選んだ道
違う世界の、はじめて会った人々。
言葉にするとなんでもない。
だが、目の前で縋りつくような祈りの姿を見せられればどうだろう。
感極まったようにひれ伏す信者たちに、オレは動揺した。
──宗教の創始者というのは、たしかに偉大だ。
初めて、そう思った。
こんな息苦しくなるような想いを受け止め、人々を導けるのだから。
使命感か、支配欲か、それとも愛なのか。どれほど自己肥大させれば、こんなものが平気になるんだろう。
オレにはとても耐えられそうにない。
オレは部下すらいない、ただの平社員なんだ。
と、最前列に小さな女の子がもぐりこんできた。
エルフの子供で、ディニッサよりさらに幼いだろう。
ほかの者たちと違って、不安げな眼差しをオレに向けている。
女の子が口を開いた。しかし声にはならず、そのまま口をつぐんでしまう。
何か言いかけて、ためらい、やめるという動作を、女の子は何度も繰り返す。
オレは、ゆっくりと手を上げた。
それだけで、その場にいた全員が黙った。
騒々しかった空間が静寂に包まれ、みな彫像のように動きを止める。
「そなた、なにか言いたいことがあるようじゃな?」
オレはできるだけ優しく、女の子に問いかけた。
女の子は、かなりの時間ためらったあとで口を開いた。
「ディ、ディニッサ様の国は、なくなっちゃうんですか……?」
空気が動く音が、聞こえた気がした。
女の子は、不安そうな面持ちでオレを見つめている。
見ると、ほかの信徒たちの顔にも、憂いがあらわれていた。
官府のときのように、周囲の大人が女の子を諌めないのは、彼らもまた同じ恐れを心に秘めていたからだろう。戦争のことは、民にも周知の事実らしい。
彼らは身じろぎもせずに、オレを見つめている。
その場の空気が、圧力をもってオレを押しつぶすかのような錯覚を覚えた。
──いったいオレになにが言えるだろう?
明日にも、ここから逃げ出すかもしれないというのに。
「わらわは、そなたらの信仰心を嬉しく思う」
女の子を見ながら喋り始める。
これは彼女の望む答えではないだろうが、オレは意図的に話題をそらした。
けれども、そんなおためごかしの言葉でも嬉しいらしい。
女の子も含め、その場の人々に明るい雰囲気が漂う。
「ディニ──」
歓声あげかけた信者たちを、ふたたび手を上げて黙らせた。
「話したいことがあってきたのじゃ。この大聖堂で、一番偉い者を呼ぶがよい」
オレの言葉に、信者の列が左右にわかれていく。
それを待ちきれないというように、背の高いエルフが、人混みをかき分けながら近寄ってきた。オレの目の前で、ひざまずく。
「我が神ディニッサ様、私めが総大司教の地位につかせていただいている、リヴァナラフと申すものにございます」
* * * * *
さすがにあの群衆の前で話し合いはできないので、小部屋を用意してもらった。
中にいるのは、オレとユルテ、リヴァナラフの三人だけ。
総大司教などという仰々しい呼び名のわりに、リヴァナラフの服装はひどく質素だった。一般信徒の粗末な服と大差ない。名乗られなければ、この教会のトップとはわからなかっただろう。
「……いくつか聞きたいことがあるのじゃ。まず、ルオフィキシラル教の信者はどれほどいるのか。たとえばこの街には?」
「ルオフィキシラリアの人口は、一万五千人ほど。その8割程度が信徒であると考えられます」
「8割!」
「申し訳ありません。われらの力が及ばず……」
勘違いしたリヴァナラフが頭を下げているが、もちろんオレの驚きは信者比率の高さゆえだ。首都とはいえ、信じられない数値だ。
どうして引きこもっているだけのディニッサが、それほどに信仰されているんだろう。……それとも、引きこもっているのがいいのか? 粗が目立たないという意味で。
「よ、よい、せめてはおらぬ。では、村や小さな町ではどうじゃ?」
「九割以上がディニッサ様の信者かと」
すさまじいな。おそらく田舎では、信者じゃないと日々の生活に支障が生じるレベルだろう。だからまわりに合わせているだけの者も多いのだろうが、それにしても……。
ただ、それだけの信徒がいながら、教会が貧乏そうなのはなぜだ?
このクラスの宗教団体が、豊富な資金源を持っていない例など、オレは知らないんだが。
「この教団の活動資金は、どこから手に入れておるのじゃ?」
「教会で作っている生地や小物などの販売、教団員が耕した畑などからの収入、それから信者たちの寄進で間に合わせています」
領地も、商売に関する特権もなにもなさそうだ。先王の方針のせいか?
……ここまで聞いて、ユルテの「願いを聞いてもらうために信仰する」という意見が間違いであることがわかった。
たしかに最初は利益だけを求めていたのかもしれない。
けれど今は、まったくべつのものに変わってしまっている。
「それほど信者がいれば、情報も入ってくるじゃろう。占領されたゲノレの街の様子を聞かせてくれ」
「ゲノレの民は、圧政に苦しんでおります。税は重く、また、たびたび賦役を申し付けられているようです」
「そうか……」
占領軍がせめて善政をおこなってくれていればな……。
まだ自分に言い訳ができたんだが。
──たとえば逃げ出したとして、オレは平然と暮らしていけるだろうか。
この国の人々に、悲嘆と絶望を味合わせるとわかっていて。
無理だ。オレはそこまで図太くなれない。
知らなければどうってことなかったが、知ってしまった以上、彼らのことを思わずにはいられない。
どう考えても愚かだし、間違っている。
けれど──
ディニッサのかわりに、こいつらの理想を演じてみよう。
少なくとも、二ヶ月後の戦争が片付くまでは。
これは慈悲じゃない。自分が後で嫌な思いをしないための、利己的行為だ。
けれど、それで救われる者がいるのなら、悪いことでもないだろう。
……ま、サイアク失敗したら、謝って逃げるけどな!




