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となりの魔王  作者: ナチ
21/25

連絡手段の巻

 連絡手段は多い方がいい。

 先日の詐欺騒動で私は思い知った。

 詐欺騒動とは言っても『騒動』の大部分は詐欺以外のところにあったような気もするが。しかしそのあたりは魔王に生まれ直してもらわねば改善しないことは目に見えていたので、とりあえず今とれる策を講じるべきであろう。

 魔王と連絡を取れる手段を、ひとつでも増やしておかねば。


 私は配下でありながら、魔王に携帯の番号を伝えてはいなかった。

 教えたくなかったわけでも隠していたわけでもない。そもそも発想がなかった。

 基本的に隣近所に住んでいれば、電話を寄越すより来た方が早い。

 ましてや魔王はどこのご家庭よりも近い、すぐお隣である。町内の名簿で、家に引いている電話の番号はお互いに把握はしているが、緊急の用件でもない限りそう使うことはない。

 ゆえにこれまで、必要性を感じていなかったのだが、いつどこで予想だにしないトラブルが起こるかわからない。実際もう起きている。黒い羽付きの御仁がおいでになる、という人生の五本指に入る驚きの出来事がもう起きている。これより先、この激震を越えるサプライズはないとは思うが、備えあれば憂いなし。

 

「魔王さん、これ私の携帯の番号です」


 そうメモ紙に書いて渡したのが三日前。

 何かあれば連絡して下さい、と言うと、魔王はほう? という顔で頷いた。

 そして私が手にしている携帯電話そのものに目配せをした。

 それに繋がるのか、という目をしていたので、そうです私に直接、と携帯電話を振って見せると、更に納得したように頷いた。

 何かあれば、とは言ったものの具体的に想定していたわけではない。何かは何かだ。

 例えば、私を名乗る電話が来たときとか、男の声で私を名乗る電話が来た時だとか、偽の私から電話が来た時だとか。

 過ぎた事として水に流した顔をしているが、私の中のもう一人の自分が、案外なかなかどうして、許していないのだった。

  

 授業が終わり、部活も用もなければ私は早々に帰宅することにしている。帰りたい時に帰れるほどバスは走っていないので、乗れる時に乗る。

 校舎からそう離れていない停留所についた頃、携帯電話を取り出した。

 基本的に、校内では開いてはならないことになっている。手帳の校則の欄に記されているのだ。勿論お構いなしに使用している生徒はいるが、私はこまめにチェックするほど見るべきものはないので、帰宅の途中に開くくらいで丁度いい。たまに母や友人から、しょうもないメールが届いていたりする程度だ。

 が、その日の通知欄が、大変なことになっていた。

 精々『1』や『2』を奥ゆかしくも表示している画面が、今日は『28』と暴力的な数字を叩き出している。

 しかも、普段はあまり光ることのないアイコンが。メールではなく、通話記録。つまりは不在着信。

 28件!?

 何事かと慌てて開く。

 親類縁者に不幸があれば、親から学校に直接連絡が来るだろうからそうではないとしても、と冷や汗を覚えた私の目が見たものは。

『不在着信:魔王(自宅)』

 これが28件えんえんずらりと並んでいた。

「ヒュウッ」

 私は怯えて、一瞬携帯をお手玉みたいに放り投げてしまった。すぐに我に返ってキャッチに走ったので、落下、そして破損へ、という惨事には至らず済んだ。

 改めて手にした私は、まじまじと画面を眺め、やや震える手でもう一度確かめた。スクロールすれどもすれども途切れない魔王の文字。着信履歴が、完全に蝕まれて埋め尽くされている。

 控えめに見ても、巷でよく見聞きするストーカー基本の一手。

 誤操作でもない限り、こんな恐ろしい画面はない。自分で登録しておいてなんだが、魔王(自宅)から着信あり、というただならぬ迫力よ。

 くわばらくわばら、と念じながら私は手汗を拭い、それから迷った。

 ともかく魔王が、私に何やら接触を図って来たのは間違いない。すぐにでも連絡を返すべきだろう。が。

 ここまでの勢いだと、逆に折り返すのをためらう。

 通話アイコンの手前で、私の指は行ったり来たりを繰り返していた。

 とその時、携帯が大きく震えた。

「ぎゃっ」

 驚いて短い悲鳴が出た。

「ぎゃああ……」

 更に画面を見て、ややロングな悲鳴が出た。先ほど嫌というほど見ていた文字が、着信を知らせながら踊っている。

 まるで見張っていたかのごとき絶妙なタイミングに、拭ったはずの手汗が再起動した。湿る。いくらなんでも、かかってきた電話まで無視はできない。えいや、と起爆スイッチのような心持ちで通話ボタンを押した。

「も、もしも」

「カオリはいるか」

「いません」

 咄嗟に豪快な嘘が飛び出した。

「なに」

「すいません手違いです、います。夏織います」

「ならば出せ」

「私が夏織です」

「ほう」

 威厳はあれどもこちらの言いなり。

 ああ、この調子で騙されたのだろうな……と私は改めてしみじみと実感した。声を聞き分ける、という才に見放されているのか、はたまた聞き分けようと言う意思がそもそもないのか。

 機械を通しても軽減されることのない、低い低い恐ろしげな声が耳に直接問いかける。

「そなた一体どういうつもりか」

「ど、どういうとは?」

「余の再三の呼び出しに応じぬとは」

 来た。

 見られているわけではないのに、私の背筋はシャッと伸びた。

「主の伝令を無視とは良い度胸だ」

「いえ無視してたわけじゃなくて」

 弁解を挟もうとすると、電話の向こうが凄んだ声を出す。

「現にそなた出なかったであろう」

「そりゃ出れませんよ授業中に……」

 下手に音が鳴っても困るので、消音にして鞄の底に突っ込んでいる。いくら着信があっても、目にするまでは気づかない。

「いつ何時も繋がるなど、果たしてどの口が申したか」

「そのあたりはもうちょっと柔軟に考えて下さい」

 そして多分、そこまで極端なことは言ってない。

 24時間いつでも応対可なんてコンビニ感覚で考えられても、私にも都合というものが。

「ところでどんなご用事で」

 28回、そして今の通話含めて29回コールする用件とは一体何かと怖々尋ねれば、電話口は一瞬黙った。表情が窺えない分、予想がつかず緊張感が増す。見えていたとしても読めない時は全く読めない顔ではあるが。

 携帯が満を持して、魔王の言葉を私の耳に届けた。

「ない」

「え」

「これと言ってないが」

 何だと。

「そなたの通信機がいかほど機能するものか、見極めてやろうとしたまでよ」

 ふふん、と実際は見えない偉そうなお顔が私の脳裏に浮かんだ。この台詞を意訳すると、特に用はないけどちょっと使ってみたかった、ということか。

 至急申し伝えたい何かがあるわけでもなく、試してみたい、というそれだけの軽い動機で計29回。

 暇なのか?

「あのね、魔王さんあのね?」

 驚き怯えた分だけ脱力し、そして怒りもわいてくる。

「普通こんな勢いで電話が来たら何事かと」

「そなたの都合次第とは使えぬな。別の手を講じる」

 まだこちらが喋っている途中だと言うのに、魔王はお構いなしに遮って喋り、しかも一方的に切った。

「ちょ……魔、切れた!」

 ツーツーと切断を物語る音が虚しく響いていた。かけ直してやろうかと思ったが、通話料を発生させてまで言いたいこともなかったので、唇を噛みながら携帯をしまいこんだ。

 そして、いつの間にか来ていたバスに乗り遅れたことに気付いた。


 魔王から携帯に連絡は来なくなった。

 一方的に通話を切られた時、使えぬ、と吐き捨てていたので、恐らく見切りをつけたのだろう(ちなみにあのあと私は一時間遅れのバスに乗って帰る羽目になった。許しがたい)

 私が知る限り、一番手っ取り早く当人と連絡を取れる手段だと思うのだが、お気に召さなかったようだ。

 今回の問題はどう考えても、携帯という手段ではなく魔王という理不尽である。今回は、ではなかった。結構いつものことだった。

 とはいえ魔王から電話が来ないからといって、何か困ることがあるかと言えばノーである。それまで番号も教えていなかったくらいだ、特別不便を感じるわけもない。

 ゆえに私は、魔王に対して何かアクションを起こすでもなく過ごした。捨て置いたともいう。

 別に仲たがいをしたというわけでもないが、着信履歴を埋められ途中で電話を切られ、挙句バスを乗り過ごした、というコンボはそれなりに腹立たしかったのである。

 魔王との連絡についてはまたおいおい考えればいいだろうと思い、私はぼんやりと授業を聞いていた。

 ちょうど私の席は窓際に位置しており、時間は昼休みを終えたばかりの五時限目。教科書の例文を読み上げる、おっとりとした現国の教師の声は、完全に子守唄だった。

 うつらうつらと頬杖をついたまま船をこぎ、はっと目を覚ます。顔が正面ではなく窓の方を向いているので、目が覚める度にガラスに映った自分の寝ぼけまなこがうつる。

 うつらうつら、はっ。

 うつらうつら、はっ。

 これを三度ほど繰り返して、うつらうつらが深く、そして支えに委ねた頭の揺れが一番大きくなった時、私は再び、はっと目をあけた。

 それまでと同じく窓ガラスの自分と目が合う、はずだったのだが。

 そこに見えたのは羽を持つ黒い塊。

 カラスだった。

 一瞬理解ができず、朦朧とした意識の中で「カラスだな……」と感想を抱いていたのだが、次の瞬間「カラス?」と目が頭が飛び起きた。

 どうつかまっているものか、わずかな窓枠に足をのせて、じっとこちらを窺っている。私が覚醒して、存在を認識したことを察したのだろうか。

 カラスはこちらに向けた嘴で、窓ガラスをつつき始めた。

 カツコツ、なんて可愛らしい物音ではない。その穿ち方は、木肌を容赦なく抉るキツツキをほうふつとさせる激しいものだった。

 本格的に目が覚めた。

 目が覚めたのは私ばかりではなく、同じく舟を漕ぎに漕いでいたクラスメイトも皆一様にオールを手放した。教科書に目を落としていた教師も顔を上げた。

 忙しないドアノックともマシンガンとも呼べる騒音が、神聖なる学び舎の、寝息にまみれたひと時を荒々しく乱した。 教室内の注目が私に集まる。

「うるせえ!」

 真っ先に叫んだのは斜め前の席の宮間くんだ。声に滲んだ怒りが、授業を邪魔されたことに対してではなく、安眠妨害であることは顔についたノートの跡が物語っている。

「瀬野お前なにしてんだよ! 授業中だぞ!」

「私じゃないよ!」

「寝れねえだろ!」

「堂々と言うな! 仮にも授業中に!」

 その間も、カラスによる窓ガラス襲撃はやまない。その内教科書を読みあげていた手を止めて教師も近付いて来た。

「瀬野さんどうしたんですか」

「いや私ではなくカラスが」 

 割らんばかりの勢いのカラスを見て、老いた国語教師はおいたする子供をみたような風情で「おや」と言った。それから、はははと鷹揚に笑った。

「これはまたずいぶん熱心ですねえ」

「先生そんな前向きな評価を」

 さすが生徒を教育指導する立場、いきなり長所から入る。そういえばこの金子先生は、虫も殺さないことで有名だったことを私は思い出した。

 通称、釈迦。

 迷い込んだ蜂をも逃がそうとする許しの人がカラスを無下にするわけもない。クラスメイト達も何となく席を立ち、カラスを見てやろうと集まり始めてきた。

「すっげめっちゃつついてる」

「ちょっと怖くない?」

「気つけた方がいいよーうちの犬とばあちゃんカラスに追いかけられてさあ」

「えーどしたのそれ」

「猟師の人に撃ってもらった。じいちゃんがせっかくだからって食べた」

「食えないこともないけど、あんまり美味しくないよ」

 山に囲まれて育ってきただけあって、最初怖がってただけの会話もそこそこにハードなものになってきた。カラスよ、猟師の銃がズドンと火を噴く前に帰った方がいいのではないか。

「あれ?」

 と、私の前の席の五十嵐さんが、何かに気づいたように声を上げた。

「なんか咥えてない?」

 その一言で、てんでばらばらになりつつある視線が嘴に集中した。指摘の通り、体の色と同化して見落としていたが、黒い紙きれのようなものを挟んでいる。

「何かな?」

 そう言って、金子先生は躊躇なく窓を開けた。少しくらい迷ってもいいのでは、と私は思わず身を引いた。が、カラスは飛びかかることもなく、さっきまで忙しなく動かしていた嘴を私の方に突き出して来た。受け取れ、と言わんばかりの動作に、恐る恐る手を伸ばす。折りたたまれていた黒い紙を広げると、白いインクに彩られたおどろおどろしい字体が書かれていた。


【これならば伝令も受けとれよう/魔王】


「魔王だ」

「魔王の手下だったのか」

「魔王のお使いだ」

 私が何か言うより先に、物見高く覗きこんでいたクラスメイト達が口々に納得したような台詞を吐き、そしてばらばらと席に帰っていく。

 特に私から申告はしていないが、すでに知れている宮間くんや担任の口から伝わっているのかも知れない。それにしても解散が早すぎはしないだろうか。カラスには面白がって群がっていたくせに、魔王に対して興味や関心が無脂肪乳のように薄い。

 なんとなく教室全体が授業に戻ろうとしている空気の中、宮間くんが私の机の前から去ろうとしない。首を傾げると、彼は窓の方に顎を動かした。

「返事待ってんじゃね?」

 振り返れば、窓でじっとカラスが黒目を光らせて待っている。鳴くことも私をつつくこともないが、完全に待機の構えだった。受け取るまで引き返す様子がない。

 果たしてなんと送ればいいものか。逡巡している私の視界に、制服のズボンではない柄が見えた。宮間くんではない。顔を上げると、仏のような微笑みがあった。

「瀬野さんさえ構わなければ私からも文を差し上げてもよろしいですか?」

「え? は、はい」


【授業の妨げになるので控えて頂けると助かります/金子】


 言いたいことが全て集約されていたので、私は筆をとらずそれだけ渡してカラスを帰した。

 

 

 伝書鳩ならぬ伝書カラスはやんわりと出禁になってしまった。

 放課後、魔王宅を訪ねたのだが「むむ」と唸り、難しい顔をして文(from釈迦)を読んでいた。

 致し方ない、次の手を考えると言っていたから、しぶしぶながらも了承したのだろう。こういう物わかりだけはいいのが、取り柄というか不幸中の幸いというか。全身の骨が折れたけど、右腕だけセーフだったというくらいの救いではある。

 しかし次の手を考える、という不穏さで残った右腕まで折られそうな予感は拭えない。自分から始めたことではあるが、もう諦めてくれないかな、と思ってしまうのは私が薄情なせいではあるまい。

 次の手とは何だろうなあ。

 狼煙とかだったらどうしよう。

 私が案じながら、自分の席に着席した瞬間、それは来た。

 頭全体が押しつぶされるように重くなる。

 衝撃に耐えられず、机の上に突っ伏す形になってしまった。結構な物音を立ててしまったが、小テストが返されている最中の為、教室内はざわついており、誰にも見とがめられることはなかった。

 頭が割れるように痛い。みしみしと音がするような、感じたことのない圧迫感に支配され、とても顔を上げられない。

 まるで孫悟空の輪のように締め上げられ、苦悶の表情で机にかじりつく。

 息も絶え絶えになり、このまま死ぬのではないかと気が遠くなりかけた時である。

――……リ

 脳が揺れた。地響きにも似た音が頭の中で反響する。

――カオリ……

 振動は私の名前を呼んだ。

 呼ぶという言葉がふさわしいのかわからない。耳ではなく直に意識へと囁く声は、こう続いた。

――余である……

 お前か。

 私はお馴染みの声音と特徴的な一人称で確信した。

 冷静に考えてみれば、最初から一人しか心当たりはなかった。こんなダイレクトメールよりダイレクトな手段を講じてくる相手が人間界生まれであるわけがない。

 魔王が言っていた『次の手』が果たしてどのような手であるか、私は現在進行形で知った。

――聞こえるか

 一音一音が、バールで殴られるように響く。過去殴られたためしはないので誇張表現かも知れないが、それほどまでに衝撃がすさまじい。

 死相の度合いが深まったところで、再び声がした。

――聞こえているなら答えよ

 教えて欲しい。

 どうやって。

 脳内に呼びかけられること自体が人生初の体験で、白目を剥くのが関の山だというのに、当然のごとくレスポンスまで要求されても。習っていない。そのスキルは会得していない。

 免許も持たない相手に車庫入れを要求するのは順番として間違っている。何より頭が破滅的に痛くてそれどころではない。

 しかし尚も魔王は、私に声の限りを尽くして囁きかける。いや、バールで無慈悲に後頭部をぶん殴り続ける。

――カオリ……カオリよ……聞こえるか

 聞こえてます聞こえてますから。

 私は額に脂汗をにじませながら必死で念じた。頭の中に呼びかけてくるなら、こちらも頭の中から応戦するほかない。

――聞こえるならば返事をせよ

 やり方が間違っていたのか、魔王には届かなかったようだ。やり方も何も、正しい念の届け方など知るか。何かを新たに始める時には、必ず打ち合わせが必要ではないか。職務怠慢だ。せめて事前にマニュアルを寄越すなどの備えが欲しかった。

――繰り返す、応答をせよ

 聞こえてますって一旦やめて下さい頭割れる!

 先ほどより強く、叫びにも似た心の声を放った。が、頭痛は引かない。

――カオリ、余の声を忘れたか

 苛立ちを含んだその音は一層強く脳を揺らした。

 耐えがたく、私は机に崩れ落ちた。

 だから聞こえてるっつうの!! むしろ忘れたいよ!! 

――何だと

 届いてた。

 思いの強さが必要だったのだろうか。確かにどの思いよりも強く、やけくそのような熱量で念じたのは間違いない。

――忘れたいとはそなた

 意思が通じたからといって、頭痛が引くわけではない。

 何一つ変わらず、声は脳震盪レベルの衝撃を食らわせてくる。私は机に突っ伏しながら魔王へ念じた。

 とにかく、頭が痛いんでやめてもらえますか。

 一瞬の空白。

 私はようやく呼吸にありつけた。煉獄から解放されたように、机の表面から顔を剥がす。

 が、直後、脳の揺れが襲った。

――どうした返答が聞こえぬぞ

 再び激しい頭痛とともに、ぐしゃりと机へと潰された。

 今の声は届いていなかったようだ。強く強く、それこそ力の限りに念じなければ、魔王には伝わらない。

 頭が!! 痛いので!! やめてください!!

――応答せよ

 してる! してます! 何で聞こえないんだよ!

――そなた風情が沈黙を美徳とする気か、愚かな

 すげー腹立つ!!

――何だと

 なにゆえ悪態だけ正確に伝わるのか。

 念じ方はそう変わらぬというのに、魔王のアンテナは拾わなくていい心の叫びばかりを拾う。精度が低いのか高いのか定かではないが、効率が悪いし私にも都合が悪い。

 苦悶の表情を浮かべている私に、魔王は重厚な地響きをもたらした。

――聞こえているならそう言わぬか

 これ以上私にどうしろというのか。

 最も熱いとされる十代の心の叫びをほぼ費やしているというのに、まだ足りぬと言うのである。貴重な若さをこんなところで無為に消費して枯れたくはない。

 早く話を切り上げて終わらせよう。でなければ、頭蓋骨の形が変わってしまう。

 私は抉れるほどに眉間の皺を深く刻み、こぶしを握り締め、心で吠えた。

 今日はどういったご用件で!!

――聞こえぬ

 ちくしょうー!

――娘がそのような口の利き方、感心せぬな

 どうしてそれは聞こえるかな!! ええいとにかく何の用ですか!!!

 私の訴えの後、声が途切れた。

 束の間の沈黙を破り、地響きをともなって魔王は告げた。

――そなたが寄越した毒々しい赤い果実を覚えているか。

 少し前、魔王に持っていった林檎が瞬時によぎる。親戚から大量にもらい受け、隣近所へと配り歩いたことは記憶に新しい。

 我が家のおすそわけが、何か魔王に災いでももたらしたのかと、私は痛みに揺れながらも息を呑んだ。

 暴力的な魔王の声が頭に注ぎ込まれる。

 

――芋の類とともに保存せよ。さすれば忌まわしい芽が出にくい。


 いわゆるひとつの生活の知恵。

「それ今する話かなあ!!?」

 これまでで最も苛烈な叫びが出た。その苛烈さは、心の内を破り、念を越えた。平たく言うと、肉声として表に出た。ついでに、勢い余って椅子から立ち上がるアクションまで追加してしまった。

 頭の声は止んだ。

 静けさが訪れたのは、何も脳内ばかりではない。私を取り囲む、状況という名の空気も、静かに冷えた。

 魔王との交信で命を削っていたせいですっかり失念していたが私の現在地は学び舎である。

 授業中である。

 テスト返却はとうに終わり、答え合わせの真っ最中である。

 更に言うなら、今黒板の前で教鞭を振るっている歴史の担当をしている轟先生は、金子先生とは対極の存在である。

 金子先生を釈迦とするなら、彼は軍曹。

 魔王ほどの畏怖ではないにせよ、ヒュッと投げナイフのごとき鋭い声が私に向かって放たれた。

「瀬野」

「はっ」

 岩のような強面が教壇から私を見下ろしている。

「今しないでいつする話だ? それともどうしても述べたい意見でもあるのか」

「ございません」

 背筋は自然と球児のようにまっすぐと。冷汗は滝のように。

 かつて、カラスだカラスだと砂糖にむらがるアリのごとく集まってきた級友は、誰一人として助けてくれる気配がない。

「寝ぼけてたか」

「いえあの、魔王が、直接頭に声を……」

 轟先生は、いかつい顔をしかめた。

「授業中だぞ。休み時間にすませるように。まあいい、立ったついでだ。問題文を読め。問12の、」

 うまく事がおさまりそうな風向きの中、脳内の地響きが轟先生の声を遮った。

――カオリ、芋の芽は毒が

「今取り込み中なので後にして下さい!」

 腹から出した声は、教室の端まで響いた。

 私は高校生にもなって廊下に立たされるという屈辱を味わった。

 

 怒りのテンションを保ったまま帰宅した私は、素直に携帯を買ってくれと魔王に詰め寄り、追い立てるようにショップに出向いたが、保護者の承諾がないと購入できませんとけんもほろろに断られてしまった。

 携帯も契約できない御仁が、果たしてどうやって家を借りたのだろうかとふんわりした疑問が温泉のように湧きかけたものの、考えるだけ無駄だと埋め立てた。

 そして後日、授業を受けていた私宛に電報が届いた。

 【サエグサノ イヌ ダッソウ】と書かれていた。

 授業は歴史だった。

 私は二度目の廊下の風景を味わうことになった。


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