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黒須商会〈前編〉

「伏見奉行所奉行・鬼瓦京史朗である! 御用改めである! 神妙にしやがれ!」


 伏見奉行である捕り物姿の鬼瓦京史朗は名乗り、その朱鞘から放たれる二尺三寸の名刀・鏡花水月きょうかすいげつを一閃する。すると、豪商の蔵に盗みに入った盗賊達はざわざわ……と殺気立つ。

 同時に奉行所の役人が長棒を持ち盗賊達の逃げ道を塞ぐように散った。

 鋭い三日月に照らされる京史朗の刀の峰が、肩に乗せられた。すると、この修羅場を笑うように口元を歪める鬼は言う。


「……悪い事はよ。見つからねぇようにやる事だ。それが出来ねーんなら、堂々とやんな。……それが清濁合わせて、節義を貫く生き様よ」


 そして伏見奉行所と盗賊の戦いが始まる。




 熱く沸騰する鍋のような戦場は白熱している。奉行所の役人の長棒が炸裂すれば、それを掻い潜り逃走しようという盗賊の一進一退の攻防が繰り広げられる。

 一瞬にして京史朗は峰打ちで三人の盗賊を気絶させ、役人が縄で捕縛する。


「囲め! 囲め! なるたけ殺すなよ! 殺すなら一撃で殺せ!血だまりが出来ると後が困るから考えて動けよ!」


『おう!』


 そしてそのまま一気に形勢は伏見奉行所の優勢になり、盗賊達はお縄にかかる。

 しかし、たまたま起きてきてしまったこの豪商の息子が、盗賊の一人に捕まった。


「動くな奉行。動けばこの子供を殺す」


 奉行所の役人は盗賊を見据えたまま黙る。

 しかし、冷たい目を妖しく輝かせ煙管さえ吹かす鬼は他人事のように言った。


「裏金作りをしてる豪商の息子だ。殺したきゃ殺せよ。そいつが死んだ後にお前が死ぬだけだ。……三下」


「……」


 盗賊は戸惑い、周囲の空気に呑まれ、冷や汗が止まらない。目の前の鬼に完全に呑み込まれていた。


「うっううう……わぁぁぁっ!」


 子供の首筋に突き付けられる刃が動く前に、伏見奉行と一つの影が動く。


「君という男は役人のくせに面白い事を言う。摩訶不思議、摩訶不思議」


 盗賊の額に京史朗の煙管が激突すると同時に男の首が飛んだ。そして袈裟に斬られてもいた盗賊は絶命し、倒れる。そして、そこに現れた白と黒の縦縞の羽織を着る優男は血に染まる刃を振り、微笑む。


「煙管を投げてから一足飛びで間合いを詰め、袈裟に斬る。流石は伏見の鬼奉行」


「俺達にすら気配を感じさせずこの場に現れて盗賊の背後から首を落とす、医者のお前の方が鬼とも言えるぜ摩訶衛門」


 笑い合う二人はお縄にかかり、連行される盗賊達を見送りながら話す。


「京史朗。お勤め代は貰っていくよ」


「おう、それはこの豪商の裏金。無くなっても問題のねー悪の金だ」


「それを僕が正義の医師として使う。正に清諾合わせているね」


「へっ、悪は鬼に見つからねぇようにやる事だ」


 医者である友人・摩訶衛門の援護も有りその夜は一人の怪我人も無く終わった。この豪商も裏金の件で奉行所の調べを受ける事になる。これは京都を混沌に陥れる悪鬼になり、宿敵となった幸村摩訶衛門との再会より三カ月前の出来事である。





 京都・四条。

 鬼京屋という茶屋の看板を見て、立ち止まる。そこには看板娘らしき桜色の着物の美女がせっせと日向に咲き誇る向日葵のような笑顔を見せて接客していた。ゆっくりと京史朗はその桜色の着物を着た女に背後から迫る。


「きゃ!」


 驚く女を気にせず京史朗はいつものように尻を触る。


「おう、椿。今日もいい天気だな」


「もうっ! 京史朗さんが来る時は晴れの日ばかりでしょ! 気配を消してお尻を触るのはやめてくださいね!」


「怒るな、怒るな。いつもの熱い茶を頼むぜ。お前の尻と熱い茶を飲まんと、伏見奉行の肝っ玉も縮んじまうからな」


 そして椿は満更でも無い顔で熱い茶を汲みに行く。茶屋の入口の床几に座り流れる雲を眺める。まるで時代そのものが自分を飛び越えて流れて行っているような錯覚を覚え、へっ……と鼻で笑う。徳川の時代は終わらせねぇという覚悟があるこの男は、町を歩く群衆を見つめ気持ちを高ぶらせた。


「……ん?」


 そんな京史朗の耳たぶに、何かが触れた。

 優しい向日葵のような色香を漂わせ、椿が茶を持って戻って来る。


「特別に熱いお茶です。


「毎度、毎度人の耳たぶで熱さを消すなよ椿?」


「なら毎度、毎度いきなり私のお尻をこっそりと触らないで下さい。悪い事は……何でしたっけ?」


「じゃあ堂々と触るぜ。覚悟しやがれ」


 と、そんなやり取りをしている二人は夫婦のようだがそうでは無い。その二人はいつものやり取りを終え、床几に座りながら話す。


「……この京都も物騒になったな。道行く人間の中に町人の姿をしながら血生臭い野郎も混じってやがる。幕府に仇なす者が急速に増えつつある」


「確かに事件は増えましたね。夜は物騒で外もあまり歩く人間は減りましたし、たまに日中でも事件が起きます。世の中が沸騰して来てるのかもしれません」


「黒船来航以来、やっと混乱が治まって来たと思いきや裏では暗躍してる奴が多くて困るぜ。このまま行くと、表でも堂々と悪をなす奴等がのさばる町になっちまうよ」


「でも、京史朗さんがどうにかするのですよね?」


「当たり前よ」


 と言いつつ、尻を触るので椿が反応しようとすると、京史朗は真面目な顔で見つめていた。その京史朗に椿は息が止まる。


「ん? 椿……動くな」


「……」


 京史朗は椿の頭にあるかんざしに触れる。

 かつて京史朗が黒船来航時に脱藩して向かった江戸で買った朱色のかんざしだった。


「かんざしに欠けか……そのかんざしは黒船来航時に買ったもんだからな。壊れもするだろ。俺のやった違うのをするのもいいが……」


 京史朗は熱い茶を渋い顔で飲み干し、その熱さに耐えるように口元を笑わせ言った。


「丁度いい。明日にでも買いに行くか」


 そして、椿と共に大阪で開かれている舶来品市場へ行く事になった。




 伏見奉行所奉行・鬼瓦京史朗は大阪の港まで朱色の着流しの町人姿で出向き、異国からの舶来品を売る市場に来ていた。黒船の来航以降、日本国内でも外国からの舶来品が出回りすぎ、町人が少しずつではあるが西洋文化を受け入れ出している。

 それを伏見奉行所は椿との買い物の最中に探索していた。妻に見える女を同伴してれば怪しまれずに商人達に近付けるというのもあった。


「どうだ椿。この舶来品市は? 結構賑わってるだろう?」


「そうですね。日本の物と外国の物が色々と置いてあって凄いです。でも、かんざしを買うならここに来る必要も無かったのでは?」


「まぁ、たまには色々と違う物を見るのも一興だろ。いきなり茶屋に異人が来るかも知れんから異人を見て、どんな顔となりをしてるのかも観察するのもいいんじゃねぇか?」


 二人は市場を歩く。

 そして様々な異国の品を見物し、触れる。

 活発に動く椿に翻弄されながらもかんざしを売っている商店の前に立つ。

 この店は必要以上に声をかけて商売熱心な他の店と違い、初老の男は猫と戯れながら店に来て購入する者だけを相手にしているようだ。薄汚れた布の上に品物を乗せているのも人が多く寄り付かない証拠だろう。


「……」


 しかし、よく見ると品物自体は良い物だとわかる。

 その品揃えを見て、中々の物を揃えてるなと感心した。


「爺さん。中々の物を揃えてるな。この煙管は戦国時代の初期に鬼京雅の作った初期型の煙管だ。それもやけに綺麗に現存してる」


「……」


 京史朗はこの老人は中々のくわせ者だと思った。

 そして近くで品物を物色してる西洋人が着ているスーツというものを着て、総髪のまげの部分を切りザンギリ頭の日本人の男に話しかける。

 京史朗が見ていた黒い煙管を買おうとしているのであった。


「お前さん、目が肥えてるね?」


「これでも商人ですから」


 そして、椿に新しいかんざしを買ってやり、市場を歩き出す。

 すると、椿の茶屋にたまに来る若い女が現れた。

 女の話は長くなると思い、少ししたら戻ると告げて京史朗は市場を単独で歩き出した。

 すると、人は多く集まってはいないが質の高い商品を扱っているらしく、やや値段の高めな一つの貿易商に行き当たる。


「賑わってるねぇ。どうだい? 何か良い品が手に入ったか?」


「先程かんざしを買っていた浪人さん。まぁ、ぼちぼちですよ」


「隠すなよ。その懐の奥にある懐中時計は良い品なんだろ?」


 話を変えるように男は言う。


「私は黒須です。ただの暇人ですよ。夫人はどうしました?」


「女の話は長いから俺だけでぶらぶらしてるのさ」


「にしても異人が数人いるだけで変な景色だな」


「あれは幕府が雇っている通訳というやつさ。商人達とは関係が無い」


「そうかい。この光景がいつか当たり前になるのかねぇ?」


「そう、この国は変わるという事さ」


 黒須という男は自嘲気味に笑い、群衆に消えた。

 すると、入れ替わるように白と黒の縦縞の着物を着た優男が現れる。


「何かわかったかい京史朗?」


「摩訶衛門……お前、島原へ診察に行ってたんじゃねーのか?」


「行く前にこの市場で島原の雪絵に何か勝っていこうと思ってね。ビー玉というのを買ったよ。綺麗……だろ?」


「奉行所の手伝いで得た金は島原だけに流れてるも思いきや、異国にも流れてるとはな。あんまり買い過ぎるなよ。異国を肥えさせても仕方あるめぇ」


「あまり異国を毛嫌いするなよ京史朗。いつまでも幕府は鎖国をしてるわけにはいかない。多少なりもとも異国を受け入れ、共存共栄しなければならない時代だよ」


「そんなもんは、徳川の世には無いんだよ」


 通り過ぎる頭巾を被る男に何か言葉を交わし、京史朗はそこを後にし椿と合流する。





 深夜――。

 京史朗は舶来品市場をしている大阪の港に来ていた。夜は外国の商船も何もしていないらしく、港は静かである。おそらく幕府が夜の活動を禁止しているのであろう。

 妖しげな雲がかかるやや膨らんだ三日月の真下――そこに人がいた。

 いや、飛んでいた。

 京史朗が何気なく空を見上げた時にはその人物はすでに商船の甲板から跳躍していたのである。


(何だ? 異様な跳躍力で船から飛び降りて来やがった?)


 京史朗は黒地に赤い雲が描かれる着物の人物に見入る。束ねられる髪は腰まであり、黒い傘で顔ははっきり見えない。しかしその瞳は遠くからでも赤く……赤く輝いているのがわかる。常人ならば高さ的に骨が折れてもおかしく無い高さからの落下で、息を呑み見守るが何故かその人物ならば平然と着地するだろうと直感した。


(あの出で立ちに異様な雰囲気……最近、京都を中心に暗躍してる死雲斎しうんさいか? なら問い詰めて捕縛する必要がある。先制して――ぐっ!?)


 突如一陣の突風が吹き、京史朗が目を開くとそこに死雲斎らしき人物は存在しなかった。


「……運がいいな死雲斎。雲の衣装だけに運がいい野郎だ」


 この時間のここにはもう用は無いと踵を返し立ち去ろうとすると、少し先の物陰に衣擦れの音がした。そこに死雲斎の鼓動を感じた。


(死雲斎は消えて無かったか……こっちの場所的に明かりは無いから気付くはずはねぇと思ったが、やっぱり本物の人斬りの嗅覚は違うか……)


 刀の鯉口を切り、少ししゃがむ。

 転がっていた石を投げ、一気に駆けた。

 白刃を抜き隠れていた人物は京史朗の居た場所に殺到する。

 しかし、京史朗はその人物の背後に迫る。


「動くな死雲斎。おかしな動きをしたら斬るぜ」


 背後から首筋に突き付けられる刃さえ気にならないのか、その人物は首だけを動かしながら言う。


「僕が死雲斎とは、摩訶不思議、摩訶不思議」


「……お前、摩訶衛門? 何でこんな所にいやがる?」


 そこに居たのは死雲斎ではなく友人でたまに奉行所の手伝いもする医者・幸村摩訶衛門だった。


「驚いたかい? 京史朗? 僕も島原で流行る阿片などが気になって、この舶来品市場で何やら怪しい麻薬などを取引きしてるんじゃないかと思ってね。僕の仕事を増やさないように人誅を加えてあげようと思ったのさ」


「阿保が。危うく斬る所だったぜ。お前は死雲斎には出会わなかったのか?」


「後ろ姿だけは見たけどね。風が吹いて見失ったのさ。どうやら当ては外れたけどね」


「お互いにな。どうやら昼間だな。死雲斎はおそらく陽が昇ってる内にこの市場に現れ商船を巡ってるんだろ。悪は昼間になされてやがる。面白くなってきたぜ」


 そして京史朗は悪鬼のように笑いつつ煙管を吸い、その紫煙を宙に吐き出した。


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