043 フィアの決意
閉じた空間に部屋に二人きり。相手はディニッサに母親を殺されたデトナ。
布団の上からマウントポジションを取られ、体を動かすこともできない。
わりと絶体絶命な状況だ。どうすればいい……!?
逃げるのは無理だ。この部屋には出口がない。
じゃあデトナを倒すか? どう考えても無理だ。この体は貧弱すぎるし、さっき走って疲れている。なによりデトナが魔法を使えるなら、勝負にすらならない。
となると交渉か。さいわい、まだ襲いかかってくるそぶりはない。なんとか説得してみるしかない。
「こうしていると、もしかしたらって思ったんですけど……」
オレが説得の言葉を考えていると、デトナがベッドからおりた。そして一歩下がる。なんだろう? その行動も発言も意図が読み取れない。
「そんなに警戒しないでくださいよ。傷つくなあ」
「……そなたはわらわを憎んでおるのじゃろ?」
オレを無視して、デトナは後ろを向いて部屋の調査をはじめた。氷の壁を叩いたり、カーペットをめくってみようとしたりしている。
「……仮にそうだとしても、共倒れになってもいいというほど強い気持ちじゃないみたいですね」
しばらくしてデトナがボソリとそう言った。後ろを向いているため、どんな顔をしているのかはわからない。
「わらわを殺したあとで逃げればよいじゃろ? 魔法を使えばなんとかなるはず」
「残念ながら使えませんよ。むしろ最初の魔法を維持するだけで、魔力をほとんど使い果たしてしまったくらいです」
ああ。部屋に入る前に使っていた魔法が消えなかっただけなのか。
命の危険が去ったのはいいが、同時に脱出する望みも無くなってしまった。
「あの、この部屋寒すぎませんか。ボク寒いの苦手なんですけど」
ひとしきり部屋を調べたデトナが戻ってきた。この部屋に来たばかりのオレと同じく、ブルブルと震えている。無理もない。暖かいルオフィキシラル領から来たオレたちは、半袖の薄着なのだから。
「わはは、そなたにも苦手なものがあったのじゃな」
「笑い事じゃないですよ」
まあたしかに。デトナが困っているさまは少し愉快だったが、ほうっておくわけにもいかないだろう。このままでは命を落とす危険性もある。
「こっちに来て布団に入るがよい。ぽかぽかで良い心地じゃぞ」
「な、なに言っているんですか!」
オレの提案に、デトナが目をむいた。
そんなに変なこと言ったか? もしかしたら、侍女とのスキンシップが多すぎて感覚がおかしくなっているんだろうか。
「しかしそんな所につったっていると凍死するぞ?」
「体を動かしていれば大丈夫ですよ」
そう言ってデトナは黙々と踊りはじめた。
* * * * *
「ディニッサ、大変だ!」
ふたたび牢獄に来た魔王は、転移してくるなりそう言った。
……きっとまた、たいしたことじゃないんだろう。
それより彼女が持っている物が気になった。
「それは服かの?」
「温度調節の魔法がかかったマントだ」
そう言って魔王は、オレとデトナに一枚づつマントを放り投げた。二枚持ってきたということは、デトナがここにいることを知っていたのか。
そのデトナはというと、長い時間踊っていたせいで死にそうになっていた。意地を張らずに布団に入れと言ったのに、頑としてきかなかったせいだ。魔法のマントを受け取ったデトナは、さすがにホッとした表情をしていた。
「それで、こんどはどうしたのじゃ?」
「フィアが召喚魔法を受け入れないのだ!」
なるほど、さすがはフィア。いい作戦だ。あと数時間でシグネの魔法が切れ、フィアは城に戻る。フィアに逃げられたら、オレを捕まえておく意味もない。オレたちも帰してもらえるだろう。
「もうあきらめて、わらわ達を帰さぬか? 領地の経営が一段落ついたら、あらためてフィアを連れて会いに来ると約束してもよい」
魔王は苛立たしげに机を指で叩いた。
「どこなりと好きな場所にいけばいい。そんなことよりも、むこうには誰がいるのだ? フィアの手紙では、ディニッサ以外に親しげな者はいなかったのに……」
「いや、どこなりとではなく、ちゃんと城に戻してもらわないと困るのじゃ」
「無理だ」
「なにが無理なんじゃ?」
「私の召喚魔法でいけるのは、この城の中だけだ。外から戻ることはできるが、他の場所に行くことはできない」
片道専用だと!? え、じゃあオレはどうやって帰ればいいんだ。
「も、もちろん、家に戻せる者もおるんじゃろうな? 何百人も魔族がいるんだから、一人もいないということはあるまい」
「いない。というより、好きな場所に移動可能な魔法など聞いたことがないな」
「……。」
なんてことだ、戦争開始まで間もないっていうのに!
これじゃあ、とんでもない時間をロスすることになってしまう。
「ねえディニッサ様、もしかしてフィアに見捨てられたんじゃないですか」
「え!?」
フィアがオレを見捨てた?
ただでさえ焦るオレに、さらにデトナがとんでもないことを言ってきた。
「だってフィアは、ディニッサ様が城に戻れないことを知ってるはずですよねえ。それなのに、自分だけ帰ろうとしているんでしょう」
そういうことになる、のか……? でもまさか。オレはともかくとして、フィアがディニッサを見捨てたりするだろうか。
「そのとおりだ。むこうにおまえ以上に大切な者がいるんだろう? いったい誰なのだ! フィアが手紙にも隠していた相手だ。早々に対応せねばならない」
フィアに大事な人……。いないよなあ、そんな奴。かなりの時間をオレといっしょにいるわけだし、他の人と仲良くするヒマはないだろう。せいぜい雪華隊と魔術師たちくらいか。けど、それらしき様子などなかった。
「思い当たる者はいないのじゃ。……そうじゃな。わらわが直接フィアから聞く。ここから出してフィアと会わせよ」
* * * * *
そうして数時間ぶりにフィアと再会できた。オレを見たフィアは、顔を輝かせて抱きついてきた。その姿からは、後ろめたさなどは微塵もうかがえない。やはりフィアがオレを見限ったというわけではなさそうだ。
「姫様、ごめんなさい。お母様とお姉様のせいで……」
「よい。フィアはなにも悪くないのじゃ。それより、先に帰るわけを教えてくれぬか?」
フィアはオレの体を離し、真剣な顔つきになった。
「ここから、姫様の城までは、すごく遠い。ふつうに旅すると、二ヶ月くらいかかる。そんなに長い時間、雪華隊をほっておけない」
「雪華隊? よくわからんが、フィアが欲しいならそれも持ってくればいい。だからフィアはこの城で大人しく待っているのだ」
「お母様、ぜんぜん、わかってない……!」
フィアと魔王が言い争いをはじめた。だがこっちはそれどころじゃない。
移動に二ヶ月って……。戦争に間に合わないじゃねえか!
クソ、なんてことしてくれる、これまでの頑張りが台無しだ。
──しかし悪態をついてばかりいてもしかたがない。これからどうすればいいかを考えなくては。オレは口論している二人を無視して手紙を書き始めた。
* * * * *
「フィア、必要になるであろう書類を用意したのじゃ」
「……姫様、無理。魔法に、弾かれる。持って帰れない」
ああ、そうなのか……。オレが書いた、みんなへの手紙や今後の作戦案は無駄になったらしい。
落胆するオレを横目に、フィアは書類に目を通しはじめた。
「大丈夫。ぜんぶ、覚える」
政策はともかくとして、各人への手紙はただ覚えても効果が薄い。が、ほかに方法もないし、やむをえないだろう。
「ならば頼むのじゃ」
「まかせて。姫様の国は、私が守る」
そう言うフィアからは、揺るぎない決意がうかがわれた。それを見て、フィアの思いのおおよそは察しがついた。オレはフィアに笑いかけて、彼女の言葉をひとつ訂正する。
「わらわの国ではなく、わらわ達の国、じゃろ」
フィアは顔をほころばせてうなずいた。それから書類の暗記にかかる。
オレはフィアの邪魔をしないように、魔王とデトナを連れて部屋から出た。
* * * * *
「勝手に話を終わらせおって」
「あれ以上話しても無駄じゃ。フィアは一度決めたことは曲げんよ」
魔王は顔をしかめて、応接室の中を歩きまわった。だいぶ苛ついているようだ。そのわりにフィアにはなにも言わなかったが。かなりのヘタレだ。
「雪華隊とはなんなんだ? どうしてフィアは帰ろうとする?」
「雪華隊は情報収集用の部隊じゃ。フィアはその雪華隊を統率する立場にある」
「あの娘は、なぜそんなものにこだわるのだ? 地位が欲しいのなら、私でもあげられるのに」
魔王にはフィアの気持ちがまるでわからないようだ。オレはどう説明すればいいか少し考えた。
「……フィアが手に入れたいのは、地位ではなかろう。すでにフィアは領地を持つ貴族なのじゃろ? 彼女は、自分で作り上げるなにかをこそ欲しているのじゃ」
「部下が欲しいのなら──」
「わからぬか。そなたが与える、安全で完璧な鳥カゴでは意味が無いのじゃ」
フィアの人生を思う。オレの勘ぐりとは逆に、フィアは家族に愛されて育った。それこそ、なにひとつしないでいいくらいに。だからこそフィアは、自分一人でも出来ることがあると証明したいのだろう。
「馬鹿げている。そのような理由で危険に飛び込むというのか。私はもう娘達を失いたくないのだ。平穏な世界で、欲しがるものをすべて与えて、幸せにしてやりたい。その私の考えが間違っているというのか!」
魔王が憤る。彼女の言葉からすると、フィアの姉は何人か──あるいは何十人かもしれない──亡くなっているようだ。それもおそらくは戦争で。彼女が魔王と呼ばれるまでに、凄惨な戦いがあったのだろう。
「そなたが間違っているとは言わぬ。親が子を案じるのはおおいに結構。……ただ一つ言わせてもらえば、平穏でなにもない世界が幸せであるとは限らんのじゃ」
ただ生きているだけで幸せ。そういう者もいるだろう。けれど、そうではない者も当然いる。それに、ただ漫然と暮らすには、魔族の寿命は長すぎる。
「フィアだけが特別なわけではないのじゃ。ほかの娘も多かれ少なかれ、やり場のない思いを抱えているのだと思うぞ」
「おまえに娘達のなにがわかるというのだ!」
「わからんよ。そう感じただけじゃ。……だって、あやつらのカッコおかしいじゃろ。そなたの娘達があれほどイカれた服装なのは、あまりに平穏で退屈すぎて自分を持て余しているからではないのか」
魔王だけがまともな服装で、ほかの娘たちがおかしいのは、つまりそういうことなのだろう。魔王は満たされているのだ。なぜなら彼女の望みは娘達の安全を守ることなのだから。そういう意味でこの場所は、娘達のための箱庭ではなく、魔王のための箱庭なのだ。
「……私もたしかにおかしいとは思っていた。だが、若い娘にはああいう服装が流行ってるのだろう」
「いやいや、さすがにアレはないじゃろ。あんなのを着て出歩いたら変質者と思われるぞ」
「たしかにアレはひどいですね」
魔王は考えこんだ。彼女にも思い当たるフシがあるのかもしれない。
そうして長い沈黙のあとで口を開く。
「……戦争になったとして勝算はあるのか?」
「ゲノレからの攻撃だけならまず勝てる。それだけの準備はしたつもりじゃ。問題は何カ国かが同時に攻めてきた場合じゃな。これはかなり厳しい」
「ダメではないか! フィアが危ない」
「……そなたのせいでよけい危なくなったのじゃが」
「こうしてはおれん。なんとしてもフィアを説得しなくては」
オレの皮肉を聞き流して、魔王は部屋を出ていった。
やっぱり、そう簡単に考えは変わらないらしい。まあ、こればっかりはしかたがない。どちらの意見が正しいというわけではないのだから。ルオフィキシラル領に戻るフィアは自由を得られる。だが、それで命を落とすこともありえるのだ……。
* * * * *
しばらくして魔王が部屋に戻ってきた。
「……暗記の邪魔だとフィアに怒られた」
魔王はしょんぼりしている。威厳もなにもあったものじゃないな。
「だから説得は無理だと言ったじゃろ。なあ、むしろフィアを助けてやったらどうじゃ? フィアの身が心配なら、魔族の100人も送ってくれ」
「できん。盟約によりこの大陸外への派兵は禁じられているのだ。いくらかわいい末娘のためとはいえ、ほかの娘たちすべてを危険にさらすわけにはいかん」
「……。」
……シグネの要求は突っぱねてもよかったのか。クソ、なにが「魔王を敵にまわすつもりか」だ。シグネの奴ハッタリかましやがって!
「わかった。ならばわらわが帰る手助けをせよ。わらわが早く帰れるほどフィアの負担が減るのじゃからな」
魔王は黙りこんだ。なにかほかの手がないか考えているのだろう。
だがなにも思いつかなかったらしい。悲しげに首を振った。
「……それしかないのか。私が手伝えるのはこの大陸内だけだが、港につくまでの安全は保証しよう」
* * * * *
それからフィアの部屋に戻って今後の方針を話し合った。そしてこのあとすぐに城をたつことにした。魔王は「一晩ゆっくりしていくように」と誘ってくれたが時間が惜しい。
「フィア、くれぐれも無理はするな。一番大事なのはそなたたちの命なのじゃ」
「うん。大丈夫」
フィアには、最悪の場合国を捨てて逃げていいと言ってある。信者や民に対する裏切りかもしれないが、優先順位というものがある。やはりフィアや侍女たちは特別なのだ。ディニッサにとっても、たぶんオレにとっても。
「なるべく急いで戻るつもりじゃ。それまで──」
最後まで言い切ることができなかった。フィアがかき消すようにいなくなってしまったのだ。どうやら思ったより長くここで過ごしてしまったらしい。
「行ってしまいましたね」
「……そうじゃな。わらわたちもすぐに出発しよう」
* * * * *
移動用に、雪狼が引く屋根付きの大きなソリを貸してもらった。今回の出来事の首謀者たるシグネが、外で御者をさせられている。
ソリは夜の雪原を猛スピードで進んでいく。このぶんなら、オレたちが寝てる間にかなりの距離をかせいでくれるはずだ。
オレはホッと一息ついた。
すると、おかしな感情が胸にわきあがってきた。
これでしばらく、フィアともユルテともファロンとも会えない。そう思うとさびしくてたまらなくなったのだ。気づくと、涙があふれて止まらなくなっている。
「で、デトナ」
オレは思わず、隣に座っていたデトナにすがりついていた。デトナは一瞬ビクリとして、それから動かなくなった。
「わ、わら、わらわは……」
涙で声が詰まってうまくしゃべることがなかった。そもそもなにを言いたいのか自分でもよくわからない。悲しい気持ちが次々にこみ上げてきて、うまく考えがまとまらない。
しばらくして、むせび泣くオレの背中をデトナがさすってくれた。おそるおそる壊れ物をあつかうような、おぼつかない手つきで。それでも嗚咽はとまらなかったけれど、すこしだけ安心できた。ますます強くデトナにしがみつく。
そのあとオレは、泣きながら眠った、らしい……。




