初日終了
オレがいる領地は、二ヶ月後には、四方から攻められるらしい。
だが諦めるのは早い。各地の情報を集めれば、突破口が見つかるはずだ。
「各街の人口、それを支える周辺の村・町の人口総計。それと各勢力の軍事力が知りたい。概算で良いのじゃ」
「人口? なにを言っているんです、姫様。そんなことわかりませんよ」
「……。この街にはどれくらいの人が住んでいるのじゃ?」
「かなり大勢だと思いますけれど。それがどうかいたしましたか」
「すぐ動かせる直属の兵士は何人おるんじゃ?」
「あまりいないと思いますけれど。それがどうかいたしましたか」
「……。」
「……?」
絶句したオレを、ユルテが不思議そうに見つめていた。
すげえ、基本的な情報すら手に入らねえ。
「姫様?」
……いや、オレが間違っていたかもしれない。
ただの侍女がなんでも知っているわけがない。むしろ周辺の情勢を教えてくれただけでも、ありがたいと思うべきだろう。
引きこもり姫にベッタリのユルテが、外の世界に詳しいわけ無いものな。
詳しい情報は、専門の文官や武官に聞こう。
「ちなみに、9年の間『わらわ』はなにをしていたんじゃ。同盟工作とか、富国強兵策とかやっておったのかの。それに、税を収めぬ代官どもにはどういう対応をしたのじゃ?」
「なにも」
「な、に、も?」
「ええ。正確に言うなら、お昼寝したり、城内のお散歩したり、お絵かきしたりなさっていらっしゃいましたよ。代官の件もとくに気にしていませんでしたね」
「……。」
「さあ姫様、寝室につきましたよ。まだなにかお聞きになりますか」
「……。」
お姫様抱っこから開放された。
オレは、無言で豪華な天蓋付きベッドにダイブした。
そのまま手足をバタバタさせる。
ホント、いい加減にしろよ! こんなんなら9年まえに交代してくれよ。
ゲームオーバー寸前のデータを引き継げって言われても困るんですけどっ。
「姫様」
少し怒った声色でユルテに声をかけられた。
……ストレスを発散して少し冷静になった。
ベッドでジタバタはさすがに無作法だった。いい年した大人が恥ずかしい。
よく考えれば、だ。このお姫様は10歳か12歳か、そのくらいの歳だ。
領地を継いだのが、せいぜい多く見積もっても3歳というところ。
そんな子供が父親を戦争でなくしたあと、何ができるっていうんだ?
この子を責めるのはお門違いだ。悪いのは周囲の大人だろう。
ユルテたちも甘やかすばっかりみたいだしな。短く華奢な自分の腕を見ながら、そう思った。
「姫様、寝るのなら歯磨きが終わってからにしてください」
「あれ、ベッドで暴れたのを怒ったんじゃないのかの」
「え、怒る要素ありますか? とても可愛らしかったので、歯磨きの後で心ゆくまでパタパタしてかまいませんよ」
そう言いながら、オレを抱え上げる。
この人、本当にダメな人だな……。
可愛いからなんでもアリじゃいかんでしょ。ちゃんとしつけしようよ。
オレは部屋のすみにある洗面所に運ばれた。
鏡と、排水口がついた化粧台が置いてある。もちろん蛇口はない。
鏡に映る銀髪の美少女をみていると、あらためて変な気分になる。
魂入れ替えとか……。明日目が覚めたら、夢だったってことにならないかな。
「はい姫様、あ~ん、してくださいね」
ボーッとしてるオレに、ユルテの声がかかる。
そして例のごとく、歯磨きも自分ではやれないらしい。
「あ~」
言われた通り口を開けると、歯を磨かれた。
布で。
布か。そうか布なのか。
そういや、歯ブラシが普及したのって、けっこう最近だもんなあ。
よし。歯ブラシはなんとかして作ろう。
「ひゃぁ」
「姫様、どうしました?」
「くひゅぐっしゃい」
「ふふ、なに言ってるかわかりませんよ」
「にゃぁっ」
変な声が出た。
口の中を他人の指でいじくり回された経験のある人は、どれだけいるのだろう。
歯医者さんだって、治療器具をつかうわけであって……。
つまり、これはなんか、すごいな!
くすぐったいし、おかしな背徳感まであるぜ。
「ほら姫様、ちゃんと、あ~んてしないとダメですよ。あ~ん」
「あ~」
たぶん高級品を使っているからだろうが、布もえらく薄くて、直接指で触られている気分になる。うん、これはアカンやつだ。こんなんやってたら、変態になりそうだぞ。
* * * * *
かなりの時間をかけて念入りにもてあそばれた。ユルテは、オレのくすぐったいってセリフ、わかっていながらとぼけていたに違いない。
「じゃあ姫様、がらがら、ぺってしてくださいね。うがいした水は飲んじゃダメですからね?」
「なあ、いまのわらわはアレなんじゃから、子供にするような注意は必要ないと思うのじゃが」
「私がそうしたいんです。だから我慢してくださいね」
「そうか、それならそれでもよいがの……」
うがいを繰り返して歯磨きを終了した。
魔法で作られた水なので、すぐに口がかわくのが変なカンジだった。
「それで、どうします?」
「ん。今日はもう寝る。疲れたのじゃ」
「そうですか。かしこまりました」
ユルテはベッドまでオレを運んだ。
そして、そのまま一緒に布団に入る。
「……添い寝?」
「もちろんです」
「なかなか寝付けなくなりそうだな」
「ふふ。しょうがない人ですね。なら──」
空気が変わった気がする。
かすかにユルテからラベンダーの香りが漂ってきた。
そしてユルテに抱き寄せられた。二人の体を白い翼が包む。柔らかく温かい。
これは本当の羽布団だな。
ラベンダーの香りと暖かな羽に包まれて、すぐに睡魔がおそってきた。
やっぱり疲れてもいるんだろう。今日はいろいろなことがありすぎた。
チラリとユルテを見ると、慈愛に満ちた表情で見守ってくれている。
オレは子供の頃にもどったような、満ち足りた気持ちで眠りに落ちた。
* * * * *
そして──
「お兄ちゃん! お兄ちゃん!」
夢のなかで、陽菜の呼び声を聞いた気がした。




