046 アカ
フェニックスとの激闘があった日、オレたちは雪原で野宿をすることになった。戦闘で疲労したためか、オレの調子が悪くなってしまったせいだ。オレを抱っこして走ってくれ、と二人に頼んだのだが、あっさり断られたのだ。シグネはともかくとして、デトナはオレの家来のはずだんだけどなあ……。
* * * * *
「ぴ~、ぴ~」
次の日の朝、「アカ」と名付けたフェニックスの雛のさえずりで目が覚めた。
……なにやら体がダルい。昨日より体調が悪くなっているような気がする。「裸マント」という変態的なカッコで寝たせいだろうか。マントには温度調節の魔法がかかっているはずだんだけれど。
「ぴ~」
頭を振りながら立ち上がると、異様なものが見えた。赤い羽根のなにかがいるのだ。いや、なにかというか、フェニックスの雛なんだろうが、いろいろおかしい。
昨日、手のひらに乗るくらいのサイズだったアカが、サッカーボールほどの大きさになっているのだ。おまけに、ひどくメタボってる。まんまるなボールに、頭と短い足をつけたようなブザマな姿なのだ。ヌイグルミ的な可愛さはあるものの、成鳥時の精悍さはまるでない。
「おはようございます、ディニッサ様。と言っても、そろそろお昼ですけどね」
「うげっ、もうそんな時間か。なんで起こしてくれなかったのじゃ」
「起こそうとしたけれど、その赤い肉玉が邪魔したのよ」
「ピー!」
アカはなにやら自慢げだ。寝ているオレを守ったつもりなんだろうか。まあ、ある意味シグネは敵みたいなものではあるけれども。褒めるべきか、叱るべきか、判断に迷うな。
その後、朝ごはん──例によって焼いた鶏肉──を食べてから旅を再開した。
しかし、その最初の一歩からつまづいてしまった。走れないのだ。正確に言うとふつうの人間としては走れるけれど、魔族として走ることができなくなっていたのだ。
「……なんか、やたらと体がダルいんじゃが」
「成長期だからしかたないわね」
「なにが成長期なんじゃ?」
「もちろん、赤い肉玉よ。ずいぶん派手に魔力を吸い取られているみたいね。成長も異常に早いし、このぶんだと、すぐに大人になってあなたを食い殺すわね」
呪いのアイテムじゃねえか!
まさかフェニックスの雛が、仮親から魔力を奪い取るとは思わなかった。シグネのやつも知っていたくせに、一言も説明しなかったし……。
「なんとかならんのか?」
「出て行く魔力を絞れない?」
「……。どうも無理っぽいのじゃ」
オレは魔法を習得して一月の初心者だ。細かい調節をしろと言われても難しい。それに、そもそも魔力を吸い取られている、という感覚自体がないんだよなあ。
「無能ね。なら魔物か魔族でも餌として食べさせるしかないんじゃない?」
「この雪原のどこにおるんじゃ、そんなの。それとも、そなたがわらわのために身を捧げるつもりかの」
シグネは、フッと鼻で笑っただけで返事もしなかった。
しかし困った。ただでさえ予定が狂っているのに、魔法まで使えないとなると、もうどうしようもないぞ……。
「やむを得ん。デトナ、わらわをおぶってくれ。お姫様抱っこでもよいがの」
「いやあ、それはちょっと無理ですねえ」
「む、無理ってなんじゃ。わらわは軽いし、たいした労働ではないじゃろ」
「う~ん。やっぱり無理ですねえ。気分じゃないんで」
デトナはてこでも動きそうにない。なんて薄情なヤツなんだ。
こうなったら──
「シグネお姉ちゃん……!」
せいいっぱいの媚を売りながら、シグネに頼んでみた。両手を胸の前で軽く組んで首を少しかしげる。ユルテだったらヨダレを垂らして突撃してきそうな、完璧な仕草だっただろう。
「キモっ! フィアならともかく、あなたなんかを抱っこするわけないでしょ?」
だがシグネには通用しなかった。姉属性があるからいけるかと思ったんだが、フィア限定でしか発動しないようだ。
「じゃあ、どうするつもりじゃ。そなたらはワガママすぎるのじゃ」
「あなたが自分で走ればいいでしょ」
シグネがひどく冷たい口調で言った。
……さてはコイツ、昨日無理して走らせたのを根に持っていやがるな。なんて心の狭い女なんだ。オレは疲れるのが嫌なんじゃなくて、時間を浪費するのが嫌なだけなんだぞ。
* * * * *
雪原を三人で歩く。晴れていて状況は良いのだが、ペースは上がらない。
実は歩き始めてから、さらに一つ難題が持ち上がっていたのだ。
アカは短足だ。
そして風船のように太っている。
とうぜん歩くのは遅い。しかも羽があるくせに飛ぶこともできなかった。
誰かが抱えるしかないわけだが、アカはオレ以外に触られることを拒否した。デトナやシグネが触ろうとすると、体全体を燃え上がらせて反抗したのだ。
そんなわけで、オレが抱きかかえて歩いているわけだが……。重い。5kgは楽にあるだろう。魔法が使えれば気にもならない重さだが、いまの脆弱な体では負担が大きすぎる。もう疲れた。もう歩きたくない。ユルテ、ファロン、フィア、なんだここにいないんじゃ……。
* * * * *
「ふぅ~」
どれくらい歩いた後だろうか。シグネがオレを見て、わざとらしく溜息をついた。しかしこっちは疲労困憊で相手をする余裕などない。アカを蹴り飛ばして進めば楽なんじゃないか、などと何度も思ってしまうほど疲れきっていたのだ。
「このままじゃらちが明かないわね。私が先に次の街まで行って、ソリを持ってきてあげましょうか。もしもあなたが、疲れてどうしようもないっt──」
「どうしようもない! 限界じゃ。もう無理っ」
「ちょっ、あなたそれでも偉大な魔王の血を引く娘なの!?」
あっさりと弱音を吐いたオレに、シグネは驚いていた。彼女なら、どれほどつらくても意地を張り続けるのだろう。だがオレに、そういう意地とか誇りはない。だって魔王の娘じゃないし。
「あなた、諦めるの早過ぎでしょ! 恥ずかしいと思わないの」
「まったく思わないのじゃ。むしろそなたの方が恥ずかしいと思わんのか。約束をしておいて、グチグチ文句を言うとは。とっととソリを取ってくるが良いぞ」
「~ッ!」
オレはよけいなプライドを持っていないが、シグネは持っている。だからせいぜい利用させてもらおう。嘘をついたのか、となじられた彼女は、案の定、オレをひと睨みしたあとで、次の街に走っていった。これでようやく苦役から開放されるわけだ。アカを放り投げて、オレは地面に座り込んだ。
* * * * *
……結局、大陸最南端の港にたどりつくまでに、4日もかかってしまった。
そして現在、オレとアカは宿で待機中だ。デトナとシグネは船や人員を用意するために出かけている。
「わかっておるのか? そなたのせいで大変なロスをしてしまったのじゃぞ」
膝の上に抱いた、アカの腹をむにむにしながらそう言った。アカはすでにサッカーボールどころか、バランスボールくらいの大きさになっていた。あいかわらず足は短く、メタボ体型は維持しているのだが。
「ぴ~」
アカは心地よさそうに鳴いた。どうも、オレが不平をもらしながら腹をつねっているのを、可愛がってもらっていると認識しているらしい。シロのように喋ってくれない分、コミュニケーションを取るのが難しい。
「ぴ……」
アカが扉を見つめた。デトナとシグネが帰ってきたようだ。廊下に魔力の反応がふたつある。この宿は俺達の貸し切りのため、他の泊り客という可能性はない。
だが予想外の事態がおきた。ドガッという音をたてて、扉が乱暴に蹴破られたのだ。すぐに毛むくじゃらの男二人が部屋に押し入ってくる。灰色の体毛にするどいキバ。狼男系の魔族のようだ。
「そなたら、部屋を間違えているようじゃぞ」
「いいや、間違えてないぜ。オレたちゃ、アンタに用があるんだ」
「ほう。わらわをパーティーにでも誘いに来たのかの」
「へへっ、パーティーか。そうさ、盛大な祭を起こしてやるんだ」
……これは、ひどく困ったことになった。オレはこの大陸での知名度はゼロに近い。となればこの狼男二人は、氷の魔王に敵対する者だろう。目的はオレを人質にすることか。景気づけに血祭りにするなら、娘のシグネのほうが効果的だろうし。
さてどうしよう。一応、逃げるというオプションもある。本調子には程遠いが、多少の魔法は使えるようになっている。すでに体重が40kgはあるアカを膝に乗せられるていどには。まどを突き破って通りに飛び降りれば、逃げきれるかもしれない。騒ぎを聞きつけて誰かが助けに来てくれる可能性もある。
ただ……。そうなるとアカは捨てていかざるをえない。こんな荷物を抱えていては、とても逃げきれないし、アカはあいかわらず歩くのが遅い。むしろヒヨコ状態の時が一番俊敏だったんじゃないかと思うほどだ。
見捨ててもアカが死ぬわけではないし、野生のフェニックスに戻ったとしても氷の魔王たちが苦労するだけだ。逃げるのが賢明な選択だろう。……まあ、こんなグダグダ考えている時点で、選べない選択ではあるんだけれど。我ながらチョロいとしか言いようが無いが、わずか数日いっしょにいただけで、アカに対する愛着がわいてしまったのだ。
オレが考えているうちに、狼男がベッドに近づいてきた。そしてアカを抱いているオレの腕をつかむ。その時──
(サワルナ……)
と、声が聞こえた気がした。しかし狼男たちに変わって様子はない。
「おい嬢ちゃん、立ちな。言うことを聞けば、命は取らねえからよ。へへ、まあしばらくはだg──」
(アタシ、ノ、ママニ、サワルナ……!)
部屋に炎の嵐が吹き荒れた。
狼男たちの毛が一瞬で燃え上がり、その体さえも焼け焦げてしまう。これは、オレが食らった炎の結界だ。範囲は狭いが、威力は前と変わらないように見える。
なぜオレがこんなにのんきに考えていられるかというと、炎がオレを傷つけていないからだった。といっても、アカが器用にオレを避けてくれているというわけではない。オレの服も一瞬で燃え尽きて、また真っ裸になっているのだ。オレも炎界の効果に入っている。
いつの間にか、火炎無効のアビリティを手に入れていたようだ。フェニックスの心臓を食べたせいなのか、アカとのパートナー契約のせいなのかは不明だが。そうしている間にも、狼男は再生して焼けて、再生して焼けてを繰り返している。
オレの時と同じく、すでに四肢がなくなっているから、脱出は無理だろうな。かわいそうだが、自業自得というものだろう。うん。そういえば、炎の中なのにまわりがよく見えるな? これもアカのくれた能力っぽい。
炎界は部屋の中だけだが、それから派生した火は、宿を焼き始めている。
ここ、魔王の一族御用達の高級宿だったんだけど、大丈夫かなあ……。
──それからさらに数秒たって、アカの炎界はおさまった。足元には狼男だったらしき灰だけが残っていた。オレは魔法で水を出して消火を試みたが、火が強すぎてあまり効果がなかった。
しかたない。オレはアカを抱いてその場から離れることにした。
まったく、貸し切りで良かった。従業員にも逃げ遅れた者はいないようだった。
人的被害がないことを確認したオレは、服をパクってから人混みの中に紛れ込んだ。
「そういえば、そなた、女の子じゃったのか。こんどダイエットでもするかの?」
オレは燃え上がる宿から目を逸らしながら、アカに話しかけた……。




