酔っ払い×武器
酔いに任せての執筆&投稿
人を傷付けるはずの武器が何故にこんなに美しいのだろう?
私達は生命の尊さを知っている。そして、社会の中で保護され、そのルールの中で生かされている事を知っている。
武器は何者かを傷付ける為の道具、現実世界では人を傷付ける為の道具である。それは=反社会的とも言える存在だろう。
であるにも拘らず、武器は美しい。機能を追求し、余分な贅肉を排除したようなナイフは、アサルトライフルは、戦闘機は美しい。
日本刀は、ソウドオフショットガンは、ビチャハウバグナウは美しい。
友人がパレスチナ自治区に行った時、隣にいたアメリカ人カメラマンの頭にイスラエル軍の放った催涙弾が直撃し、脳みそが露出するほどのダメージを受けたという。
秋葉原に車で突入した男は、ナイフ店で購入したダガーを振るって、沢山の人を殺傷した。
アメリカではコロンバイン以降、学生の銃乱射事件は後を絶たない。
こんなにも悲劇を生み続ける武器は、なぜこんなにも美しいのだろう?
小粒の宝石はその価値が故に美しく感じるが、真夏に輝く車輪に磨かれたレールは私にとって無価値だが美しい。それと同じく、本来鉄の筒であるはずの水平二連ショットガンをみて、渋い!と言ってしまう自分はどうだ?
儀礼用の華美な剣は華やかだが美しくはない、逆に土を被った石器時代の鏃や、錆び付いた古代の直剣などに美しさを感じる。
それは、内在する武器や道具としての価値をも加味して鑑賞しているからだろう。
室町時代の日本刀、古代中国を制圧したモンゴルのコンポジットボウ、アメリカ開拓時代のボウイナイフ、ネイティブアメリカンのトマホークなど、ある時代の頂点を極めた武器はとても美しい。
だが、実際は何人もの血を吸ってきた凶器でもある。
それを美しいと賞賛しつつ暴力反対とのたまう自分は、とても矛盾していて恥ずかしい。
だが、恥ずかしながら武器が好きなのである。
そして書き上げてからの入浴。