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となりの魔王  作者: ナチ
22/25

札遊びの巻

 茶を出される前に、卓の上にカードが並べられた。

 首をかしげるより早く、低い声が問いかける。


「知っておるか」


 私は一瞥して答えた。


「知ってます」


 向かいに腰かけている魔王は、ほお、という顔で私を見下ろした。


「ならば話は早い」


 口の端を挑発的に持ち上げた魔王は、ゆったりとした動きでカードに手を伸ばした。


「カオリ、勝負と参るぞ」

 


 今すぐに屋敷に来い、と自宅の電話で呼び出されたのがつい先ほど。用件を伝えてきたと思えば、こちらのイエスもノーもお構いなく一方的に通話は切れた。人の神聖な日曜日を一体なんだと思っているのか。

 とはいえ魔王に抗うほどの根性も反骨心も、なにより寂しいことに予定というものも一切なかった為、私はのこのこと言われるがままに出向いたのだった。

 そして有無も言わせず卓上に並べられたカードに出迎えられたというわけである。

 重々しく知っているかとにじり寄られるような、特殊なカードではない。

 誰もが一度は手にする、馴染み深い玩具。

 ただのトランプだ。

 恐らく、いや間違いなく、私は魔王のトランプのお相手を務める為に招かれたのである。友達か。


 魔王は長い爪に苦労しながらも、わざわざ並べた(なんの意味があったのかは不明)カードを律儀に山に戻している。


「魔王さんトランプできるんですか」

「無論」


 きっぱりと答えた魔王は、整えたカードの束を片手に携え、見せつけるような尊大な所作で、シャッフルを始めた。

 だがしかし、切った一回目で、グシャアと手から崩れ落ちた。


「あっ」


 景気よく散らばったカードを一瞥する魔王の顔色は変わらない。

 ただ動きは止まった。目の色に無言の圧力をこめて「拾え」と私に命じている。

 仕方なく落ちたカードを拾い集めて渡すと、何事もなかったような面持ちで、魔王は再びカードを切り始めた。

 グシャア。

 まったく切れない。

 むしろ先ほどよりも派手に、そして無残に散らばった。


「私が……やりましょうか……」


 落ち葉のように撒かれたカードを拾い集めつつ、私がそう告げると、魔王は持っていた束を卓へ静かに戻した。


「これは下賤の者の仕事だ」


 百人が百人聞いても負け惜しみに違いなかった。


「ところで何をやるんですか」


 託されたカードを手早く切りながら魔王を見た。遊びによって、配る枚数が変わってくる。ポーカーか七ならべか。魔王は一言。


「姥捨て」

「は?」

「姥捨てだ」

「なにを言い出すんですか。むごい」


 脳裏によぎった祖母を庇うように思わず噛みつく。非道な魔王の活動の一環であっても、軽々しく身内を捨てられてはたまったものではない。

 魔王は私を心底馬鹿にしたような、冷えた眼差しを寄越した。


「何を申しておる。尋ねたのはそなたではないか」


 私は一瞬「あ?」と怪訝な顔を作ったが、次の瞬間には閃きが取って代わった。


「あ、ババ抜きか」

「愚にもつかぬ。どちらでも同じこと」

「いや全然印象が違…」


 違わなくもないか……。

 自身に冷静さが舞い降りた。

 どちらにしろ、老婦人を容赦なく間引くのである。

 むしろ婆呼ばわりのババ抜きの方が、口汚さ一歩リードといったところか。

 そうこうしている内に手札を全て配り終えた。

 参加人数二名によるババ抜き。

 あまり向いている遊戯とは言えない。自分の手札にババが紛れ込んでいなければ、相手の手札ということになる。

 配られた大量のカードを整理して、残ったのは七枚。その内、ババと呼ばれるジョーカーの姿はない。

 つまり、魔王が持っているのは自明の理だ。

 魔王はジャンケンが弱いので、あっさり勝利を手にした私から先攻となった。


「ところで勝負というからには、何か賭けるんですか?」


 我が家でたまに行われる花札には必ず何かを賭ける。とはいっても、マーブルチョコとか飴とか、その時ポケットに入っていたようなささやかなものだ。

 懐は痛まないが、リスクが一切ないというのも、張り合いがない。

 ちらりと目で窺うと、魔王は険しくも唸った。


「命のやり取りをこのような場で」

「初っ端からレートを上げないでください」


 遊戯に毛が生えたような賭け事の話であって、生と死の重さを知りたいわけではなかった。


「そういう唯一無二とかではなく、もっと生きる上で支障のないものを」

「ほう」


 魔王は思案するように一度目を閉じ、すぐに見開いたかと思えば、ゆっくりと指を向けた。その先にはファクシミリが一台――ではなく、隣に置かれていた細長の箱。


「ならばあれを」

「FAXの……インクリボン……?」


 私が不可解な声を出すと、魔王は涼しい顔で答えた。


「精根尽き果てたと喚き散らしていたゆえ、代わりの魂を入れてやろうと購ったが、理が違った」


 インク切れを起こしていたので詰め替えを買って来たらメーカーが違った。らしい。

 魔王は繰り返した。


「あれを賭けよう」 

「つまり不要品を」


 遠目からでもわかる。あれはうちのFAXの型とも合わない。

 正直にいらない。


「あれをもらっても困る」


 んですが、と続けようとした私の弁を、低温が遮った。


「勝てる気でいるのか。笑止。余を打ち負かしてから申せ」


 魔王はなんとも居丈高に口角を持ち上げた。よくよく人を煽る笑みに長けたお方である。笑顔に多く含まれるとされる、和みという概念は死滅している。

 魔性の笑みが顎を持ち上げて促した。


「して、そなたは何を差し出す」


 私は三秒ほど考えてから返した。


「私の周りをよく飛んでいる折り鶴の一団を」

「いらぬ」

「おや? 勝てる気でいるんですか? 私を負かしてから言ってください」


 同じ台詞を同じように高慢に返したところ、ムッとしたであろう魔王の視線とぶつかって火花が一瞬飛んだ。

 ちなみに折り鶴は私の部屋で今日も元気で飛び回っている。

 どう勝敗が転んだとしても得られるものはないが、なんとなく腹立たしいので勝ちたい。

 改めて私は気を引き締めて手札を眺めた。魔王もまた厳しい面持ちだ。


「それにしてもなんで急にババ抜きを」


 魔王は己の手札を睨み付けたまま答えた。


「サエグサの元に赴いた際、作法を学んだ」

「めっちゃ仲良しじゃないですか」


 いつの間に家に上がり込んで、トランプに興じるほど親交を深めたのであろうか。魔王の遠慮のなさと、三枝さんの鷹揚さが良くも悪くもマッチングしている。


「あの老いぼれ、なかなかの手練れよ」


 魔王は忌々しげに言い放った。


 ルールを教わり、幾度も勝負をしたそうだが、ただの一度も勝てなかったそうである。よほど悔しかったのだろう、今度は与しやすそうな私を相手に選んだわけだ。

 改めて、舐められたものである。

 三枝さん勝負強そうだもんなあ、と思いながら魔王の陣地に手を伸ばす。

 ババ抜きは、ババを持つ者がいかに相手に位置を気取られないかが鍵となる。

 感情が顔に表れてしまう素直さは、ここでは仇でしかない。

 私は考えなしに真ん中の札をつかんだ。対する魔王の顔色は変わらない。冷えた氷のような容貌は静かに保たれたまま。

 だが、野外のカラスが一斉に鳴き始めた。五羽や六羽どころではない。家を取り囲んでいるのでは、と疑うような鳴き声の暴力だ。

 その騒音に身を引く形で、私は真ん中のカードから手を離した。途端、カラスの鳴き声もおさまった。


「どうした。早くせぬか」


 穏やかでない魔王の視線に促され、私は再びカードを選んだ。今度は右端だ。指が触れた瞬間、またもカラスが病的に鳴きわめいたので、先ほど同様すぐ離した。やはり声はぴたりとおさまった。

 その後、二度ほど繰り返したが結果は同じ。

 選ぶ。騒ぐ。離す。止む。

 偶然でないことは火を見るよりも明らか。魔王から放たれる不穏な気配を、つぶさに感じ取り、カラスは叫んでいるのである。

 その間ずっと魔王はいわゆるポーカーフェイスを貫いていたが、どれだけ顔が能面でも、スピーカーが雄弁では意味がない。

 実に優秀なカラスのアラームに感嘆しつつ、左端のカードに触れた時だ。それまでけたたましく叫んでいたカラスは、鳴き声ひとつ上げなかった。

 ババが仕込まれている場所がどこか、労せず知ることができた。

 これは相手が三枝さんだろうが小学生であろうが、勝てるわけがない。

 私は上下関係がどうであろうと、勝負と名の付くものに手心を加えない主義である。

 情け無用とばかりに、ババの隣のカードを引き抜いた。耳をつんざくような悲痛なカラスの鳴き声が響き渡っていたが、構うものか。


「カオリ」

「はい」

「そなたも……腕に覚えがあるようだな」

「ええ、まあ……」


 根本的な問題は相手の技量云々ではない。

 だが、侮るばかりだった魔王の視線が急に「好敵手」といったものに変化したので、私は口をつぐんだ。

 手下とはいえ舐められてばかりではいられない。例え今後、全くといって役に立たないであろうスキルでも。

 魔王は自分の敗因に気づかぬまま、カードを引かせ、そして引き続けた。

 私は位置を知り得ているので、当然ババなど引くことはない。魔王も私からカードを引き、順調に数は減らしていったものの、爆弾は依然手の内にある。

 カラスは相変わらずとんでもない声量で威圧してくるが、オペラだと思えば慣れてきた。

 せいぜい鳴くがいい、大いに鳴くがいい。

 それだけ私が有利になるのだ。

 ついに互いの手札が、残すところ一枚と二枚になった。

 見ていると、魔王は馬鹿正直に最初配置したまま、カードの位置を変えていない。

 左端からババは動いていない。

 大人しく死を待つのみだ。


「では、引かせていただきます」


 厳かに頭を下げ、介錯をするつもりで私は右のカードに手を伸ばした。


「待て」


 声を上げたのはカラスではなかった。それまで押し黙っていた魔王当人だった。

 カードに触れる寸前の私の手を、ゆっくりと払い落としたかと思えば、賢者のような落ち着いた声色で語った。 


「考えてもみよ」

「は」

「浅ましく因業な遊戯だとは思わぬか」

「は?」

「後先のない干からびた老婆を病魔のごとく忌み嫌い、押し付け、盥回し……」


 魔王はいかにも嘆かわしい、といった様子で頭を振り、二枚の手札を伏せた。


「そなたが慈悲と名の付くものを塵ほど持っていたならば、このような非道な真似できようはずもない」


 手を払い落とされた恰好のまま、私は唖然とした。

 魔王ともあろう者が、芝居がかった仕草まで添えて情に訴えてきた。

 負けず嫌いをこじらせすぎて、もはやプライドが高いのか低いのか判断が難しい。なりふり構わずといった手段である。

 魔王は私の沈黙をプラスにとらえたらしく、はいはいこれにてお開き、とばかりにカードを片付け始めてしまった。

 私の手から、残り一枚の手札もひったくられて山の中。

 そして魔王は、覚束ない手つきでカードを切り始めた。

 グシャア。


「案ずるなカオリ、この札の遊戯は一種のみに非ず」


 卓の上に散らばったカードをいそいそとかき集めながら、魔王は口の端を持ち上げた。


「生きとし生ける者の神経を衰弱させる、忌まわしき儀を行おうぞ」

 

 早く帰りたい。 


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