摩訶不思議な時代に生まれし鬼と悪鬼
京・大阪の町では薬物による被害が後を絶たず、死人が続出した。
死雲斎の工場を水攻めにしたからそう簡単に動けないはずの死雲斎が下手人とも思えない京史朗は、真っ白な髪に変貌した摩訶衛門の事を思い出していた。
そして、京史朗の手下の侠客。
卍の銀を摩訶が殺す。
「奴が下手人だと? この銀次はあの男とも仲が良かった……」
夜――。
現れる死雲斎。
しかし、様子がおかしい。
その闇の奥には、本物の悪鬼が居た。
人の道を完全に外れた、外道を這い寄る悪鬼が――。
「死油を使えばこんな奴は目をつぶっていても殺せるね。僕の強さを見て思うだろう? 京史朗?」
死雲斎は生首になる。
「死油だと? それにあれだけ強い死雲斎を殺したとなると、まさか死雲斎の開発してた新薬か?」
「死油は筋力増強に痛覚麻痺。魔油とは別物の強力な麻薬さ。その成分を受け入れられない死体をこの一月で多く見ただろう?」
その眼球を食う。
「まずいねぇ。それに女が女を殺していたとは……ふざけた話さ」
「……死雲斎の妹は雪絵だ。知ってたか?」
「はははははぁ……」
赤い満月の真下にいる京史朗と摩訶衛門は話す。
「雪絵を殺した犯人は、赤い包帯をしていたようだ。これはお前に僕が怪我の治療をした時に包帯が足りないから替えの物として使った物。お前が殺したのか京史朗?」
「あぁ、悪は斬る。女子供だろうがな」
「雪絵は知らなかったはずだ。こんな風になる事など知らなかったはず。全ては死雲斎の罪のはずだよ」
「知る、知らないじゃえねぇ。これだけの被害が京・大阪の街に出ちまってるんだ。百人以上死んでる事件でわかりません、知りませんは通じねーよ。ここ最近の事件はお前の仕業だな摩訶衛門」
「人の身体で薬は試さねばならん……混沌とした幕末と呼ばれるこの時代だからこそ、価値のある医療を模索しなくてはならない。摩訶不思議な事は医療では起こらないんだからな」
「少し、自分の力を過信し過ぎたな摩訶衛門。お前さんは、何でも自分でやろうとし過ぎなんだよ」
「お前に言われる筋合いは無い。仏の息子の鬼奉行」
その言葉は、京史朗にとって禁句だった。
「裏社会にのめり込んだら、誰であろうがしょっぴくと言ったはずだ。幸村摩訶衛門。お縄にかかってもらうぜ」
「君は鬼だ。鬼は人を殺すから鬼なのだろう?」
摩訶不思議、摩訶不思議と笑う魔物は更に言う。
「この魔油は薩摩の人間が製造しているようだよ。僕の死油の方が効果は上だけどね」
真っ白い髪に変化した摩訶衛門は、死雲斎を超える悪鬼と化した。
すでにもう、この男を救うには殺害という形でしか叶わないという事を京史朗は悟っていた。
あまりにも人の道を自らの思いで外れてしまっているこの男の人生は、友である自分が終わらせるしかないと確信した。
「楽しもう! 命を燃やし尽くそう! これから面白くなるぞ! すでに狼煙は上がっている!」
「……」
「どうした京史朗? 君が好きな戦いの日々の始まりだよ? もっと笑え、もっと興奮しろ……君が望んだ世界はもう否応無くやって来るんだよ!? 摩訶不思議!摩訶不思議!」
死雲斎という宿敵を始末した後、何をするのか?
それを京史朗は聞いた。
「この大地は人の絶望で出来ている。そしてその絶望は球体として完成した。だからこそ終わる……終わるべきなんだよ……」
「何をわけのわからんことを言ってやがる……」
「そうそう、死雲斎は薩摩藩に匿われていたようだよ。だから、簡単に探せなかった。藩邸は治外法権だからねぇ」
「……となると、薩摩藩は幕府に仇を為すって事か。となると、長州の暗躍も本当のようだな」
花火が上がる。
「祇園祭り……何てやってる場合なのかな? 摩訶不思議、摩訶不思議」
「どんな時でも、人の心が躍る出来事は必要だぜ?」
「もう起きてるだろう? 幕末という、この日本が変革する祭りの序章がね」
「それを死油で行うのか? そのくだらねぇ動物殺しの祭りを?」
「死油は動物などではなく、人間の血を使ったのさ。それも人間の血を生み出す心臓の血をね。だからこれからは僕は闇医者として治療しつつ、相手を人体実験に使うのさ」
「捕縛し、拷問して今までの罪を吐いて懺悔しろ。もう俺はお前を許せん」
「そんな幕府の役人の意見は聞きたくない。君は僕の愛おしい人を結果的に殺した……それだけだよ」
「そうだな。その通りだ」
煙管を吹かす京史朗は鬼の目で言う。
「知っていたはずだぜ? 俺は俺の正義で動く。幕府に仇を為す奴は誰であろうと、始末する」
「君の気に入った者以外……はね」
「あの女は俺の目では更生は不可能だ。復讐や幕府に対する憎しみで動いていた奴ならまだどうにかなる可能性はある。だが、自分の欲望で動いて数多の利益を得た人間だけはどうにもならん。自分の理想を叶えた人間は変わる事は無い」
「この世の全ての存在は雪絵の美しさには叶わないんだよ。君は椿を斬れるのかい?」
「椿であっても斬る。徳川が終わろうが何だろうが、最後の一人になっても俺は俺の道を行く」
「……」
「それが清濁合わせて節義を貫く生き様よ」
「自分の意思を殺し、徳川の正義をかざし、奉行である自分に酔っているだけだよ。そして何も成せず死ぬ。君の本質はただの道化さ鬼瓦京史朗」
赤い月を見上げた。
自分が闇に染まっている人間は、月が赤く見えるらしい。
奇しくも、この二人の男には満月が真っ赤な血が滴るような血の赤に見えた。
「赤い月、赤い眼、そして赤く、赤い血達磨にして君を殺してあげるよ……」
「……」
「大きく動き出すよ……徳川幕府の世が終わる幕末がね……」
その瞬間、突風が吹いた。
京史朗は刃を一閃させるが、そこにもう摩訶衛門は存在しなかった。
「これが時代の風かよ摩訶衛門……」
そして、時は更に激動の渦へと巻き込まれて行った。