陽菜
白井陽菜は、自分が灰色の空間に浮かんでいることに気づいた。
薄暗い世界が、前後左右上下まで、果てしなく続いているように見える。
無彩色なだけでなく、音も匂いもない。耳が痛くなるような静寂。
陽菜は我知らず、自分の体を抱きしめていた。
なんだか得体のしれない恐怖を感じたのだ。
「ようやく目を覚ましたか。安心したのじゃ」
ふいに、幼い女の子の声が、無音の世界を切り裂いた。
陽菜の後ろから聞こえたその声には、安堵の響きが込められていた。
陽菜はあわてて振り向いた。そして息を呑む。
そこには、輝くように美しい少女がいた。胸元まで伸びる真っ直ぐな銀髪、白い肌。女の子の金色の瞳が、愉快げに陽菜を見つめていた。
「わらわが誰か、わかるかの?」
陽菜には、その少女に見覚えがあった。まえに見た夢に出てきたのだ。
その時は今と違いもっとおぼろげな姿だったが、なぜだかすぐに同じ少女だとわかった。
「……ディニッサ?」
「うむ。記憶はたしかなようじゃな。では現状の説明をしようか」
「はは、現状ってなにそれ。ホント変な夢」
自分が夢をみているのだとわかって、陽菜はすっかり安心した。
さっきまで怯えていたのがバカバカしく思える。しかし陽菜の言葉を聞いたディニッサは口を歪めた。
「ここは夢の世界であるかもしれぬが、わらわはそなたが見ている夢ではない。」
「なに、言ってるの」
なんで自分は夢の中で必死に会話しているんだろう、そう笑い飛ばしたかった。
だが、笑いきれないものが陽菜の心にあった。
(アレは夢、ただの夢。そうだ、そうに違いないのに、どうして──)
「そなたはわらわと契約したはずじゃ。お互いの体をとりかえようと」
「ウソ、だってアレは夢──」
「わらわの言葉が真実か否かはすぐわかる。まずは聞け。わらわが魂を入れ替える魔法をかけた時、そなたは抵抗した。結果、事故が起き、そなたの代わりに、そなたの兄と入れ替わってしまったのじゃ」
「そんなこと……」
「で、じゃ。陽菜よ、兄の姿を思い浮かべよ。そなたたちの絆を触媒に、そなたの兄と意識をつなげる魔法をかける」
「い、いきなりそんなこと言われても、よくわかんないよ」
「兄の声でも姿でも、思い浮かべるだけでよい。いそげ、もう時間がないのじゃ」
「……。」
理解も納得もしていなかったが、とにかく陽菜は兄のことを考えてみた。
そうしなければ、取り返しのつかない事がおきてしまいそうな予感がしたのだ。
「ほう。思ったより強力じゃな。本来、家族とはそういうものなのかの……」
なぜかディニッサは、少し寂しげ顔をしていた。
──急に灰色の世界に光が差し込んだ。壁も天井も黄金の光を放っている。
裸の女性二人がどこからかあらわれた。金髪碧眼の美女が、ディニッサと同じ姿の少女の髪を洗っている。
「え、ディニッサが二人?」
「中身はそなたの兄じゃがな。もう一人の羽根が生えている方は、わらわの侍女のユルテじゃ」
「お兄ちゃん? ウソでしょ」
「ふん、ウソウソと、そればかりじゃな。わらわはいままで、一度たりとも嘘などついたことはないぞ」
ディニッサがうんざりしたように肩をすくめた。
が、陽菜にとってはそれどこれではない。
「お兄ちゃん! お兄ちゃん! 私の声、聞こえないの!?」
「ふむ。お互いの声は届かず、か。ヤツには謝りたかったのだがやむをえまいな」
陽菜は必死に兄への呼びかけを続けた。
……しかし、それが通じることはなかった。
「もう時間切れじゃ」
ディニッサがそう宣言すると、陽菜の意識は闇に飲まれた。
* * * * *
再び目覚めると、そこは陽菜と兄が暮らしている、いつものワンルームマンションだった。陽菜の布団の上に、兄が倒れこんでいる。
きっと、うなされている自分の看病でもしてくれていたのだろう。
陽菜はホッと胸をなでおろした。
「お兄ちゃん、起きてよ。重いよ」
陽菜は、笑いながら兄の体をゆらした。
「今度は、そなたの方が先に目覚めたようじゃな」
陽菜の笑顔が凍りついた。
「お、お兄ちゃん、変なこと言わないでよ」
「もうわかっておるのじゃろ? いいかげんに認めるがよい。わらわは魔王トゥーヌルが娘、ディニッサ・ロニドゥ・ルオフィキシラルじゃ」




