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「はあ~?」
思わず変な声を出してしまった。また、無茶なことを提案するやつだ。すると彼はこちらの心中を察したのか、短くなった鋼線をぶんぶんと振りまわしながら付け加える。
「もちろん俺も助力ぐらいはしますよー。
いやさ、霊体がダメなら、実体のある方を攻撃してみたらどうかと思ったわけで」
そこではっとした。それこそなんの根拠もない単純明快な方法だが、希望はある。
ステラはチェルシーの部屋の中を見回した。そして偶然手頃な木の棒を見つけると、それをにぎった。ご多分にもれずあちこち焼けていたため煤が大量についたが、どうでもいい。レクシオの腕を離れると、重くのしかかる空気に耐えながらどうにか構えをとった。少女を見据えたまま、告げる。
「……やってみる」
「――よし!」
レクシオが返したのは、明るい声だった。
改めて少女に、もというさぎに向き直る。ミシェールの笑い含みの声が聞こえてきた。
『やれやれ、さすがは学院生。この程度じゃ倒れもしないわね』
(見抜かれてる?)
どこを見てそう判断したのか知らないが、つくづく侮れない幽霊である。というか、後半は明らかに少女が言うべき台詞ではないと思う。ミシェールのあまりぞっとしない言葉を思い出し苦笑しつつ、考えた。
(さて、どう踏み込むか……)
彼女に狙いがぬいぐるみだと悟られてはまずい。かといって、いつまでも悠長に構えていては瘴気(っぽい何か)に押しつぶされる可能性も出てくる。今まで正々堂々と打ちあってばかりだったのでこの感覚はなかなか分かりにくいものがあった。
――そんなふうにうなっているステラのもとへ、予想外の好機が訪れた。
突然、見覚えのある銀色の糸が少女の体を裂いたのである。少し前と同じように。そしてこれまた同じように、ミシェールが嘲笑った。
『無駄だと言っているでしょう? もしかして、体に教え込まなきゃだめなのかしらね?』
油断、している。
目が、我知らず細められた。チャンスだ。これ以上のチャンスなど、もう二度とないかもしれないというくらいの。もちろん、それはレクシオがつくってくれたものだということも分かっている。彼の助力を無駄にしないためにも、ステラは迷いなく踏み込んだ。なるべく息を殺して少女に、その手のうさぎに向かう。
少女の顔が驚愕に染まるのが見えた。ためらいなく木の棒を振り上げ、勢いよく下ろし、ぬいぐるみを飛ばそうとした。
――ザッ!
布が裂けるような音とともに、ぬいぐるみが飛んだ。思いのほか高く遠く飛んだ。ここで、少女の顔に初めて明らかな動揺が走る。レクシオの推測が間違っていなかったことを悟り、ステラは木の棒を少女めがけて投げ捨てて、走ってぬいぐるみを取りに行った。
『貴様、何を……』
とても少女のものとは思えない鋭い声がステラの背中に突き刺さる。無論、その程度で怯えるステラではない。ぬいぐるみの前までくると、それをあっさり掴んだ。途端に、何か嫌なものを感じる。この部屋中に蔓延する瘴気を何十倍も濃くしたような気配。
「っ!!」
思わず顔をしかめ、ぬいぐるみを力いっぱい握った。すると、驚くべきことが起きる。
さあぁぁ……と波が引くような音とともに、部屋の空気が軽くなったのだ。体にのしかかっていた重みも消える。ステラとレクシオが唖然とする中、金髪少女の方は忌々しげな目で二人をにらみ、体を震わせていた。
『よくも、よくもやってくれたわね……。わたしの力を一度奪って……』
「ふぅん? そういうことか」
少女の怨嗟の声に反応して、レクシオがやたら声を張り上げて言った。ちなみに鋼線は、すでにしまっていた。元々ぼやけていた輪郭がさらにぼやけてきた少女を指さし容赦なく指摘する。
「つまり、おチビさんはただの分身でしかない、と。本体――といっていいのかな、力の源はあの人形の中にあるわけだ。どういう原理か知らないが、それを一部切り離して、うさぎと別々に行動できるようにしたか」
いつものことながら饒舌なレクシオ。彼が喋った後、部屋には沈黙が広がった。その隙に、ステラはうさぎを握って彼の隣に戻る。
ふっ……
誰かが、そんな声を発した。おそらくはミシェールだろう。とりあえず少女に注目すると、彼女は声を上げて笑いだした。
『ふふふふ……。あなたたち、なかなかやるわね。これは友達として引き入れるのは骨だわ。まあいい、今日は大人しく引き下がってさしあげましょう。もう、朝が近いしね』
そう言って、少女は青い瞳をベッドだったものの向こう側にある窓へと向けた。確かに、空が少しずつ濃い青から空色になり始めている。朝独特の冷たい空気が、部屋の中に入ってきた。ステラがぶるっと体を震わせるのと同時に、なんと少女の姿が薄れ始める。瞠目してレクシオを見るが、彼はやけに落ち着いていた。
そのうちに、ミシェールの声がする。
『でもね、見てらっしゃい。今夜こそあなたたち全員、お友達にしてあげるんだから。チェルシーと会える時を楽しみに待っているといいわ……』
心なしか声まで聞きとりづらくなっていた。そのうち、少女の姿はどんどんかすんでしまいには消えた。何の音も、効果も無しに。そして今まで彼女がそこにいたという痕跡すら、まったく残さなかった。あとに残ったのは、もうすっかりおなじみとなった瓦礫たちのみである。
再び窓の外を見ると、太陽の光が低い位置にさして、空の端が淡いオレンジ色に光っていた。
(朝だ)
朝がきた。そう感じたとたん、ステラはその場にぺたんと座りこんだ。どっと力が抜ける。
この夜を、いつもとほんのちょっと違う土地で過ごした夜を、思い出してみた。
幼馴染に予言めいたことを囁かれ、夜中に起きたらチェルシーという女の子に出逢い、友達になってやったと思ったら豹変した彼女に殺されかけ、そこにやっぱり予見していたらしい幼馴染がかけつけ、大量の瘴気を浴びながら二人で苦労して一時的に彼女を退け、最終的には今夜も現れるなどと宣言されてしまった。なかなか波乱万丈ではないか。
「はあ~っ。でも、こんなのは一度きりでいいよぉ」
思わずそんな本音をもらす。すると、肩をポン、と叩かれた。顔を上げると無邪気な笑顔を浮かべたレクシオがいる。
「ま、ドンマイだな」
彼はさらりと言ってくれた。また、ため息がこぼれる。
二人は、しばらくその部屋で体を休めた。そして薄々悟るのだ。
今回の夏季合宿――もとい調査は、想像以上に厄介なものになった、と。
「さて、今日の予定の報告はこれにて終了だ!」
朝っぱらから晴れ晴れとした顔でそう告げるのは、ジャック。今日も変わらず胸を張っている。その容姿と言い、態度と言い、本当に舞台上に行ける日がくるかもしれないなぁ、などとどうでもいいことをステラは考えた。
それと同時に隣から何か奇妙な声が聞こえてくる。首をかしげて見てみると、大きな欠伸をするレクシオがいた。
ああ、仕方ないか。そう思う。あとから聞いた話では、なんと彼、あの物投げ大会から少しして目を覚まし、ずっとチェルシー――を装ったミシェールが本性を出すのを待っていたそうなのだ。もちろんステラが起きて出ていったのも知っているそうで。
しかし、そんなことも含めた事情を露ほども知らない調査団の面々は、訝しげな目で疲れ切った二人を見るのである。
「どうしたの、レク? 一番早く寝たくせに、一番眠そうじゃない」
ナタリーが呆れたようにそう言うと、続けて前方でリーダー風を吹かせるジャックの隣にいたトニーも。
「ステラもだよ。昨日より元気とやる気が感じられないよ」
(こいつら、人の気も知らずにのうのうとおおおおおっ!?)
一瞬本気でそう叫びそうになったのだが、彼らの寝起き時点でレクシオに念を押されたこともあり、ぐっとこらえた。だが、明らかに顔が引きつっている。自分でもよーく分かった。これでも我慢したつもりである……あったが、逆にそれで怪しまれた。レクシオの隣にいたナタリーが思いっきり胡散臭げな目で見てくる。
「……もしかして、なんかあった?」
ぎくっ、と肩を震わせた。レクシオに目配せすると、なぜか緑の目で睨みつけられる。痛い。とても視線が痛い。たまらず目を逸らすと、そこから何を妄想したのかジャックが芝居っけたっぷりに言った。
「夜、二人で星空をながめながら話をしていたら言いあいのけんかに発展したとか、そういう展開?」
「恋愛ものの映画見すぎよ、あんた」
すばやく否定の意味も込めて突っ込みを入れた。再びレクシオの表情をうかがうと、彼は完全に諦めきった様子でため息をついていた。なんだか申し訳なく思う。
「………ごまかすのが下手すぎるよ、ステラ」
「………すいません」
加えてここまでバッサリ言われれば、もはや謝るしかなかった。土下座の姿勢で頭を下げると、このお気楽幼馴染はゆるゆると首を振った。
「いいよー。どうせ今回の調査と深くかかわることだし、ぶちまけちゃいましょうや?」
そだね、と返したステラは、表情を改めて残る面々に向き直った。彼らは興味深げに二人を見ている。いち早く幽霊関連だと悟ったのか、ジャックなんかはもはや凝視であった。
口火を切ったのは、レクシオ。いきなり本当にぶちまけてしまった。
「ミシェールが現れた」
この時の三人の度肝を抜かれたような表情は、忘れようが無かった。