其の者、風邪をひく。
「……ん、ぐしっ!」
「キイ、風邪?」
変なくしゃみには触れず、レイは心配そうにそう言ってあたしの額に手を伸ばした。
あたしの額に触れ、少し顔を顰めるとそのままあたしを抱き上げる。
「うぁ、ちょ、何?」
「すごい熱だから休まないと」
そう言ってベッドにどさりとあたしを降ろすと、すかさずメィサとリィサが濡れタオルやら毛布やらを用意し始める。
さっきまであたしは、いつものように執務をサボってあたしの部屋を訪れたレイとそれを咎めに追ってきた団長さんとレオンさんも含めて優雅にお茶をしていた。
相変わらずサボり癖が直らないレイには呆れるが、暇を持て余しているあたしにはちょうど良い話し相手だ。
そんな中でどういうわけか、普段からあまり体調を崩さないあたしが珍しく風邪をこじらせたようだ。
「じゃあまた夜様子を見に来るから、ちゃんと安静にしておくんだよ?」
そう言ってレイ達は部屋を出て行ってしまった。
必然的に再び暇になったあたしは、仕方なく瞼を閉じて眠ることにする。
コンコン……
遠慮がちに部屋のドアをノックすると、何やら困惑した様子の双子侍女が出迎える。
それを横目に部屋へと足を踏み入れ、ベッドの方に目を向ける。
「副団長様……」
「小娘の容態はどうだ?」
「はい、それが少し熱が上がってきた様子で……」
言葉を最後まで聞かず足早にベッドへと近付くと、確かにキイの顔は赤く火照り、息も荒くて辛そうだ。
汗で額に張り付いた髪を払ってやろうと手を伸ばした指が、突如バチッという音を立てて弾かれた。
「これは……」
「私達は……これ以上近付くこともままなりません……」
少し離れた所から、双子侍女の片割れが口を開く。
キイの身体からは明らかに膨大な力が溢れ出していて、特別な力を全く持たない侍女達は近寄れないのだろう。
しかしこの国一の魔導師である俺でさえキイに触れることができないとは……
そもそもこんな膨大な力を秘めた人間を見た事がない。
やはりこいつは……
そこまで考えを巡らせると、首を振ってその場を離れて部屋を後にする。
キイが神の申し子だと?
あんなふざけた小娘がそんな大層な者のはずがないだろう。
あいつが現れた時は確かに俺もそう考えたが……そんなわけがない。
「あいつは普通の人間なんだ……」
そう自分に言い聞かせるように言うと、陛下の執務室へと足を向けた。
「ああ、レオン。キイの様子はどうだった?」
執務室に入るなり、陛下がパッと立ち上がって駆け寄ってくる。
その後ろを心配そうな顔のウォルが続き、俺は渋々先ほど目にした光景を二人に告げた。
「力……? それは魔力ってこと?」
「いえ、それが……魔力ではないんです。もっと違う、膨大な何か……」
俺の言葉に、陛下とウォルが眉を寄せる。
まぁ、そんな顔をするのも無理ないだろう。
このミシュアに、魔力以外の力が存在するなど聞いたこともない。
もし魔力以外に力があるとすれば、それは……
「神力……」
「陛下、しかしあの小娘が……」
「否定したいのも分かるけど、それ以外にあり得ないだろう?」
俺の言葉を遮るように言うと、陛下はドサリと応接ソファーに腰を下ろして両手で顔を覆う。
そして深く溜め息を吐くと、固く握り合わせた両手の上に顎を乗せる。
俺もウォルも視線を下に向けたまま唇を噛み締める。
「……分かってると思うけど、この事が教会の人間に知られたらキイには二度と会えなくなるよ」
陛下が眉を顰めて呟いた言葉に、俺達がぴくりと同時に反応するのが分かった。
ミシュア神であるミシュリアムスを崇拝する教会の人間が、かつて神の申し子を滅ぼしたと言われている王宮の人間を目の敵にしているのは知っている。
もし神の申し子が再び現れたと知ったら、どんなことをしてでも奪い去りに来るだろう。
あそこの連中は正気じゃない。
ミシュア神に異常な程の執着心を持っているんだ…そんな奴等にキイを渡したら……
同じ事を考えていたのか、ウォルが苦い顔をする。
そんな俺達を見て、陛下がくすりと笑いを漏らす。
「知られなきゃいいんだよ」
そう言った表情は、自信に満ちていた。
俺達が難しい顔を崩さないのを見ると、足を組んではっきりとした眼差しを向ける。
「大丈夫だよ。僕を誰だと思ってるの?」
いつものおちゃらけた陛下からは想像もつかない程の威厳に満ちた笑顔に、俺達もふっと口元を緩める。
俺達は今まで、陛下のこういう表情を幾度となく見てきた。
そして、陛下は言葉通りの成果をいつだって残してきたんだ。
だから俺もウォルも、王宮の人間は皆僅か二十歳にも満たなくして王位を継承した青年を一国の国王陛下として認め、今まで多大なる忠誠心を抱いてきた。
「……そうですね。陛下がそう言うのなら大丈夫なのでしょう」
「ああ、そうだな」
ウォルと頷き合い、三人は重い空気を取り払うようにして伸びをした。
「じゃ、キイの様子見に行こうか」
陛下の一言に俺達も頷き、執務室を後にした。
「……ん、」
レイが帰った後あまりの身体のだるさに悶々と眠っていたが、ふと人の気配を感じて目を覚ます。
ひどい頭痛に頭を押さえ、視線を横に移すと何故か遠巻きにあたしを眺める多数の人間。
視界がぼやけていてよく見えないが、シルエットからしてレイ、団長さん、レオンさん、それと何故か一際遠くに双子侍女とアル。
あたしが目を覚ましたのに気付いているだろうけど、一向にこちらに来ようとはせず未だに遠巻きにあたしを見つめている。
……何してんのあの人等。
いやいや、冗談抜きで怖いんですけど。
そんなにじっと見ないでよ、本当に。
あたしが顔を顰めながらその様子を見ていると、すたすたとレオンさんがこちらに歩いて来た。
「お前、その妙な力ひっこめろ。流石の俺達も圧力に耐え兼ねる」
「力……?」
そう小さくあたしが呟くと、テーブルの上のグラスにピキッとヒビが入った。
その様子にその場にいた全員が顔を引き攣らせて後ずさる。
近くにいたレオンさんまでもが実に素早く元の場所へ戻っていってしまった。
「ちょちょ、なんですか!? これ! どうにかして下さ……」
思わず大きな声でそう言うと、窓ガラスが凄まじい音を立てて砕け散ってしまった。
溜息を吐いて顔を手で覆うレオンさんと、唖然とする他一同。
何がどうなってるのか分かりません……
「しょうがないなぁもう……」
どこか気の抜けた声と共に、突如ベッド脇にルシファーが現れた。
その光景にひたすら唖然とする一同だが、約三名は次第に眉間に皺を寄せ始める。
「はは、お久しぶりー」なんて呑気に言いながら、ルシファーはあたしに向かって手をかざす。
すると、今までだるかった身体が一気に軽くなり、ピリピリとしていたその場の空気も一気に和らいだ。
そして窓に向かって手をかざすと、粉々になった破片が徐々に集まって来て元の綺麗なガラスへと直ってしまった。
それを見ながら呆気にとられていたレオンさんが、ずかずかとルシファーに歩み寄って鋭い視線を投げかける。
「お前、何をしたんだ?」
「何ってーキイの風邪を治してあげただけだよ~」
いやいや、さらっと言うことなの? それ。
この世界では当たり前なの? そうなの?
心のなかでツッコミを入れつつ、普段通りの体調に戻って一安心。
それにしても……この人は一体何者なんだろう。
しげしげとルシファーを眺めていると、レオンさんの鋭い視線がこちらに向けられる。
「……そもそも小娘、お前とこいつはどういう関係なんだ? こいつは何者だ。どこで知り合った? その以前に何故この王宮に易々と侵入しているんだ」
次々と出される質問を順に頭の中で追っていってると、初めの方から順番に脳内削除されていって結局何を問われているのかが分からずはて、と首を傾げる。
その様子に、レオンさんが呆れたように目を閉じて溜息を吐く。
「小娘……お前の記憶力はどうなっているんだ!」
「失礼な! レオンさんが次々に質問するのが悪いんでしょう!?」
「っ……分かった。では聞くが、この男は何者だ?」
ぐっと堪えながら、ゆっくりとあたしに問いかける。
「……さぁ?」
ピキッ
はて、と首を傾げるあたしに、レオンさんの額に青筋が一本立つ。
「……なら、お前とこの男はどういう関係なんだ?」
「…………さぁ……」
ビキィッ
「……この男は何故いとも簡単にこの王宮に侵入しているんだ。お前が客人として招いているのか?」
「………………さぁ……」
ブチィッ!
「小娘ぇぇ! お前は何故素性も知れぬ不審者と平然と過ごしているんだ!!」
ひぃぃぃっ……!!
ついにブチ切れたレオンさんに恐れおののきながらルシファーに助けを求めようと視線を投げかけるが、当のルシファーはテーブルの上のお菓子を漁っているではないか。
ルシファアァァァァァァアッ……!!
心の中で怒鳴るが、レオンさんに睨まれている状態で口に出せるはずもなく。
あたしはその後小一時間レオンさんによる説教を受ける羽目になったのだった。
読んで下さって有り難うございます!
この小説、なかなか短編になってしまうかも…?
できるだけ長引くように色々番外編も盛り込んでいこうかな……うーん…。
とりあえず、次話も読んで下さると嬉しいです!
ではでは。