其の者、西の国へ
『――お前、小娘の事をどう思っている?』
昨夜レオンに言われた言葉を思い起こしながら、ぼんやりと天井を見上げる。
やけに真剣味を帯びた顔付きで突然そんな事を言い出した張本人は、「……何でもない、忘れろ」とだけ言って呆然とする俺を置いて王宮内へと消えていった。
己の問い掛けで俺が眠れずに一晩を過ごしたとも知らずに、恐らくあいつは飄々と朝の身支度を済ませていることだろう。
――――俺が、キイの事をどう思っているのか……
そうだな……そもそも出会いが特殊だった。
突然俺達の前に現れたキイは、誰からみても規格外な娘だった。
明らかに俺達とは考え方が違っていたキイは、それでも驚く程に容易く俺達の心に入り込んできた。
いつの間にかこの王宮に、俺達の傍にキイがいる事が……
あの屈託のない笑顔を振り撒いている事が当たり前になっていたんだ。
だからこそキイが闇の白銀達の手に渡ったと知ったときは、心臓が潰れるんじゃないかという程心配で堪らなかった。
その上、まるで自分達の手中にあるべき物を天敵に横取りされたかのような不愉快な感情が心を埋め尽くしていた。
後宮で顔を真っ青にした側室の女とその父親がみっともなく命乞いをしていた時、あの女の首に剣を突き付けていたのがレイではなく俺だったらどうなっていただろう。
あの時すかさず止めに入ったレオンを横目に見ながら、こんな人間生かしていて何になるのだろうかと考えていた自分を思い出すと、なんともおぞましく思える。
たった数月という短い期間の中でも、俺の中でのキイの存在は着実に大きくなっていった。
あの時、ふらりと立ち寄ったキイの部屋の扉の前に護衛の騎士がいないことを不審に思って扉を少し開けて中の様子に耳を澄ますと、いつになく真剣な、それでいてどこか緊張を帯びたレイの声が耳に入った。
『――好きだよ、キイ』
『僕の正妃になって欲しい』
レイがキイに想いを寄せているのは誰から見ても歴然だった。
そしていずれその想いを伝えるのも、正妃として迎え入れたいと申し出るのも時間の問題だと思っていた。
なのに俺は、本気なのか、と咄嗟に口にしていた。
レイが冗談であんな事を言う筈のないことは分かりきっていたのに、何故か滑り出るようにそう口にしていたのだ。
そして心のどこかで、冗談だと笑うレイを期待している自分がいた。
気付くべきではないと分かっていた。
あってはならない事だという事も、分かっていた。
――――己の従うべき主の想い人に心を寄せるなんて。
結局昨日も殆ど寝れず、寝不足でぼんやりとする頭のままのそりと起き上がる。
昨日は録に話し合いが出来ていない為に今日も朝食を共にするようにとのレイからの言付けを双子侍女から聞いたあたしは、今日は体調が優れないので部屋で休んでおくと伝えるように言って再びベッドへと潜り込んだ。
そしてその後小一時間根気よく目を瞑っていたあたしは、漸く訪れた睡魔によって意識を手放そうとしていた。
そんな時、不意に扉をノックする音が部屋に響き、次いで扉が開く音が耳に届いた。
仕方なく重い瞼を開けてそちらに視線を移すと、心配げな表情のレイが立っていた。
あたしがゆっくりと身体を起こすと、すかさず傍に寄って背に手を回してくれる。
「大丈夫? キイ」
「うん……何か用?」
もやもやとした感情につい自然ときつい態度になってしまったことに気付き、少し視線を落とす。
そんなあたしに、レイはベッドの端へ腰を下ろして「体調が優れないって聞いたから、心配で」と言いながら優しくあたしの前髪を掻き分ける。
そんな優しさですら煩わしくなって、思わずあたしはその手を払いのけた。
驚いて目を見開くレイから視線を逸らし、唸るような声を上げて毛布をぎゅっと握り締める。
「~っあぁ、もう! ちょっと一人にしてくれないかなぁっ? あたしここ最近色々あって疲れてるの。あんたの奥さん候補達には嫌がらせされるわ変な奴等に連れ去られて殺されかけるわ挙げ句の果てにあたしが神の遣いとか言われてただでさえこんがらがってんのにレイは告白のついでみたいにプロポーズしてくるし団長さんは団長さんでレイを推すみたいに無責任でお節介なこと言ってくるし、もうほんと嫌になる! あたしにはちゃんと今まで20年間生きてきた思い出と過去があるし、そのなかで大事な人も見つけて一緒になろうとしてたの! なのになんでこんな面倒事に巻き込まれなきゃなんないの? いい加減にしてよ!」
今まで溜まっていた不満を全て吐き捨てるように捲し立て、ハッと息を呑む。
ベッドに座っていたレイが、突然立ち上がったのだ。
そして無言のままゆっくりと扉の前まで歩いていくと、ドアノブに手をかけた状態で動きを止めた。
少しだけ顔を横に向けるが、髪に隠れたその表情までは見えない。
「……君にとって僕達との関係は面倒事なのか?」
いつもより幾分か低く、抑えたその声は明らかに怒りを含んでいるように思えて。
だけど今更言った事は取り消せない。
そして少しの沈黙が流れた後、あたしは小さく肯定の意を漏らした。
「……そう」
そう言ったレイは、静かに部屋を後にした。
――――何を、言ってしまったんだろうか、あたしは……
レイを、傷付けた……
ズキンと胸に痛みが走った瞬間、そのままあたしは意識を手放した。
――――……い……
「――……い……喜癒」
――――……だれ……?
懐かしい声に目を覚ますと、目の前には心配そうに顔を覗き込む自分の婚約者の顔があった。
ぼんやりとする頭をフル回転させて、自分の今の状況を思い出そうと試みる。
が、何故か一向に思い出せない。
「喜癒、どうした? ぼんやりして。まだ寝惚けてるのか?」
そう言って、いつものように優しく頭を撫でる。
ふ、と優しく微笑む彼に、安心感が芽生える。
「なんだろう……なんだかすごく長い、夢を見てた気がするんだけど……」
「喜癒、行こう。ほら、こっちだよ」
彼に手を引かれるままに足を進めていくといつしか手を引いていたはずの彼が消え去り、ただただ目の前の暗い空間へと吸い寄せられるような感覚が身体中を襲った。
「―――――っは……!」
酸素を求めるように大きく息を吸い込むと同時に、あたしはがばっと身体を起こした。
肩で大きく息をしながら、自分がびっしょりと汗をかいている事に気付く。
そして不意に視界に映った人物に、目を見開いた。
「――――久方ぶりだな……小娘」
小首を傾げ、さらりと白銀の髪が綺麗な頬を滑る。
細められた目に妖艶に輝く紫色の瞳が、あたしの視線を捉えて離さない。
「ジーク……さん……?」
「ほう……名前を覚えていたとは光栄だな」
「そ、んな……まさかっだってここはイーシュアの王宮で……っ!?」
言いながら辺りを見渡したあたしは、再び驚愕に目を見開く。
部屋の造りも家具も、窓から見える景色でさえ全てが先程とは全く違っているのだ。
「どう、いう……」
疑問と絶望に包まれたあたしに、口元にのみ笑みを浮かべたジークさんがゾクリとする程の低音で言葉を紡いだ。
「――――西の国ウェシュアへようこそ……リェン殿」