051 姫の不在4
「ぜんぜん、ダメ……! 姫様は、もっと、ずっと、可愛い」
「ディニッサ様には、もう少し可憐な雰囲気があると思います」
「姫様はもっと凛々しいカンジじゃねーか?」
「ディニッサ様の神々しさが足りないように思われますが……」
ルオフィキシラル城の一室で、ノランは屈辱に身を震わせていた。
主の不在を誤魔化すために、彼は魔法でディニッサに変身したのだ。ノラン自身が望んだことではない。ネンズらに要請されて、しぶしぶ引き受けた任務だ。
しかしノランが受けたのは酷評の嵐だった。その場にいた6名の、誰ひとりとして肯定的な意見を述べない。ノランが不退転の覚悟のもとに、ふりふりのドレスまで着たというのにひどい仕打ちである。
ちなみにふりふりドレスは、海が元の世界から持ち込んだデザインだった。
こちらの世界の貴婦人は、体に張り付くような平面的な服を何枚も重ね着することによって、厚みと華やかさを演出している。
当然、着替えが面倒だ。最初海は、平民のように質素な服を着ようとした。けれども、どうしても侍女たちの同意が得られなかったので、かわりにプリーツをたくさんつけたヒラヒラしたドレスを提案したのだ。これなら一枚着るだけですむ。
ふりふりドレスは侍女たちには好評だった。最初は彼女たちもとまどったが、よく見るとなかなか良いという結論に達したのだ。なによりまだ、世界でディニッサしか着ていないという特別さが侍女たちを喜ばせた。
しかしノランは古臭い考え方をする男だ。正直なところ、ディニッサの新しい服には否定的だったのである。そんなふうに奇怪と思うような服を着ているのだ。ノランの態度には、恥ずかしいという気持ちがにじみ出てしまっていた。
女装するなら──いや、女装にかぎらず、演技をするなら照れてはいけない。中途半端な動きは、よけいに対象を見苦しくする。ノランが批判されたことは哀れではあるが、彼自身の責任でもあったのである。
「私の魔法は、鏡のように対象を写しとる。本物との違いなどない!」
「……」
ノランは顔を真っ赤にして反論したが、帰ってきたのは冷ややかな反応だけだった。フィアたちは納得していない表情だった。
「だいたい『可愛くて、可憐で、凛々しくて、神々しい』だと? そんな人間がいるものか! バカどもが、目を覚ませ」
「……チッ」
フィアが舌打ちし、その場の空気が凍りついた。フィアと長い付き合いがある者はいなかったが、それでも彼女は控えめな落ち着きある女性だと認識されていたのだ。そのフィアの豹変は、みなを驚かせるのに十分なものだった。
フィアとしてはこの場のすべてが気に入らなかったのだ。ノランがディニッサに化けると聞いた時から嫌な気分でいたが、じっさいに目にすると憎しみさえ湧いてくるほどの不快さを覚えていた。
これはフィア自身にも意外なことであった。変装案自体は不愉快だったが、ディニッサの姿を見れば懐かしさを嬉しさを感じられるかもしれない、というかすかな期待もなくはなかったのである。
「お、おいおい、大丈夫かフィアさんよ」
言葉をなくした一同を代表してネンズがとりなす。しかしフィアはネンズを無視するように、険しい表情で黙り込んでいた。
「ま、まあまあ、みなさん落ち着きなされ。たしかにノラン殿の変身には違和感がありますが、今回は役に立つと思いますぞ」
「そうだな! 相手は一度しか姫さんに会ってねえんだ。ノランのヘタクソな変身でもうまくいくだろ」
ひどい言い草だが、今度はノランも反論しなかった。フィアの様子をみて不穏な気配に気づいたのだろう。
「……それで、私はなにをすればよいのか」
「ええとですね、トレッケ殿たちに街から出てもらうというのはどうでしょう? やはり首都に強力な魔族集団がいるのは危険ですし」
ケネフェトの提案に反対する者はいなかった。いまのルオフィキシラル領にとっては、トレッケ一族の戦力は大きすぎる。現在王都にいるディニッサ派の魔族は10名ほど。それに対してトレッケ一族は19人もいるのだ。
「彼らは東の魔王と敵対しているわけですから、東に行ってもらいましょう。ちょうどゲノレの街のそばに砦を作っていますから、そこに入ってもらえば問題ないはずです」
続くケネフェトの案にもみなは頷いた。しかしフィアとネンズは困ったように視線を交わしあった。
「あ~、あの砦を使うのはちょっとマズイ。……いやいや、作戦は悪くないんだ。東の国境付近には行ってもらおう。そうだな、砦の近くに奴ら用の家を作っか?」
ネンズは砦を使えない理由を語らなかった。幾人かが不審げに彼をみたが、問い詰める者はいなかった。なにかディニッサの指示があったのだろう、と察したからである。
* * * * *
ディニッサに変身したノランは、玉座の間でトレッケを待ち受けた。そばにはフィアとクナーミーニヴ、そしてネンズの三人だけが控えている。
しばらくすると扉が開き、トレッケと彼の親族であるコンドラトが部屋に入ってきた。トレッケは、入ってすぐに立ち止まってしまった。大きなクチバシがついた頭をかしげて不思議そうにする。
「トレッケ様、いかがいたしましたか……?」
「フム。なにやら……。いや、直接話を聞いたほうが早かろう。ゆくぞ」
トレッケはふたたび歩き出す。玉座に近づいてくるトレッケを見ながら、フィアは意識して視線を前方に固定していた。クナーミーニヴが不安気な眼差しを向けてくるのを黙殺する。
トレッケとコンドラトの会話は小声でなされていたが、魔族であるフィアたちにはしっかりと聞こえていたのだ。その言葉から、トレッケがなにやら不審をおぼえた気配がある。
トレッケが目の前までくると、ノランは咳払いを一つしてから話を始めた。
「よくきてくれたのう。今日はそなたに頼みがあって──」
「先に聞いておきたいのだが、貴殿は誰であるか? 吾輩はディニッサ殿の呼び出しで参上いたしたはずであるが」
コンドラトも含めて、玉座の間にいる全員の視線がトレッケに集まった。どの顔にも驚きがうかんでいる。
「……な、なにを言っているのじゃ。わらわこそがディニッサであろう」
ノランはすぐに気を取り直し、なんとか演技を続けた。しかしかすかに声が震えていたため、あまり効果的だとはいえなかっただろう。
「とぼけても無駄である。吾輩に幻覚や変化の魔法は通用せん」
「な、なんですと、トレッケ様、幻覚ですと?」コンドラトの表情が驚きから警戒に切り替わる。「卿ら、なにを企んでいる、トレッケ様と私をどうするつもりか」
困ったことになった。フィアは、前方に固定していた視線を仲間たちに向けた。偽物だと看破されたノランには動揺がありありと感じられたが、ネンズとクナーミーニヴは意外にも落ち着いた様子だった。
偽装の発覚を恐れて狼狽していたクナーミーニヴも、事態が確定してしまったために腹が座ったらしい。すでに戦士の顔に切り替わっている。二人は「倒すか?」と言いたげにフィアを見つめたが、フィアは軽く首を降って反対した。
この場にいる魔族は4対2。戦えばまず勝てる。が、後のことを考えれば強硬手段は避けるべきだ。こうなればなんとか交渉で解決するしかない。しかし……。フィアはため息をつきたくなった。
ディニッサが常々嘆いていたのは、ルオフィキシラル領に外交ができる人材がいないことだった。口下手な自分、戦い以外には使えそうにないネンズとクナー。この場を見ても交渉ができそうな人間がいない。4人の中ではノランが一番ましかもしれないが、今は顔を青くしてブルブル震えているような有り様で、ものの役に立たない。
「騙そうと、した、ことは、謝罪する」
ほんのわずかな時間が過ぎたあとで、フィアは覚悟を決めて口を開いた。
「姫様は、いま、有力な魔族と、緊急の会談をしている。さまざまな事情があり、しばらく、帰れない」
話した内容に嘘はない。疑っている相手を偽りで納得させられると思うほど、フィアは自分の話術に自信を持っていなかった。会談の原因が、今後の友好関係の構築や援助要請などではなく、ただ単にさらわれただけだという点を隠しただけだ。
まもなく戦争が開始されようとしているのだ。相手は援軍の交渉をしに行ったのだと考えるだろう。……じっさいは兵を送ることなどできない、遠い北の大陸にディニッサは連れ去られているわけであるが。
「ふむ。ディニッサ殿が不在のため、新規に召し抱えられた吾輩たちを警戒したのであるな。それで、もし吾輩が術を見破れなければ、なにをさせるつもりだったのか?」
「東の魔王との、戦争にそなえて、ゲノレの近くに、行ってもらおうと、してた」
「……嘘は言っていない、ようであるな」
トレッケはあっさりと、フィアの言い分を信じたようだった。フィアはトレッケの言葉にかすかな違和感を感じた。
「変化を見破れるように、嘘も、わかる?」
「いや、完全にわかるというわけではないが、吾輩は──」
「トレッケ様!」
トレッケの隣で様子をうかがっていたコンドラトが大声を上げた。トレッケが「しまった」というように顔をしかめる。
「わ、吾輩の目がすべての偽りを看破するが如く、吾輩の耳はあらゆる虚言を聞き分けるのである!」
確実に嘘を見抜けるわけではないようだ、とフィアは判断した。そう考えると、ノランの変化に気づいたのにも、なにかトリックがあるのかもしれない。
「卿らの不安は了解した。君主が領地を離れているとならば心許なかろう」コンドラトが前に進み出て話し始める。「で、あれば、いっそトレッケ様を指導者として仰ぎ、今後に備えるというのはどうか。──ああ、むろんディニッサ殿が帰られれば元の体制に戻せばよい」
最後に「元の体制に戻す」と付けくわえはしたが、コンドラトの真の望みは、ディニッサのいない隙にルオフィキシラル領を横奪することであろう。フィアたちの心配は当たっていたことになる。
コンドラトの提案など受けるわけにはいかない。トレッケ一派に実権など与えれば、ディニッサが帰ってきたときにどうなるかわからない。最悪の場合、帰ってきたディニッサが待ち伏で謀殺される恐れさえある。
ネンズとクナーミーニヴが身構えた。それを見たコンドラトも戦闘態勢に入る。刺々しい雰囲気の両者を、トレッケが両羽を広げて制した。
「下がれコンドラト。すでに吾輩はディニッサ殿と契約しているのだ。一月後の戦が終わるまでは、ただの傭兵として従うべきである」
「しかし、トレッケ様……!」
さらに言い募ろうとしたコンドラトを、トレッケが一睨みして黙らせた。
「吾輩は一族を率いて、東の国境にむかうとしよう。よろしいか?」
「そうしてくれると、助かる」
* * * * *
「戦いがさけられて良かったですわね」
「おう。さすがに、あの人数とやりあうのはキツそうだしな」
トレッケたちが部屋から去ったあと、ネンズとクナーミーニヴはホッとした様子で話し合っていた。しかしフィアは落ち着かなかった。不承不承うなずいていたものの、コンドラトは不満を露わにしていたのだ。安心するのはまだ早いだろう。
「ノラン、どう、した……?」
フィアがふと横を見ると、ノランがガックリとうなだれていた。
「……私は、こんな奇矯な服まで着たのだぞ。私の努力はなんだったのだ」
「無意味。むしろ、相手に、悪印象を与えた分、逆効果」
フィアが辛辣な言葉をノランに投げかけた。ふだんは二人の仲は悪く無い。しかしノランがディニッサに変身している限り、和解はできそうもなかった。
「クッ!」
「ま、まあいいんじゃねえか。なかなかできる体験じゃねえぞ」
「そ、そうですわノラン様! その服も似合ってましてよ」
「いや、そのフォローはどうだよ。褒められても嬉しくねえだろ……」
* * * * *
──それから数日がすぎ、魔王の布告が切れるまで残り三週間になった。
トレッケたちは、東の砦近くの住居で大人しくしている。
フィアたちは空いた穴を埋めようと忙しく働いていた。
その日、フィアたちは忙しい執務の間をぬって訓練に励んでいた。戦争にむけての集団行動訓練である。これはごく珍しい事だった。なぜなら、こちらの世界での戦争は、個々人が勝手に戦うことでなされる。陣形など、集団戦の概念はない。
その点に勝機を見出した海が、訓練をしておくように支持していたのである。
魔族は独立不羈の傾向が強い。他の領地なら、このような指令は受け入れられなかっただろう。しかしルオフィキシラル領の微弱さが、それを可能にしていたのである。
* * * * *
残り二週間。ディニッサたちの不在で内政が滞りがちだったが、なんとか破綻させずに領地経営が進められていた。
ディニッサの指示では、隣接領との関係を改善するようにとされていた。しかし外交問題は一向に解決していなかった。港町ヴァロッゾの東にあるラーの街、そして西にあるジヌーロの街、どちらの領地とも話し合いすらできていない。
ルオフィキシラル領には、敵対している勢力とうまく交渉ができるような人材がいないためだ。御用商人のガーナンや、ルオフィキシラル教の総大司教リヴァナラフなら、仕事柄交渉に長けている。だが、平民が外交を担うことはできない。
ノランの変化に頼るという案も出た。しかしノランは必死に抵抗した。彼は最初の失敗で完全に自信を喪失していたのである……。
* * * * *
残り一週間。まだディニッサは帰還していなかった。
フィアが執務室で仕事をしていると、副官のレノアノールが駆け込んできた。
「フィア様、トレッケ一族が離反の動きをみせています!」
「どこに、行こうとしている?」
レノアノールは興奮しているが、フィアに動揺はない。トレッケ一族の向背が怪しいことは、それまでの情報から察しがついていたのである。
「行き先までは決まっていないようですけど、東の魔王に対抗できる、もっと有力な魔族を探すみたいです。失礼ですよね、あいつら!」
「事実、だから。しかたない。東の魔王に、寝返るのでなければ、問題ない」
本当は、戦争間際に大きく戦力が低下するのは大問題だ。しかしフィアはもう、この点は割りきっていた。自分にはトレッケ一族をなんとかできるだけの器量がないと。むしろ配下の雪華隊の能力が確かめられたことに、希望を見出していた。
ディニッサが諜報機関を作ると言い出したとき、フィアは、それがどれだけ役に立つか危ぶんでいた。しかし予想以上に諜報隊は有効だった。
魔族でも情報を重要視する者もいるが、専門の情報収集部隊を作ることはあまりない。隠密能力の高い魔族を何人か使うくらいだ。しかし魔族の密偵には弱点がある。相手も魔族だった場合は、その姿を隠すことが難しいのだ。
たとえ魔法で足音を消そうと、透明になろうと、魔力自体が探知されてしまう。むしろ姿が見えないのに魔力の反応があるとなれば、よけいに警戒されるだろう。
その点、平民の密偵は優れていた。一般的な魔族は、平民の存在を意識しない。道端にうごめく虫のようなものだと思っているので、つい警戒心がゆるくなる。
事実、トレッケ一族は、給仕に化けた密偵が近くにいるのに大声で話し合いをしていたのである。このあたりは、奴隷に平気で裸体をさらした、中世の貴婦人たちと通じる部分があるかもしれない。同じ人間だと認識していないからこそ、恥ずかしさなど感じないし、警戒もしない。
──結局トレッケ一族は、当主のトレッケ派と、トレッケの従兄弟のコンドラト派に分裂した。コンドラト派は、戦争間際になってもディニッサが戻らないのを見て、ルオフィキシラル領から退避してしまった。残ったトレッケ派は、わずか5名であった。
* * * * *
東の魔王の布告が切れる三日前。やはりディニッサは戻らない。
さらに悪いしらせがルオフィキシラル城に届いていた。
「東のアッフェリは、開戦準備を万端に整えています。数120。加えて、ヴァロッゾの東からラーとルーの連合軍30が、ヴァロッゾの西からジヌーロの兵40がそれぞれ進行中!」
レノアノールの報告を聞いて、フィアたちの間に重苦しい空気が流れた……。




