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レクシオがチェルシーの部屋から出てきたのはちょうどジャックによる計画発表が終わった頃のことだった。
ステラは付き合いが長いせいか、すぐさまその異変に気付く。
「あれ? なんか顔色悪いよ」
そう言ってのぞきこむと、彼は驚いたように顔を上げた。実際そこにはいつもほど色がなく、表情自体もどこか沈んだ感じがしていた。だが、彼はあくまで平静を装った。
「そう見えちゃうか? まあいいや、それより今後のご予定とやらはどうなったん」
「…………普通にみんなで泊まり込んで、異変があった時本格的に調査をするって」
さらりと流されたことを不服に思い、憮然としてそう返す。するとレクシオは、話の内容のせいなのかステラの態度のせいなのか分からないが、肩をすくめて苦笑した。
「そんなことだろーと思った」
「相変わらず計画性ないよねー。ウチの団長」
これ以上追及するのは不可能だと早々に悟ったステラは、レクシオに話を合わせる。苦笑して、興味深そうに部屋を見回すジャックを見た。黙っていればもてそうな出で立ちなのに、中身はあんなであることを少し残念に思うのは、きっとステラだけではないだろう。
そんなことを考えていると、そばにナタリーがやってきた。
「まあいいんじゃないかなー。とにかく今日は、修学旅行気分でぱーっとやりましょうよ!」
館が崩れるという見込みがほとんどなくなったためか、今の彼女は非常に上機嫌である。そもそも彼女がこれについてきた理由は、単に『合宿』が楽しそうだから、というものらしい。つまりステラと一緒だ。トニーは人形の館の真相を純粋に知りたいそうだが、まあそれはそれでいいだろう。
「とにかく、そろそろお昼だよね。みんなで近くの川に魚釣りに行こうってことになったんだけど、どう?」
「え、何!? この近くって川とかあったの!?」
ジャックと何やら話を終えたらしいトニーが近寄ってきてさりげなく発した言葉に、ステラを始め全員が驚いた。一応周辺の出身なので土地勘があるという自信があったのだが、それは知らなかった。
その後全員が快諾し、みんなで川へ釣りに行った。
トニーの釣りの腕が良すぎて地味キャラの意外な活躍にジャックすらも驚いたという話があるが、それはまあ余談である。
なんだかんだであっという間に日が沈み、山と館は静かな夜を迎えた。ちなみに合宿中の若者たちは夜ごはんも焼き魚だったというエピソードがある。
やけに心臓に悪い一日を終えて、ステラはそっと息を吐く。そして床に敷いた毛布の上に寝転び、タオルケットを掛け布団代わりに寝――ようとしたのだが、あいにくそこで邪魔が入った。向かいから、何か柔らかい物が飛んできて顔に直撃したのである。
「ぶへっ」
我ながら間抜けな声を上げたと思う。同時に、白い物が視界をおおった。
「もう~……何よこれ。枕?」
持って見ると、確かに枕である。それ以外の何物でもない。そこでステラは気付いた。合宿に、枕。この条件がそろえばここにいる人間のやりそうなことなど容易に想像がつく。
複雑に思いつつも、枕が飛んできた方向を見るとそこには同じく横になって笑みを浮かべたナタリーがいた。なぜかウィンクをして、明るい声で言う。
「うふふ♪ やっぱり合宿といえばまくら投げよね~」
(ああ、やっぱそうなるのね)
苦笑しつつステラは枕を投げ返す。さっきの仕返しだ。もちろんそれなりの力をこめた。ぶん、という音と共に白いそれは宙を舞い、今度はナタリーの黒い髪に直撃した。
「あ、やったわね! この剣術だけが売りに売れない売りの男勝り女!」
「何よ、その無駄に長いあだ名!?」
勝手に変な呼び名をつけられ、思わず言い返す。とはいってもその言葉はすべてが事実なので少しだけ悲しくなったが、それは内緒である。
それはいいとして、問題はここからである。このやり取りに気付いたのか、男性陣も首をつっこんできたのだ。まず口火を切ったのは、いつものごとくジャック。
「お、まくら投げか!? 楽しそうなことをするね」
「俺も枕持ってるし、参戦しようかな~?」
そしてさらに困ったことに、ナタリーがそれをあおった。すっかりテンションが上がっている。
「お、良いわね! どんどん来なさい!」
「え…………えぇ~」
ステラは情けない声を上げたが、既に目の前ではまくら投げが開始されていた。いや、よく見ると枕以外の何かとんでもないものまで宙を舞っている気がする。例えば――トニーの分厚い本とか。あれは痛い、きっと痛い。
そのうち軽い乱闘に発展するのではという一抹の不安が脳裏に過ったステラは、慌てて唯一の傍観者に目配せした。
「ちょ、これなんとかしてくんない? レク!」
いつもなら「やれやれ、しょーがねーなぁ」とか言いつつちゃっかり本人も参加してしまうのがオチである。それを思い出したステラが「しまった!」と思うのだが、その予想に反してレクシオ本人は気乗りしなさそうな様子であった。
「いんや、俺はもう寝るわ~」
「………はい?」
反問する。そして同時に確信した。
やはり、あの部屋に行ったあとのレクシオは何か変だ、と。いつもの彼とは明らかに何かが違った。話し方や物腰は変わっていないが、明らかにいつもよりノリが悪い。こんな彼をみているとだんだんと不気味になってくる。なので、一応訊いてみた。
「あのさ、やっぱりどこか悪いんじゃない?」
「いや、どこも~……」
彼はまた言葉を濁そうとしたが、何か途中で思いとどまったらしく、言葉を切った。それから、真剣な目でステラを見据えてくる。その後小さく、「……おまえにごまかしても無駄か」と言って布団――実際は薄い毛布――ごとこちらに近寄ってきた。
「な、何よっ」
思春期のせいなのか敏感になって、乱暴な口調でそう言う。が、レクシオは軽い調子でなだめてきた。
「まあ落ち着けって。俺にそっちの趣味ないし? それより、一応忠告しておこうと思ってさ」
「忠告?」
彼女が訊くと、レクシオはまくら投げもとい物投げ大会を開催している連中の方をちらりと見てから、声を潜めて言うのだ。
「今夜早速、何かが起こるらしい――ミシェールが、それをほのめかす発言をしたんだ」
「はっ?」
一応彼に倣って声を潜めてそう返したステラ。正直、何を言っているのかが分からなかった。今、確かに彼はミシェールと言った? だが、あの時は笑い飛ばしていたはずだ。
すると相手は、まるでこちらの心を読んだかのように続ける。どこかからかうような響きがあった。
「俺の本心も読み取れないくらい鈍くなったか? 腐れ縁」
「――! まさか……本当に?」
こいつの雑学王っぷりと勘の良さは侮ってはいけない、というのは昔からよく分かっていたことである。素直に彼が言ったことをのみこんだステラは、うなずくレクシオを見て言った。
「じゃ、今夜は早めに寝た方がいいかな。意外と早くことが進展して、団長は喜ぶでしょうね」
同じくからかうように言ったものの、内心ではかなり動揺していた。今夜早速、『人形の館』の真実にまつわることが起こる――そんなことを告げられれば、気が気でなくなるのは当然だった。
それでもミシェールの口から直接それを聞いたはずのレクシオは随分と冷静で、いつもの屈託ない笑顔を浮かべて返してきた。
「おう。そうしとけ、そうしとけ」
この言葉を最後に自身が布団へ潜り込む。なぜかその様が頼もしく映るのは、恐らく自分だけだろう。そう思って苦笑したステラは、次第に罵詈雑言まで飛び交い始めた物投げ大会の方を見た。と、同時に何かが頭に当たる。
「でっ!! ちょっと、何よ」
言って頭から落下したものを見ると、なんとそれは懐中電灯だった。ちょっと青ざめて、その場で固まる。
「ああ、すまない!」
腹が立つほどのん気な声を上げたのは、ジャック。懐中電灯なんてわざわざ準備しているのはジャックかトニーくらいのものだろうと踏んでいたが、その通りだったようだ。
その後も何事も無かったかのように大会を続行するメンツを見て、ステラはひっそりと嘆息した。
「こりゃ、しばらく安眠できそうにないわね」
それからせめて頭を保護するためにも、タオルケットの中に潜り込んだ。
こうして、始まりの夜がやってくる――