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となりの魔王  作者: ナチ
9/25

番外/魔王とハロウィン

時系列無視のイベントものです。本編では夏の季節がまだ少し続きます。

「余にひれ伏し糧を捧げよ。さもなくば死すら凌ぐ絶望を与える」


 突如として重低音が襲いかかり、私の時間は停止した。

 あたりは暗く、時は夜半。庭先から物音がしたので、はて野良猫かはたまたかさこじぞうの恩返しかと様子を見るべく扉を開けた瞬間の出来事である。

 世は広しといえども、こうした重々しい物言いの知り合いは一人しかいない。一人いれば充分だ。

「余にひれ伏し糧を捧げよ。さもなくば死すら凌ぐ絶望を与える」

 なかなか操作に踏み切らない客に案内を繰り返すATMのように、魔王は一語一句違わぬ文言を放った。いや別に私がしばらく反応できなかったのは聞こえなかったせいではなく。

「な、なにごとですか」

 そして何なんだいきなり。

 半ば参謀として取り込まれた身である。今更隷属せよと詰め寄られる何者もない気がするのだが、これ以上なにをお望みだというのか。また醤油でも切れたか。

 ドアノブを掴んだまま頭上を窺うと闇夜に浮かぶ白い面が静かに答えた。

「魔が跳梁跋扈する収穫祭とやらの慣例に従ったまで」

 私は脱力とともに納得した。今日は西洋のお祭り、ハロウィン。

 日本に持ち込まれてから日が浅いこともあってか我が家では存在感がどうにも弱く、行事として根付いているとは言い難い。毎年、メディアや店の飾りから提供されるハロウィン的な雰囲気を味わうところで止まっている。クリスマスのようにケーキを買ってツリーを飾ればよいというものではないし、イベントとして楽しみ方が正直よくわからない。祖母に至ってはかぼちゃの祭典か何かだと思っている。そういえば食卓にかぼちゃの煮物があった。瀬野家的には、ハロウィン、すでに完了であります。

「ハロウィンなんてよく知ってましたね」

「サエグサの老いぼれから聞き及んだ」

 回覧板を届けに行った先で、三枝さんがカボチャをくりぬいて並べていたそうである。気が若くイベント好きな三枝さんのやりそうなことだ。そこで魔王はハロウィンの概要を学んだらしい。お菓子をねだるお約束とともに。

 いくら私がハロウィンに思い入れの薄い人種であっても、トリックオアトリートくらい心得ている。第一声がそれならば、闇討ちもどきの行為にもおののくことはなかっただろう。が、あの言葉を投げかけられて、なるほどハロウィンってわけね! と膝を叩く察しの良い人間はそういるものではない。

 一瞬、ついに魔王が己の職務に目覚めたのかと思った。

「本来は扮装をするものと聞いたが、余には必要ないと」

「あー確かに」

 魔王は今ひとつ理解していないようだったが、私は心からの同意を込めて頷いた。

 着替える必要など何一つない、素の状態で優勝だ。いくら我々素人が趣向をこらし、本格的なメイクや衣装で吸血鬼やら魔女やら仮装の出来を競ったとしても、魔王の完成度には敵うまい。さすが本物は風格が違う。デフォルメされた愛らしいジャックオーランタンなど黙って道を譲りそう。

 やがて魔王は暗闇から一歩踏み出し、扉の内側へとその身を滑り込ませた。そしておもむろに、私に向かってまっすぐ手のひらを突き出してくる。その振る舞いが余りにも堂々と、ご主人様然としていたので「お手」を促しているようにしか見えず、ホイッと反射で手をのせてしまった。さすがにワンの鳴き声は封じたのでセーフだと思いたい。

 一瞬の沈黙ののち、魔王は実に丁寧に私の手をそっと取り払った。私は私で、手を置いた瞬間に、あ、これ違うなと悟っていたので、そっと取り払われるのに従った。

 仕切り直すようにして再び空いた手のひらが差し出される。

「糧を捧ぐより絶望を望むか」

 魔王はハロウィンの一環でやってきたのである。伸ばされたそれがお手ではなくお菓子を要求しているのだと、私は遅ればせながら気がついた。 

 トリックオアトリート、お菓子くれなきゃいたずらするぞ!

 シーツでも被った子供のお化けならば脅し文句さえも微笑ましいが、魔王となるといたずらというより報復といった凄みが伴う。集落に火の手が上がり逃げ惑う村人たちの図が私の脳内に挿しこまれた(※画像はイメージです)

「余にひれ伏し糧を捧げよ。さもなくば」

「わかったわかったわかりましたからそれ」

 気安く死すら凌ぐ絶望など寄与されたくはない。魔王を玄関に放置し私はトリートに値するものを探しに戻った。とはいえ、母が買い出しに出たのは数日前、すでに甘味や菓子の類は粗方食べ尽くされてしまい、めぼしいものがない。まさか食べかけの柿の種をくれてやるわけにもいかず、ややしばらく台所や居間の戸棚を漁って回ることとなった。


「これで勘弁してください」

 手に乗せられた三粒のこんぶ飴に対して、魔王は明らかに落胆の色を見せた。

「サエグサはチョコレート菓子の詰め合わせを余に奉納した」

「よそはよそ、うちはうちです」

 魔王は手振りで空に四角を描き、もらった菓子の大きさを示している。非難か。待遇の差を責めているのか。

 私だって申し訳ないとは思っているが、ハロウィンのハの字も頭になかったのだから仕方ない。ケチってるんじゃなく本当にそれしか何もなかったんだと訴えると、魔王は渋々といった風情でこんぶ飴を懐におさめた。

「此度はこれで手を打つ。だが次の機会には支度を怠らぬよう」

「はっ」

 来年は一反木綿みたいな巨大のしいかでも用意して迎え撃ってやろうではないか。打倒三枝家。


 そのまま踵を返して去っていくかと思えば、魔王は我が物顔で玄関で仁王立ちをしたままだった。用が済んだはずなのに帰ろうとせず、黙したまま射るような視線を私に投げかけてくる。普段から魔王は口よりも目で語りかけてくる節があるのだが、表情豊かとは言えない為に何を語っているものか時々まったくわからない。言葉が変化球を通り越してボークな分、せめて目は口ほどに物を言って欲しい。

 こちらを強く刺してくる灰色とも銀ともつかない切れ長の眼を、私も負けじとじっと見た。

 もしかして、こんぶ飴がまだ欲しいのだろうか。しかしあれは祖母のおやつから失敬してきたもので、これ以上お年寄りのお茶請けに手を出すのは気が引ける。

 困ったなと思っていると、それを否定するように魔の色を縁取る睫毛が羽ばたいた。

「早くせぬか」

「は?」

「そなたからの呪術を待ってやっているというのに何を呆けて」

 魔王が言うには、このハロウィンのやりとりは単なるお遊びではなく魔除けの呪術であるらしい。生贄を要求し相手がそれに応えることによって魔に魅入られる隙を閉じる、というのが魔王によるトリックオアトリートの独自解釈である。そういえばハロウィンの仮装は悪魔を払う為との説もあるようだし、理にかなっているのかも知れない。 

 しかし魔除けを熱心に勧めているのがほかならぬ魔王。

 蚊取り線香を蚊自身が宣伝しているような違和感が漂うものの、魔やら呪に関しては遥かに私達人間よりもエキスパートであろう魔王が言うならばこれほどの説得力もない。ご利益(?)がありそうである。

「えっとじゃあ、トリックオアトリート」

 促されるまま私はそう声に出し、更にはお菓子のために手を出した。が、魔王は眉をしかめるばかりで何も与えようとしない。

「そのような形ばかりの文言に言霊は宿ると思うか」

 地を這う声が私の困惑を払い落とした。安っぽい照明に照らされても白い肌を飾る生々しい傷の威厳は少しも損なわれない。

「そなた自身で語るがいい。借り物の言葉では意味をなさぬ」

「私自身って」

「余が申したであろう。あのように己の言葉を用いて恐れを生み、呪いに力を与える」

「お、恐れ?」

 いかにもと相槌を打ち、魔王は語った。


 曰く、恫喝の言葉を連ねよ。

 曰く、恐怖という名の腸を引きずり出せ。

 曰く、対峙する者を抉るほどの畏怖を。


 ハロウィンってそんな凄惨な祭りでしたっけ?


「そなたに吐ける限りの悪しき言霊で余を脅かしてみせよ」

 そう言われても、相手は親の仇でもなければ変質者でもなく存在がちょっと禍々しいご近所の人だ。悪意を抱いていない対象を罵倒するなんて生まれてこのかた経験がない。抵抗感を覚えるのは当然だろう。しかし若干腰の引けている私の様子などお構いなしに魔王はさあさあと詰め寄ってくる。

 ええい、言えばいいんだろう言えば!


「美味なるものを寄越せ。でないと、貴様の家だけ回覧板飛ばすぞ」


 魔王が一歩後退した。

「なんと惨たらしいことを申す娘か……」

「ちょっ! なんなんですか言わせといて! その被害者ヅラ!!」

 散々煽っておいていざとなったら引くってどういうことなんだ。こちらの努力も少しは汲んで欲しいものである。しかしこの程度にとどめておいて良かった。回覧板ごときでこの反応なら「根こそぎ羽根むしるぞ」などと口走った日には、何こそ言われるかわかったものではない。 

「カオリ、ひ弱な小娘にしては存外の威力である。認めてやろう」 

「なんかよくわかりませんがありがとうございます」

「確認するが、回覧板は」

「ちゃんと回しますって! 飛ばしませんって!」

 ふむ、とどこか安心したように頷いた魔王は私の鼻先に爪を当てた。

「呪術を完成させた暁にはこれより先一年、病の憂いは断たれるであろう」

 冬至のゆず湯と効能がかぶっている。

「では受け取るがいい」

 魔王の懐から差し出されたのは、少し縦長の形状のもの。黒い上等そうな布にくるまれて中身はわからない。キャンディか何かをもらい受けるつもりだった私の手のひらは、思わぬ重みに戸惑った。どう見てもこんぶ飴とは釣り合いがとれなさそうな高級感に目を奪われている内に、玄関から魔王の姿は消えていた。しん、と秋の夜にふさわしい静寂と入れ替わる。

 包みを開いてみると、中にはいつかの冷麦5束が入っていた。

 トリックオアトリート。

 ほんの一瞬、私は回覧板を飛ばすことを本気で検討した。






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