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「はい、どうぞ~」
応接間のテーブルの上に出されたのは、クッキー。なんと、アナの手作りだそうだ。チェルシーと一緒になってそれをほおばる。最初は話しづらかったが、元々おしゃべりらしいチェルシーにのせられて、だんだんミシェールも喋るようになっていった。
昔から付き合いと言えば同じ大企業の令嬢たち相手だった彼女にとって、これは新鮮な体験である。余計な社交辞令がいらない、自分を包み隠す必要がない。とても幸せだった。
クッキーを食べ終えた後、チェルシーが唐突に立ち上がった。
「わ、何?」
ミシェールはそう訊く。すると、突然友人は彼女の腕をひっつかんだ。
「じゃあ、これからあたしの部屋に案内するわ!」
これまた突然の発言に、ミシェールは目をぱちくりさせる。だが、亜麻色の髪の少女は容赦が無かった。
「さ、行きましょー!」
「え、あ!? あれ、ちょっとチェルシ―――!!」
ミシェール必死の声がけもむなしく、ずるずるとチェルシーに引っ張られていった。
余計な社交辞令のいらない付き合いは楽しくて幸せだ。だが、これはこれでなかなかに大変かもしれない。一日目にして、ミシェールはそう悟るのであった。
この後すっかり勢いのついたチェルシーと日が暮れるまで遊びまくり、幸せいっぱいの気分で帰路についた。むろん、家に帰った後父と教育係に三時間みっちり説教されたのだが、あまり気にならなかった。
翌日も、館に足を運んでチェルシーと遊んだ。その翌日も、そのまた翌日も。彼女を始めこの家の人間は買い出し以外に外へ出ないのが少し気になったが、それでも楽しいからすぐに気にならなくなった。
こんなことは一年近く続いた。そしてその頃には、ミシェールとチェルシーの二人は切っても切り離せない大親友となったのである。
幸せだった。怖いくらいに恵まれていた。そしてこんな日々が、いつまでも続くと思っていた。だが、転機は唐突に訪れる――
「チェルシーが病気に?」
最初に出会った魔道具屋で、ミシェールはその話をアナから聞いた。今日も迷いなく館に行こうとしていた彼女にとっては衝撃の報せである。
「そうなのよ。だから、しばらくはそっとしておいてくれないかしら」
悲しそうな顔の女性に、ミシェールは素直にうなずいた。病気で辛い思いをしているのなら、調子に乗ったミシェールが上がり込んでも邪魔なだけだろう。気持ちが落ち着いてから、また見舞いにでも行こう。そう、思ったからだ。
軽やかなチャイムの音を伴奏に魔道具屋を出て、とぼとぼと帝都の道を歩く。思えば、チェルシーと出会う前……脱出ばかり繰り返していたあの頃も、こんな気持ちだった、とミシェールは気がついた。
実は初日の説教の後、父親にこんなことを言われていたのだ。
『今後もその子の所に行くのは構わないが、やることをきちんとやって、きちんと家の誰かにこのことを話してから、出かけるんだよ』
チェルシーと遊ぶためなら。その一心で、条件をのんだ。今まで嫌っていた勉強の時間を、いつもの倍頑張ってきた。あのすばらしく恵まれた環境に行きたい、ただそれだけのために、日々の辛いことを乗り越えてこられたのだ。
だからこそ、今回の報せは少女の心に痛恨の一撃をくらわせたのだ。あの楽しみが亡くなって、今後自分は何のために生きていったらいいのか……この時から彼女は、徐々に自分を見失いはじめていたのかもしれない。
気がつけば、泣いていた。目からこぼれおちる滴が、石畳に染みをつくる。
「チェルシー……会いたい、会いたいよ…………」
そのまま、泣きながらミシェールは家路についた。背後で、アナがその背中を見つめていることにも気付かずに……。
薄暗い部屋の中に、薪の爆ぜる音が響く。部屋の中心に置かれた古い椅子に腰かけ、二人の大人は話しこんでいた。
「チェルシーの病状は日に日に悪くなるばかりだ……」
昔医者をやっていたというチェルシーの父、ロナルドが頭を抱えてうめいた。それを見て、アナは目線を床に落としてぽつりと問う。
「何が、いけないのかしらね?」
当然誰にも答えなど分からない。その場に沈黙が下りた。夫婦そろって顔をしかめ、古くなった床を見つめる。こんな姿をチェルシーが見たらなんと言うだろう。どんな顔をするだろう。思いながらも、苦渋の表情を消すことができなかった。
そこでアナは、ふと昼間のことを思い出す。偶然魔道具屋でミシェールと再会した時のことだ。あの子も、報せを聞いた時はとても悲しそうな顔をしていた。今生の別れになるわけでもないのに、とても絶望したような表情だった。
『チェルシー……会いたい、会いたいよ…………』
去り際の呟きが思い出され、心を締めつけた。もしかしたらうちの娘も、同じことを思っているのかもしれない。
「……そうか」
ここで、唐突に閃いた。驚愕の表情で顔を上げるロナルドに、アナは指摘した。
「友達よ! あの子に、新しい友達を作ってあげればいいんだわ!」
ミシェールを会わせるわけにはいかない。確かにお互い喜ぶだろうが、そうでもして万が一彼女に病気がうつってしまっては困るのだ。だから、人間ではない友達を作ってやればいい。だが、その妙案を耳にしてもロナルドの反応は鈍かった。
実は、それと同じことを以前に一度試しているのだ。彼女がミシェールと出会う前、一度大きな病気をした時に。母親お手製のぬいぐるみを与えてやって、最初は娘も喜んだが、家を出ない日が長くなるにつれ、逆に寂しそうにぬいぐるみをながめるようになったのだ。これでは逆効果である。
加えて、今はミシェールという人間の友達ができてしまった。ぬいぐるみで気を紛らわすことのできる時間は、さらに短くなっているかもしれない。
相変わらずの苦渋の表情で、ロナルドがうめいた。
「意思を持った人形でも与えん限り、その方法は聞かないぞ……」
絶望的だ。そう思ったが、この一言がアナに思わぬアイデアを与えた。
「意思を持った……人形」
うわごとのように繰り返し、アナは自分の両手を広げる。そこには、確かに色の悪い手があった。今まで『力』を振るってきた、手があった――
美麗な顔に、ゆっくりと笑みが広がっていく。普段の優しい笑顔とは少し違う、どこか残酷ささえたたえた笑顔。
「大丈夫よ、あなた」
再びロナルドが顔を上げた。今度は少し怪訝そうだった。そんな彼に、止めのように言ってやる。
「私、魔導士だわ」
何年間も連れ添った男は、さすがというべきか、この一言ですべてを察してくれたらしい。たちまち、黒い瞳が驚愕に揺れた。さっきまでの生気のない表情よりはましだったが、血の気は皿に引いた気がする。
「おまえ――まさかっ!!」
半ば怒鳴り声に近い夫の叫びが、アナの耳を突いた。だが、彼女は動じない。にっこりほほ笑んで答えた。
「うまくやるわ」
赤い火を背にゆれる女の影は、大層不気味だったことだろう。ロナルドが、ぶるりと震えた。




