アブノーマル|前奏曲
学生生活最大のイベントは、もうすぐ始まります
訂正 前話で書かれた生徒名簿にて、「粉河中学校」が「瀬名河中学校」と誤記されておりました。申し訳ありません。
車窓から見る、鉄色ばかりの景色が、物凄い速度で流れていく。俺こと桜庭空は東京旅行どころか、新幹線に乗車するのも人生初体験である。修学旅行という学校最大のイベントともあり、はしゃいではいないが、心の中では、目一杯騒ぎたい衝動に駆られていた。
今朝は、起床する時間が予定していたよりも20分、遅刻してしまった。布団から這い出して時計を見た瞬間、流れ作業とはいかない――それでも素晴らしい速度で準備を進めた。転びながら制服をまとい、準備済みのデイバッグを背負った。忘れ物が存在しない事を祈る。
台所のダイニングテーブルにはベーコンと卵とマヨネーズの和えが挟んだサンドイッチが用意されていた。座って食べる訳にもいかない。ともさく先に便所で用を足し、歯を磨き、(この時点でハブラシとコップ、歯磨き剤を忘れている事に気付いた)顔を洗い(洗顔も忘れている)、サンドイッチを手に持って学校まで疾走した。
途中でサンドイッチが喉でつっかえて苦労した。
「おぉい空。お前いつまで景色見てんだ?」
「別に良いだろ? 車内で他にやることでもあるってのか?」
空の隣席、吉川隼汰が、黄昏る俺を茶化した。そういえば最近気付いたのだが、粉河中学の2年1組には、関西弁を使う生徒が少ない。担任の琴岡のお陰で毎日見に入っているわけだが、愛知県から引っ越して和歌山へ移り住んだ俺は、今も想像との相違を感じている。例外もいるが、矢張り馴染みは薄い。
「つか、お前もう菓子食ってんのかよ!?」
「センセーは新幹線内では食っても良いって、言ってたぞ」
「今気付いたけど、お前そのナイロン袋の中全部菓子か?」
隼汰が持つ袋は、地元の食料品店のナイロン袋で、店内では最も大きいサイズの袋だ。
「……? そうだけど何か?」
こいつが菓子類に限定した大食漢であることを思い出した。隙あらば他人の菓子を狙う男だ。
ところが、一定以上の交友関係を築けば――
「空、これ食うか?」
この通り、人に分け与えるという、初歩的な団結を見せるのだ。俺もこいつに宿題を見せてあげたりもしているが、それは大層な新保なのだ。ただし異性には分け隔てなく菓子をあげるのだが。
「葉月ぃ、お前も食べるか?」
通路を挟んで――俺の隣席、葉月紗矢香がこちらを向く。相変わらず学校が関連する場では髪を結んである。端正な容姿。
「ポテチ? ごめんなさい、塩味のお菓子はちょっと……」
相手に不快な思いをさせない考慮を施した、低調な断り方。
「ねえ2人共、東京に着いたら、まずどこに行きたい?」
「俺は、そうだな、適当に街を歩くのが目的なんだけど……六本木行きてえな」
「隼汰が……」
「六本木……」
俺と紗矢香、同じ想像を働かせていたらしい。隼汰が、俺たちが馴染みのない派手な服を着ている姿を想像している。
吹き出した。
「お前ら! 何で笑うんだよ!?」
「まあ……その、何となく面白かったから」
紗矢香も小さく何度も頷く。口元は可愛らしく歪ませている。
「……んだと空お前! じゃあお前はどこなわけ?」
「どこって、そりゃ有名な観光地とか行きたいだけだけど」
十数分程会話していたのだろうか? はたまた、僅か数分かも知れない。時間を忘れている。
眠っていたのか? 頭が回転しているような錯覚を覚える。痛みすらも感じる。新幹線が速度を変えずに走行している事は、ほんの僅かな揺れから理解できる。
隣では隼汰が、口を無様に開いたまま寝ている。足を行儀悪く開き、手は俺の席へ侵入している。しかも、床に垂れた右手にはチョコボールの箱が握られている。中身が、床で無造作に転がっている。
左を見ると、紗矢香も目を瞑っている。同じ人間の睡眠でも、姿は全く違うものなのだなと承知する。口は緩く閉じ、どことなく猫の様な寝顔。いつまでも鑑賞していたくなる愛らしい表情を惜しみつつ、自分を蔑んで顔を背ける。
偶然向けた視界に映った同級生明日加奈子も、目を閉じ、安らかな表情で睡眠している。まるで死んでいるように、見えた。本当に死んでいたりして――なんて、そんなはずがない。振る舞われた安い豚カツ弁当に、遅効性で人を安らかに死なせる毒が入っていれば別だが。
その隣、加奈子とは縁の深い干川冬美も、同じ様な表情で眠っている。
そろそろ、違和感を感じ始める。前列席の背もたれを掴み、立ち上がろうとする。思うように、体に力が伝わらない。麻痺が全身に、徐々にまわるような感覚。
辛くも立ち上がる。足取りも覚束ない。
後列を見る。どの同級生も眠っている。ぐっすりと……。
違和感は想起に変化する。
俺以外が、意図的に眠っていた。否、俺自身も先程まで眠っていたのだ。
まさか、漫画でよる見掛けられる睡眠作用を及ぼすガスを喰らうことになるとは。
多分ハロタンだ。暇潰しにウェブで調べた事がある。投与できるのは医者だけ興奮神経を抑制される。……いや、もしかしたら、それを何らかの改良を加えた代物だったりして。全世界でも最先端の技術を保有する日本だ。
じわじわと、身体が睡魔に浸蝕される感覚。
……テロに嵌ったか?
まったく、悲しい人生だ。
想い人に告白することも出来ず。
大人になるまでに、テロリストの人質にでもなるのだろうか?
新幹線は既に、目標の駅へと到着し、他の生徒達――合計3クラスの生徒達がホームをわらわらと進み、騒がしい外へと繰り出す最中だった。何人かが「一組がいない」と違和感を感じるのだろう。しかしそれも極一部で、大抵は浮かれていて気付かない。
俺にとって人生最大のイベントが、今、幕を開こうとしていた。
目が覚めたそこは、真っ白で綺麗な――教室だった。馴染み深い粉河中学校の古びた教室ではない。
白いシミ一つ無い壁。傷一つ無い机。その机の、新しい合板の板に、俺は突っ伏していた。
間抜けな第一声を上げ、身体を起こし、自分のまわりに、見慣れた同級生が――いつもの席順で座っていることを視認する。勿論俺も、廊下側から5列目の、黒板側から5番目に着席している。
何度か、力を込めずに揺すると、紗矢香は目を眩しそうに開ける。小さく吐息を漏らし、俺の顔を見る。変に照れ臭く感じてしまった。
「空君……?」
顔を上げた瞬間、紗矢香は目の表情を変える。何せ、あの開放的な新幹線が、どの中学校でもありそうな教室に変貌している。理由としては十分過ぎる。
「何……ここ……?」
わからない、と答えようとした刹那、背後で〈ガタッ〉という固い物音が響いた。隼汰が、間抜けな寝起き面を露見している。能天気な事に、伸びをしている。
俺は呆れる。隼汰の頭頂部に手刀打ちを喰らわせる。それで覚醒したか、隼汰の目が見開かれ、これまた間抜けな悲鳴を上げる。
「空てめえ……! 寝起き早々に攻撃って、どんな神経してんだ!」
「アホかお前。……俺達が、今、どこにいるか、自分で見ろ」
隼汰が完全に覚醒したのは言うまでも無いだろう。
取り敢えず全員を起こそうと左右を見回すと、廊下側から一列目の一番目に座る――ガッチリとした体格の生徒が、のそりと動いた。
目が開いているのを確認したわけではないが、首の動きで睡眠から目覚めたと考える。
猪立山健太。クラス内、校内でもかなり孤立している生徒だ。あきらかに早熟な容姿だ。決して老けているという意味ではない。時々その姿が多数の映画で主演を飾る、今の日本を代表するイケメン俳優に重なるのだ。全身が中学生離れした程良い筋肉もそれに加担する。
声を掛けようとした。――が、突然、ノイズが走る。耳をつんざく不快な音が、黒板の上に設置されたスピーカーから弾けた。思わず耳を掌で塞ぐ。この音は、机に突っ伏していた同級生全員の睡眠を吹き飛ばす。
十数秒続いた不快音が徐々に小さくなる。消える。
『全員、起きましたか?』
男声の音源はスピーカーではなかった。教室のどこからかはさっぱりわからなかったが、同級生が声に反応して目を覚ました。戸惑いと疑問の混合した表情。
『あ、いや、驚かせてしまって申し訳ない。まあ、ご静粛に』
教卓の辺りから聞こえる。透明人間でもいるのか? 違う。機会を通された声だ。
教卓の前に、前触れもなく、高級スーツを着こなした、中世的な顔立ちの若い男が出現した。前列の生徒が驚きのあまり、ひっくり返る。男の台詞は、出現した以後に言うべき台詞だ。
『お初にお目にかかります。私、疑似戦争委員会副会長、小早川虎雄と申します。小さいの「小」、早いの「早」、3本の線の川、それで虎雄です』
この男――小早川は説明すべき箇所を誤っている。名前を説明しなければ「虎」なのか「寅」なのか、はたまた別の漢字なのかさっぱりだ。無論どうでも構わないが。
周りの生徒も、疑問げな目で小早川を見詰める。
小早川の身体は半透明とまではいかないが、背後の黒板が透けて見える。
今では学校の課外授業でも多用されるようになった立体映像だ。俺らの学校では未開拓であるが、それを介して授業を行えば、ギャランディーはおおよそ削減されるだろう。
『紀の川市立粉河中学校の皆様へご通達いたします』
――――――――――――――――――――――――あなたがたには只今より、戦争をして頂きます―――――――――――――――――――――――
「…………」
誰一人、意味を理解していないだろう。理解されてたまるか。『戦争』、それのたった2字、平仮名で4文字が、執拗に、耳にまとわりつく。中学生が――大人でも子供でもない、世間で小さい大人と書いて小人と通称する事もある世代の俺達が戦争? 冗談じゃない。
恐らく全員が同義を考えているだろう。
何言ってんのこの男?
頭逝っちゃってんじゃないの?
疑似戦争って、何だそりゃ。
戦争とか、マジでウケるんだけど!
『意味を理解して頂けけいない様ですね。そのままの意味です。戦争をするそれだけです。取り敢えず、ご覧ください』
小早川の立体映像が消失した。入れ替わりに、黒板が発光し始める。
銀色の枠らしき長方形が浮かび、続いて3Dアニメの様な映像が浮かぶ。平行して小早川の機械声も続く。
『今現在、皆様がいるのは、この島です』
見るからに、人工島だと理解出来る。真上から映される島の全貌は、角が確認出来ない、完全な円形である。
『アイランド01、我々、疑似戦争委員会が造った、人工島です。現在地は、島より5㎞に位置します』
なるほど。赤い点が、島から離れた場所で点滅している。
映像が途切れた。
深緑の黒板に、粉チョークのそれとは全く異質な、明朝体の規則正しい文字の板書が、一文字一文字丁寧に発生する。
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現在世界の地域では、食糧難、宗教論、領土争いなど、様々な理由から戦争が行われている。
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Q.何故? A.戦争の心理を日本人は忘れた。
だから、知る必要が我々にはある。 ⇒思春期の人間が、最も多くの情報を入手可能
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| 疑似戦争‼ |
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その漠然とした板書から、俺は何とか情報を搾る。
『つまり、最も多感な年齢である中学2年生――あなたがたに戦ってもらいます』
誰も、何も言わない。当然だ。大の大人が、現実離れも甚だしい台詞を吐きやがった。頭が狂っていると考えられてもおかしくない。
「意味わかんねえ事言ってんじゃねえよ!」
男子18番、矢口広瀬が雄叫ぶ。年齢に合致しない低い声で、立体映像に向かって吐く。
『矢口君、それはどういう意味かな?』
「そもそも戦うって何だ? 誰と? どこの誰と戦えってんだ。……あぁ!?」
人を馬鹿に見せる声のせいで現実味が出ないが、確かに尤もだ。現役自衛隊員と戦えと言うなら別だが(護るための部隊が攻めてくるのか?)、その対戦相手とやらがいないのだ。
『……ああ、申し訳ない。まだお互いの紹介をしていなかったな』
板書が消失された。次に映されたのは――
俺たちがいる教室と、全く同じ教室に、大勢の人間――中学生が、席に着いている映像。――が、2枚。
『既に彼らには説明を終えている。左が、鹿児島県立加持前中学校。
そして右が、東京都立富藤中学校です』
ようやく理解出来た。遅すぎるだろう。
逃げ場は最初から存在しない。
圧倒的な壁を用意されている。
『これでいいかな、矢口君?』
広瀬は行き詰った表情で黒板を睨み付ける。怨みすら彷彿とさせる。
『あくまで確認です。戦争で使用されるのは本物の銃。ドイツのH&K社に協力して頂きました故』
――――――――――――――――――――――――――――――それでは、戦争を始めましょう―――――――――――――――――――――――――――――
まだ戦争が始まりませんが、ご了承を。
私、宮木大豆は現在中学3年生であり、受験勉強に励む年齢であります。
故、次話投稿は不定期となります