言語と認識
ファロンを先頭にして、討伐隊が出発した。
彼らの戦いぶりを見られないのが残念だ。
……ただ、すこし気になることがあった。
兵士たちの表情がやけに暗かったのだ。ピリピリと張り詰めていて、これから重大な試練にでも挑むかのようだった。
そんなはずはないのだが。
ファロンは「狐がヘルハウンドに襲われた」と言っていた。
重要なのは、この点だ。
こちらの言語は、自動翻訳されてオレの耳に入る。つまり、本当はヘルハウンドとは言っておらず、翻訳された結果「ヘルハウンド」と聞こえたわけだ。
翻訳では、オレの知っている言葉の中で、もっとも近い単語が選択される。
ということは「ヘルハウンド」は、オレの持つイメージに近い姿形と能力のはずなのだ。
ヘルハウンド。黒い犬。火を吐く。ゲーム序盤のちょっと強い敵。
オレの認識はこうだ。だから強敵であるはずがないのだが……。
「あなたが来たせいでノラン様に何かあったら、承知しませんわ」
隣に立つ女に話しかけられ、思考が中断した。
彼女、クナーは、ノランと同じ三つ目だ。家族か親戚か、いずれにしろノランと近い間柄なのだろう。
クナーは、ノランと引き離されてひどく怒っていた。
イライラしすぎじゃないか、と思う。どうせ魔物退治なんてすぐに終わるのだから、ちょっと待っていればいいだけなのに。
「心配しすぎではないかの。ヘルハウンドていど、たいしたことないじゃろ」
「なにを言っていますの! ヘルハウンドなんてただの家来じゃありませんの。あの魔狼フェンリルと戦うには、一人でも多くの魔族が必要ですのに」
ヘルハウンドが標的じゃなかったのか!?
クナーの言葉に、一瞬で余裕が消え失せる。
失敗した……!
狐が魔物に襲われたという言葉だけで、単純に討伐相手がヘルハウンドだと決めつけてしまっていた。
敵がヘルハウンドだけとは限らないし、さらに言ってしまえば、ヘルハウンドが1匹だけとも限らなかったのに。完全に油断していた。
──そして恐ろしいことに、先ほどの推理が完全に裏返ることになる。
ヘルハウンドは、オレが弱いと思っているから弱い。では、フェンリルは?
最強クラスのモンスター。それがオレの、フェンリルに対する認識だ。
つまり「フェンリル」と言っているように聞こえる、こちらの世界の魔物も、とんでもない怪物である可能性が高い。
……それでも、自分の予想が外れていることを祈って、念のため聞いてみた。
「フェンリルって……。もしかして強いのかの?」
クナーは深い溜息をついた。オレの質問に心底呆れたらしい。
「いいですこと、お姫様。フェンリルは、本来なら10人は集めて戦いたいような相手ですのよ。おまけにヘルハウンドも何匹いるかわからない……!」
……事態はオレの想定よりはるかに深刻だったらしい。
クナーの苛立ちも、もっともなことだった。
フェンリル討伐に十分な魔族は10人。だがじっさいに向かったのは、武官3名とファロンのあわせて4人のみ。これでは勝利はおぼつかない。
ただ、オレが間抜けだったのは確かだが、ノランの指揮にも問題がある。
強敵を相手にするのに、貴重な魔族を監視に残すのは悪手だろう。いくらディニッサのことが嫌いだといっても、優先順位を間違えている。
「クナー、わらわたちもゆくぞ。討伐隊と合流するのじゃ」
「ダメですわ」
オレとクナーが加われば、魔族は6人になる。たった二人だが、単純な戦力量で考えると1,5倍だ。これは大きい。そう思い提案したのだが、すぐさまクナーに却下された。
「……わらわが足手まといだというなら、そなたたちだけでも行くがよい」
「ダメですわ」
オレが邪魔なのか、と再提案したが、またもや拒否された。
クナーが行けば勝率が上がるし、監視がなくなればオレも自由に動けたのに。
それにしても、どうしてクナーは賛同してくれないんだ?
ノランを心配して、同行したがっていたはずじゃないか。
「なぜじゃ? 戦力が足りないのであろ」
「ノラン様が、貴女を守れと仰ったからですわ」
え? それはオレを見張るためだろ?
混乱しているオレに、クナーが指を突き付けて言った。
「約束なさい。もしもノラン様が敗れて、ここにフェンリルがきたとしたら、貴女はまっすぐ城へ逃げると。時間かせぎくらいは、私がやって差し上げますわ」
オレを見つめるクナーの瞳には、偽りを感じない。
心からそうしようと思っているようだ。
……くそ、また失敗した。
ノランというのは、そういう男だったのか?
嫌っている相手を助けるなんて、なかなかできることじゃない。
まして今は、命に関わる状況のさなかだ。自分の生存率を下げてまで、無能な領主を守るなんて。
オレを連れて行かなかったのも、本気で身を案じていたのか。
そうとわかっていれば、説得のしようもあっただろうに……。
オレだけでも追いかけるか?
……ダメだ。クナーが許すはずがない。
ヘタすると戦闘になってしまう。誰よりもノランのもとに行きたいであろう彼女が、命令を守るために残っているのだから。
──こうしてオレは、不安と自責の念にさいなまれながら、長くその場で待たされることになったのだった。




