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「レクっ!!」
普段のステラなら絶対に赤面しそうな切羽詰まった声で、幼馴染を呼んだ。だが、彼の方は動揺した様子がない。最初からこのようになることが分かっていたのかもしれない。と、ここで。寝る前に彼が言った言葉がよみがえってきた。
『今夜早速、何かが起こるらしい――ミシェールが、それをほのめかす発言をしたんだ』
ミシェールがほのめかした『何か』とはこのことだったのかもしれない。ぼんやりと察したステラは、激しいままの鼓動をどうにか抑えつけ、呼吸を整えて立ち上がった。直後、これを待っていたかのようにレクシオが口を開く。
「これはどういうつもりですかね、ミシェールさん? あんたは合宿に来た俺たちと、友達になりたかっただけのはずだ」
『ええ、そうよ』
ミシェールのものと思しき声は、ゆったりとした声音で肯定する。そこでぎょっとした。さっきまでチェルシーとして喋っていたはずの少女が、今はミシェールの声と合わせて口を動かしているではないか!
どういうこと、と問いただしたいところであったが、残念ながらその前に話が進んでいた。
『いえ、少し違うわね。わたしは“チェルシーのお友達になりに来てくれたのかしら?”という意味でああ言ったのよ』
「どういうことだ?」
レクシオが首をひねる。ステラもそれを真似する形となった。なんだか、いろいろなことが一気に起こったものだからわけがわからなくなっているのかもしれない。ここで、レクシオは混乱するステラを置いて続けた。
「チェルシーはおまえを残して既に死んでるって話だ……ま、世間に出まわってる話を信じるなら、だがね。そこにいる女の子も、チェルシーではないんだろ?」
『フフ。その通りよ。勘がいいのね、少年』
「おまえに褒められても嬉しくないなぁ」
レクシオの指摘に対して色っぽく笑うミシェール。少女のそれには程遠かった。彼女の台詞に対して、今は頼もしい限りの幼馴染は大袈裟に肩をすくめるだけである。それを聞いて本日何度目かも分からない衝撃が、ステラを襲った。
「えっ!? この子チェルシーじゃないの!?」
「いや、そりゃあくまで勘だけどさ」
苦笑してから、レクシオは金髪の少女を指さす。
「ああして『ミシェール』として喋っているのが、何よりの証拠だろ?」
「……その通りです」
こいつの指摘はいつも的確だ。まじめな時は。そんな感じのどうでもいい感想を抱きながら、ステラは答えた。それから改めて、少女とミシェールに向き直る。
「で? あんたはあたしを騙してまで、何がしたかったのよ?」
今の彼女は強気だった。こういう敵と対峙する時は常に強気で挑まなければこちらが負けてしまう、師匠のような存在にそう教えられたものだから、その教えを忠実に守っているわけだ。もちろん、彼女の『地』の部分も関係してくるだろうが。
そんなステラを見て、ミシェールの声をした少女はくす、と笑う。いろんな意味でぞくぞくするような笑みだった。
『何度も言ってるでしょう? わたしは、チェルシーのお友達を作ってあげたいのよ』
どこか嘲るような響きがあった。二人が半ば反射的に身構えると、少女はすっと目を開く。これまでのあどけない雰囲気はどこへやら、鋭い眼光がステラたちを射抜いた。彼女は、冷たい声でこう言った。
『――だから、あなたたちには死んでもらう。そしてチェルシーと同じところに行ってもらうのよ』
ああ、そういうことか。
心のどこかでステラは悟った。この子は最初から殺す気でいたのだ。そして、殺すことで既にこの世にはいないチェルシーの友達を作ろうとしている。どうしてそんな考え方ができるのかは分からないが、このままにしておけばかなりまずいことになるのは間違いなしだ。
我知らず数歩下がり、幼馴染と肩を寄せて囁いた。
「どうするの、これ?」
「いやぁ。どうするって。逃げるか戦うかのどちらかですよねー」
彼は、実に軽い調子で危険かつ物騒な案を提示してきた。だが、二つに一つなのは事実である。それ以外の方法など思いつきもしない。
ちらり、と後ろを見た。なぜかこの騒ぎに気付いていない残る調査団の面々は、今も穏やかに眠っている。
「ここで逃げるのは……いろんな意味で危険ね。仮にあたしら二人が逃げきれたとしても、今度はジャックたちの身が危うくなる」
とにかく彼女は殺すことで友達を増やしたいわけだ。別に、ステラやレクシオに固執しているわけではない。二人が逃げきってかつ彼らの安全も保障されるなんて都合のよろしいことは、まずないだろう。
レクシオもそれについては同意してきた。
「それは俺も思うね~。と、いうことは」
彼は言って、そっと腰に手をかけた。ステラも構えをとる。
「やっぱここは、この物騒なのを退けるしかないか!」
いつも使っているような得物はどこにもない。だとしたら、格闘技で勝負するしかないか、と思う。隣を見るとレクシオは何やら鞭のようなものを構えている。鞭といっても、それに当たる部分は異様に細かったりする。糸、という表現の方があっているかもしれない。ついでに銀色に光っていた。
確かあれは、鋼線だったはずだ。ワイヤーなんかと呼ばれて日常生活で使われるものではなく、武器として製造されたもの。その効果を一言で表せば、切れ味抜群、といったところか。加えて伸縮自在だそうな。
臨戦態勢に入った二人を見て、少女はまた妖艶に微笑んだ。
『あら? たかが生きた人間の分際で、わたしをどうにかできるとお思いで――』
その言葉は途中で切れる。銀色の何かが、彼女の身体を思いきり裂いたのだ。言うまでもないと思うが、レクシオの鋼線である。
(やった!)
心の中で歓喜と安堵の声を上げる。
だが――きれいに消えたはずの裂かれた部分から突如透明な泡のようなものが吹きだし、体の修復を始める。その早さは瞠目に値した。なんとたった数秒ほどで、少女はすっかり元に戻っていたのだ。ちなみに、ミシェールのぬいぐるみごと。彼女は口に手を当てそのままくすくす、と笑い続ける。
思わず叫んでしまった。
「うそっ!? 何よあれ」
すると隣のレクシオが、屈託なく笑って告げた。
「ありゃー。多分あれはホンモノの幽霊だな。斬っても殴っても、すり抜けて終わりだ」
まるで他人ごとのような口調だ。だが、その顔はいつもと比べるとかなり真剣である。彼も焦っているのかもしれない。
幽霊相手に人間が闘おうなんて、考えてみれば無茶苦茶な話である。おそらく、退魔用の仕込みが施されている武器でないと太刀打ちできないだろう。当然そんなものが手元にあるはずもなく。だが、霊体のため攻撃できないのはあちらも同じはず――
その時、ミシェールが意味ありげに手を振った。最初は何をしたいのか分からずステラもレクシオも唖然としていたが、やがてその場の空気が急激に重くなると、さすがに顔をしかめた。目に見えない何かが体を潰してくる。電撃のように、バチバチと肌の上で何かが弾ける感覚もした。例えるならば、ものすごい殺気を放った人物と対峙した時のようだ。
「ちょ……な、に、これ」
途切れ途切れに疑問を口にする。その途中で倒れ込みそうになり、同じく苦悶の表情を浮かべるレクシオに支えられてしまった。いろんな意味で恥ずかしい。当然そんな気持ちなどかけらも感じていないだろう幼馴染は、少女を見据えて言った。
「こりゃー、あれだ。簡単に言えば、瘴気ってやつ……少しだけ、意味合いが違うけどな」
瘴気? ステラは心の中でその用語を繰り返した。確か、病気の元になると言われる「悪い空気」のことをそう呼ぶと教わった気がする。幽霊となんの関係があるの、と考えながらうめいていると、幼馴染の考察が続いた。
「でも、幽霊が発する怨嗟の声っていう説もあるんだ、こういうの。気をつけろよ、どちらにせよこれに負けたら、遅かれ早かれ死ぬから」
「……はっ!? その割にはアンタ、余裕、ぶっこいてるよね」
半眼でぼやけてきた少年の顔を見た。これに対して彼が返したのは「俺はタフだからな」の一言。それから、思考にふけってしまう。
「しかし厄介だな。こっちは向こうに攻撃できないのに、向こうはこっちを殺せるってか。世の中不公平だ」
まったくだ、と胸中で同意した。でも、そうなればどうすればこの危機を回避できることになるんだろう。ますます余裕になってきた彼を見ながら考える。
ステラが思いついたのは、ミシェールに見逃してもらうという方法だ。ただしこれは、全くといって良いほど期待できない。もしこの案をレクシオに提示したとしても瞬時にはねのけられるだろう。何せ敵はこちらを殺すことを強く望んでいるのだ。あっさり見逃してくれるわけがない。じゃあ、どうすればいい? どうすれば、このかわいい顔して化け物みたいな本性をさらす女の子を退けられる?
「――あ」
唐突にレクシオが顔を上げる。何か妙案を思いついたような顔だった。
「どうしたの!?」
今までの苦しみなどきれいに忘れて、意気込んで訊く。相手はステラの顔をじっと見てから、なぜか少女の方を指さした。――正確には、あの少女が抱いているうさぎのぬいぐるみの方を、だが。それから首を傾げる彼女に対して相変わらずの軽い調子でこう問うのだった。
「おまえ、あの金髪のおチビさんから人形を奪えるか?」