北の代官
ルオフィキシラル城から80km北に、鉱山都市テパエがある。
鉱夫が集まってできた街で、人口は4000ほどしかいない。
最初にコボルトの鉱夫たちが街を作り、ついで鉱山で取れる良質な金属目当てにドワーフの職人が移り住んだ。現在でもコボルトとドワーフ以外の種族は、ほとんど暮らしていない。
そんな小さな街の、とある酒場に20人ほどの人間──この世界ではドワーフやコボルトもそう呼ばれる──が集まっていた。まだ日が高いというのに、酒を飲んで騒いでいる。
「ネンズ様ぁ、昼間っから酒飲んでていいんスかね?」
若いコボルトが、隣りに座っている男に問いかけた。
「あぁ? 毒が出ちまったんだからしょうがねえだろうが。ブワーナンがなんとかするまでのんびりしようや」
ネンズと言われた男は、面倒くさそうに答えた。
その姿はコボルトと似ている。両者ともに、直立した犬のような外見だ。
ただ、大きさはだいぶ違う。コボルトは1mそこそこの身長しかないが、ネンズはその倍近い。さらにコボルトには、ごく短い尻尾があるだけだが、ネンズには爬虫類のような長い尻尾が生えていた。
「せっかく新しい鉱脈が見つかったというのに、残念じゃのう」
二人の正面に座るドワーフが軽くテーブルを叩く。
その顔には、いかにも無念そうな感情が浮かんでいた。
「まあ、楽しみはあとにとっとけや。今は英気を養う時間だ」
ネンズは、さらにビールをあおった。
空き瓶の山をかきわけて、さらにビールを杯に注いでいく。
「まあ、それならそれでもいいっスけどね……」
「なんだよ、言いたいことがあるなら、はっきり言えよ」
ネンズはジョッキを傾けながら、コボルトに問いかける。
コボルトは、上目遣いにネンズを見た。
「……二ヶ月後のこと、どう思います?」
コボルトの言葉に、陽気だった酒飲みたちが静かになる。
二ヶ月後。それは東の魔王の布告が、効力を失う期限だった。
期限が切れれば、ルオフィキシラル領は隣国に攻められるだろう。
いくら田舎だといっても、それくらいの情報は入ってくる。
コボルトとドワーフたちは、暗い表情を浮かべた。
戦争になれば、彼らも無縁ではいられないであろう。
だが、ネンズだけは動揺をみせない。
「布告が切れたら、そりゃ戦争になんだろ。まっ、心配はいらねえよ。おまえらコボルトは優秀な鉱夫だし、ドワーフは鍛冶にかかせねえ。よほどの阿呆じゃねえかぎり、お前たちがどうにかされることはねえよ」
ネンズの言葉を聞いても、男たちの気は晴れなかった。
もちろん彼らは、自分の身の安全を心配している。けれど同時に、ネンズがどうなるかも気になっているのだ。
コボルトやドワーフはただの平民だ。
抵抗しなければ、新しい支配者にも労働力として受け入れられる公算が高い。
しかしネンズは魔族だ。
しかも、この鉱山都市テパエを任された代官なのである。
「ワシらはいいとしても、親方はどうなるんじゃ?」
「そりゃ死ぬだろ。ここに敵がくるってことは、ルオフィキシラリアかクノ・ヴェニスロが落ちてるってことだ。そんだけの力を持ったヤツらを、俺ひとりで相手すんのは無理だろうぜ」
心配する男たちをよそに、ネンズはさばさばとした口調で言う。
「逃げるつもりはないんスか?」
「俺はトゥーヌル様に街を任されたんだぜ? 逃亡も降伏もありえねえ。……大丈夫だよ、ヤルときゃ街から離れたとこいくからよ。お前らに迷惑はかけねえ」
「ワシらの事より親方自身のことを考えてほしいものじゃ。……ワシらが頼めばそのまま代官になれんかのう」
「そりゃイヤだな。俺は自分が認めた相手にしか頭を下げたくねえよ。そんなんだったら死んだほうがましさ。ああ、なんでトゥーヌル様は、俺を代官なんぞにしたかねー。鉱夫の才能も鍛冶の才能もねえのにさあ」
ネンズのぼやきに、あちこちから笑い声がおこった。
「ネンズ様はコボルト起源のくせに、土系魔法も使えないッスからね」
「そうだよ。俺の魔法は戦場向きなんだ。……9年前、俺もいっしょに連れて行ってくれりゃあなあ。満足いく死に方ができたはずなのにな」
「しかし親方、ワシらは親方がこの街の代官になってくれて、感謝しているぞ」
「そうっスよ。俺らみんなネンズ様のことが大好きっスから!」
酒場にいる者たちが、口々に同意する。ネンズの人望を示すと同時に、それは彼を代官に選んだトゥーヌルの目の確かさも証明していた。
「かぁ~、気持ち悪いこと言ってんじゃねえよ。そんなセリフは娘っ子をちょろまかす時だけにしておけや」
「──親方」
その時、奥に座っているドワーフが三人の会話に入ってきた。
その眼差しはひどく真剣で、あたりの喧騒を静めるのに十分なものだった。
「親方、ディニッサ様に頼るというのはダメなのかのう」
「……ダメだろ。あのお姫様は外の世界に興味ねえよ。俺の命もおまえらの命もたくせねえ」
「しかし今は違うのかもしれませんぞ。都に住んでいるワシの親戚から手紙がきたのですじゃ。ディニッサ様が領民を守るためにフェンリルと戦い、これを手懐けたと」
ネンズが、その日はじめて真面目な顔になった。
「……本当か、それ?」
「ありえないっスよね。フェンリルを手懐けるなんて。ただ倒すだけでも大変なバケモノなのに。もしもこの街にフェンリルが来たら、街が滅ぶっショ」
「いや、俺が疑ったのはそっちじゃねえ。あの姫様はトゥーヌル様の娘で、東の魔王の孫だ。フェンリルをなんとかできてもおかしくはねえ。ただ──」
ネンズは、なにかを思い出すように目をつぶる。
「さっきは外の世界に興味がないって言ったけどな。俺が見た時の姫様は、自分のことにすらほとんど無関心だったんだぜ。民のためになんかするかね……?」
「誰かルオフィキシラリアに送りますかのう?」
ネンズは天井を見上げ、ドワーフの意見を検討する。
それから、バツの悪い表情を浮かべた。
「……いやぁ、税金パクってっからな、顔は出しづらいぜ」
酒場の人々は、顔を見合わせた。
たしかにネンズは、ディニッサに送るべき税を横領しているのだ。
税金は街に再投資しているだけで、彼が私腹を肥やしているわけではない。
とはいえ、そんなことはディニッサには関係ないし、ネンズがディニッサの正当な権利を侵しているのは間違いないのだ。どういう罰を受けるかわからない。
「姫様の使者がこの街に来たら、そん時あらためてどうするか考えようや」
ネンズはそう言って、ふたたび酒瓶に手を伸ばした……。




