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そして、時は巡り放課後。すっかり朱色に染まった窓の外をながめつつ、ステラは学習室の引き戸を力いっぱい引いた。ガラガラとやかましい音を立て、戸が開く。学習室内はひどく簡素だった。ほかの教室と同じ板張りの床の上には、ふたつほどの机といすがあるだけだ。ちなみにどの教室とも同じで、前方の壁には黒板がしつらえてある。
そんな殺風景な教室に先客がいることを確認し、ステラは教室の中へ踏みこんだ。背後からさりげなくレクシオも入ってくる。
そこで、部屋の中心にいた人物が振り返る。黒髪黒眼の、舞台映えする顔つきの青年――ではなく一応年齢的に少年である。切れ長の目は楽しげに細められ、肩の少し下くらいまで伸ばした髪が少しばかり揺れた。どうでもいいが、実はレクシオと同じくらいの長さである。彼は後ろで束ねている。
劇団員のような彼は、二人を見るとレクシオとはまた違う明るい声を出した。
「ステラにレクシオ君か! 遅いじゃないか」
ちなみにレクシオの愛称については、一部の者のみで使われている。
彼――ジャックの声がけに、二人はそれぞれ応じた。
「いや~、終礼が長引いちゃってさ。すまんね、団長!」
「ところで、いつも思うけどなんであたしだけ呼び捨てなのかしら?」
半眼でジャックを睨み、ステラはいつものごとく不服を告げた。大体誰に対しても「君」づけの彼であるが、付き合いが長いせいなのかなんなのか、ステラだけは何度注意しても呼び捨てである。そしてこれまたいつものごとく、ジャックはまともに取り合わない。
「細かいことを気にしていたらもてないぞ!」
「やかましいわっ」
二人がそんなやり取りをしていると、どこからか声が聞こえてきた。
「ジャックー。全員そろったなら本題に入ろうよ」
その声に、ステラは机の方を見た。あと二人ほど、人がいる。一人は先程の声の主でもある、黒い短髪の気の強そうな少女だ。もう一人は亜麻色という少し変わった髪色と鳶色の瞳がやけに目を引く、やんちゃそうな少年。いうまでもなくグループの一員だ。
ジャックはそんな二人、特に少女のナタリーの方を見て、手を叩いた。
「おお、そうだな。ではナタリー君の言うとおり本題に入ろう」
(やっぱりあたしだけ呼び捨て……)
どうでもいいことにいちいち気をつかいながら、とぼとぼとナタリーの隣に並ぶ。更に、その隣にレクシオが来た。
ジャックは黒板を背に、堂々と言った。
「さて。今日ここに君たちを呼びつけたのはほかでもない、夏休み中の活動をお知らせするためだ!」
「確か、人形の館の調査……だったよね?」
亜麻色の髪の少年――名をトニーという――が細い目を瞬きながら訊く。「そうだ!」とやけに嬉しそうにジャックが言う。そこで、誰かが「ほい」という声とともに手を挙げた。隣のレクシオだ。
「俺、人形の館って聞いたこともないんだけど」
「あ。あたしも」
さりげなく幼馴染の疑問に便乗してやる。すると、残りの三人に奇妙な物を見るような目で見られた。代表してナタリーが口を開く。
「え、知らないの? 結構有名な話じゃない。ステラはともかくレクまで知らないとは思わなかった」
『…………?』
ナタリーの言葉に、思わず二人で視線を交差させた。その間には疑問符が飛び交う。ナタリーの言うとおり、ステラならともかくそんな有名な話を雑学王レクシオが知らないのは変な話である。
だが、そこでこんなジャックのフォローが入った。
「まあ、あの話は僕ら魔導科の間で多くささやかれている話だしね。武術科の二人が知らないのは無理もないことかもしれない。
よし、ここは僕が説明して差し上げよう」
そう言って一人で納得すると、彼は朗々と語りだした。
――昔々、その昔。とある山奥に豪奢な館がありました。そこには、一組の家族が住んでいました。男と女と、彼らの娘です。娘の名はチェルシーといいました。チェルシーは明るい女の子ですが、病気がちで友達ができませんでした。そんな彼女を不憫に思った母は、チェルシーにうさぎのぬいぐるみをあげました。チェルシーは大層喜びました。
それから彼女は、日々をずっとそのうさぎと共に過ごしました。そんなある日のこと、突然うさぎが喋り出したのです、ただのぬいぐるみであったはずのうさぎが。
『あなたは……だぁれ?』
訊かれて、チェルシーは少し驚いたもののすぐさま名乗り、今度はぬいぐるみに名を尋ねました。そのぬいぐるみはミシェールと名乗りました。
うさぎ――ミシェールが喋るようになってから、二人は以前にもまして仲良くなりました。そんな中、ぬいぐるみが喋ることを知ったチェルシーの両親は大層気味悪がりましたが、ぬいぐるみを取り上げることはできませんでした。
そんなある夜、ミシェールの様子が少しおかしくなりました。今まで黒かったはずの目が、淡く赤色に光ったのです。さすがに薄気味悪く思っていると、ミシェールが小さな声でこう言います。
『わたしのこと嫌いになっちゃったの? チェルシー』
その翌日、館は火事になりました。なぜそうなったのかは誰にもわかりません。火に巻かれて、チェルシーの両親は死にました。そしてチェルシーの部屋にも、火と煙が迫りました。
たすけて、と叫びましたが、当然誰も助けにきません。ですが、そばにいたミシェールがこう答えました。
『助けるのは無理よ、チェルシー。なぜなら、あなたがわたしを嫌いになってしまったから。あなたの親と同じように、人形だからという理由でわたしを嫌いになってしまったから』
違う、と否定しましたがミシェールは取り合いませんでした。そのうちにチェルシーも、煙に巻かれて死んでしまいました。
そして燃え盛る館に残されたうさぎのぬいぐるみ、ミシェールは、動かなくなったチェルシーを見て言いました。
『そうね。成り損ないのわたしのかわりに、たくさん人間のお友達を用意してあげるわ』
その目は、真っ赤に光っていました。――
ジャックが話し終わると、ステラは長い長い息を吐いた。
「何、その超危険な香りのするホラーは……」
「それこそ僕らが調査するにふさわしいものだろう?」
語り終えてすっかり満足しているジャックは、楽しげに言った。気乗りしなさそうなナタリーが顔をしかめていたが、歯牙にもかけていない。
「で、その館に行くのはいいけどさ。何を調査するわけ?……というかそもそも、どう言う風に調査すんの?」
レクシオが皆を代表してもっともな疑問をぶつける。さすがに残りの団員も、ジャックに注目した。彼はいつもとんでもないことを言いだすので、心構えが必要なのだ。
そして今回も、例外ではなかった。
彼は悪戯っぽく笑うと、堂々と宣言してくれたのである。
「今回の活動のために、夏休みの期間中、僕らはその館で夏季合宿を行う!」
その場の空気が凍りついた。ついでに、温度も二、三度下がった気がする。みんなが驚いて口を半開きにする中、ただ一人団長だけが愉しげに笑っていた。
しばらくして、我に返ったナタリーが反ばくした。
「なん考えてんのあんたは! いかにもやばそうじゃない! 死にそうになったらどうすんのよ~!!」
もっともである。だが、そんなときでも団長は余裕綽々だった。
「大丈夫さ。ここに揃っているのは魔導科と武術科のエリートたち。何があっても自分たちの力で対処できるはずだ!」
……尊敬すべきなのか、呆れるべきなのか、分からなくなってきた。
「本人やステラやレクシオに向けて言ってんのならわかるけどさ、俺たちはエリートじゃないぞ?」
トニーがやんわりと言う。いつもならその言葉に腹を立てるナタリーも、今回ばかりは首を縦に振っていた。ステラは内心で、都合のいい奴らめ、と思ったが口には出さないでおく。それどころかレクシオと共に、一切の意見をせずに成り行きを見守っていた。どのみちこうなったジャックを抑えられないことは目に見えているからだ。
案の定彼は二人の意見を聞き流し、再び強く手を叩いた。
「そんなことない! さあさあ、そうと決まれば日時連絡だ。集合は来週の朝九時、メルス市の自然公園だ。いいな!」
『よくな――――いっ!!』
力の限り抗議するナタリーとトニー、そしてノリノリのジャックを見て、ステラとレクシオは仲良く嘆息した。