其の者の迷いと掠める想い
――――寝れなかった……
午前七時頃。
あたしは既に朝日が降り注いでいる見慣れた部屋の天井をぼんやり眺めていた。
昨日あの後双子侍女に促されて湯浴みをしてベッドに入ったんだけど、結局朝まで眠れなかった。
――――告白ついでにプロポーズかよ……
夜中中延々と心の中で唱え続けた言葉を再び心の中で唱える。
やだやだ。あたしって徹夜とか得意じゃないんだよね。
だからなかなかベッドから出られない。
……あ、寝れそう…………
と、思った瞬間、バーーン!と爽快に扉が開かれた。
「おはようございますキイ様! 今日は陛下と宰相様、そして団長様副団長様と共に今後の話も含めて一緒に朝食を、と陛下からのご命令です」
あいつ……人の気も知らないで勝手な事言いやがって。
にこにことあたしに歩み寄る双子が何故か恨めしく思えてしまう。
睡魔、恐るべし……
ガンガン痛む頭を押さえてむくりと起き上がり支度を始める。
そして鏡に映る自分を見て溜息一つ。
――――ヒドイ顔……
「……キイは何故怒ってるんだ?」
「別に怒ってません」
食事の席に着いてからというものの一切何も喋らずに黙々と食事を口に運んでいるあたしに痺れを切らしたのか、気遣わしげに漏らされた団長さんの言葉に被せるような形で言う。
怒ってませんよ? 団長さんにはね。
なんだか心なしかしょんぼりしてしまった団長さんはこの際スルーで。
今は人に気を遣えるほど心に余裕が無いんです、あたし。
「……キ、キイ、昨日は良く眠れた?」
話題を変えようとレイが発した言葉(この場合は地雷)に、持っていたフォークをぐさりとソーセージに突き刺す。
ぷすっとかぶすっとかに治まらず、それはもう盛大にガシュッ!!……と。
その行為に部屋にいた全員が驚愕に目を見開き、その視線をあたしの手元から顔へと上げる。
一緒に食事している四人と双子侍女、アルを合わせて計七人の視線を受けとめながらあたしはレイに向かってにっこりと微笑む。
「ええ、とっても」
普段使わない口調で上品に告げると、ソーセージにぶっ刺したままのフォーク持ち上げバリっと皮の弾ける音を響かせて見せつけるように噛みちぎった。
無表情でむっしゃむっしゃと咀嚼するあたしから、皆順に視線を逸らしていく。
レイが悪いんだからね。
自慢じゃないけどあたし、寝起きが半端なく悪いの。
特に徹夜明けの朝なんか、世の中の全てが目障りだと感じるくらいにね。
……てゆーかパンばっかり飽きた。
日本人は米でしょ米。お茶碗に乗った白ご飯にネトネトの納豆をかけて……
ああ、考え出したら食べたくてたまらない。じゅるり。
なんてことを考えてると、目の前に茶碗山盛りの白ご飯と、パックに入ったままの納豆プラスαでお箸までが。
……
…………神力?
思わず目を輝かせるあたし。
そしてあたしの動きが止まったことを不思議に思ってこちらに視線を向けた皆も、あたしの手元を見て再び目を見開く。
「……キイ、それは何だ……?」
団長さんの言葉に、今度はそちらに目を向けてきちんと説明する。
「これは納豆です。……ああ、納豆じゃ分からないか……。んー……ネバネバねっとりとした異臭のする食べ物……ま、簡単に言えば腐った豆です」
パックを開けて嬉々と納豆をかきまぜながらにこりと微笑む。
「腐っ……いや、そういう事を聞いてるんじゃない。どうしてここにそんな物があるんだ?」
思わずあたしの手元から目を逸らした団長さんがあたしに目を向ける。
なんで……って言われてもなぁ……。
この際やってみせる? 百聞は一見に如かずって言うしね。
「団長さん、ここに無いもので今何か食べたいものありますか?」
にっこりと微笑んで言うと、団長さんはむ、と顎に手を当てて考え込む。
「そうだな……何か果物が欲しいな」
それを聞いて頭にぱっと軽く思い浮かべてみると、よくお見舞いなどで見かけるフルーツ盛りが団長さんの目の前にどんっと出現した。
唖然とする一同をよそに、あたしは念願の納豆ご飯を口にする。んー美味しいっ!
このネバネバさがたまんないよね。あと辛子の風味も抜群にマッチしてて!
なんて、納豆の事を頭の中で絶賛していると、ようやくレイが口を開いた。
「キイ……君の力は予測不能だね」
「うん、便利だよね」
すっかり機嫌が良くなったあたしはにこにこと納豆ご飯を食べ進める。
「本来こんな事に使う物じゃないんだけどねぇ……」
ふと嘆くような呆れたような声が背後から聞こえて振り返ると、あたしの手元を見てなにやら顔を引き攣らせたルシファーが立っていた。
気にせず顔を手元に戻してドロリと箸からこぼれ落ちた納豆をかき集めながら背後のルシファーに問い掛ける。
「人間様の三大欲求の食欲を満たす為に使って何がいけないのよ」
「うーん、キイは何も食べなくても生きていけるはずなんだけどなぁ……」
「ちょっと、人を化け物みたいに言わないでよ……あ、ごめん」
「……」
言いながら箸でルシファーを指した弾みでぺとりと彼の顔に飛んだ数粒の納豆達が、白い綺麗な肌にねっとりと光沢を描いて滑り落ちていく。
しめしめ、と心の中で思いながらも、あたしはそれ以上触れずに再び掻き込んだ納豆ご飯の咀嚼を始める。
「……キイ、もしかしてまだ怒ってる?」
「全然」
「……」
あたしとルシファーのやり取りを呆然と見ていたレイ達が、居心地悪そうに再びもそもそと咀嚼を再開した。
気まずい食事を終えたあたし達は、それぞれが口を閉ざしたまま食事の間を後にした。
その後隙さえあればあたしに接触しようとしてくるレイをうまい具合にするりするりとかわして王宮内を駆けずり回っていると、いつの間にやら日も暮れて月が昇っていた。
いつものように庭園へ出てベンチへ腰掛け、ぼんやりと空を見上げながらこの数ヶ月間の事を思い起こす。
最初は敵意剥き出しだったレオンさんは、最近ではほんの僅かだが気を許してくれるようになった。
……気のせいかもしれないけど。
固い態度を崩さなかった団長さんも、最近では砕けた表情も見せてくれるようになった。
レイは……
ふ、と思わず笑みを溢す。
レイは初めて会った時からずっとにこにこしてたなぁ。
だからこそ、昨日見せた二つの表情は強く心に焼き付けられた。
あたしのことを心配して怒った表情も、真剣に想いを告げてきた時の少し切なげな表情も。
『好きだよ、キイ』
『僕の正妃になって欲しい』
昨日のレイの言葉が、頭から離れない。
レイが……仮にも一国の王陛下が、異世界から来たあたしみたいな魅力の欠片もない怪しい女を好きだなんて。
その上、正妃にまで……
未だに拭いきれないでいる戸惑いに頭を抱えていると、
不意に婚約相手だった彼と団長さんの顔が同時に脳裏を掠めた。
彼はともかく……何で団長さんの顔が――……?
「――――眠れないのか?」
ふわりと肩に掛けられた毛布と共に頭上から降ってきた声に顔を上げると、そこには今しがたあたしの脳裏を掠めた人物が立っていた。
思わぬ本人の登場に狼狽えながらも、あたしは視線を逸らしてこくりと頷く。
「……そうか」と言って、団長さんはあたしの隣に腰を下ろす。
星も見えずただ月だけが浮かぶ空を見上げる二人を、どこか心地よい静寂が包む。
ちらり、と団長さんの顔を盗み見ると、亜麻色の髪と瞳が月明かりによって美しく照らされていた。
思わず息を詰めて見とれていると、不意に団長さんが此方に顔を向けた。
「ぎゃっ」
ばっちり合ってしまった目に、あたしは驚いてベンチの端へ後ずさる。
あたしの奇妙な行動に怪訝そうな表情をした団長さんは、腕をベンチの背凭れに掛けて体ごと此方に向ける。
「なんだ」
「な、なにって……?」
「今此方を見ていただろう」
「み、みてませんよ!」
「とぼけるな」
暫く下らない攻防戦を繰り広げていたあたし達は、お互いの距離が近付き過ぎている事にハッと我に返った。
後ずさるあたしに身を乗り出していた団長さんは、元の場所に身を戻して一つ咳払いをする。
そして少し気まずげに視線を落とすと、正面を見据えながら小さく呟くように声を漏らした。
「――――求婚、されたそうだな」
その言葉に、あたしはピクリと反応する。
それを視界の端で感じ取ったであろう団長さんは、前を向いたまま視線だけを此方に向けた。
「……レイは良い奴だ」
不意に、妙な違和感があたしの心を掠めた。
次いで、すっと空気が冷えたように感じる。
まるで団長さんの言葉を身体が拒否しているような不快感があたしを襲った。
「きっとお前のことも大切にしてくれる」
「……何が、言いたいんですか?」
「俺は――――」
「小娘。お前の双子侍女が探し回っているぞ」
何かを言いかけた団長さんの声を遮るように、突然背後からレオンさんが声を上げた。
「レ、レオンさん、いつの間にそこに!」
「何を焦ってるんだ小娘。聞かれてまずい話でもしてたのか?」
してましたとも!そりゃあもうとってもまずい話を!
と心の中で叫びながら、ひょっとしたらレオンさんも知ってるんじゃあないかと内心ひやひや。
そうこうしているうちに早く戻れと急かすレオンさんに追い払われるように、あたしは自室へと戻った。
「……お前、小娘に何を言おうとした」
渋々とでも言うように王宮内へと戻っていくキイの後ろ姿を見ながら、レオンがそう問い掛ける。
「……俺はレイの求婚を受けるべきだと思う、と」
俺の言葉に小さく溜め息を漏らしたレオンは、どさりとベンチに腰を下ろして視線だけを此方に向けた。
「本当にそれでいいのか? お前は」
「……どういう意味だ?」
……――――
レオンさんに追い返されて渋々王宮内へと戻ったあたしは、さっと湯浴みを済ませてベッドへと身体を沈めた。
そしてまたぼんやりと天井を見上げながら未だに残るモヤモヤとした感情に首を傾げる。
――何だろう、この感情……
団長さんは、何を言おうとしたんだろう。
なんだかあの言葉の続きを容易に想像できてしまうような気がして、あわててあたしは目を閉じて眠ることに意識を集中させた。