其の者と金色の男
「……ん、」
ふと鼻孔をくすぐる良い匂いに目を覚ますと、見知らぬ天井が目に入った。
朦朧とする頭でゆっくりと起き上がり、再び周りを見渡す。
どうやら部屋のつくりはあたしの部屋と同じらしいが、ほとんど家具が置いていない。
良く言えばシンプルだが、悪く言えば殺風景だ。
「ん、ああ。起きたか?」
声がした方へ目を向けると、扉で区切られた簡易キッチンの方から団長さんが顔を出した。
その手には食器を載せたトレイを持っている。
そのトレイをベッドの横のテーブルに置き、あたしにスプーンを手渡す。
食器の中に目を移すと、お粥のようなものが入っていた。
「……これは?」
「マールと野菜を煮たラユという料理だ。消化に良いから食べろ」
スプーンで掬って一口食べてみると、日本で言う七草粥のような味がした。
この世界にもお米は存在していて、こっちでは"マール"と呼ばれている。
程良い塩加減で美味しくて、もぐもぐと食べ進める。
丁度食べ終わった頃、団長さんが気まずそうに口を開いた。
「キイ……昨日の事は覚えているか?」
「?昨日……っ」
団長さんの言葉をきっかけとしたように、昨日の惨劇が一気に蘇ってきた。
目の前で広がっていた血生臭い光景が、次々と脳裏に蘇る。
次第に荒くなった呼吸を整えるように胸に手をやるが、それと共に吐き気があたしを襲う。
口に手を当ててうずくまるあたしの背中を、団長さんが優しく擦る。
「悪い……もういいからもう少し休め」
「あの……メィサ達は……?」
「ああ、双子の侍女も護衛騎士のアースノルドも軽傷で済んだ」
その言葉に、あたしはホッと肩を撫で下ろす。
けど、他の騎士達の死は変わらない事実で。
血にまみれたあの青年の微笑みが蘇り、言い様のない不快な感情が込み上げる。
そんなあたしをなだめる様に頭を乱暴に撫でると、団長さんは部屋を出ていってしまった。
乱れた髪を直しつつ団長さんが出ていったドアを見つめる。
きっとあの人みたいに皆あたしを気遣ってくれる。
誰も責めたりしないし、あたしの周囲に置かれている人は皆いい人だって分かってる。
けど、亡くなってしまった騎士達のご家族達は…。
あの黒い青年は、やっぱりあたしを殺そうとしてあの部屋に入ったのだろう。
そして、そこに居合わせたメィサ達と、異変に駆けつけた騎士達が…
「あたしだけ……殺せばいいのに……」
素性も知れないあたしを"キイ様"って呼んで、いつも声を掛けてくれて……
一人ぼっちでこの世界に来たあたしには、ここの騎士達は本当に心の支えだった。
話し相手がいないあたしに色々な事を教えてくれたメィサ、リィサ、それにアルにまで怪我をさせて…
そして心細いあたしを気遣ってくれた騎士達は、あたしの為に死んでしまった。
本来殺されるはずだったのはあたしであってあの人達は命を落とす必要はなかったのに……
「ロウェンはいつもあたしの大切な人達を奪っていくんだね……」
気付けば、虚ろな目から一筋の涙を流しながら、あたしはそう呟いていた。
ロウェン……?
いつもって……前にもこんなことあったっけ……?
そうだ、前にもこんなことがあった。
……けど、大切な人達って誰?
あたしの家族は、ちゃんと生きていてこの間は結婚式を……
「また、ロウェンが惨い事をしたみたいだね」
「え……?」
いきなり聞こえた声に顔を上げると、ベッドの横に金色の髪と瞳の青年が立っていた。
それは紛れもなく天幕の中で出会った青年で、その足はやはり地面にはついていなかった。
青年はふわりとベッドに座り、あたしの髪を撫でる。
「ごめんね……また、止められなかった」
「何を……言ってるの? また、ってどういう事?」
「……思いだしたんじゃないんだね」
一瞬キョトンとし、悲しげに微笑んでそう呟いた。
その微笑みがあまりにも切なくて、再びあたしの頬を涙が伝う。
それを拭うようにしてあたしの頬を撫でると、青年は首を振った。
「……言えない。話せない……思い出さない方が君の為なんだ」
「ねぇ、やっぱりあたし何か忘れてるの? 何を? だってあたしはずっと家族と平凡に暮らしてきて……」
「思い出したら、きっとまた君は壊れちゃうから……」
あたしの両肩を掴んで絞り出すようにそう言うと、少しの間俯き「ごめんね」と呟いて青年はあたしの額に掌をかざした。
ふと目の前に影が落ち視線をあげると同時に躊躇するように揺れる金色の瞳と視線がぶつかって、あたしの唇は優しく塞がれた。
「キイ、身体は大丈夫?」
ふと聞こえた声に瞼を開けると、心配そうに覗き込むレイ(国王陛下)の顔が目に入った。
今さっきまで似たような顔を見ていた気がして、ん? と首を傾げる。
鈍く痛む頭を押さえながら身体を起こすと、部屋には双子侍女とアル、団長さんとレオンさんも顔を揃えていた。
「え、皆さん何故そんなお葬式みたいな表情を……」
「やかましいっ」
レオンさんの発言と共にあたしの頭がスパーンと叩かれた。
この人あたしを何だと思っているんだろうか……仮にも女の子なのに何度も何度も人の頭を叩きやがって。
頭を擦りながらぎろりとレオンさんを睨むあたしに、レイが苦笑しながら声をかける。
「キイ、三週間も眠り続けてたんだよ?」
「は? 三週間!?」
「うん。その間レオンがずっと魔法で栄養を送り込んでくれてたんだよ」
そう言われてレオンさんを見ると、確かにその顔はすこしこけてやつれている。
フンっと顔を逸らされて仕方なく自分の身体を見降ろすと、手首が明らかに痩せ細っている。
うわ、気持ち悪。と目を逸らし、再びレイに顔を向ける。
「それでね、ついさっきキイが反応を見せたってレオンが駆け込んできて急いで皆で集まったんだよ」
そうなのか、とむむっと思考を巡らせるが、何故自分がこんな状況に置かれているのかがさっぱり理解できない。
そもそも、眠りに就く前の事が全く思い出せないのだ。
かろうじてこの王宮での暮らしは覚えているのだが、こんな状況に陥る程の大きな異変に遭遇した覚えもない。
……病気? え、もしかしてあたし、病気なの?
不治の病? 余命半年とかそんな感じのアレなの!?
「……あたしって、病気か何か? 何で自分がこんな状況なのかさっぱり……」
「……覚えてないのか小娘。あの惨劇の後一度目を覚ましてからそれっきりずっと眠り続けてたんだ」
「おい、レオン」
呆れた様に言ったレオンさんを、すかさず団長が咎める。
そんな様子に、あたしは再びむむ? と首を傾げる。
「あのー……"あの惨劇"って……?」
あたしがキョトンとして何気なく放ったその一言に、その場にいた全員が息を飲むのが分かった。
目を見開き、凍りついたようにあたしを見つめる様子にびくりと肩を震わせる。
え、ななな、何? え、怖いんですけど……
あたしがその状況に怯えていると、未だに目を見開いた状態の団長さんがゆっくりと口を開く。
「お前……何も覚えてないのか……?」
「え……?」
再び首を傾げるあたしの肩を、レオンさんがガッと掴んで焦ったような表情で揺すり始める。
「小娘、本当に覚えてないのか!? あの日起こった事を……!」
それは怒りを含んでいる様にも見えて、徐々にあたしの顔から困惑の色が見え始める。
自分が何故怒りを向けられているのかも分からないし、"あの日起こった事"の見当もつかない。
あたしの肩をギリッと掴む痛みに顔を顰めると、レオンさんをレイが目で咎める。
それに気付いたレオンさんは、渋々手を離して部屋を出て行った。
「キイ……もう少し休むといいよ」
レイはそう言って優しく微笑んであたしの肩に手を置くと、他の皆を引き連れて部屋を出て行ってしまった。
それからと言うものの、レオンさんは明らかにあたしへの態度がキツくなったし、レイも団長さんもあまり顔を見せなくなった。
その事に落ち込むあたしを気遣う双子侍女達もやはり様子がおかしくて、暫く一人になりたいとあたしは自室に籠るようになっていた。
そんな中、何故か頻繁にあの天幕で出会った青年があたしの元に現れるようになって、暇を持て余すことは無くなっていた。
「やほーキイ、元気?」
「ルシファー……昨日も来たでしょ。て言うか、どうやって現れんの? それも魔法?」
「んー……みたいな物かな?」
へらへらとごまかしながら、いつもの様に勝手にあたしの部屋のお茶を入れ始める。
いつの間にやらお皿の上にクッキーやケーキ等も乗せられていて、驚きと共に食欲がそそられる。
はい、とあたしにカップを手渡すと、自分もカップに口を付け、その場に静かな時間が流れる。
「……何でいつもあたしのとこに現れんの?」
あたしの問いかけを無視しながら、嬉々としてケーキに手を付けるルシファー。
これもいつものことだから、あたしも気にせずケーキにフォークを刺す。
「ね、息苦しいから庭園に出よーよ」
いつの間にやらケーキを食べ終えたルシファーが、有無を言わさずあたしの手を引く。
最近はちゃんと地面に足を付けて歩いてるし、特別目立つ事もないか、と渋々立ち上がる。
これもいつものことだけど、最初の頃は中に浮いたまま行こうとするもんだから止めるのに苦労したものだ。
庭園に出ると相変わらず空は曇っていて、爽快さの欠片もない。
やれやれとベンチに腰を降ろし、曇った空をぼんやりと見上げる。
ただただ曇っているだけで雨を降らす事もしない空が、今の自分に重なって見えて自嘲的な笑みが漏れる。
そんなあたしの頬がムギュッとルシファーによって抓られる。
「ほらーまぁたそんな不細工な顔する」
「……こーゆう顔なの」
不細工で悪かったわね、とその手を振り払い、お返しにルシファーの頬を抓ってやろうと飛び掛かるが、背の高いルシファーの顔にはなかなか届かない。
「ちょっと、抓らせなさいよーっ」
「やだよ、キイ本気で抓るんだもん!」
本気で抓りに掛かるあたしに、ついにルシファーも必死で逃げ始め、その様子を庭園で休憩している騎士達が可笑しそうに笑いながら眺めている。
これもいつもの光景。毎日毎日何かと言えばこうやって二人でじゃれ合う様に追いかけ合っている。
庭園で休憩している騎士達にとっては、キイ達のじゃれ合いが楽しみでいつもここに通っているのである。
「……楽しそうだね」
庭園で子供のようにはしゃいでいるキイと見知らぬ男を窓から見降ろしながら、レイは不服そうに呟く。
その言葉に団長とレオンも窓の外を見遣り、呆れた様な笑みを浮かべる。
三人にとっては執務室からその光景を見降ろすのが日課のようになっている。
「キイ、あの男には心を許してあんな笑顔を見せるのに……僕達には全然心を開いてくれない」
明らかに不満そうな声でそう呟くレイに、団長がレオンの脇腹を肘で小突く。
「お前がキイにあんな態度を取るからだろう」
「たまにはいいんだよ。皆あの小娘に甘い顔をしてたら怠けるだけだろう」
フンと鼻を鳴らしつつも、その視線はちらちらと窓の外に向けられる。
素直じゃないやつだなぁと団長とレイは呆れたように溜息を漏らし、同じように窓の外へ視線を戻す。
未だに追いかけっこを続ける二人は、まるで子供のようにも見える。
そんな時、男がちらりとこちらに視線を向けたかと思うと、急に立ち止まって勢い余ってぶつかったキイもろとも地面に倒れ込んだ。
わざわざ倒れる前に身体を反転し、キイを押し倒すようにして倒れ込んだその光景に執務室の窓にピキッとヒビが入る。
「……」
「……」
「……あいつ、いっそのこと消そうか」
薄ら笑いを浮かべて物騒なことを呟いたレイに制止の言葉もかけず、二人も同じような考えを沸々と湧きあがらせていた。
最近、王宮の間で噂になっているキイと金色の男の仲。
しかし色恋沙汰とは関係ないような二人の子供っぽい行動に三人は噂を一蹴していたが、やはりあいつ(男の方)にはその気があったのか……と眉を顰める。
その時、執務室の扉からは何とも言えないピリピリとした空気が溢れ出ていたという。(近衛騎士談)
「びっくりしたぁ……ちょっと、いきなり止まらないでよ」
絡まるようにして倒れ込んだ相方をむ、と見上げる。
ルシファーはあたしの後頭部と背中に手を差し込んでかろうじて地面の衝撃からかばっていた。
「いやぁごめんごめん。ちょっと可笑しくてさぁ~」
言いながらクスクスと肩を揺らすルシファーに怪訝そうな表情を向け、何が?と視線で問う。
「んー内緒~」
「別に良いけど、早くどいてよ。この体制意外に腹筋使うんだから」
「そうだ。いつまでそうしているんだ」
早くどけ、と放たれた不機嫌そうな声に二人してそちらに顔を向ける。
そこには、明らかに眉に皺を寄せているレオンさんと無表情でなにやら物騒なオーラを放っている団長さん、それにどこかアブナイ笑みを浮かべているレイが立っていた。
「あれ、来るの早いねぇ~」
「早くどけ、と言っている」
へらへら笑みを浮かべるルシファーに、団長さんが静かに言い放つ。
はーい。と言っていきなりルシファーが立ちあがるので、支えを無くしたあたしはゴンッと鈍い音と共に地面に頭をぶつける。
「痛い……」
その体勢のまま痛みに悶絶していたあたしを、すかさず団長さんが抱き起こす。
「大丈夫か?」
「……ええ、まぁ……。お久しぶりですね?」
頭を押さえて立ち上がり、少し唇を尖らせて言うとレイが申し訳なさそうに微笑んだ。
「ごめんね、キイ。最近執務に追われていて顔をだせなかったんだ」
「陛下がことごとくサボっていたからでしょう」
レオンの言葉に一瞬笑顔を引き攣らせながらも、再び心配そうにあたしに目を向ける。
「寂しい思いをさせたね、キイ」
そう言ってレイがあたしの手を取ろうとすると、あたしの身体がふわりと後ろに引き寄せられた。
その勢いのまま、ぽすっとルシファーの胸に抱きとめられる。
あたしが驚いて見上げると、ルシファーは後ろからあたしを抱きしめて三人に挑戦的な笑みを向ける。
「邪魔、しないでよ。キイは僕のなんだから」
そう言ってにこっと無邪気に微笑むと、次の瞬間にはあたし達はさっきまでいた部屋に戻ってきていた。
困惑したように辺りを見渡していると、突然視界が反転した。
背中に柔い衝撃を感じて閉じていた目を開くと、こちらを見下ろすルシファーの顔とその後ろの天井が目に入って漸くソファーに押し倒されたのだと気付く。
驚いて身体を動かそうとするが一向に身体が言う事を聞かず、ルシファーの瞳から目を逸らせなくなっていた。
「これ以上あの人達と仲良くなっちゃうと、あの人達の命が危ないよ」
静かに、真剣な顔で囁いたルシファーに眉を顰める。
「……どういう事?」
「また、ロウェンが怒って殺しちゃうから……」
「……ロウェン?」
「でも、覚えておいて。キイは、僕のものだから……」
その言葉にびくりと身体を強張らせたあたしに、ルシファーは優しく微笑んで身体を起こす。
そしてふわりと宙に浮かんであたしから身体を離すと、困った様に微笑んだ。
「……ごめんね、ちょっとやきもち妬いちゃった」
「やきもちって……」
あたしが呆れたように呟いて身体を起こすと、ルシファーは頭をぽりぽりと描きながら少し切なげな笑みを浮かべ、
「参ったなぁ。キイはいつでも周りを惑わせて……心臓が何個あっても足りないよ」
そう言ってへらっといつものように笑うと、そのまま姿を消してしまった。
あたしは茫然とその光景を眺め、再び首を傾げる事となった。
その頃、今しがた目の前で姿を消したキイと男がいた所を見ながら、三人は同じように顔を顰めていた。
「……そもそもあの男、何者なんですか?」
「さぁ、僕は知らないよ」
いや、お前が知らないなら明らかに不審者だろう。と、団長とレオンは死んだ魚のような目でレイのことを見つめていたのだった。
読んで下さって有り難うございます!
なんだかすごい逆ハー状態になっているんですけど…この場合女豹のようなライバルでも登場させた方がいいんですかね?苦笑
まぁ、とりあえず次話も読んで下さったら嬉しいです!