。

 いろいろなことを諦めたはずの僕に何ができるのだろうか。

 なんとなく、何かをしなければならないと思ってはいるのだけど、自らの命から目を背けている僕に、何が。




 家に帰り、パソコンを立ち上げる。続けて、ブラウザを起動させ、知り合いに頼まれて会員登録だけを済ませたSNSに接続する。

 会員IDはパソコンにログが残っていたので問題なかったが、パスワード欄は未入力になっていた。思いつくパスワードを手当たり次第、適当に入力していく。生年月日のアナグラムを入力したところでログインすることが出来た。こんなコミュニティーを活用する予定もなかったくせに、意外と用心深い設定をしていた過去の自分をくだらないと思った。

 サイト内に設置された検索窓に、『リスカ 画像』と入力する。

 ――結果はヒット数ゼロ。

 どうやら倫理的な問題を生じさせそうなワードは検索ができないように、サイト側でロックされているらしい。

 試しに、『リ ス カ』とスペースを入れて検索をかけると、サイト内の画像つきのブログがいくつもヒットした。まったく、こんな適当なやり方で回避できるようでは、犯罪の温床になりかねない。

 日記の概要を見ると、コメント記入欄が設置されたありがちでオーソドックスなブログの形式らしかった。そして、その日記にはコメントが少なくとも十件単位でついていることが分かった。

「人気者か……これが」

 それらを覗いてみようかとも考えたが、このSNSの仕様上、僕が閲覧したという履歴がブログ執筆者のところに残ってしまうことを懸念し、念のためプラウザをデフォルトページまで戻し、閉じた。

 ネットストーカーなる言葉が生まれる時代だ。電子の世界くらいは自分のことを自由にしたいものだと思う。だが、こんな行為で得た人気は虚構でしかないと思う。けれど、それを求めてやまない人はどこかで確かに存在しているのだということを知った。

 再度ブラウザを立ち上げて、ネットショップで気になるアーティストのLPを検索していると、母が廊下を通過した。

 微妙に遅くなった歩調の変化から、まとわりつくような視線が喚起された。

 適度な距離感。そういう曖昧なものが、人の間には必要だと思う。

 僕が書斎のパソコンでどんなサイトを閲覧していようと、それが常識の範囲内なら自由だろう。だから、廊下を通るたび、いちいち中をチラリと見ないでくれ。そんなに気になるのならば、何を見ているのかを僕に問いかけてくれればいいのに。

 以前、自室に長い髪の毛が落ちていたのを発見した。それは恐らく、母のものだ。息子の部屋に入り、掃除をしたくなる気持ちもわかる。けれど、それならば在室中にする、もしくは、在宅中に声をかけてからすればいい。なぜ、外出時を見計らったように中に入るんだ。

 と、言っても、自立をしていない僕が『入るな、やめてくれ』などと言える立場ではなく、かといって、思春期的な怒りに任せて激昂するような性分でもない。

 そうして、チラリと覗かれる度に、心の中に澱が溜まり、僕自身を終わらせたくなっていく。

 毒薬を作成するレシピを心に秘めているが、実際に毒薬を隠し持ってはいない。だから部屋をあさられても支障はない。

 しかし、僕のクズの演技にも許容量の限界はあるのだ。

 明日はスリの賢治さんに話を訊いてもらおうとなんてことを思いながら、パソコンの電源を落とした。


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