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こうやって実物を目の前にしてみると、あれは単なる怪談なんかじゃないのでは、という思いが強まった。大して寒くもないはずなのに――というかむしろ暑いはずなのに――ぶるるっと体を震わせるステラである。
彼女を含む五人は現在、小さな山の奥にある通称『人形の館』の前へ来ていた。古い時代に建てられたという洋館はあちこちが朽ちたり崩れたりしており、とても見れたものではなかった。ただ、この館がボロボロなのは老朽化のせいだけではないだろう。ところどころ、焼けた跡のようなものが見てとれるのだ。さっきも言ったが、こういうものを実際に見るとどうにも『おはなし』に真実味が増す気がして、怖い。
ただ、そう思っているのはステラとナタリーの女性陣だけのようで、男性陣はどこか張り切った様子をみせていた。言うまでもなく、一番テンションが高いのはジャックである。
「ほーっ! ここが噂の館か。いかにもな雰囲気があるな」
「何か出そうな臭いがぷんぷんするねぇ」
トニーがまた穏やかに言う。そんな二人を見て、ナタリーがさすがに慌てた様子で訊いた。
「ちょちょ、ちょっと待ってよ。まさかこんなオンボロ館に泊まり込みするのぉ?」
――悲しいことに、ジャックはあっさりうなずいた。それから叫んで、トニーを伴い中へと入る。
取り残されたステラは、しかし意外な人間がそこに残っているのを見て首を傾げた。
「あれ? レクが意外と乗り気じゃないみたい」
すると彼は、半眼で館を睨んでうめく。
「いや、中に入るだけならいいけど泊まるのはちょっと……と思った」
「男子の中にもマトモな奴がいて、ほっとしたわ」
ナタリーが深々と息を吐いてそう言った。
幼馴染とも腐れ縁ともいえる立場のステラから言わせていただくとレクシオもそこまでまともじゃなかったりするのだが、まあこの際それは置いておく。
再びレクシオを見ると、彼は肩をすくめていた。
「ま、ここまで来ちゃった以上引き返すわけにもいかないし、このまま突入しますかね」
今度は女子二人で嘆息した。
「うん、だよね」
「やっぱりそうなるのか~」
思わず愚痴をこぼしかけたが、ここで言いあっていても仕方がないと思いなおし、三人でジャックたちを追って館に突入した。
なんの明かりもないせいで中は薄暗かったが、思ったよりちゃんとしていて、無事中ですごせそうな感じである。木造の壁や床は、触れる度にぎしぎしと音を立てた。レクシオを先頭に歩いて行くと、どうにかこうにか居間らしき場所に辿り着く。瓦礫になったソファとテーブルらしき物体が中心に転がっていた。そこには、ジャックとトニーがいて、ぼろきれと化した豪華な絨毯の上で辺りをキョロキョロと見回していた。ジャックは顎をしゃくって呟く。
「ふぅむ。家具の大部分が焼けていて使い物にならないが、館自体は思ったより平気そうだぞ」
「持ち物に『毛布などの布類』を入れといてよかったね」
なんとのん気な、と呆れたりもしたが、別の考え方をするとこの楽天的な奴らは案外頼もしいかもしれない。どんな時でも――良い意味でも悪い意味でも――動揺はしなさそうだ。
とりあえず私たちはどうする、という話になり、ナタリーはここに残ると言ったので、とりあえずステラとレクシオのいつものコンビでほかの場所を散策することにした。
ちかくにあった可愛らしい扉を開けると、そこには他と同じくすっかり焼けてしまった、子供部屋のような場所だった。かわいらしい内装からして、女の子のもののよう――
そこで、はっとする。
「まさか、ここって」
答えを求めてレクシオを見ると、彼も軽い調子で言った。
「チェルシーの部屋だな、多分」
「――っ!!」
背中を冷たい物で撫でられたような嫌な感覚を覚え、震えた。だが隣の少年は構うことなくチェルシー部屋を探り始める。ステラは黙って見ていることにした。ここが、あの女の子と奇妙なうさぎが過ごした部屋であるのなら、迂闊に物に触れたくなかった。
しばらく見ていると、ベッドらしき物の脇でレクシオが「あっ」と声を上げる。少し好奇心がわいてきたのでちらりとのぞき見ると、彼がなにか持っていた。
ピンク色をした、うさぎのぬいぐるみだ。
「ひぃっ!!」
思わず短く悲鳴を上げて飛び退くと、幼馴染に笑われた。
「ただのうさぎのぬいぐるみだろ? なんでそんなにビビるんだよ」
「だ、だ、だってそれ、絶対み、みみ、ミシェール……」
動揺を押し隠そうとして失敗し、震え声で教えると、彼は「わかってるよ」と言い捨ててぬいぐるみをベッドの脇に戻した。もしかしたら怪談は、彼にとってゴシップ程度のものなのかもしれない。あいにく、ステラはそのように思えなかったが。
その時ちょうど居間の方からジャックの声がした。「今後の予定を話し合う」らしい。こんなところで予定も何もないと思うのだが、とりあえず行くことにした。
「ほら! 聞きに行こうよ、レク」
部屋に背を向けつつそう声をかけたのだが、幼馴染の返事は予想していたそれとはだいぶ違った。
「悪い、すぐ行くから先始めといて」
その目は、怖いくらいに真剣だった。ここで余計なことを言ってはいけないかもしれない。
思ったステラは、素直に引き下がることにした。
「分かった。そうジャックに伝えとくよ」
返事はなかった。
☆
幼馴染が人形を見た時には笑い飛ばしたが、実際レクシオの方も少しばかり動揺していた。うさぎのぬいぐるみから嫌な気配を感じたのである。どんなもの、と訊かれても上手く説明できる気はしない。ひょっとしたらただの勘なのかもしれない。だが、基本自分の勘は信じることにしているレクシオは、その場に残って調査を続けた。
調査といっても、適当に部屋の中を見て回るだけである。渋面で辺りを見回し、壁や瓦礫に触っていく。手がかなり煤で汚れたが、気にならなかった。だがそれだけで、特に変わった物は見つからない。
(――とすると、怪しいのは人形か?)
確か話の中ではミシェールと名乗っていたその人形に再び視線を戻してみる。が、これがしゃべるぬいぐるみと言われても信じられない。それこそ、煤汚れだらけの古臭いうさぎのぬいぐるみである。とりあえず触ってみれば何か分かるかと思い、近づいた。だが、その前にベッドに触った時点で、怪しさ満点の現象が起きた。
急に視界が揺らぎ、頭が痛みだしたのだ。
「――っ!」
慌てて瓦礫となったベッドを支えにし、体勢を保つ。頭痛は思うほど気にならなかった。慣れた感覚だからだろうか。
(いつもそうだ。嫌な物を“視る”時は頭痛がする)
いらないおまけだな、と毒づいたところで虚空から声が聞こえてきた。
――ミシェールには、何か夢があるの?
――わたしは、ここから出たい。
声が聞こえなくなると同時に頭痛もおさまる。息を吐いて、うさぎの前にしゃがみこんだ。
「ここから出たいって、どういう意味だ?」
当然、答えはなかった。相変わらず小さな黒い目でこちらを見ているだけだった。レクシオはため息をついて立ち上がり、先程のステラのように部屋に背を向けた。気が乗らないので、うさぎに触るのはやめた。
だが、まさにその時。
『こんにちは、少年。お友達になりに来てくれたの?』
弾かれたように振り返った。
相変わらず瓦礫と灰とぬいぐるみがあるだけである。が、気持ちのせいなのか少しだけ部屋が様変わりした気がした。具体的にいえば、物も言わずこちらをみているうさぎが妙な不気味さをかもし出している辺りだ。
懸命に動揺を押し隠し、尋ねてみた。
「お友達、だって?」
夢であればいいとどこかで願う自分がいた。が、悲しいことに夢では済まなかったようである。
『そうよ、お友達。もしかしてさっきの女の子もそうかしら? ほかにも誰かいるみたいだったわね』
相変わらず人形は人形だ。だが、その声ははっきりとこう告げてくれた。
『あなたたちと仲良くなれる夜が、楽しみだわ』
それっきり声は聞こえなくなった。下らない予測に過ぎないが、多分あの声はミシェールのものだ。頭痛がした時聞いたものと全く同じだったから、間違いない。
あり得ないような光景を目の当たりにしたレクシオは、しかし不敵に笑っていた。
「夜に何かあるって?――だんだん、王道的展開になってきたじゃないか」
子供っぽい顔を形作る緑の双眸には、獣のような鋭い光が宿っている。レクシオはそのまま部屋に背を向け、四人のもとへと向かうのだった。