其の者、名を喜癒と云ふ。
――キミの名前は?
海のように深い青の瞳に、僅かな風でサラリとなびく艶やかな黒い髪。
恐ろしい程美しく整った顔の少年が、あたしの視線に合わせるように姿勢を低くする。
五歳位だろうか。
白く透き通った肌に浮かぶ血色の良い唇が、緩やかな孤を描いている。
――キイ。あなたの名前は?
一面の花畑に腰を落として花を摘む私に、穏やかな笑みを浮かべて少年は口を開く。
――僕の名前は……
ジリリリリリ……
「……ん」
室内にけたたましく鳴り響く時計を、手探りで探しながら眼をこする。
ふと時計へと手を伸ばす反対側に人の体温を感じ取ると、あたしの額に軽いキスが落とされた。
「おはよ。喜癒んちの目覚まし時計は相変わらず騒々しいな」
肘をついて半身を起き上がらせ、反対の手であたしの頬をそっと撫でる。
その心地好さにうっかり二度寝しそうになりながらも、欠伸を噛み殺して起き上がる。
何か……何か大事なことを忘れてるような……。
つい先程まで見ていた夢の内容がはっきりと思い出せない。
「朝ご飯、作るね」
寝起きで頭が冴えないあたしは曖昧な記憶を悶々と辿る気はなく、愛しい相手に一つ微笑んでキッチンへと向かった。
冷蔵庫を開けてベーコンと卵を二つ取り出し、トースターにパンを二枚セットする。
熱したフライパンでベーコンに軽く火を通すと、卵を二つ割り落とした。
焼き上がるのを待つ間に、やかんを火にかける。
数分後ダイニングテーブルには、ベーコンエッグ、サラダ、バタートーストと、淹れたてのコーヒーという簡単な朝食が並べられた。
ブラックのコーヒーと、お砂糖・ミルクたっぷりのカフェオレ。
あ、ちなみにブラックはあたし専用。
んでもってカフェオレは彼専用。
あんなにおっきい体してるのに甘党だなんて物凄いギャップだな、なんてくだらないことを考えながらクスリと微笑みを漏らすと、目の前の彼が目を丸くする。
「なに?」と言いたげな彼になんでもないと首を振ると、出来立ての朝食を食べ進めた。
週に一回。
毎週末に訪れるこのなんでもない時間が、あたしの至福の時だったりする。
それも、明日からは毎日なんだなぁ……とより深く幸せに浸りながら最後の一口を食べ終えた。
「綺麗よ……とても」
鏡に映る、純白のドレスに身を包んだあたしを涙ぐんだ目で母が見つめる。
それを貰ってあたしも涙ぐむと、「こら、お化粧落ちるでしょう」とあたしの小学生からの幼なじみである真弓に小突かれた。
いつも馬鹿ばかりしてる真弓とも、今日ばかりはお互い目頭を熱くしながら微笑み合う。
――あぁ、幸せだなぁ。
心から沸き上がるそんな想いを抱きながら、大きな扉を前にお父さんと腕を組んでいた。
少しどころじゃない緊張を匂わせる父親を横目に、ふふ、と笑いを漏らす。
そして、扉がゆっくりと開いて――――
――――広がっていたのは、果てしない森林でした。
完
……て、おい。
なんなの?
いや…………ほんと、なんなの?
や、違うでしょう。
目の前に広がる光景が違い過ぎるでしょう。
呆然とその場に立ちすくんでいると、さっきまで腕を組んでいたはずのお父さんがいないことに気が付いた。
「夢……か」
だよね。だって有り得なさすぎるよね。
あたし結婚式場にいたんだよ?
弱冠20歳にして心に決めた男性と永久の愛を誓おうとしてたんだよ?
こんな木がもりもり生えてるとこにいるわけないじゃん。
もしや、あれかな?
ドレスがキツすぎて気絶?
それか彼の浮気相手に一撃で殺されちゃって召されたのがこことか?
まぁなんにせよ……
……夢じゃないことは確かみたい。
だって、あまりにリアルすぎる。
何が、って、ほら。
匂いとかさ、気配とか……ん? 気配?
「そこで何をしている小娘」
小娘……あ、もしかしてあたしのこと?
小娘、か。
しかしなんとも不愉快な響きだな。
自然と眉間による皺を気にしながら、声のした方に振り向く。
……ちょっと待ってよ、あたし本当に召されちゃったの?
だってほら、目の前にこんな美形が……
「何をしている、と聞いている」
なかなか口を開かないあたしに痺れを切らしたのか、超絶美形な彼は少し語気を強めた。
「……何を、しているんでしょうか、私……」
「……何だと?」
あまりにも怪しすぎる上に馬鹿丸出しの答えに、更に不機嫌な声が返ってきた。ま、そうなるわな。
青い髪に赤い瞳を持つ彼は、やはり日本人ではないのだろう。
まぁもはやここが日本である確率なんか無いも同然だけど。
でも言葉は通じてるわけだし……
「あぁ、ドッキリ?」
そうか、この手があったか。
真弓のことだから、何かサプライズを用意してるんだろうなぁとは思っていたけ……
「この小娘を切り捨てろ」
おっと問題発言!
駄目だよ? そんな簡単に切ったりしちゃあ。
どーどーと、じりっと踏み出す若い兵士らしき青年に視線で物を言う。
どうやらドッキリじゃないみたいだね。
分かったから、その剣を下ろしなさい?
「もう一度聞く。貴様は何者だ?ここで何をしている」
ぷっちーん。
と、ナニカが切れた。
「あんたちょっと偉そうなんじゃない?」
「……何だと?」
あたしの言葉に、怒りを抑えたような声が返ってくる。
「初対面なのに小娘だとか貴様呼ばわりされる筋合いはないんだけど。そもそも、相手に聞くならまずは自分が名乗るべきなんじゃないの?」
もっともなあたしの言葉に、彼はぐっと苛立たしげな表情をあらわにする。
意外と真面目な性格のようだ。
「……私はイーシュア王宮騎士団副団長のレオン・アシュレイだ」
渋々といったように名を名乗る。
せっかくの美形が台なしだ。
「あたしは日本のとある男性の花嫁になるはずだった、神塚喜癒です。」
よろしくとにっこり微笑んでやると、怪訝そうな顔を向ける。
「花嫁……? 貴様がか」
「あら、何か問題でも?」
刹那、二人の間に火花が散り始めた。
それにしても失礼な男だ。
いくら顔が良くても中身がこれじゃあ……
「何をしている?」
低音でありながらも良く通る声が放たれた。
レオンと名乗った男はあたしの後方に目をやると、左胸に右手の拳を当てて敬礼のようなものをした。
「レオンか……この娘は?」
「は、そこに立ち尽くしておったので声をかけたのですが……」
と、そこでレオンは言葉を切ってあたしに目を向ける。
あ、そういえば何してたか答えてなかったっけ。
振り返ると、そこには20代後半であろうこれまた整った顔の男性が立っていた。
レオンのような彫刻みたいな美形ではなく、自然と好感を持てる絶妙な顔立ちだ。
そうだな――消防士とかレスキュー隊、もしくは自衛隊にいそうな感じ。
涼しげな瞳と同じ亜麻色の短髪が爽やかさを際立たせている。
あたしの横をガシャガシャと鎧の音を立てて過ぎると、レオンの横に立つ。
割りと身長の高いレオンより、拳一つ分ぐらい高いようだ。
遠くからみた姿がこの世の誰よりも愛しいと感じた彼と少し重なって、胸がちくりと痛んだ。
「娘、名はカミヅカキイというのか?」
アクセントおかしいよ、お兄さん。
「いえ、名は喜慰の方です」
「キイ……お前は何処の国の者だ?」
あたしの名前を確認するように呼ぶと、再び視線をこちらに投げ掛けた。
国……そうか、やはりここは日本ではないんだ。
「日本です」
「ニホン……?」
聞き慣れないというように片眉を器用に上げて繰り返す。
まさか……これはまさかの……!
「そのような国、聞いた事がないが」
はい、きました。
これはきっとアレなんですねぇ〜(滝口順平風)
俗に言う、いわゆる異世界トリップというやつなんですねぇ〜(滝口順平風)
へらっと馬鹿丸出しの怪しい笑みを浮かべたと思うと、その場にがくりと項垂れたあたしに、より一層怪訝そうな顔を向ける二人。
「どうした、キイとやら」
どうしたもこうしたも……
え? あれって物語の中だけの話じゃないの?
現実に起こりうることだったりするの?
ていうか結婚式当日に召される(トリップ)なんてどーなのそれ。
信じらんない……
もう、彼には会えないのかな?
あの幸せな時間は二度と味わえないのかな?
一気に押し寄せる悲しみ、淋しさの感情に、数分前とは違った意味で目頭が熱くなってきた。
「おい、どうした?」
いきなり座り込んで瞳をじわりと潤ませるあたしに、少し動揺したような亜麻色の男性が声をかける。
長い脚でたった数歩で傍まで歩み寄ると、あたしの肩に手を置いて顔を覗き込む。
「……大丈夫か?」
亜麻色の瞳が、愛しい彼の色素の薄い瞳と重なってどうしようもなく切なくなった。
「うーっ……会いたいよぉ……」
ぼたぼたと涙を零しながら紡がれたその言葉に、目の前の男は僅かに目を見開いた。
その後延々と泣き続けるあたしは騎士団の天幕へと連れて行かれ、温かいスープをご馳走になった。
「異世界から来ました」
なんて有り得るはずのないことを言う勇気もなく、今頼れる人間はこの人達しかいないので自分は記憶喪失という設定を作ってしまった。
そうして、記憶喪失中のあたしは記憶が戻るまで一旦王宮で預かられることになったのである。
それにしても、このドレス歩き辛いな。
なんて軽い思い付きで、うん十万円のドレス(しかも借り物)を騎士の短剣を借りて破いてしまったのはここだけの話。
読んで下さって有り難うございます♪
更新頑張っていきます(^^)/