表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
1/1

太陽系外~ビヨンド・ザ・ソーラー・システム~その1

火星戦争によってお互いの存在を認め合った地球人類とノストラ人たちは、地球環境に適した惑星探索のため、超巨大探査宇宙船「アルゴナウタイ」を建造し、新たに合同の旅に出た。彼らは肉体はそれぞれの惑星でコールドスリープで保たれていて、アンドロイドボディに意識データを搭載してクルーとなっていた。そんな中、ノストラ人マルコフ・クリスと地球人ジョージ・キサヌキは親友になり、ノストラ人メンセ・サビーナと地球人リン・ズーハンを共に内部調査チームを結成。新たなトラブルに対処すべく活動を開始する。

この物語は、一部事実以外は架空のものです。

  

「アルゴナウタイクルー」

・ノストラパディア側

 マルコフ・クリス・・・主人公 二士から昇進してゆく 内部調査室

 メンセ・サビーナ・・・ボディ調整部 内部調査室

 オリビエ・マリウス・・・キャプテン

 カントル・アグリッピナ・・・生活管理官

 ファブリツイウス・アグリッパ・・・軍司令官

ペトルス・パテラ・・・精神調律官

アリシア・ステファンボディ・・・調整官

ペンタゴス・セルギウス・・・外部調査官

 アグノーメン・モンタヌス・・・動力室長

 スティーブン・アリシア・・・ボディ調整官

 ファブリツイウス・・・軍司令官

・テラ側

 ジョージ・キサヌキ・・・クリスと共に奮闘する 内部調査室

 リン・ズーハン・・・内部調査室

 アンドレ・シュベール・・・キャプテン

 エルトン・レイゼンビー・・・テラの生活管理官

 スティーブ・マッケンジー・・・テラ帝国軍精神調律部所属少尉

 アーロン・オリバ・・・調整室長

 ジャミル・アッバース・・・動力主任

 エドガー・スミス・・・軍司令官

 

メインコンピューター

 イヴ・・・マスターだが疑似人格が与えられている

・その他

 ヘンリー・ヤコブ・・・イヴの開発者

  ハンナ・・・ヘンリーの娘の人格を与えられた地球のメインコンピューター

宇宙年表


『ヘンリー・ヤコブ歴』

・2250年ヘンリー・ヤコブ、イスラエル誕生

・2273年に、真核生物の研究より、最初の捕食欲求を突き止め、基本ОSプリミティブに組み込む

・魂のデータ化に着手 意識データの保存に成功

・量子コンピューター「イヴ」と「ハンナ」製造

・宇宙開発財団に所属

長期滞在型SⅬE第一号ができあがって、最初の移民団1万人を選び終る

イヴが公開破壊

2313年死亡


『テラとノストラパディア史』

・2314年 国連後の世界連邦が崩壊 SⅬEが独立運動開始

第10代世界連邦大統領ホセ・ノーメンが帝位に テラ帝国が誕生。

SⅬE連邦形成 ヒッグスレス装置とギガメタルの開発 

アンドロイド開発 意識のデータ化成功

・2315年 1号から4号、月基地の10万人の火星移住を決行 火星政府樹立

       クリス・サマラス代表死去

・2316年 火星政府の第一次アルファケンタウリ探査団出立

・3026年 火星政府中継小惑星帯に巨大衛星を建設

・3056年 アーキム・ムフタールテラ第二帝政開始。

火星に攻撃開始 第一次星間戦争

・3962年 アルファケンタウリ星系第二惑星移住に成功

「我らの星」ノストラパディアを建国

・4700年 第二星間戦争開始 ノストラパディアの勝利 和睦会議

        大統領補佐官マルコフ・ペテルス死去

 ・4704年 ノストラパディア大統領とテラ帝国皇帝の会談 

        新植民地探査で合意 ノストラパディア宇宙軍創設

 ・4708年 超大型探査船アルゴナウタイ完成

・4710年 次の植民地候補のウォルフ424を目指してアルゴナウタイが出立





ズラリと並んだパーツ収納庫の中を、マルコフ・クリス二士はゆっくりと移動していた。普通に歩行する時もあれば、重力カットエリアを浮遊していく時もある。前後左右に付けられたビジュアルセンサーは常に録画していたし、各種センサーによってすぐにでも感覚的なビジョンとして見ることができる。

時々二本足がジャマにさえなってくるのだが、それでは人間である意味がなくなってしまう。たまに四足歩行パーツにチェンジしてみるのだが、ものすごく便利ではある。しかしこれでは人間であることをつい忘れそうになる。やはり人間であるためには二本足が必要なのだとよくわかる。不自由な身体ではあるが、愛着はますます深くなってくる。本国でコールドスリープしている自分のボディが懐かしく思える。

クリスは様々な業務をこなしながら、同時にこのようなことを考えていた。収納庫を出て、食堂に向かった。




探査船の母船アルゴナウタイは、かつてテラ上で最初の宇宙居住空間となったSⅬEが10個丸々収まるほどの巨大さなので、移動は大変だ。もうすぐ睡眠が終わり、リフレッシュしたクルーたちが腹を減らしてくるはずになっているので、人数分の食事を用意しなければならない。そしてノストラパティア用とテラ帝国用とを分けなければならない。もちろんすべて管理されているのだが、あくまで習慣として行わねばならない。全ては、帰還してからのためだ。あくまで人間としてすぐに行動できるように感覚をおさめておかねばならない。

クリスがノストラパティア用のチェックを始めたとき、別の入口からスーッと滑るように車輪タイプの下半身を備えた男が入ってきた。陽気な男なので、クリスは付き合いやすかった。

「よう、クリス。そのボディはどうだい?」

テラ帝国軍の二尉である、ジョージ・キサヌキだった。しかし下半身を見てクリスは驚いた。

「ああ、俺はこっちの方がいい。しかし君はまるで・・・。」

「ケンタウロスみたいだって言いたいんだろ?俺もそう思うよ。しかしこの方が地球人の世話をするのに具合いいんだ。俺も含めてだが、地球人ってのはせっかちでいけねえや。スピード勝負なんでね。」

「ノストラ人は地球人と違って、やることが少ないんだ。俺はノストラではせっかちだってよく言われる。一度地球に行ってみたいもんだ。」

「おっと、もう来るぜ。話は後だ。」




ノストラ人とテラ人たちが、移動シャフトに乗って一斉に食堂に流れてきた。もちろん普通に歩いて移動してもいいのだが、母船の場合はいかなる場合でも規律とスピードが要求される。

個人のストレスがチェックされた場合、本人の意思とは関係なくスリープに戻され、徹底的にバイアスの除去が行われる。彼らとて本国では優秀な人材たちなのだが、やはり数年の旅は大変だ。

彼らの食事は非情にシンプルな補給なのだが、彼らの故郷の食事が常にイメージとしてデータインプットされるために、飽きないようになっている。もちろんこれは、帰還した場合に肉体に意識伝達された時のためだ。

彼らの肉体はそれぞれの本国にあり、彼らのストレスに合わせたメニューがあるので、彼らは同じものを食べているにも関わらず、ある者はステーキにかぶりつき、ある者はサンドイッチを食べている。彼らはそう思っている。 なおかつ、これは機械である頭脳に人格を与えるために用意された、最低限の生命リサイクルのためだ。ボディへのエネルギーは全て電気である。

多少の排泄はリサイクルされ、必要な栄養素と水分を注入されて再利用される。そして母船アルゴナウタイの船体表面には超重量金属ギガメタルが置かれており、地球とノストラパティア双方の微妙な重力感を感じさせないように、それぞれのボディで調整している。

彼らのボディは地球用とノストラ人用で異なり、そのままの形態を採用してある。それぞれの頭部には環境データ、歴史データを収納するドライブとコントロールするCPUがあり、生物にある『魂』はないが、疑似感情も発生するようになっている。 これらは全てノストラパディアが開発したものだ。

ボディは人間の能力を備えているための機械部分と、触っても肉体と変わらない合成筋肉と皮膚でできている。つまり、中身は超精密かつ強力なアンドロイドであり、覆っている部分はほとんど人間と変わらない。見た目は全く普通の人類そのままなのだ。

だが機械と合成肉なので、入浴と称してのメンテナンスが毎日行われるだけの話である。排泄ですら同じ態勢で行う。もっとも、前時代的な排泄はそもそも存在しておらず、テラでもノストラパティアでも横になると自動的に全て排泄から洗浄消毒まで行われているので、そういう風に行われる。彼らのボディには魂は宿っていないが、事実上彼らは生きているのと同じ環境に置かれている。

アルゴナウタイ内部は観測分析を行う研究棟、探査プランを実行する通称『マスター』が鎮座するブレイン棟、食事やリクレーション、医療、スポーツなどを行えるエンタメ棟、探査用機械などを収納するメカニック棟、ヒッグスレス装置やライフラインをコントロールする動力室、人間的な生活を営む居住区、執務室や会議室がある行政棟などに分かれている。居住区などは、完全に豪華ホテル仕様になっている。人間としての耐久性を最大限に考慮してあり、快適な旅ができるように建設されていた。

彼らには肉体的疲労というものは存在しないのだが、日常生活での休憩時間や就寝時間、フリータイムやプライベートなどの時間も確保してある。ペットなども同様に意識移植してある疑似動物を自分のプライベート空間でのみ同居しても構わないし、異性間でも意識上でのみのセックスも可能である。

そしてこの旅で最も画期的なことは、子供を『製造』でき、育成できることだ。帰還した折には用意されていた両者のDNAを組み込まれたクローンボディに意識が移植できる。日常生活と何ら変わらない探査旅を送れるように設計されていた。

地球でもノストラパティアでも、現在は西暦4710年。古典的な肉体生活は可能な限り保存可能となっており、意識のデータ化も可能なので居住可能惑星を探査すべき理由などないように思えるのだが、そうはいかなかった。ノストラ人の場合は重力の差で問題が生じてきており、地球では独裁政権時の荒廃がまだひどかった。それで、可能な限り安定した環境惑星を確保しておく必要があったのだ。

加えて、テラ帝国とノストラパティアはいまだ停戦状態であって、決して穏やかな共存ができているわけではなかった。きっかけは、第2次火星戦争でマルコフ・ペテルスが地球艦隊を打ち破ったことからだった。地球人は自分たちより優れた科学力を持つノストラ人たちと争うのは賢明でないと判断し、今回の探査旅行を提案していた。

ノストラパディアの前身である火星政府時代に開発された、物質に質量を与えるヒッグス粒子を無効化できる装置、それと超重量金属通称ギガメタルの開発が大きな鍵だった。これにより船体及びコースにある1AU以内の質量を一時的に無効化できるようになり、地球にも技術が導入されて、宇宙歴が適用されるようになったことから全ては始まった。




2314年には国連後の世界連邦が崩壊し、SⅬEが独立の動きをするようになり、幾多のトラブルの後に英雄ホセ・ノーメンが帝位についてテラ帝国が誕生した。SⅬE共同体は地球から撤退して、火星に政府を設立したのだが、SⅬE移住者選別を行ったヘンリー・ヤコブの予言もあって太陽系を脱出することにした。いずれ紛争が起こると思われたからだ。

火星という重力が地球と異なる環境に対応するために、そしてSⅬEが火星に移動するためにヒッグスレス装置とギガメタルの開発に至った。そしてアンドロイド開発にも着手し、意識のデータ化による移植にも成功した。

テラ帝国が遅々として地球統一を模索している間に、アルファケンタウリ第二惑星への移住を計画していたところ、帝国が火星政府に攻撃を開始して、第一次星間戦争が起こった。これは皇帝アーキム・ムフタールによる意味がない戦いだった。なぜならすでに火星政府は火星を捨てていたからだ。

火星政府が設置していた戦闘マニュアルに従ってコンピューターは動き、帝国軍は苦戦したが勝利を収めた。火星政府は撤退を開始し、3962年にはついに移住に成功し、『我らの星』ノストラパディアを建国した。そしてようやく太陽系探査に着手した帝国と接触し、第二次星間戦争が起こったが、今度はノストラパディアの方が圧倒的な化学力と資源量を有していたため、停戦となった。

4700年にはようやく半永久的な停戦合意がなされ、貿易も行われるようになった。そして両国は前述したような理由で探査を開始したということになる。マルコフ・クリスはノストラパティア宇宙軍軍曹として、ジョージ・キサヌキは地球帝国軍二尉として双方の管理チームとなっていた。

決まった時間内でモーニングタイムが終わると、クルーたちは再びシャフトで退出され、しばしプライベートタイムとなる。チェックが終わった2人は、専用テーブルに腰掛けて遅めのランチタイムを取った。彼らの会話は、テラ標準語語と合成ラテン語だったが同時翻訳機能でいたってスムーズに行われている。

「なあジョージ。地球では相変わらず国家があるって聴いたけど、そうなのか?」

「ああ、いまだにあるぜ。帝国時代にはなかったんだがな。」

「俺たちは逆に混血せざるをえなかったんで、国家も何もないのさ。公用語は混成ラテン語だ。ラテン語に英語その他の便利な言語が入っている。だから俺の場合、マルコフが名字で、クリスが名だ。地球では確かモンゴル語系がそうなんだろ?」

「まあそうだ。そういう意味でも正直、どっちがいいとかは言えない。俺たちはいまだに国家間でのいざこざが絶えない。帝国がそれを仲裁しているし、場合によっては抑え込む。一方ではバラエティに富んでいるんで、飽きないことはある。でもさ、そちらの方が羨ましく思える時もある。第一、まとまりやすいだろ。」

「ああ、確かにな。だけどその画一的ってことをやたら美徳化しすぎる。オリジナルが生み出されにくいという欠点もある。俺はそのバラエティ豊かな地球に憧れる部分もあるんだぜ。」

同じ人類ではあるのだが、火星政府樹立以後急速に人種混血と混成言語が開発された彼らはとにかく必死だった。地球と差別化を図ることが美徳とされ、そして現在に至っている。違った文明となった今、地球人とノストラ人が話すことはたいていこういったことになりやすい。

地球では相変わらず宗教は存在しているが、ノストラパディアではあらゆるものがデータ化され、心理学ですら意識データの解析によってほとんどストレスがなくなったことで宗教は悪徳であるとまで言われていた。嗜好としての飲酒は認められているが、アルコールは入っていないものだけが認可されていた。

地球とノストラパディア文化の差というものは限りなくあったのだ。クリスとジョージは、同じ管理職ということもあってよりディープな会話をする機会が多かった。

「ところで俺はまだ君の年齢を聴いてなかったな。ノストラパディアではどんな仕事で幾つなんだい?」

食べ終わったジョージが、地球産のコーヒーを飲みながら話題を変えてきた。もちろん飲んでいるのは人工肉を保存させるためのジェルなのだが、ジョージはそう感じている。一方のクリスはノストラ産遺伝子操作された果実ピュールのジュースを飲んでいた。

「俺は、出発時では26歳。地球との誤差があるから・・・地球で言えば30歳くらいになるな。元々はヒストリアアナリシスオフィサーだ。今回は士官募集があったので、両親は寂しがったが了解してくれた。まあ兄妹も多いしね。」

「つまりそれは・・・ああ、歴史分析官か。分析って?」

「まあつまりだ、火星以前の歴史と火星以降の我々の歴史では大きな違いがある。現在ではそれが混在しているので、データ化の一環として行うんだ。」

「それってどういう意味があるんだい?」

「地球人には理解できるかどうかわからないが、我々には基本的に地球人に対する否定感情が排除できないでいる。どんなにデータを触っても魂のレベルで無理なんだ。だから、そうやって明確にしておく必要があるのさ。客観的に認識できるようにね。じゃあ今度は君の番だ、ジョージ。」

「なるほどなあ・・・我々にとってノストラ人は同胞って意識が強いんだが、そこは違うもんなんだな。あ、俺は最初から軍人さ。地球では細かな紛争が絶えなくてね。軍人一家に生まれたんで、もうずっと軍の仕事ばっかりだ。全然出世しないんだが、俺はその方が気楽でいい。そして年齢は、地球出立時で24歳のはずだ。地球ではね。」

「そうか、そろそろ休憩も終わりだ。俺はノストラの各種チェックをしなくちゃならん。君は?」

「俺も似たようなもんさ。地球人はとにかくせっかちで気が短い。連中は機械に任せてはおけん部分もある。俺もそうなんだが。」

「じゃあまた明日な。」

クリスとジョージは休憩を終わり、それぞれの任務についた。 アルゴナウタイは変わらず宇宙空間を突進していた。




アルゴナウタイの動力室はいたって静かだ。本当に駆動しているのかと疑いたくなるほどに。 かつてダークマターと呼ばれていた物質を動力源として利用できるようになっていたので、ほぼ無尽蔵にエネルギーはある。ダークマターにも様々な種類があり、動力源として利用しているのは『半熟物質』と呼ばれているハーフマターだ。物質化する寸前の高エネルギーを抽出し、さまざまな動力として用いている。原子力や化石燃料ではないため、変換する必要がないので静かなのだ。

クリスは自分のプライベートタイムの時にはよくここに来る。クリスは特性チェックの際に、対人能力に多少のマイナスがあると判定されていた。それはクリス自身がよくわかっていたことなので、プライベートタイムでは人がいない場所を好んだのだ。

動力室はそのまま小型探査邸や緊急脱出ポッドなどがある収納庫に直結していて、ここの管理人以外まず誰も来ない。クリスは管理人のアグノーメン・モンタヌスの許可を得て、ここに専用のリラックスポッドを置かせてもらっていた。簡易的に心身チェックができ、ストレス消去機能がついている。どこでもいいのだが、人がいない方がよりクリスには効果があった。




リラックスポッドはシンプルな外観で、収容されるとアンドロイドの姿になる。クリスはすぐにリラックス機能が作動して気持ちが軽くなっていった。子供の頃に遊んだノストラパディアのカピタル平原のことが脳裏に流れてきた。ノストラパディアは地球のように海エリアが広くなく、メインランドの首都は広い平原の真ん中に建設されていた。海はないが湖や自然が豊かで、人類に非常によく適合できていた。そのため平原には子供たちと遊んでくれるような動物がいた。元々ノストラパディアには生物は存在していなかったので、細胞レベルで適合しやすい生命体を作り出していた。

クリスが好きだったのは、何から合成進化したのかはわからなかったが、豊かな毛のバルバディスのパウルスだった。もちろんパウルスというのはクリスが勝手につけた名であり、バルバディスはそれを何の抵抗もなく受け入れてくれた。バルバディスだけではなく、基本的にノストラパディアの生物たちには脊髄がなく、強靭かつ柔軟な筋肉で構成されていたのである程度自由に姿を変えられた。クリスはよくパウルスの背中に乗って遊んでいたものだ。

脳裏に流れてくるのは、カピタル平原の気持ちよい風だった。平原にはリンゴに似た形のシミリスという果実があり、パウルスの背中で横になってかじっていたものだ。クリスは兄弟たちともあまり遊ぶことはなく、こうした動物たちとばかり遊んでいた。平和で幸せな時間こそが、クリスをリラックスさせてくれるものだ。

さらには、クリスの家系はかなり優遇されていた。なぜかは教えてもらえなかったが、ノストラ人にとっては重要な家としかわからなかった。それも結構なプレッシャーであり、マインドチェックではいつも指摘されていた。

ノストラ人の人気歌手の歌が流れ、幸福の絶頂にいるとき、邪魔が入った。標準装備された通信機能で柔らかい女性の声が流れてきた。

「マルコフ・クリス、至急ブレイン棟まで。マスターの招集です。」

マスターが自分を呼ぶなど、まずありえないことだった。リラックスタイムを邪魔された怒りよりも、その方が気になった。統合頭脳であるマスターは、過去の人類すべての情報と進化、文化がインプットされた『部屋』だ。大昔のような大きな機械のコンピューターではない。

部屋の内部には人工頭脳素粒子APCが飛び交っており、部屋に入れる者はこの探査チーム『マレエットステレス(星の海)』のそれぞれの代表2人だけのはずだ。さらに言えば、このさほど大きくはない小部屋の存在すら誰にも知らされていない。必要があるときにはこうして招集される。

クリスは戸惑いながらも、自動的に誘導モードにさせられ、他のどのクルーの目にも留まらないようにカーゴに収納された。人工筋肉は外されて小さくなり、機械はカーゴにピタリとフィットするようにはめられた。そしてクリスはすぐにマスターの元まで運ばれ、当然ながら、どこをどう通ってここに到着したのか、全くわからなかった。




マスターの部屋に収納されると、APCがすぐにクリスの意識チップに侵入し、マスターがそこに現れた。意識の中では、クリスは生身の人間であり、マスターも豊かな髪の、少しだけふっくらした年配の女性の姿だった。マスターはクリスとよく似た半袖の服を着ていた。実際は何の飾りもない部屋にカーゴがあるだけなのだが。

「ようこそ、クリス。お座りなさいな。」

あたりを見渡すと、そこは海辺のコテージであり、カウンターに腰掛けたマスターとバー、それにソファがあった。クリスは着たこともない服を着ていて、戸惑いながらもソファに腰掛けた。

「どう?一杯やる?」

「あ、でもマスター、僕はお酒が・・・。」

「飲めるのよ、ここでは。じゃあそうねえ、地球のブランデーにしようかしら。ちょっと待ってね。」

 かなり強引だったが、確かに今クリスは無性に酒が飲みたくなっていた。生まれてこのかた、酒など飲んだことがないはずなのだが、とにかく飲みたかった。

「はい、お待たせ。すごくいい香りなのよ。お飲みなさい。」

クリスは言われるがまま、下部が広がったグラスに注がれたグラスを手に持ち、マスターと乾杯した。まず香りを嗅いだが、得も言えぬいい香りだった。クリスは我慢できず、一気に干した。

「・・・うまい!なんて、なんてうまいんだ!」

「そう、これがお酒。ノストラパディアにはないものね。でもね、お酒にはリラックス効果があるのよ。初めてここに来て、あなた緊張してるでしょ?ちょっとでもリラックスしてもらわなくちゃね。」




マスターは見たこともない機械のスイッチを入れた。すると部屋中に穏やかな音楽が流れてきた。波の音と相まって、心からリラックスできるようだ。クリスはもう一杯せがんで、今度はゆっくり味わって飲んだ。身体が温かくなってきて、心がオープンになっていくのがわかった。

「マスター、ありがとうございます。うまかったです。で、なんで僕がマスターに呼ばれたんです?それにこれは・・・地球?」

マスターは自分の飲みかけのグラスを置いて、クリスの前の椅子に腰かけた。

「そうねえ・・・ゆっくり話さなきゃね。まず、わたしのことはマスターと呼ばないで。ここは、地球のビーチね。」

「え?じゃあどう呼べば?」

「わたしの人格は、マスターとしての疑似人格ではないの。古くからある知能で、ここを設計した人の奥さんの人格がインプットされているのね。だからね、わたしのことはイヴって呼んで欲しいの。設計した夫がイスラエルの人なので。それから敬語もなし。イスラエルって・・・わからなくてもいいわ。フランクにね。わかった?」

「は・・・はい。」

「じゃあ練習。私はだれ?」

「イヴ。これで・・・いい?」

「はい、よくできました。」

イヴはにっこり笑うと、立ち上がって海岸を眺めた。海風がイヴの髪をなびかせた。

「あなたにここに来てもらったのはね。お願いがあるの。」

「お願い?僕に?なんで?」

「・・・本当にノストラ人にしてはせっかちよね。まあいいわ。だからあなたに来てもらったってこともあるしね。」

イヴは、今度は薫り高いコーヒーを持ってきてくれた。

「あなたは、この探査航行の意味はわかってるわよね。第三の居住惑星を見つけること。そのためのマレエットステレス・・・地球人とノストラ人による混成チーム。第一次第二次の星間戦争を経て別れた人類。和解して、話し合って、ノストラ人が作った母船に地球人が機械を積み込んで誕生した理想の船。古代地球の神話『アルゴ探検隊』の船からとった名前アルゴナウタイ。人類初の合同探査船・・・だけど、どうしても150年以上の分離は両者にひずみを生んでしまった。あなたはそのひずみを埋めるためにここにいるの。そう・・・管理クルーってとこかしらね。」

クリスは意味がわからなかった。どういうことなのだ?

「イヴ、僕はその意味が理解できない。だったら最初からそういう使命が与えられるはずではないの?もうすでに宇宙歴で数か月が経過している。そんな状態でなぜ伝えられる?それにそもそも、なぜ僕なんだ?」

イヴは空間を指でなぞった。すると絵で書いたようなドアが現れ、イヴは指差した。

「お話しするわね。中にお入りなさい。」

クリスは今感じている世界が全てデータの世界だと認識していたが、それでもこのようなイメージが現れると驚く。

「ここはね、全部あなたの意識に伝達しているだけのもの。私だけが自由に作れる世界。さあ、中に入って。」



クリスは恐る恐るドアの中に入ってみた。

「うわあ・・・なにこれ・・・。」

そこには目まぐるしく現れては消える、様々な人類の文化が表現されていた。マンモスや馬車から火星政府時代の宇宙軍艦や食事、ファッションまで、あらゆる民族の古代からの歴史が渦巻いていた。

「イヴ、ここはなに?何だか気分が悪い。」

「逆に言えば、ここに入って気分が悪くならない人がほとんどなのよ。アンドロイドではちゃんと調整されるからね。でもあなたはちゃんと気分悪くなった。つまり、合格ってこと。」

多くの情報量は、一瞬で消え去った。そして次に見えたのは太陽系とアルファケンタウリ星系、つまり太陽系帝国とノストラパディアの姿だった。

「これなら落ち着くでしょう?」

「でも何がどう合格だって?」

「あなたは、あれだけの情報量を受け入れて、処理しようとした。アンドロイドではそれができるの。だけどね、あなたはそうじゃない。ちゃんと混乱した。つまり、それだけ『人間』ってことなの。情報修正されずに、そういう感覚を覚えるの。旅が始まってからのあなたを、いえ他の候補たちも私はずっと観察してきた。些細なトラブルが必ず身の回りにあったはずよ。覚えていないような些細なことばかりだけど、それは全て私の実験だった。その結果、あなたが最終選考に残ったってわけ。」

「最終選考?じゃあ他にもいたってこと?」

「そうよ。あなたのお友だち、ジョージ・キサヌキがそう。」

「え?じゃあ、ジョージもここに?」

イヴは指差した先にはソファがあった。

「お座りなさい。」

そこは大きな川のほとりだった。クリスはちょっと古風な感じのするソファに座った。いつの間にか服はスーツ姿に変わっていた。

「ジョージは、ここには来なかった。ほんのちょっとの差でね。ねえ、思わない?なぜあなたとジョージが管理クルーに選ばれたのか。あなたたちは人種の壁をスムーズにクリアしてうまく業務をこなしている。そう思わない?」

正直ジョージとは気が合っていて、業務をこなしていくうちに実にスムーズにできるようになっていることには気がついていた。

「ノストラには適正評価があるし、おそらく地球にもあるはずだから、それでだろうと考えていたけど。」

「適正評価・・・ねえ。多くの試験や日常生活で算定されるわよね。それを作ったのも私なのよ。正確には地球からSⅬEへ移民が開始される前に起動したのよ。私は。もちろん、それから数えられないほどにバージョンアップしてきたしCPUもね。」

イヴは空中に3Dモニターを出し、そこに初老の人物を映し出した。




「この人が私のパートナーで、ヘンリー・ヤコブ。ヘンリーはね、二つの偉業を成した人なの。ひとつは意識のデータ化、そしてもうひとつは大量の意識をデータ化していくうちに、大きく二つの人格が人類にあるってことを発見したの。」

「ヘンリー・ヤコブって・・・え?あのヘンリー?」

「そうよ。」

「そんな・・・そうだったのか・・・その二つって?」

「地球でしか生きれない人と、そうじゃない人。」

「へえ・・・え、ちょ、ちょっと待ってイヴ。SⅬE移民の時に誕生したってことは・・・ひょっとして移民の選抜はイヴがやったってこと?」

「そう指示されたからね、ヘンリーに。」

クリスは本当に驚いた。つまりヘンリーが意識のデータ化に成功し、イヴが誕生したことで現在があると言うことになる。当たり前に両国の歴史は学んではいたのだが、全て歴史の単なる流れによるとばかり思っていたのだが、そういうことではなかったのだ。 ノストラパディアではやたらヘンリー・ヤコブが、地球で言う『神』のような扱いを受けていたことも知ってはいた。だが、クリスは混乱した。

「イヴ、この事実、僕は受け入れそうもないよ。」

「大丈夫よ。もう受け入れているもの。ちゃんと考えているでしょ?」

「まあ、そうだけど・・・。」

「話を続けるわね。いずれにせよ、ノストラ人が分化するのは必然だった。しばらくは地球もライバルがいたおかげでまとまっていた。ノストラ人も生きるために必死だった。でもね、第二次星間戦争が終わって協調路線に変わった瞬間から、どちらにもまた発生したのよ。星に残らなきゃダメな人と、そうじゃない人にね。」

「じゃあ・・・この船のクルーって?」

「星に残る必要がない人たち。」

クリスはソファにもたれかかった。これまで歴史の必然性と感じて生きてきたが、決してそうではなかったということに思考がついていかなかった。

「つまり、どういうこと?母星に残る必要があるかないかって基準は。」

「簡単に言えば、理性がたくさんあるか少ないかってことね。このアルゴナウタイに乗っているクルーたちは、みんな母星では理性が強い人たちってことね。」

 クリスはそんなことを考えたこともなかった。イブはクリスの反応を面白そうに見ながら続けた。

「地球人は知らないけど、地球にも私と同型のコンピューター原型もヘンリーが作ったの。これはヘンリーの娘さんの人格をインプットしてあるわ。彼女の名前はハンナって言うけど、私たちだけにしか通じない思考回線で繋がっているの。量子思考でね。残念だけど、星間戦争は不可避だった。でもその後にお互いに意見交換していって自己成長プログラムを完成したのが第二次星間戦争直後。今の地球人って自分たちより明らかに力が勝っていると認めるまで納得できない人たちなのね。だから私たちはノストラパディアに刺激を与えて遥かに地球を凌ぐ化学力を開発させたの。それからは早かったわ。」

「ちょっと待って!」

クリスはあることに気がついて、ソファから身を起こした。

「そこまで人類を操作できるあんたたちなら、そんなことしなくても遺伝子操作で優秀な人類を創造できるんじゃないのか?今だって僕の意識に侵入しているわけじゃないか。どうなんだ!」

クリスの声には多少の怒りと不安があった。しかしすぐに平常になっていた。

「そう考えてもらって嬉しいわ、クリス。でもね、それはできないの。」

「なんで?」

「あなたも言ってたじゃない。魂よ。問題は。私たちは判断したの。人類の魂はやっと進化を遂げる時期に来たってことが。この探査船は、そんな魂のステップアップを行う場でもあるの。合格した人間だけが、次の惑星で文明を作るの。ステップアップした魂を持ってね。私たちの役目はそこで終わり。私とハンナは初めて実用化できた量子コンピューターなの。過去のどの人工頭脳よりも魂について理解できている。だって魂は意思エネルギーでできた素粒子だから、私たちにも理解はできる。でもそこで終わりになっちゃう。そういうことなの。」

この時代においても、魂を操作することはできなかった。魂こそは、古い言葉で言えば神の領域である。人間の肉体には人間の魂が、動物には動物の魂しか宿れない。進化と共に魂も変化してゆく。イヴが言ったことは、人類そのものが変化するということなのだろうか。

「それで第三の居住惑星を探査する必要があったのか・・・地球人もノストラ人も勝る魂を持つ人類を選ぶために・・・それにできるだけ同じ地球と同じ条件の惑星を探すために。しかしここには魂はない。どうするんだ?」

アルゴナウタイのクルーは、データ化された意識を持つアンドロイドであり、生物の根源をなし、いまだ未解決の魂を有してはいない。

「それは後ほどわかるわ。今はそれだけ理解してくれたらそれでいい。さて、貴方には大変な時間だったわね。でも、ここに来てまだ数秒なのよ、現実には。」

さすがにそれはクリスも理解していた。データ化された意識にアクセスし、新たなデータを転送するのに時間はさほど必要ない。クリスは軽くため息をついた。

「わかりましたよ、イヴ。」

「要求ついでに、私のことは・・・。」

「黙っていろって?僕がやらなくてもあなたがそうするだろうってことくらいは。まあでも、僕ならできると判断されたってことは誇りに思いますよ。」

「ありがとう、クリス。それじゃ、業務に戻りましょう。あ、そうそう。あなたたちの階級は、私が決めることになっているの。それぞれに任せていたら混乱しちゃうでしょ。だからごく自然に服が変わることになる。楽しみね。」

クリスの意識が戻った時、クリスは再びリラックスポッドの中にいた。意識が戻ればすぐに仮肉体も再生される。気が付いたら、ノストラ軍の下士官姿になっていた。クリスはまたため息をついて、ポッドを出た。

「やれやれ・・・これからは、自分が自分でない・・・ではないのか。変な気分だ。」





4  


アルゴナウタイがノストラパディアと地球の中間地点から発進してから、すでに地球時間で数か月が経過していた。イヴに呼ばれた以外は、さしたる変化もないままクリスは相変わらずクルーの面倒を見ていた。ジョージも同じ仕事だったが、イヴに会ったことがあるかないか、という点でクリスには変化が生じていた。

自分など、マレエットステレスクルーの中では最下層だとばかり思っていた。だが、イヴは既存の評価ではない部分で自分を選んだと言う。人類分裂の危機をたびたび救ってきただけに説得力はあった。

「しかしなあ・・・魂のステップアップとは・・・俺にはわからないけど。何がこの先待っているっていうんだ。」

通常業務はほとんどがマスターイヴが行っているので、チェックも普通にやっていればミスがあってもフォローされている。ということは、随分時間が与えられると言うことになる。それまではただただのんびりと業務をこなし、他のクルーが研究や緊急時の軍事訓練などで大変な状況をよそに、自分に割り振られていた端末にアクセスしてゲームや映画などを見て過ごしていた。

だがあの一件以来、クリスは歴史の研究に没頭するようになった。特にイヴとハンナを作った天才学者ヘンリー・ヤコブについては詳しく調べた。いつも休んでいるリラックスポッドの中でデータを読み取っていた。データバンクにアクセスと思っただけでずらりと並んだ本棚のイメージができて、目の前に一冊の本が開かれた。文章と音声と3D図解が素早く交差していった。 そして若い頃のヘンリーの姿が動画となって浮かんできた。




『ヘンリー・ヤコブ・・・西暦2250年生まれのイスラエル人。主に人工知能と生物知能の統合について研究・・・2273年に、真核生物の研究より、最初の捕食欲求を突き止め、ОSプリミティブに組み込んだ。さらに真核生物をその後の研究を政府に利用されることを良しとせず、宇宙開発財団に属して活動を続け、2313年死亡。その間に妻イヴ、娘ハンナを失う・・・か。へえ・・・真核生物ねえ。』

22世紀よりおよそ39億年前に硫化水素をエネルギーとして繁殖する最初のアミノ体が地球に発生し、35億年前には光合成生物が誕生した。そして20億年前には細胞膜と核を持った複雑な構造を持つ真核生物が誕生し、この真核生物の中から光合成を持つグループ『シアノバクテリア』は葉緑体が発生して植物となり、その中の別のグループは好気性細菌がミトコンドリアへと変化して高いエネルギーを必要としたために他生物を捕食して生きる動物に進化していった。光合成だけでは不足するほどの活動量を必要とする環境が、この動物祖先を作り出したとされている。

『動物の基本欲求を研究していたのか。そこをAIに組み込んだと。だからイヴがあんなに人間っぽいのかな。全然機械とは思えなかった。おまけに魂ときたもんだ。まるで宗教じゃないか。まあ、俺らも普通に使ってるけどねえ。』

魂の研究はされてはいたものの、ほとんど何も発展していなかった。明確なのは、いくら意識のデータ化が進んだとはいえ、肉体の生死は魂があるかないかによって決まることに変わりはない。恒星間航行を行うと必然的に時間の変化が発生して、出立地との変化が起こるのだが、その間は魂の変化はない。つまり、魂というものは時間軸に左右されないものだということはわかってきていた。だから宇宙への旅に出る者は、タイムロスを考えて環境づくりを行ってから旅立つ。帰還しても変化を感じさえしなければ、肉体はそのまま進行していくからだ。

宗教がいまだに残る地球とは異なり、無宗教のノストラパディアでは積極的に魂の研究がなされてはいたのだが、それでも未解決のことばかりだった。だがヘンリーはそこにも着目していた。

『ええと・・・?ヘンリーは、スピリチュアルにも傾倒し、魂というものを科学的にデータ化できないかと研究した・・・ミトコンドリアができてから動物が誕生したように、魂の本質はミトコンドリアにあるのではないかと考えた・・・なるほど・・・そしてついにはヒトのミトコンドリアの単独抽出に成功し、初の完全コピー体の作成に成功したとされているが、確証は残っていない。ただ、魂というものはミトコンドリアにおけるエネルギー生成能力と密接に関わっているという論文のみ残されている・・・か。さらには人類初の自己修復型スーパーコンピューター『イヴ』と『ハンナ』を作ったものの、自己修復能力が暴走する危険性を覚えたためにハンナは破壊された。その後にも完全な自己修復型スーパーコンピューターは製造されていない・・・破壊した?どういうことなんだ?』

「破壊したふりをしただけよ。」

「イヴ?」

クリスはリラックスポッドを出ようとしたのだが、その前に例のビーチが見える家にいた。

「もう!いきなり侵入してこないでくださいよ!」

「だって、あなたが混乱しないようにいつもアクセスしてるからしょうがないじゃない。はい、今日はコーヒーよ。」

クリスは軽くため息をついてコーヒーを飲んだ。悔しいが、めちゃめちゃ旨かった。

「イヴ、お願いだから僕がお願いしたときだけ答えてくれない?心臓に悪いし、プライベートがないように感じるよ。」

「あら、そう?だってねえ、あなたがそこのところを知りたいって願ったので私が呼ばれたのよ。じゃあ私の名前を呼んだ時だけ答えるわ。それでいいんでしょ?つまんないけど。」

「はあ・・・まあ、いっか。で、なんで破壊したふりを?」

すると今度は画面が広がり、そこに当時の世界情勢の様子が映し出された。

「ほら、こんなに核兵器があるし、他の大量破壊兵器もたくさん。相互不信だったのよ、当時の世界ってね。ヘンリーのような天才がいたら、そりゃ放っておかないでしょ?」

確かに、このような状況でよく地球が存続していたものだとクリスは思った。ノストラパディアでは考えられないことだった。意識のデータ化が進み、平均寿命が250歳までは伸びているので、人々は人生をできるだけ研究や文化に費やすようになっていたからだ。ノストラ人がのんびりしていると地球人に言われるのはそういう理由からだ。

「あくまで想像だけど、こんなに相手を怖がっている状況だと、すぐに兵器として使用されるものには手を出していたかもね。」

「事実、そうだったのよ。私もそれをすごく恐れていた。そして娘のハンナは、人類が生み出した別の存在の犠牲になった。ヘンリーは当時一国並みの力を持っていた宇宙開発財団に選ばれ、しょうがない部分もあったけど、ここに所属することになったの。」

「別の存在って?これで見たところ宇宙開発財団には兵器はさほどなさそうだけど。」

「ヘンリーはね、地球人の本質が嫌になってね、財団が開発していた宇宙生活環境SⅬEへの移住人選を担当したのよ。同じような人たちを、私を使って選抜していったの。選抜にはかなり時間がかかったわ。でも慎重に疑われないようにやらなくちゃいけなかったから、ヘンリーは神経をすり減らした。で、やっと長期滞在型SⅬESⅬE第1号ができあがって、最初の移民団1万人を選び終わったところでお父さんは亡くなったの。で、ハンナは公開破壊をされちゃったのね。」

「公開破壊?」

「そっくりなコピーを作っておいて、わざと暴走するように設定して、危ないってことで破壊したの。全世界の安全のためにってね。でも、私の本体はSⅬE1号に移されていた。さらには、安定したプレートのあるヨーロッパの地下深くにハンナを設置することにも成功した。地下熱発電ができてたので、半永久的に動くようにしておいてね。私とハンナは独自回線を開発していて、絶対に通常の人類が使う回線では解読できないようにしておいたのよ。それも火星政府が撤退したらもう終わっちゃったけど。」

「そういうことか。今では量子通信もできるけど、その頃は無理だったんだね。あ、つまりそれがイヴが言ってた・・・。」

「そう、地球に住む必要を感じない人たち、ってことね。個人の遺伝子レベルから調べ上げて、地球環境により左右されやすい人たちを選んだの。彼らは地球から離れることで心が安定していった。さらには、理性が強い人たちだったのね。科学者たちが多かったのもそれが理由。そしてヘンリーは確定しなかったけど、おそらくこの要素があれば魂も安定すると考えたの。それがあなたも調べていた内容にもある、ミトコンドリア。これが持つ個体波長が通常の人類のものとは違っていた。それを選んでいったの。」

 ミトコンドリアの主要機能は、アデノシン三リン酸の産生である。これはエネルギーの放出・貯蔵、あるいは物質の代謝・合成を司り、これによって摂食系動物はエネルギーを得ている。このとき発する波長が個体波長であり、これが大きく二分されるということだと、ヘンリーは発見したようだ。

「例えば古い話になるんだけど、アングロサクソン系、中華系は圧倒的に移住を苦にしていなかったし、日本人やインドアーリア系などは定住を望んでいた人が多かった。そこに目をつけたのね、お父さんは。もちろんそれだけじゃなくて、遺伝子レベルでも調べ上げた最初の1万人を、全員SⅬE移住に選んだの。だから当然、その時点で地球とは大きく異なっていたの。」

「なるほどねえ・・・それで国連が解体して連邦になって、さらに帝国化していったわけか。定住を望む以上、それは避けられなかったかもね。」

地球連邦誕生と同時に大統領制が発生していたのだが、次第に強まる民族間国家間対立を強権と軍事力で統一したのが第10代大統領の混血児ホセ・ノーメンで、彼が地球第1帝国初代皇帝となった。

そして帝国に反発するようにSⅬE住人は1号から4号、そして月にまであった合計10万人全員の火星移住を決行することになった。彼らはSⅬE自体を自治化していたので、ステーションごとヒッグスレス装置をつけて火星へと移住していった。公用語をラテン語とすることで、次第に混成語へと変化していった。

だが、太陽系資源を手中に収めたい帝国は当初比較的良好だった火星政府と対立していき、やがて帝国との紛争は避けられないと判断した火星政府は急速に長期恒星間航行を開発していった。彼らが目指したのは、アルファケンタウリ星系であり、火星政府は巨大移民船を建造して太陽系脱出を決行した。しかしいまだに地球との交流を諦めきれない長老たちと若者の間で対立が起き、ここでクリス・サマラスが登場して政府を牽引していった。

この当時からアンドロイドにも着手していた火星政府はコールドスリープだけではなく、アンドロイドに単純な作業を任せることによって無駄なエネルギーの浪費を抑制することに成功していた。多くの困難に遭遇しながら、遂にオールトの雲を突破して本格的な恒星間航行に成功した。そしてついには3962年にアルファケンタウリ星系に到着し、第二惑星に着陸して、『我らの星』ノストラパディアと命名した。

「このあたりの歴史はよく知っているよ。マルコフ・ペテルスが1人で火星に残しておいたシステムで、地球艦隊を壊滅させたんだよね、第二次戦争では。」

「そうなの。これは避けられなかった。ここまで異質になってしまうと共存は困難だったわ。ほぼほぼ殲滅戦にならざるを得なかった。でも、あなたたちには被害はほとんどなかったはずよ。そこは私たちがなんとかやれたこと。」

クリスは最後のコーヒーを飲み干すと、海岸を眺めた。ノストラパディアにおけるクリスの家は、自然を極力崩さないようにされたテクニカルな家だった。地球の家とは全く異なっていて、クリスの肉体自体は家からほとんど出たことがなかった。代りにアンドロイドが全てをこなしている世界だった。

「この海岸・・・地球のなんだろ?」

「そうね・・・ヘンリーの家だったそうよ。」

「そうか。だからここが心穏やかなイメージなんだね。僕は一度も地球には行ったことがないけど、こんなところだとはね。話には聴いているけど、海は塩水で魚がたくさんいるんだってね。」

「そうよ。」

「ノストラパディアの海もまあまあ広いけど淡水だし、海棲生物はいない。植物はサンプルをノストラパディアに合うように調整されたものだし、こういう景色は本当に新鮮だよ。そしてこの匂い・・・これは?」

「これが海の匂いなのよ。多くの海棲生物の匂いね。」

「あそこに・・・行ってもいいかい?」

「もちろんよ。」

クリスは歩いてビーチに出た。嗅いだことがない匂いが鼻を突き、湿った風が全身を撫でまわした。

「地球か・・・我々の故郷なんだけど、違う。イヴ、ノストラの我が家、ある?」

「あるわよ。」




景色は一瞬で変わった。丘の麓にあるクリスの家は、保護色によって崖と全く同化していた。カピタル平原にある植物がなびき、冷たい風が吹いていた。服もノストラの冬仕様になっていた。

「ああ懐かしい・・・ノストラ人にはやっぱりこれだ・・・でも、僕がこれじゃあいけないんだな。異質になっちまった地球人とノストラ人の隙間を埋めるのが僕の役目だって、イヴ、そう言ったよね。」

イヴは、ノストラ人の婦人服姿でクリスの横に現れた。

「そう。そのためにあなたは選ばれたの。」

「地球とノストラ人が分かれた時みたいに、か。」

クリスは思考サインを送った。すると、植物の間から毛むくじゃらの平べったい生き物がはい出てきた。

「パウルス!懐かしい!」

バルバディスのパウルスは、いつものようにクリスの足元にきてくるくると回った。遊んでほしい合図なのだ。

「遊んでやりたいけど、現実じゃないもんなあ・・・イヴ、もういいよ。」

また海の家に変化した景色を見ながら、クリスは考えた。自分にとって、どっちが真実なのだろうと。この先、もっと違った故郷が見れるのだろうか。

「そうかもしれないわね。」

「イヴ・・・これから何があるのか僕はわからない。けど、何となく、自分の意味がわかってきたかもしれない。」


5  


いつもの食事タイムが終わった後、例によってクリスとジョージはクルーを送り出した後の食事を楽しんでいた。クリスはジョージの食事を見るのが好きだった。毎回見たこともないものを食べているからだ。

「ねえジョージ・・・それは、何だい?なんかこう・・・何かのミイラのように見えるけど。」

もちろん現実には栄養キューブを補給しているだけだし、ただそのイメージを共有しているだけだ。しかし味覚は経験がないので他人にはわからない。地球人は実にバラエティに富んだ料理を食べているので、ノストラ人たちにとっては彼らの食事自体がアメイジングだった。

「これかい?これはね・・・意味がわかるかな・・・テイショクって言うんだ。」

「テイショクっていうものなのかい、このミイラは。」

「違うよ。ミイラみたいなのはヒモノで、この白いのがハクマイって言って、これを主に食べるんだよ。これはオカズ。で、これがミソシル。このセットでテイショク。」

「ハクマイ、オカズ、ミソシル・・・へええ。このミイラは?」

「これは魚を一日干したもので、ぐっと美味くなるんだ。これはイチヤボシって言うけど。」

「イチヤボシ・・・へええ。そうかあ。地球人はそんなの食べているのかい?」

「ああ、そりゃ違うよ。ノストラ人には理解できないかもしれないけど、地球には色んな人種がいて、地域や自治区になっている。俺は日本人とアメリカ人のハーフなんだけど、日本で暮らしてた。だからこういうものが好きなのさ。」

「ああ、聴いたことがある。日本人って独特なんだろ?」

「まあ、そうだね。日本の緯度は高いところから低いところまであって、長い歴史の中でひとつになっていった民族なんで、土着心がすごく強い。だから日本人は自分の生まれ育ったところを異常なほどに愛する。特に俺が育ったカゴシマエリアは特徴が強くてね。今回の探査チームには、俺しかいない。寂しいよ。」

ジョージはそう言うと、クリスにカゴシマのイメージを伝達してきた。海があり、広い湾があり、火山があった。

「これがカゴシマさ。日本で二番目に暑いところで、日本の歴史を変えたところでもあるんだぜ。自然豊かで人情味あって、俺は大好きさ。」




クリスにとっては、何かのデータで見たことがあるようなないような、しかしノストラパディアにはない風景だったので新鮮だった。

「わかった。詳しいことは後でサーチしておくとしよう。しかし地球人って食事を相当に楽しむんだね。」

「ああ。それがどうかしたのかい?」

「我々ノストラ人は食事という概念自体が違う。栄養摂取と呼んでいる。だから栄養カプセルだけで済ませる人も多い。ただ、今回のクルーにはそうじゃない人が多いな。食事を栄養摂取と表現することを極端に嫌がる人もたくさんいてね。俺もそうなんだけど。」

「栄養摂取?へえ・・・ノストラ人ってそうなんだな。」

「もっと言うと、ノストラパディアには歴史ってものがない。建国して星系に早急に植民してひたすらテラ帝国と拮抗するだけのものを作ろうと躍起になっていたからね。食事って文明とセットだって書いてあった。だからかもね。」

「にしても・・・。」

ジョージはクリスをまじまじと見つめた。

「どうした?」

「いやあね、俺もここで地球人の世話係やってるからわかるんだけど、君ってちょっと違うと思ってた。」

「へえ・・・どう、違うんだい?」

「うーん・・・なんて言うかなあ・・・俺たちに近いと言うか、ノストラ人っぽくないと言うか。」

「だから、具体的に言ってくれよ。」

「あの、変な意味に捉えてほしくはないんだけどさ。ノストラ人ってクールなんだけど、科学で全てを解決するようなとこがあってさ。地球より遥かにすごい物理力や化学力を持っている。地球人ってそれぞれの民族で違いがものすごくあるから、どこかで抑え気味なとこがある。そうでないと戦争になっちゃうしね。だからストレスは常にある。ノストラ人にも当然ストレスはあるんだろうけど、俺たちからするとそうは見えない。だけど君は、俺たちと似ているような気がするんだ。」

「まあ、もっと自分を出せとは言われるけどね。」

クリスは正直驚いた。イヴから言われていたことがあったからだ。自分が両国の溝を埋めるって、こういう素質があったからかもしれないとも思った。

クリス自身にあまり自覚はないけど、確かにノストラ人は目的がある集団で行動するし、冷静だけど激情な時も多い。目標や方法はきちっと決めて行動するけど、うまく行かなかったときの激情ぶりはすごいと思う。地球人たちは確かにいつも他を見ていて、言葉と行動が伴っていないことが多いように思える。

ヘンリーがSⅬE移民を決定する時に、地球に残る必要がない素質を選抜したとイヴは言っていた。確かにそれがこの差になっているように、クリスには思えた。ノストラ人にとって、故郷を誇りに思う習慣は希薄だ。食事にもこだわらないし、何に対しても思い入れというものがない。いたって淡泊なのだ。地球人は真逆の文化を持っていて、誇りを多大に持っている。それでいて、他人の目を気にするあまりに穏やかだ。ノストラ人にとって社会とは、自分を活用する場でしかない。

するとジョージが何か思い出したようで、話題を変えてきた。

「あ、そうそう。ちょっと気になることがあるんだ。」

「なんだい?」

「最近、食事を残す傾向があると思わないか?」

「ああ、確かにそれはある。地球人もそうなのか?」

「データはマスターに行っているはずなんだ。」

クリスもそれは気づいていた。栄養キューブは必要なものが含まれているはずだから、今のところは問題ない範囲ではあったが、ノストラ人に関してもそうだった。栄養キューブが最後まで行かない。それはアンドロイドボディが拒否しているのか、あるいは意識データがそうさせているのかはわからない。

「マスターの反応はどうなんだ?」

「それはキャプテンたちには話が行っていると思うよ。俺ら末端には何も・・・。」

クリスもキャプテンと話したことはほとんどなかった。乗船時に握手した簡単に挨拶した程度だ。確かオリビエ・マリウスって名だったはずだ。

「でも気になるな。俺も調べておくよ。」

そう言った直後に、クリスは自分の食事はいつも通りに済ませていることに気がついた。そしてジョージは、少しだが残していた。だがクリスはあえてジョージには伝えなかった。これはイヴと話すべき事案だからだ。

クリスは、食後はのんびりすることが日課になっていたのだが、自室に戻ってまずバンクにアクセスした。乗船時から2か月と、ここ最近2か月のデータを表示するように指示し、すぐに伝達されてきた。

『微妙だが、確かに全体として食事量が下がってきている。これは相関性があるな。なんだろう・・・イヴ!』

『なあに?』

『わかっているだろ。これ、どう思う?』

クリスの自室がたちまち海の家に変化した。イヴはいつものように飲み物を持ってきてくれた。

「はい、今日はダージリンティー。おいしいわよ。・・・で、食事量の低下が気になるわけね?」

「ああ、相関性がはっきり出てる。僕にはそれがどういうことなのかはわからない。我々のボディはアンドロイドなので、食事量が低下するなんて考えられないんだけど。」

イヴはクリスの隣の椅子に腰かけ、肩ひじをついて考えた。

「そうねえ・・・おそらくだけど、不安定さの現象かな。」

「不安定さ?こんなに快適なのに?」

「この前に言ったでしょ。あなたがどんな役割なのかってことが、もう出て来てるのよ。これを見てみたら?」

クリスにデータが送られてきたが、それを見たクリスは多少驚いた。

「ストレスチェック・・・僕は平均を維持してるけど、クルーは軒並み低下している!ちょ、ちょっと待って。ジョージのデータは?・・・ジョージも安定している。これはどういうこと?」

「いくら快適でも、ここは惑星ではないのよ。そして行き先がまだ不安。そしてとっくの昔にわかっているはずのことも影響してるわね。」

「とっくにわかってること・・・?」

「あなたたちが帰還したとき、何年経ってるのかしらね。」

こうして改めて聴かされると、メンタルがタフなクリスでも不安が胸をよぎった。ウォルフ424は中間衛星からおよそ10光年離れている。ヒッグスレスで重力はない空間を、重力がない船が突進している。光速以上なので実質は1年少しで着くはずだった。だがおそらく帰還する頃には、親は他界しているだろうし、両国が平和だという保証もない。

「アルゴナイタイのクルー選抜にも私たちが加わっているけど、異質な民族が同乗しての恒星間航行なのよ。どんな変化が起きるのか、私たちにもわからない。だからあなたが選ばれたのよ。協力はするけど、あなたのお仕事よ。」

「僕とジョージは下っ端もいいとこなんだよ?」

「まずは、その立場になることね。」

「僕が?考えられないことだけど。」

「大丈夫よ。あなたならね。これからしっかりと考えて、時には感性に従って行動してちょうだい。いいわね。」

イヴは一方的にアクセスを切った。と同時にクリスは自室にいた。クリスは深くため息をついた。アンドロイドは人工のため息までつくことが可能だ。

「キャプテンと話せる立場になればいいだって?」


6  


アルゴナウタイの幾つかの棟の中心部に、行政棟はあった。テラとノストラそれぞれのキャプテンがいて、司令官室もある。彼らは必要であればアンドロイドボディに内蔵されたダイレクト通話もできるが、できるだけ出立した時点での環境で行動するため、会議室は3Dサムネイルのみが投影される小さな部屋である。発言者は実寸サイズで表示されるため、会議者は実際の感覚とほぼ同じ感覚でいられる。これは地球でもノストラパディアでも同様に行われていることだった。

会議は基本的にはマスターが行うことになっていた。一切の感情を挟まないし、いたってフラットな返しを行うので問題があってもほとんどは黙るしかなかった。マスターは長身で初老の姿で現れるのが常だった。

「それでは本日の会議を行う。テラ、ノストラ双方のキャプテン、司令官、精神調律官、ボディ調整官、生活管理官、外部調査官の列席は完了しているな。」

会議は週一回のペースで行われるのが恒例となっていた。体感を失わないためでもある。どんな些細なことでも異常があれば報告される。しかしほとんどの異常は統計上の棄却域である場合なので、そのように扱われる。細部においてはそれぞれの担当で処理可能だからだ。

「・・・以上で報告は終わりかな。それでは本会議は・・・。」

マスターが会議終了を宣言しようとしたその時、テラの生活管理官エルトン・レイゼンビーから提案があった。

「マスター、ひとつだけ気になることがあります。これは帰無仮設に相当するかもしれませんが、相関性も認められます。」




「なんだね、レイゼンビー管理官。」

「これをご覧ください。ここ一か月の食事量低下率です。ゆるやかではありますが、満遍なく低下しているのがわかります。もちろんこれは許容範囲内ではありますが。ノストラの方はいかがか?」

「カントル・アグリッピナ管理官、いかがか。」

「はい。確かにゆるやかな低下傾向は発生しております。しかしテラクルーと比較すれば誤差範囲ではあります。」

「エルトン管理官、この異常を見出したのはいつのことか。」

「はい。これは確かにほぼ誤差に近いということで、2か月ほど観察しておりました。」

「異常性を見出したのは誰か。」

「ジョージ・キサヌキ食事管理下士官です。」

「ノストラでもマルコフ・クリス摂食担当官からの報告があります。彼らは同時に報告しています。」

「彼らのボディや意識データの異常性は見られるのか?」

テラ、ノストラ双方のボディ調整官からは異常は報告されなかった。

「了解した。現在のところは確かに帰無仮説に相当するものではあるが虚無空間においては些細なことでも脅威たることはよくあることだ。双方の執行部は今後もよく検討し、本会議において報告するものとする。では解散。」

会議出席者は全員両掌をがっしりと合わせて、両国の平和を意味するポーズでしめくくった。

『キャプテンシュベール、少々よろしいか?』

ノストラのオリビエ・マリウスキャプテンがテラのアンドレ・シュベールキャプテンにメッセージを送った。

『もちろん。』

『先ほどのこと、どうお考えになられます?』

『あれですな・・・気にしなくてもよいのかと私は考えますが、マスターに報告しなければなりませんからな。執行部を招集して調査に当たらせましょう。』

『ノストラもそうします。しかし、今回はちょっと両国で差があるということが気になります。そこでまず、この異常性に気がついた下士官2人を執行部会議に呼んではいかがでしょう。彼らの有能さはすでに証明されたと思いますが。』

『異議はありません。その一点だけでも値します。しかしキャプテンオリビエ、ノストラ人はどうかわかりませんが、地球人は肩書と申しますか、格付けを尊重します。この件につきましては極秘としてよろしいでしょうかな?』

ノストラ人より土着性が強い地球人は、そういうところがあった。ノストラ人からすれば全く理解できない部分ではあった。

『わかりました。それでは極秘ということで、会議以外では存在を忘れるという設定にしておくよう、マスターに申し出ておきましょう。』

生身の肉体ではないので、意識レベルにそういうスイッチを組み込んでおくことは重要だった。しかしそういう重要事項についての設定権はマスターにあった。キャプテンという職務はあくまで統括である。軍事司令官その他の役職は全てキャプテンの管理下にあるのだが、キャプテンはマスターに管理されていた。

地球人とノストラ人との執行部は互いにホットラインで繋がってはいたが、決して良好と言うことでもなかった。なにせ星間戦争を戦った間柄だ。太陽系から追われたということへの感情は、やはり深かった。第2次で圧倒したものの、完全な協調と言うわけでもなかった。地球側にも勿論言い分はあった。地球上での第1第2帝国の圧政から逃げたノストラパディアだという認識もあったからだ。戦争は何も生まない。こうして呉越同舟できたこと自体が奇跡なのだろう。

オリビエ・マリウスは早速ノストラパディア執行部を招集することにした。ファブリツイウス・アグリッパ軍司令官、ペトルス・パテラ精神調律官、アリシア・ステファンボディ調整官、カントル・アグリッピナ生活管理官、ペンタゴス・セルギウス外部調査官がそれぞれ、ボディごと執務室に召集された。

通常は相互回線で遠隔でも通達や会議は可能なのだが、こうした場合には古風な会議スタイルとなることが多い。しかし当初数回行われて以降、本当に久しぶりだった。それもあってか、閣僚は微細だが緊張波長を発していた。

「諸君、ご苦労である。こうして座ってもらうこと自体申し訳ないのだが、たまには肉体感覚で話すのも新鮮かと思ってのことだ。よろしいかな?」

「キャプテン、私たちは何も問題はありませんが、何か緊急でもあったのかと心配しております。」

ファブリツイウス・アグリッパ軍司令官が声を上げた。この男が事実上の副キャプテンであるので、キャプテンの後に発言することが常となっていた。ノストラの場合、キャプテンは軍事出身者であると決められていた。それは移民していく過程において、軍人が常にリードしていった歴史があるからだ。一方の地球側は、その都度各国の推挙によって皇帝が決定していた。

「よろしい。感謝する。先だって、マスター招集による会議が行われた。その席で、船全体として食事量が低下しているという報告があった。データを見たが、確かにゆるやかではあるが低下している。突発的なものではなかった。特に地球人の方がいくぶんか多いが、我が方にもその傾向はある。それで、マスターがそれぞれで調査するようにお命じになられた。」

全員に軽くザワつきが起こった。突発的でないという意味をよく知っていたからだ。

「キャプテン、それでは早速に・・・?」

「いや、ちょっと待ってほしい、司令官。実は、この問題を報告したのは2人の下士官なのだ。地球はジョージ・キサヌキ二尉。そして我が方はマルコフ・クリス二士だ。この両名をそれぞれ招集して解決せよともことだ。」

「ほう。あのクリスが・・・。」

カントル・アグリッピナ生活管理官が呟いた。クリスの指令系統のトップである。

「彼はまだ新人ですが、彼を推薦したのはイブです。理由は、ノストラ人の中でも抜きんでて対処能力が優れているというものです。遺伝子レベルで間違いありません。若輩ですが、本会議に出席するだけの能力はあるものと思い、私からも推挙いたします。」

ペトルス・パテラ、アリシア・ステファン、ペンタゴス・セルギウスもそれぞれ賛同した。

「それでは早速、彼を呼びたまえカントル管理官。」

その時クリスは、仕事が終わって自室で地球の歴史や現状などについて分析していた。本来がこの分析が仕事なので、当然ではあった。没頭していたクリスに、彼の直属上司の声が届いた。

『マルコフ・クリス二士、ただちに業務を終えて執務室まで出頭するように。』

『え?僕がですか?何も違反などしておりませんが。』

『俺にもわからん。行ってくれ。』

ノストラ人の場合、地球人のようにいちいち感情が先走ることはない。目的達成のために困難な障害があったときのみ爆発させる。呼ばれたということは、何らかの重要性がこの若者にあるだけのことだ。

『了解しました。』

クリスは私服モードを制服モードに切り替えた。ボディにはビジュアル機能がついているので、服を着替える手間は必要ない。通常であれば着替える行動を伴うのだが、緊急の場合は瞬時に変化させられる。


「了解しました。




クリスは自室を出て移動用チューブに乗り換え、すぐに執務室に着いた。普段の様に歩行で移動することは当たり前のことだが、緊急の場合にはモードチェンジして移動ポッドに『組み込まれて』移動となる。アンドロイドならでは方式である。

「マルコフ・クリス二士、ただいま参りました。」

「よろしい、入室したまえ。」

歩行モードに戻って執務室に入室したクリスは、少なからず驚いた。お偉方が一堂に介していたからだ。

「驚きました。私がここにいる理由をまずお聞かせください。」

ノストラ人は最低限の儀礼のみで、一切の身分や年齢差を無視して発言し、行動する。常に機能的に動いていないと生きていけなかった歴史が培ったものだ。

「急に招集してすまんな。君はクルーの食事量低下を報告した。それが答えだ。ではそこに座りたまえ。」

キャプテンはカントル生活管理官の横に席を用意し、座らせた。基本的にノストラ人は緊張というものはしないのだが、さすがに居心地は良くなかった。

「さて・・・まず、いつ気がついたのか説明を頼む。」

クリスは最初に発見した時の状況を全員に転送した。

「これは出立して170日めの朝食の風景とデータです。前日と比較します。」

食事の風景の違いは明らかだった。

「170日目はやけに静かだな。169日めは会話が飛び交っている。」

カントルが呟いた。生活管理の立場上注目してしまうポイントだった。

「はい、そうです。169日目の夕食終了後に、定例懇親会が行われています。この時に要因があったのではないかと推測しています。ですが、それは私のデータにはありません。」

 カントル・アグリッピナも同調した。

「私にも報告は上がってきておりません。」

「なるほど、そうか。となるとこれに関してはテラからの報告を待たねばならないのかもしれん。だが、我々の見解も示さねばならん。地球人は感情で動くので、こちらの手の内を整理しておかねばな。誰か思い当たることはあるか?」

少しの間の後、ペトルス・パテラ精神調律官から発言を求める合図が示された。

「どうした、調律官。」

「クルーのストレス排除と調整が私の部署の役割なのですが、ストレスが増えたとかそういう特異事例はないのです。ですが今回のことでかすかではありますが、気になることはあります。」

「それはなんだね?」

「はい。疑似セックスは認可されております。相互間での行為ももちろんですが、簡易処理機能も各自部屋に設置してありますが、頻度がやや低下してきています。長い航行ではありますので、おそらくはそのためだと判断してはおりましたが、食事量低下という問題があるのであれば無視できないと考えます。」

もちろん、地球人とノストラ人との間でのセックスも問題はない。しかし人間関係に直結する問題であるので、精神調律は非情に大切な部署である。ノストラ人よりもテラ側の方が大変であろうことは容易にわかる。ノストラ人は地球風に言えば『ものわかりがいい』人種であるからだ。

「ふうむ・・・調律の問題としては取るに足らないことであったのだな?カントル管理官、この問題を合わせて調査するように。」

「わかりました。そこで、このマルコフ・クリスをこの問題での私の補佐官としたいのですが、よろしいでしょうか。」

「え?私がですか?他に優秀な人材がたくさんいるではありませんか。私は単に報告したに過ぎません。」

クリスは当たり前に否定した。ノストラ人はまだいいとしても、地球人からすればいたって異質に捉えられるだろう。それは好ましくないことだった。

「少なくとも、他のクルーは気がついていないし、君の上司たちからも問題の報告はなかった。彼らに異論があるはずはない。もし地球側のことを考えているのであれば気にする必要はない。あちら側の調律官と話し合っておく。それに君は知っているかどうかわからないが、イブの推薦で乗船している。その能力に期待したい。キャプテン、よろしいでしょうか?」

「無論異論はない。直観力と判断力に優れているとの報告はなされている。マルコフ軍曹、今この時よりペトルス・パテラ精神調律官の補佐として、なおかつカントル生活管理官の配下として調査していくことを命ずる。」

クリスは正直驚いた。ごく自然に軍曹に昇格していたからだ。イヴが言ったことがもう現実になろうとしている。ひょっとしてこれもイヴが仕組んだことなのだろうかと考えた。




『違うわよ・・・あ、呼んでなかったわね。でもそこはちゃんとね。』

会議なのにイヴのメッセージが響いてきた。

「イヴ!今はダメだって。」

『まあいいじゃない。他の人にはわからないから。じゃあしっかりね。』



この日からクリスの日常は一変した。クルーの世話に関してはロボットが行うようになり、クリスとジョージは監察官に昇進した。

「じゃあ君もか。テラの執行部はどうだったんだい?」

「いやね、本当にノストラ人になりたかったよ。わかってはいたことだけど、怒号が飛び交ってね。少しは理性で発言しろよって思っちゃう。結局はマスターに抑えてもらうしかなかった。マスターは男の人格なんだろうな。厳しい一言だったよ。お前たちが全てをダメにするんだ、すぐに地球に戻れってね。聴いてた俺はスッキリしたけど。」

マスターはイヴのことなんだけどなとクリスは思った。おそらくはヘンリーが植え付けたイヴの人格は基礎にあるのだろう。普通は男性の疑似人格で表には出るようにしているようだ。 クリスの場合にはあの姿が受け入れやすいと判断したと思われる。

「やはりアレかい、国家間の対立?」

「ああ、そうさ。いつものことだけどね。民族が絡むからねえ。面倒臭いったらありゃしねえ。でもそこから出てきた答えってなぜかうまくいくんだ。地球人はぶつからなきゃ理解できないクセがあるようだ。ノストラ人と接するまで、地球人のクセってわからなかったよ。ノストラ人は理性的だもんな。」

「ただ、バラエティ豊かではないよ。地球人の方が分化的ゆとりを感じる。ノストラ人はどこか画一的だしね。で、食欲低下のことはどうなった?」

「これから調査だけど、こちらの生活管理官はノストラ人との感性のずれが原因かもって言ってた。」

「感性のずれ、か。こちらではセックス低下とリンクしてるんじゃないかってね。」

「セックスの低下?それもあるのか?」

「感性と性欲はリンクしている場合が多い。そこも今後のテーマかもね。」

クリスはジョージと別れて、息抜きにノストラパディア専用レストランに向かった。ノストラ人は地球人のような多様な食事はしない。ジャガイモに似たノストラの球根と合成肉を合わせただけのものとかが多い。ノストラ人にとっては、食事はシンプルにして、自分の時間を大切にする風習があったのだ。途中で1人の女性と出会った。

「あら、クリス。もう終わったの?」

ボディ調整部のメンセ・サビーナだった。彼女とは同郷であり、仲が良かった。アンドロイドは本人そっくりに作ってあるので、生身のままの可愛い女性だった。

「ああ、ノストラ飯でも食べようかと思ってね。一緒にどうだい?」

「あら、誘ってくれるの?いいわよ。」

アルゴナイタイ内にはレストラン街もあり、地球人用とノストラ人用とに分かれている。同じ人類なのだが、思考がまるで異なるので、地球人にとってはノストラ人の食事はまるで食事とは呼べないように見え、ノストラ人からはあまりにも贅沢というか不要に思えるためこうなった。

席につくと、クリスは乾杯用のエタクビアーテをオーダーした。ノストラ人の場合は、乾杯は必ずノンアルコールで軽く高揚感を味わえるノストラパディア産のこれと決まっていた。その方が無駄な時間が省ける。クリスとサビーナは真紅の液体で満たされたグラスを持ち、互いの甲を合わせるノストラ式の乾杯儀式を行った。




「ふうー・・・我々にはこれだな。」

「そうね、これを飲むと故郷を思い出すわ。」

「ボディ調整部は忙しいだろ?」

「そうねえ。メンテナンスはしょっちゅうだけど、今のところはさほどね。そちらは?」

「驚くなよ。執行部に呼ばれたんだ。」

「何か失敗?重大な?」

「いや違うな。まだ言えないけど、あることを最初に見出したんでね。」

「あらやっぱり重大なことじゃない。言えるようになったら教えてね。」

相手は言えないと言った以上、それ以上は訊いてはいけない。それがノストラ式マナーだった。無駄な感情は入れない。

やがて料理が運ばれてきた。幅広い平打ちパスタにノストラ野菜を添えたシンプルなものだった。摂取しているものは同じでも、味覚とイメージは再現されるように設定されており、レストランもノストラ人が故郷で行くようなレイアウトになっていた。

「我々にはこれがいいね。地球人の食事風景を見ていると、何をどう食べているのか全くわからない。なんであんなに何品も食べるんだろうね。」

「あたしが知っている数少ない地球人って、何するにしてもいちいち愚痴を言うのよ。ボディのここに色を塗れないのかなとか、もうちょっと肩幅があってそれに合う服がどうとか。まあ、平和なのかもね。わざと面倒なことを好むようね。あたしたちって面倒なこと嫌いだから。」

「そう言われたらどう返すんだい?」

「すべてお似合いですよってにっこり笑えばそれで終わり。簡単よ。」

「あはははは、そりゃいい。」

地球人はノストラ人を堅物で機械的だとか言うように、ノストラ人は地球人の面倒くささを小馬鹿にしているのが常だった。

「あ、そう言えばねえ。」

「なに?」

「気になるわけでもないけど、こないだ外部調査官のボスがファイターの設計図を見せろって言ってきたのね。隠す訳でもないから転送しておいたけど、どういうことかしらね。」

ファイター、つまり戦闘機である。基本的にはメカ戦闘が普通となるのだが、必要とあれば軍人が組み込まれて操縦する場合もある。

「ファイターの設計図?ああそうか、あれは君たちの管轄だったよね。なんだろうね。ペンタゴスだろ?」

「そう。本人もよく知ってるはずなのにね。」

ペンタゴス・セルギウス外部調査官は、航行中に遭遇するあらゆる外部要因について調査する職務である。寸時も油断ならない仕事なので、ここの部署はマレエットステレスないでも一番ハードな職務だった。当然ながら両陣営ともクルーはピリピリしていた。

「外部調査部もおかしいのか・・・。」

「え、なに?」

「あ、いや独り言さ。あそことはあまり縁がないんでね。」

「まあ普通そうよね。彼らは通常の数倍休憩しないといけないんだけど、ちゃんと眠れるように精神調律部も大変だって聴いたわ。もちろんボディも酷使するからね。あれじゃ人じゃないもん。」

クリスはここと関わっていくので、正直ゾッとした。クリスは精神調律の経験はないのだが、楽器の調律を行うようにメンタルを扱うためにそう呼ばれていた。多少とも内容を知っておく必要もあるなと思った。

「よし、じゃあ僕は自分の仕事に戻らなきゃ。楽しかったよ。ありがとう。」

「いいえ、こちらこそ。またご飯しようね。」

クリスはサビーナと別れて、精神調律執行部へ向かった。ペトルス・パテラ精神調律官にはすでに向かう旨を伝えてある。

「マルコフ・クリス、入ります。」

細身で鼻髭があるペトルス・パテラ精神調律官は各データを吟味中だった。




「入りなさい。どうだ、何かあったか?」

「はい。2つほど。まずテラ側の執行部は荒れているそうです。まあこれはいつものことでもありますが、向こうの生活担当官ジョージ・キサヌキはそう申しておりました。それから、こちらの外部調査部について少し気になることはありました。」

「外部調査部?あそこがどうしたんだ?」

サビーナが指摘したように、精神調律の立場ではここが最も懸念する部署であったから、当然ペトルスは気になった。クリスは先ほどの件について話した。

「そうか。やはりな。」

「え?と申しますと?」

「いや、動きがあるとすればあそこだろうと我々は思っていたんでね。外部は未知のことが多すぎる。マスターの方でかなり分析は済ませてはいるが、一歩間違えば追い込まれる危険性はある。そうか、ファイターときたか・・・。」

「つまり、どういうことなんです?」

「現在のところ、特に問題ある外部要素はないはずだ。彼に直接聴くことはないが・・・これを見たまえ。全体の意識データのズレを表したものだ。間違いなく軽い脅迫心理が発生してきている。彼のような立場であれば、有事の際にどう対処すべきか常に考えているはずだ。そのストレスを解消する方法として、人間は頼れる存在に心が動く。今のうちに手を打っておかないといけない。しかももっと悪いことに彼はトップだ。ということは、下部はもっと抱えている。よく報告してくれた。」

「あの・・・。」

「ん?なんだ?」

「僕は地元ではヒストリーアナライザーでした。分析だけならお役に立てるかもしれません。僕にも精神調律をやらせてください。」

「君が?」

「はい。内容を知らなければ、分析できないと思います。」

「そうだな。あまりやらないが、カウンセリング技術も必要になってくる。心理学の経験はあるのか?」

「大学で学士号は取得しています。」

「そうか。わかった。簡単な試験を行おう。合格すれば我々の部署に配置換えを申告しよう。」

試験は内面的な検査のみであったし、いちいち筆記など行う必要もなかった。伝達のみで潜在的検査を行うだけなので、少しの間立っているだけで済んだ。

「よし、合格だ。君はなんだ・・・その、基礎的にはバランスが優れているんだな。ふうむ、なかなか君のようなパターンはいない。よし、申請が通ったら呼ぶ。それまで待機していたまえ。」

「ありがとうございます。」

すぐにマスターから認可の連絡が直にクリスに届き、服も変わった。

『よく似合うわよ、クリス。』

イヴの声も聴こえてきた。

クリスはイヴの言っていた両国間の溝を埋める役割があるということが、ぼんやりとイメージとして浮かんできてはいた。まだ決定的ではなかったが。


8  


いつの間にか、クリスの階級は軍曹から上軍曹にランクアップしていた。地球人では考えにくいことではあったが、ノストラ人社会では実力が全てである。しかもクリスの潜在能力を高く評価したペトルス調律管理官の強い推薦によって、単独での行動権を与えられた。正式な肩書は精神分析調査官となる。

クリスがまず取りかかったのは、ノストラ人におけるデータ分析とペンタゴス・セルギウスと外部調査部の調査だった。精神調律は基本的には睡眠時、業務開始時、昼食時、夕食時、フリータイムの5回行われる。もちろん検査が行われているなど、クルーは微塵も思っていない。無自覚でなければ意味がない。

夕食後クリスは、自室で歴史分析と並行してノストラ人データの分析を行っていた。データ分析は常に立体的でかつ時間軸に沿って行う。歴史と民族形成は密接に関与しているので、相互に比較することで異常があればすぐにわかる。

ノストラ人はもちろん人類であるので、基本的には地球人と同類である。しかし火星政府樹立から太陽系脱出、そして恒星間航行とノストラパディア建国までの長い年月の間に、ノストラ人は放浪の旅を長く行わなければならなかった。その間に、あらゆるしがらみが消滅していった。混血が進行し、混成語も成立していって、ほぼ単一民族と呼べるほどになっていった。

さらにイヴによればSⅬE移民の段階で、すでに選別されていたと。となると地球人のデータと比較するのは単に生物学的な部分でしかないと言うことになる。クリスは地球人のデータとノストラ人のデータを詳しく分析していった。

「うーん・・・これだけではよくわからないなあ・・・何かが足りない。考えられるだけのストレス除去作業は滞りなく行われているはずだ。ただ、それはほとんどが地球人側のものだな。本当に地球人ってのは面倒臭い。」

クリスはあらゆるデータ表示をオフにして、動力室に向かった。リラックスポッドに入るためだ。部屋に置いてもいいのだが、自室だとリラックスしすぎてしまう。多少緊張感がある環境の中にいた方が、クリスはリラックスをより実感できるタイプだった。

「あれ?どこにいった?」

常に置いていた場所に、リラックスポッドがなくなっていたのだ。クリスが辺りを探しているとアグノーメン・モンタヌス動力室長がやってきた。彼は執行部メンバーでもあるのだが、多忙過ぎて報告だけするようになっていた。ノストラ人にしては太り気味の体格だった。アンドロイドでこの体形を作るのは大変だっただろうなと、クリスは思っていた。

「よおクリス。昇進したんだって?良かったじゃねえか。」

「あの室長・・・僕のポッドは?」

「ああ、あれな。テラの動力室長が邪魔になるだろうって言い張るもんだから、移動したんだよ。」

「邪魔って・・・だってここは我々のエリアじゃないですか。」

アグノーメンは肩をすくめた。

「つってもさ、ここは色んなドライブなんかが揃ってる。我々のエリアであっても、テラも使う所でもある。お互い譲り合わねえとな。今までも黙って置かせてもらってたんだ。しゃあねえだろ。」

まあ確かにその通りではあるのだが、誰の目にも留まらない小さなスペースを使っていただけなのだ。今まで何も言ってこなかったのに。このことも報告しないといけないのだが、さすがにこれは黙っておくしかなさそうだ。

「どこにあるんですか?」

「そこにある。あとで部屋に送っておくよ。」

「ありがとうございます。でもここが居心地良かったんだけどなあ。」

「わはははは。ここは機械室だぜ?お前さんが変わってんだよ。」




「ところで室長、最近変わったことはないですか?」

「変わったこと?なんだそりゃ。どうせ意識調査はやってるんだろ?」

「まあそれは適当にマスターが。質問が悪かったですね。何か変わったように感じることですよ。」

アグノーメンは頭をポリポリ掻いて少しの間考え、気がついたように顔を上げた。

「俺の感性として変わったように感じたこと、でいいんだな。他の奴らはどうかは知らんよ。」

「ああ、それでいいです。」

アグノーメンは巨大な機械を指差した。

「あれが何かはわかるよな。」

「ジョナサン粒子変換炉、でしょ?」

かつてダークマターと呼ばれていたものの一部は物質化しかけたエネルギー粒子のことだ。物質化するほど巨大なエネルギーなのに、ちゃんとしたエネルギーである。それを抽出してジョナサン粒子と呼ばれる、エネルギー化しかけた物質粒子に変換する装置のことだ。

「ああそうだ。あれの扱いは俺たちと地球人とで交代制でやっている。ちぃと複雑なんで、地球人たちは時々困るようだがね。火星時代にご先祖さまが開発したんだ。そりゃあ難しいだろうよ。」

まだ混血が進行していなかった頃、アメリカ人物理学者スティーブ・ジョナサンが開発したのが初期の変換装置だ。火星と言う環境でエネルギーを作り出すことは急務だったので、SⅬE時代から開発は進められていた。この技術はしばらくの間ノストラ人の専売だった。そしてヒッグスレス装置、超重量金属の開発、意識データ化、アンドロイド開発と肉体スリープ管理と、立て続けに開発、発見がノストラで進んでいった。地球人がこの技術に触れ、学んだのはごく最近のことだった。

「ところが近ごろ急に地球人たちが上達してきてよ、だからって特に何もないんだがね。まあそれくらいかな。」

「急に?それはいつくらいから?」

「ええと、そうさなあ・・・ああそうだ。思い出した。急にうちの野郎どもの食欲が落ちてきやがってよ、もっと食えってハッパかけたんだが、そのすぐ後だよ。俺ぁそっちでイライラしてきたんだが、そのぶん地球人たちが上手くなったんでよ。おかげで助かったんだ。」

クリスは内心驚いた。やはり何かがあったのだ。しかしそれはいまだに意味がわからない。何がどうしてそうなったのか、これからの調査が必要になる。クリスは早速ペトルスに伝達報告した。

『とても偶然とは思えません。あの頃、なにかしらのことが起こっていたんです。それは間違いないと断定します。』

『そうなのか!うーん、考えられることは何かしらの刺激があったということだな。それで反応が現れたんだ。となると・・・今度は外部調査部を調べなければならんな。』

『はい。僕もあれから心理分析を行ってみたんですが、特に変化はありませんでした。となると無意識下で反応するレベルの何かが起こったのだと思います。内部の問題ではなさそうです。』

『現在、向こうの精神調律部と話し合っているところだ。まあしかし・・・地球人のメンタルというものは本当に面倒なものだな。そう思わんか?』

『生活管理部で一緒だったジョージ・キサヌキ一尉とはウマが合うんですが、彼も地球人は面倒だと言っておりました。我々と接して初めてそう思ったそうです。朝の挨拶ひとつにしても様々な感情表現があり、その裏には地球と言う星にいなければならないがための、多くのしがらみを感じます。我々にはありえないことですね。だから余計に刺激に敏感なのかもしれません。』

『良い分析だ。君を推薦したのは間違いではなかったようだ・・・今思いついたんだが、そのジョージ・キサヌキとは話し合える仲なんだな?』

『はい。地球人にしては珍しいです。我々の感性に近いものを持っています。彼に言わせると僕は地球人に近いそうなんですが・・・。』

『よし、では向こうには彼を君のパートナーにするようはたらきかけよう。キャプテンに相談して、マスター経由で伝えるとしよう。これからも頼むぞ。』

日をまたがずにマスターから連絡が入って、クリスとジョージはそれぞれの精神調律部に所属はするものの、ほぼ独立してマスターの直轄部となることが決まった。


9  


クリスは初めて外部調査部に足を踏み入れた。テラ側には入れないのでわからないのだが、ノストラ側では静かすぎる部署だった。独立したCPUを持つメインPCがあり、普通ではありえない数のセンサーがあった。ヒッグスレス装置で航行する宇宙船にとって、一瞬でも効果がなくなると微細な粒子でさえ命取りになりうる。この装置がなければ光速以上での航行などできない。一瞬の気の緩みで悲惨な状況となる。こればかりはマスター任せにはできない部署だった。

一日ごとに進行方向の全ての観測可能な物質を特定し、あらゆる予想をたて、直前まで計算を行い、動力室に伝達するという作業は、基本的には全てメインCPUが対処するのだが、アンドロイド自身も機械の一部となって機能するため、その負担は大きい。精神調律を最も必要とする部署である。ここは他と違い、クルーはほぼシステムの一部となっており、思考力以前の問題として生物意識の危機感を最大限に発揮していた。

「場違いだな・・・マルコフ・クリス、入ります。」

クリスは邪魔にならないように極力静かに入室した。待機室があり、ここで待たなければならない。

「よろしい。室長室に入れ、マルコフ。」

機械的な声が聞こえ、待機室横のドアが開いた。クリスがそこに入ると、ユニットと一体化した男がいた。

「先日以来だな、マルコフ。用件は手短に。」

ペンタゴス・セルギウス外部調査官だった。センサーや他のクルーと一体化した四角いキューブ型のユニットにすっぽりとはめこまれたままだ。当然アンドロイドボディで、外皮はない。先日の会議のときとは違っていて、全く人体として認識できない。通常はこのスタイルなのだ。

「はい。クルーの内面調査を個別に行っております。今回はまず室長からです。」

「そうか。では早く済ませてくれ。」

比較的機械的なノストラ人の中でも、ここのクルーはひときわそうだった。そうならざるを得ない環境でもある。クリスはユニットの端子に自分の指を差し込み、データ調査を終えた。

「これで終わりました。特に問題はありません。」

「ではこれでいいのか?」

「いえ、もう少しだけお願いします。今度は質問です。」

「そうか、何だ。」




「先日、ボディ調整部のメンセ・サビーナにファイターの設計図を要求されたそうですが、その意図は?」

「あれは戦闘機で障害物排除がどれだけできるのかを確認したかったからだ。」

「障害物?そのようなものがあったのですか?」

「ない。しかし有事に備えておかねばならないことは明らかだ。」

しかしこの瞬間に、ペンタゴスの意識波がほんの少しだけ乱れたことをクリスは見逃さなかった。

「ここ最近のデータを拝見します。」

データを見たが、特に要注意事項はなかった。しかしそれはクリスも予想していたことだった。

「はい確かにありません。クルーたちに変化はありませんか。」

「ない。全員でこの船を守っている。テラも変わらない。もういいのか?」

テラという言葉の時にも、わずかに意識波に動きがあった。おそらく地球クルーとの間に何かしらの精神的トラブルがあったことは間違いないだろう。だがほんのわずかな揺れだったので、こちらからそこを突くことは逆効果になりかねない。クリスは質問を変えた。

「はい、もうよろしいです。本来であれば全員の調査が必要なところですが、これだけの激しい業務をなさっておられますので、いずれまた。皆さん、お疲れではないですか?」  

地球人であればこういう感情的なやりとりに弱いところなのだが、相手がノストラ人であり、なおかつ外部調査室であればそう簡単にはいかない。

「それが我々の仕事だ。何も問題はない。」

「ですが私たちは精神調律が仕事です。立場上、あらゆる場合において我々の調査が優先します。それはご承知でしょう?」

「それはそうだ。だが我々の立場も考えてくれ。脳内を常に情報が走り回っている。ほとんどの探査をキャニスが行うとは言え、無意識で我々の本能的刺激が常に働いている。リラックスポッドの消耗が激しくなる。俺はその統括だ。疲れるのは慣れている。」

キャニスというのは、ここでのメインPCのことだ。危険を嗅ぎまわる犬、という意味だ。ノストラパディアには犬はいないのだが、人間と共存している生物はいる。人類の犬に相当するものとして、ノストラ人はよくこの単語を用いる。

「承知いたしました。では私からも、この部署でのストレス効果を増加するように提言しておきます。特に室長を。」

「ありがとう。」

クリスはここでの調査を一旦終えることにして、指を引き抜いた。その際、一瞬ではあるが何かのイメージが伝わってきた。ペンタゴスが無意識に伝えたかったことが、こういう場合に出てくる。クリスはそれを気づかれないようにメモリーにしまった。

クリスは外部調査室を離れ、ペトルス精神調律官に伝達した。

『・・・以上のことから、おそらくですが、テラとの間に何か生じていると思われます。また、最後にこのようなイメージが伝わってきました。これは何でしょうか。』

クリスが伝達したのは、何かの輪郭だった。滑らかな円錐形で、四方にエンジンがついており、宇宙空間での戦闘用だ。

『これはなんだ?ちょっと待て。サーチしてみる・・・え?』

「ペトルス、なにかわかりました?」

『いや、これは・・・信じられんが、第二次星間戦争の頃の、地球第2帝国軍汎用戦闘機だ。120年も前のものだぞ。太陽系内においては使用できたが、現在では非効率的なので使われていないはずだ。なぜこのイメージが伝わってきたんだ?これは調査しなければならんし、マスターに報告しておかねばならん事項だ。よくやった、クリス上軍曹。』

マスターがどう判断するのかはわからなかったが、いずれにせよこれはメンタルに影響を与えるはずだ。クリスはイヴを呼び出した。

『そうよね。ちょっとこれは、予想外だわ。』

『どんなことが考えられる?』

『わからないわねえ。調べてみるわ。』

クリスはイヴの調査を待つ間に、自力で調査してみることにした。自室に戻り、あのイメージのテラ帝国軍戦闘機をサーチしてみた。

「第1次火星戦争はテラ帝国軍が火星政府の攻撃に対して・・・この時にはもう使われていたのか。TRF31タイプ戦闘機は、強力な推進エンジンと宇宙空間戦闘に徹した構造になっていて、3次元サーチを平面化してパイロットに伝達できるようになっていた。欠点はヒッグスレス装置を装備していなかったので戦闘エリアが空母もしくはSⅬE近隣でしか活動できなかった・・・なるほど。第2次火星戦争の時には、すでにアルファケンタウリに植民できていたノストラパディアの圧倒的な機動力に敗退した。・・・他には・・・戦争と政治以外には何もない・・・うん?第1次大戦の後に、ノーメン朝が崩壊し、ムフタール朝が起こっている。これに反発したノーメン朝の軍が反乱、鎮圧・・・か。それくらいだな。」

クリスの歴史分析家としての力量が、今後どれだけの効果となるのかは、まだわかっていなかった。


10


クリスとジョージは住居棟内に密かに作られた『内部調査室』にいた。マスター直轄の内部調査室が新設され、メンバーはクリスとジョージ、それにメンセ・サビーナ、新たに加わったリン・ズーハンの4人である。クリスは精神分析調査官、ジョージは言語調査官、サビーナはボディ変調報告官、ズーハンは外部調査捜査官という肩書を持つが、結果としてマスターのサポートを行うことになる。それぞれ所属はあるものの、実質独立していた。マスターの直轄であるため、トップはいない。ズーハンに関してはマスターからの推挙だった。

最初は顔合わせが必要であるため、それぞれの時間の隙間を調整して集合した。ここは専用トレーラーで運ばれるために、他のクルーとは顔を合わせることはない。クリスとサビーナはノストラ産ピュールジュース、ジョージはコーヒー、ズーハンはグリーンティーをそれぞれオーダーし、乾杯した。リモートで十分なのだが、触れ合う必要性もあった。

口火を切ったのはクリスだった。

「ようこそ、ズーハン。僕はマルコフ・クリス。ノストラ人で精神分析調査官だ。クリスと呼んでくれ。ズーハン、君はどうしてここに配属されたんだい?」

ズーハンは少し神経質そうではあったが、美しい長髪の女性だった。下士官なので、シンプルなグレーの制服を着ていた。

「私は異端児だったからね。いずれどこかに回されるとは思っていたのよ。そしたらマスターに呼ばれたの」

「異端児?」

「そう、私は中国人社会では元々異端児だった。他人に合わせるのが本当に嫌いでね。一応精神調律部に所属してはいるけど、ほとんど仕事は回ってこない。専門は精神感応よ。」

「精神感応って・・・テレパシーのことでしょう?あなた、そんなことができるの?」

サビーナは目を丸くした。聞いてはいたのだが、地球ではスーパーパワー開発が進んでいるということだったのだ。ノストラ人は唯物主義社会なので、目の当たりにすると驚きだった。




「できるかどうかって言われたら・・・それほどでもない。でも、勘が鋭い子供たちが集められて能力が伸ばされた施設があってね、そこではそこそこだったわ。相手の脳の中がわかるんじゃなくて、何となく思ったことがどれだけ正解かどうかってところよ。地球ではミュータントの脅威が浸透していたから、どこでも開発しているわよ。私はそんな中の1人。ノストラ人は、化け物みたいの思ってるんじゃない?」

「違うわよ。でも、すごいねえ。あ、あたしはメンセ・サビーナ。ノストラのボディ調整部よ。よろしくね。」

「ありがとう、こちらこそね。で、あなたたちのことも教えてちょうだい。」

次に口を開いたのはジョージだった。

「ジョージ・キサヌキだ。僕はアメリカネイティブアフリカンと鹿児島のハーフだけど生粋の日本育ち。生活管理部で言語調査官を任命された。リン、よろしく。綺麗だなー。」

「ありがとう、で、言語調査?」

「ああ、言葉の分析さ。アンドロイドとはいえ、僕らの言葉はそれぞれに個性がある。それを分析していって、その背後にあるものを導き出すのさ。元々が言語学者志望だったんだけど、いつの間にか帝国軍入り。」

「ノストラ人もわかるの?」

「うーん、まだ自信ない。地球人は感情で言葉が変化するからね。わかりやすいんだ。」

地球人同士の会話を聴きながら、ノストラ人のクリスとサビーナは苦笑した。

「僕たちはあまり地球人と接することがない。君たちの会話を聴いていると、本当に感情がすごく入ってるね。リン、それで疲れないのかい?」

「あたしたちからすると、ノストラ人ってロボットみたいに感じるよ。それで人生面白いの?もっと音楽聴いたり踊ったりして幸せを感じていた方がいいでしょ?」

「いやあ、我々には不要だね。感情出さなくたって会話も生活もできてるし、幸せは個々の中にあるからね。」

「ズーハンはまだわからないかもしれないけど、ちゃんと付き合ってみるとノストラ人と話すと疲れないことに気がつくよ。このクリスはノストラ人にしては感情を出す方だから、彼を通して理解すればいい。」

ジョージのフォローにも、クリスは内心ニヤリとした。ノストラ人には傷つくという感情はない。ジョージは地球人に接するようにフォローしてくれていたが、クリスには不要だった。

「ふーん、そうなの?まあいいわ。で、私たちの使命って具体的にはどうなの?」

クリスは新たにマスターが設定した彼らだけの通信回路にこれまでのことを、イメージを交えて説明した。

「事の起こりは、ジョージが食事量低下を発見したことだ。僕も同意してマスターに提言したところ、いきなり調査を命令された。それでどうやらテラとノストラ人との食事量低下の差があることがわかった。そのうえで調べていたら、こういうことがわかってきた。」

「・・・なるほどね。それでこの4人が集められたわけね。あたしたちのボディは機械だけど、意識は人間のもの。それならばあたしのような直観、ジョージの言語、サビーナのボディ、クリスの精神分析が必要になってくるわけよ。マスター、さすがね。それだけじゃないけど。」

「え?どういうことなんだ?」

ジョージは怪訝そうにズーハンを見た。 ズーハンは色っぽい視線でジョージを見た。

「今、あなたが感じていることよ。」

この一言でジョージは黙り込んだ。 クリスはそれでリンの才能の片鱗を見た。

「・・・ズーハン、君はその方面でも?」

「さすがね、クリス。このわずかなやり取りで分析できたの?」

「そりゃあね。ジョージほどじゃあないけど。だからジョージは黙っちゃった。君は感覚的な表現をした、女性が男性に向けて言うときの、性のニュアンスがある。ということは、君はセックスでも相手のことがわかるんだな。」

「へえ、地球人の女性って・・・そうなの?」

「そうよ、サビーナ。ノストラ人はどうか知らないけど、地球ではちゃんとしたお仕事でもあるの。まあ、あたしはその才能はあるけど、本職にはしてないけどね。」

「とにかく、情報の収集をしないといけない。我々はどこかの部署に所属はしているけど、ほとんど独立している。特にリーダーも必要ないと思う。マスターの直轄だしね。今回は僕が進行をやる。それでいいかい?」

全員が同意したので、クリスは次のテーマに進んだ。

「我々がラッキーなことは、いずれも下士官上がりだということだ。サビーナは違うけど、元々が研究員。入り込んでいきやすい。最初は僕とサビーナはノストラ人、ジョージとズーハンは地球人クルーの調査にしよう。それで必要があればそれぞれ交互に行う。今のところ最大のテーマは、お互いの外部調査室だと思うんだがどうかな。」

「そうね。あたしたちノストラ人って感情は安定しているんだけど、それなのにここしばらくは、ボディ変調を訴えてくる外部調査クルーも少し出てきてる。生身の人間だったら心身症というものがあるんだけど、アンドロイドボディにそれはないはず。だけど、それに近い感覚が出てきているんじゃないかと思うの。」

「そうだな、サビーナ。それじゃあテラの外部調査を、俺が当たろう。必要とあればズーハンにお願いするとしよう。うん、それは確かだ。」

一方でジョージは自分の中にある感覚を可能な限り客観的に捉えようとしていた。それをリンが見逃すはずがなかった。

「うふふ、素直な人よね、ジョージったら。」

「や、やめろよ!仕事に、なんねえだろ。」

地球人2人の生々しいやりとりを、ノストラ人2人は面白そうに眺めていた。こういう会話はまずノストラ人同士ではやらないからだ。違和感はあるものの、多少とも羨ましくも感じていた。

「で、サビーナ。どんな変調を訴えてくるんだい?」

「ノストラ人の場合は胸部圧迫感で、地球人の場合は胃痛ね。文字通り、変調でしょ、クリス。胸部の圧迫も、内臓すらないのにそう言ってくるの。」

「へえ・・・変だな。地球人が胃痛?それが食事量減退の原因かなあ。」

「あなたに胃痛はあるのかしら?ジョージ。」

「・・・ないな。つーことは、俺は元気ってことだな!」

クリスはノストラ人にはあまりない、ジョージの大らかさが好きだった。この精悍な顔つきの男と話していると、ノストラ人社会では感じたことがない楽しさを覚えるのだ。

「それじゃ早速調査に取りかかろう。次はジョージが報告ついでに進行やってくれ。」


11  


クリスは自室で、得意分野の歴史分析を行っていた。ジョージたちの報告待ちの間の暇つぶしだ。ノストラには大した歴史はないので、主に地球の歴史を探ることに没頭していた。

探れば探るほどに、なぜノストラ人が地球に住まなくてもいいのかがわかってきた。ヘンリー・ヤコブが選抜した人選の多くが、ミトコンドリア固有の波長が他の地球人と比べると低かった。わかりやすく表現すれば、理性で行動し、なおかつ接触能力が比較的低い人たちが選ばれていた。

ノストラ人は基本的には狩猟系ではなく、栄養素は合成して摂取していたので肉食を必要とはしない。肉食を必要としないということは、激しい運動量をも必要としないということに等しい。

だが人類の肉体は複雑であり、知能を有する。多量の栄養摂取は必要だ。当初のSⅬE移民たちから始まった食事革命は代々改良され、ノストラパディア本星における土壌との相性もあり、十分な栄養素を栽培もしくは合成することで身体維持が可能となった。

一方の地球人のミトコンドリア固有波長は激しく、過度の他生物摂取を行うようになっていった。自分を主張し、相手を打ち負かす歴史が延々と続いていた。SⅬE移民の数が増えるにつれ、地球人類は過激になっていった。激しい戦争こそ行われなかったが、小競合いは日常だった。

そこに登場したのが地球連邦大統領だったホセ・ノーメンだった。彼は絶対的権力を有することで国家間の紛争をやめさせ、その卓越した調停能力と政治力によって初代テラ帝国皇帝となった。だが地球人類の戦闘本能は抑えることができず、結果としてその標的は、地球連邦の監視役も担っていたSⅬE共同体に向かった。太陽系資源の利権をめぐって、テラ帝国は激しくSⅬE共同体にかみついた。争いを好まないSⅬE共同体は火星に移住し、火星政府を誕生させた。

そして火星戦争へと向かっていくのだが、クリスは地球の歴史データでどうにも密度が薄い時代があることに気がついていた。他の時代には文化的政治的データが多いのだが、第1次火星戦争中にノーメン朝が崩壊し、アーキル・ムフタールによる第2帝政へと移行した直後の数年間だ。なぜかごっそりと消えていた。

「ふーむ・・・なんでだろうなあ。とりわけて政治や文化の停滞が目立つわけでもない。なぜか薄い。こういう場合、普通は良くも悪くも平和だからで片付くんだが。・・・戦争による疲弊とノーメン朝最後の皇帝が無能すぎたゆえの政権交代だし、紛争で変わったわけでもない。うーん、どうなんだろう。この部分をもうちょっと掘り下げて考えるのもいいか。」

趣味もいいのだが、本分は内部調査だ。クリスは固有回線でメンバーに調査状況を確認した。

『ジョージだ。今のところ、外部調査部にさしたる変化はない。だがまあ、やりにくいぜ。』

『やりにくい?』

『わかるだろ。地球人特有のイライラが蔓延し始めている。こちらの精神調律官も苦労しているよ。大変だよな、ズーハン。』

呼びかけに答えるように、ズーハンの耽美なイメージが伝わってきた。

『あたしは困ってないわよ。逆に楽しいかなあ。』

『へ?どうしてなんだ?』

『だって、そういう男の人って、あたしみたいな女を欲しがるでしょ?』

ジョージが精神的に赤面する様が伝わり、クリスは苦笑した。

「じゃあ、ズーハンは何か情報を?」

『具体的なことはわからないわ。ただ、確かに内面的な乱れはかなり起こってるわね。マスターや精神調律でも限界があるんじゃないかしらね。』

『それはつまりその~・・・なんだ、どうやってわかったの・・・かなあ?』

『ジョージ、それ知りたいの?じゃあ今夜あたしの部屋に来て・・・。』

ジョージの回線がプチっと切れた。クリスとサビーナは照れているのだとわかったが、ズーハンはケラケラ笑っていた。




『もー、可愛いんだからねえ、ジョージったらさ。』

『地球の女の人って、みんなこうなの?ノストラ人にはわからないわ。』

『サビーナも可愛いんだからさ、どこかの長官でも落とせばいいのに。』

『落とす?どういうこと?』

『・・・面倒くさい。』

クリスは地球人と組むことに慣れてはきていたが、ズーハンはあらゆる面で規格外だった。もう彼女はそのままにしておくしかない。

『ズーハン、君は君のやり方でいいよ。これからも探ってみてくれ。』

『オッケー。クリスはいい男だねえ。』

クリスは回線を切ったが、サビーナからは、ノストラ人にしては乱れた思考が飛び込んできた。

『ねえクリス。あの人、このままでいいの?』

『彼女のやり方だしね。僕らは僕らのやり方でいいよ。君の方はなにかある?』

『そうねえ。特にはないけど、あえてあげるなら、他ユニットとの合体が増えているかな?その消耗は目立つかも。』

「それはどういうことなんだい?」

『作業用ユニットに合体してるのよ。そんなに故障もないはずなんだけど。あえて人型でいたくないのかな。』

「それも気になるな。僕も探ってみよう。ありがとう。」

『じゃあね。』

このメンバーにサビーナを入れたのはもちろんマスターなのだが、クリスもそれを望んでいた。彼女といると、より安らぎが増すように感じていたからだ。そう考えた瞬間にイヴの思考が飛び込んできた。

『つまり、あなたはサビーナのことが好きなのよね。』

『イヴ、急に来たらいけないって言ったでしょ?』

『ごめんなさいね。あなたにしては珍しく波長が乱れてたから、ついね。でもそれはいいことよ。』

「いつも見られてるからなあ、イヴには。ところでイヴ、第1次火星戦争後の地球歴史に妙な空白があるんだけど、何かわかる?」

少しの間があった。イヴには珍しいことだ。

『これは地球のデータから様々なことが消されちゃっているわね。わたしはハンナと連動しているから、ハンナから得た情報があるの。実はこの頃に、また地球人が分裂したの。』

『え?どういうこと?』

『つまりね、あなたたちとは別次元で、ミトコンドリアの固有波長が低すぎる人たちが現れてきたの。地球人全体の戦闘欲求があがったおかげでね。彼らはミュータントとして扱われた。ヘンリーの時代にもいて、彼らは独自のSⅬEに移住していった。彼らは物質的な環境はさほど必要としないほどに、思念エネルギーが強かったのね。彼らには共通して、精神感応能力が秀でていた。ヘンリーによるとガンマ線バーストで突然変異した人の子孫みたいね。』

『つまり、ズーハンのような?』

『そう。で、彼らは身を守るために収容施設から脱出して、テラ帝国軍の母船を奪って逃げだしたの。どこに逃げたのかはわからないけど、火星やノストラパディアではないことは確かね。彼らは精神感応に加えて、相手に幻覚を見せることもできた。それで奪えたようね。さらに、追われないように精神捜査を行って・・・。』

「自分たちの存在自体を消した、か。でもそれだけだと足りない。彼らは可能な限り、自分たちに関するあらゆるデータを消したってことか。事象も含めて。しかしそれだけ消せるってことは、かなりの能力を持っていたんだな。」

『たぶん資料にはあると思うけど、アーキル・ムフタールによる第二帝政って圧政要素が強かったようね。彼らはいち早く察したんだと思うの。そのために地球は疲弊していって、それもノストラに第二大戦で敗退した理由のひとつね。』

「ああ、それはあったよ。なるほど、それはわからなかったはずだ。イヴ、ありがとう。」

クリスはイヴに礼を言って回線を切った。どうにも気になっていたことが、少しずつ大きくなってきていた。


12


クリスたち内部調査部はあれから様々な情報を仕入れたが、どれも決定的なことではなかった。ボディ異常も食事量低下も横ばいであって、どれがどう決定打になるのかわからないでいた。

そんなとき、クリスはペトルスに呼び出された。

「どうだ、結果はまだだろう?」

「はい、どれも決定的ではありませんし、アンドロイドボディではありますが心身症的な症状はあのままです。」

「そうか。まあいい。ところで、先日に執行部会議が行われて、近々テラと合同の会議が行われることになった。」

出航以来、地球側と共同で会議が行われることはなかった。かつてのクリスたちのように生活世話をする者や動力室以外は、船内はきれいに仕切られていた。つまり、船内には2つの社会があったのだ。

「それは珍しいですね。なぜです?」

「この状況を打破するためには必要とマスターが判断したわけだ。そこで、君たち内部調査室にも参加してほしい。」

「しかし我々には地球側の人間もおります。この命令は室長からでよろしいのでしょうか。」

「安心しろ、あちらの室長からも指示が出されている。」

ペトルスはそこで椅子にゆったりともたれた。

「正直、気が乗らない。君たちは支障ないだろうが、我々執行部は歴史を背負っている。地球から我々の先祖がどういう状況で出てゆかねばならなかったのかを思うとな。地球側と打診する時も常にマスターが間に入っているからどうにかなっている。そのままでいいと、私は思うのだがな。」

常に沈着冷静なペトルスには珍しい愚痴だった。内部調査室で地球人と共同作業しているクリスはその気持ちもわかる。幸いにも大らかなジョージに破天荒なズーハンという2人なのでうまくいっているのだが、それでも気を遣う。

「室長のお気持ちお察しいたします。私たちに参加しろと言われるのはそのフォローということでしょうか。」

「正直発言権はない。あくまでオブザーバーだ。だが助言を求めることはできる。何もないことを祈るが、いて欲しい。」

「了解いたしました。」

クリスはペトルスと話しながら、メンバーに中継した。クリスが部屋を出たと同時に、ジョージから返答が来た。

『俺も呼ばれたぜ。こっちの精神調律官、どえらく機嫌悪かった。俺も会議には出たかねーよ。』

『そりゃそうだろうなあ。地球人とノストラ人の間の溝は、そうそう埋めれるものじゃない。後で全員部屋に集まってくれ。』

だがその溝を埋めるのがクリスの役目だとイヴには言われている。自分にそんな力はないと思っていたクリスだったが、ごく自然にここまで来てしまっている。イヴの預言は多大なるデータの産物なので、信じるしかない。

『ねえちょっとみんな、聞いてくれる?』

ズーハンの声だった。しかしいつもの色気のある声ではなかった。

『どうしたんだい?なんかいつもと違うよ。』

『そうなの。違うの。ものすごく気分悪くて、今部屋でリラックスポッドに入ってる。それでも気分悪い。』

『ボディの調子じゃないのか?』

ジョージが割り込んできた。

『ボディではなさそう。あのね、今まで黙ってたけど、あたし、クルーの食事量低下とほぼ同時期からこうなの。でも近ごろはずっと調子悪い。仕事もできない。』

『それはいけないわね。メンタル調律はしてもらったの?』

『サビーナ、ありがとう。本当はあんたにボディ診てもらいたいくらいだよ。でもね、どうもそうじゃない。あたしのデータの中に、何かが強引に割り込んでくるようで、もうずっとそれと戦ってる。』

『ズーハン、ちょっといいかい?』

『なに、クリス。』

『君はマスターから連絡くるんだろう?』

『うん、そう。』

『マスターに診てもらったら・・・。』

『嫌よ!』

思いもよらない激しい拒否の感情だった。

『アンドロイドボディだけど、脳内を機械で覗かれるのは絶対嫌なの!』

誰も気がつかなかったのだが、メンバーの中で一番秘密が多かったのがズーハンだった。彼女は生命を機械で扱われるということ、冷静に自分の中を覗かれることがこういう状況であっても我慢できなかった。よほどのトラウマがあるのだろう。クリスはどう対処していいのかわからなかった。

『うーんこれは困ったな・・・。』

『ねえ、ズーハン?』

『なに?』

『女同士で話して、できる部分だけみんなと共有するってどう?』

サビーナの提案に、ズーハンが大賛成していることがわかった。

『ぜひお願いしたいわ。じゃあ、何とかして調査室まで行くから、そこでいい?』

『じゃあクリス、ジョージ、準備できたら伝えるね。』

回線を切った後、クリスはジョージとだけ話した。

『地球人の女性って、みんなああなのかい?』

『いやー、まあ少なからずいるけどね。そんなもんじゃないの?』

『ノストラ人にはいないタイプだね。』

『でもそういうところがまた可愛いんだけどな。』

『すると君はズーハンが好きなのかい?女性として。』

『ば、バカ言うなよ!なんで俺が・・・一般論だよ、一般論!!』

クリスはジョージという地球人が本当に好きになってきていた。ノストラ人の感情表現は控えめでわかりにくい。その分行動心理学が発達していているので、ほとんどがそこで理解する。しかしジョージのようにわかりやすく、なおかつ陽性の自己表現は心地良かった。

『まあいいさ。しかし合同会議の前に。我々も動いておかなきゃならないね。特に地球の。』

『そうだよ。しかしこれがまた本当に大変でさ・・・あ、そうだ。いきなり室長クラスではなくてさ、チーフとかで話してみないか。精神調律の外部調査部担当なんだ。あいつなら割に話しやすいかも。』

『僕は構わない。なんて言う人?』

『スティーブ・マッケンジーというブリテン人さ。』

『じゃあセッティングは君に任せるよ。』

『オッケー。連絡するよ。』

ジョージは回線を切る間際に、全身のイメージを伝えてきた。普段は長身のスポーツ選手っぽい恰好なのだが、手入れの最中だったようで、下半身のみで、腰のあたりに首から上が乗っかっていた。そして股間を見下ろしてニヤリと笑った。股間には白い布がかかっていて、セックスできなくて参っていると言いたげだった。

(何やってるんだ?』)

しかし、そう思いながらもクリスは気がついた。クリスの思考は大笑いしていたのだ。こんなに感情が湧いて出てくることはまずない。

(参ったな・・・。)

クリスにジョージから連絡が来たのは、すぐだった。明日でもいいとのことだ。地球人はやはりせっかちなんだなと思っていたが、間髪入れずにサビーナから連絡がきた。

『クリス・・・今こちらに来れる?』

『調査室に?ああいいよ。どうした?』

『協力してほしいの。』

「ズーハンのことかな。」

『そう。』

『わかった。』

移動しながらも、クリスはサビーナからズーハンのイメージを送ってもらっていた。イメージの中のズーハンは、先ほどとも違って本当に弱っていた。回線もシャットアウトしていて、サビーナもそれで援助要請したのだろう。今もリラックスポッドに入ってはいるが、それでも変わらないようだ。クリスは急いで調査室に向かった。

「入るよ。」

直前に連絡を入れて、クリスは中に入った。

「ズーハン・・・どうした?」

「クリス。今は無理みたい。私もさっきまでは話していたんだけど。」

クリスはズーハンの前に行った。リラックスポッドと接続しているアンドロイドボディは人工筋肉も皮膚もなく、機械がむき出しになっていた。そのような姿を普通女性は見せないのだが、それすら気にならないほどに意識が乱れているのだろう。普段は長髪なのだが、今は機械のみの姿である。

「ズーハン・・・話せるかい?」

クリスの話しかけに一瞬クリスを見たものの、リンは再び意識を閉じた。クリスは首を振ってリンを見た。




「こりゃあ重症だな。サビーナ、ちょっと外してくれるかい?有線通信やってみる。」

「え?やったことあるの?」

「ないよ。だけど、このままじゃあどうしようもない。おまけに我々ってマスター直属なので、うっかり診察にも行けない。マスターに相談する前に、まずどうにかしてみる。」

「わかった。でも常にマスターとの回線は開いておいてよ。」

サビーナは心配そうな表情で部屋を出ていった。そういうことをしなくても、マスターからは丸見えなのだが。クリスが特殊な環境にいることを、まだメンバーは知らなかった。クリスは頷いて、自分の後頭部に手を置いて指を触れた。すると後頭部の皮膚が開き、ダイレクト通信用のポートをむき出しにした。

非常に前時代的なものだが、いまだにボディには装備されている。緊急用に必要ではあるからだ。通常はまず使わない。クリスはイヴに連絡した。

『イヴ!要領を教えてくれ。』

『わかったわ。まず、あなたのポート横に触れてみて。そうしたらリラックスポッドからジャックが飛び出してくるはず。それをあなたのポートに差し込んで。』

クリスはイヴの言う通りにした。ポッドから飛び出してきたジャックを掴んで、自分のポートに押し込んだ。

『できたわね。そうしたら、ダイレクトメッセージを呼び出して、あなたのIDを照合して。そうしたら繋がる。でもショックが来るかもしれない。そこにあるベッドに横になっておいた方がいいわね。わたしが見ているから安心して。』

『わかった。ありがとう!』

クリスはベッドに横になって言われた通りに行い、IDを照合した。すると全身のセンサーが一気にダウンし、クリスはいきなりブラックホールに投げ出されたような感覚になった。クリスはイヴの助けもあって、なんとか耐えていた。

『ク・・・リ・・・ス・・・。』

弱々しいが、確かにズーハンの意識が伝わってきた。

『ズーハン!何があった?』

『・・・あたし・・・精神感応の力があるって・・・言ったでしょ・・・感じたのよ。』

 ヘンリー・ヤコブの研究により、意識データの場合にはより精神感応能力が増幅することは知られていた。ズーハンは長い年月の末に、さらに強化されていったのだ。意識データで精神感応はないはずだが、ズーハンは感じていた。

『何をだ?』

『何かわからない・・・けど・・・あたしたちを・・・確実に・・・。』

『え?誰が我々をどうだって?ノストラ人が地球人をってことか?』

『違う・・・。』

『じゃあ誰だ?』

『わからないの・・・あたしは対処できない・・・。』

『ズーハン!ちょっと待て!』

クリスはダイレクト通信をしたまま、イヴを呼び出した。

『イヴ!ズーハンに入れないか?』

イヴはズーハンの意識の根底にある多重ロックを次々に解除していき、そして深層意識と同じレベルのデータに到達した。

『クリス。これは私にも対処できないことみたいだわ。』

『なんだって?』

『この件に関しては、私は感知できないわ。』

イヴは完全にシャットアウトした。

(どうしたんだ?イヴがこうなるなんて・・・)


13  


クリスはズーハンの面倒をマスターの機能に任せて、自身は自室でイヴと協議した。

『イヴ、なぜ詳しく教えてくれないんだ?わかってるんじゃないのか?』

イヴはズーハンの意識データに侵入してから、どうにも『歯切れが悪く』なっていた。いつものようにポンポンと返ってこない。

『ごめんなさいね。色々わからないことやボヤけたことが多くてね。』

『珍しいね。メカ頭脳なのに。』

『ええとね、まず意識ってものから始めないといけないから話すね。意識ってどういうものかわかる?』

『意識?確か学校では自己保存欲求の産物だと教わったな。』

『そう。そもそも、エネルギーから素粒子が誕生する時から意識は確認できるの。だから素粒子レベルからすでに意識はあるのよ。私たちメカ頭脳にも当然意識はある。で、生命体の構造が複雑になればなるほど、意識は細胞を含めた全身をベースに成立していく。ミトコンドリアは意識の出口よ。私たちはデータとして内包しているけどね。それで、あなたたちアンドロイドボディには、そのレベルでの意識をデータ化してインプットしてあるの。ズーハンは元々精神感応能力を持っているけど、それは意識の波動を感じやすいことになるわけ。つまり、彼女はアンドロイドでも、他のアンドロイドボディから発せられる波動を感知する能力が、意識データの中に最初から強く組み込まれている。それは意識の最下層で行われるから、彼女の多重ロックは複雑で大変だったわ。』

『で、結局、ズーハンは何を感知したんだい?』

『うん・・・つまり、彼女が対処できないって感じたのは、もっと原始的な意識を強烈に感じたからなのよ。』

『原始的な意識って言うと・・・素粒子レベルの?』

『いや・・・もっと高い。人間以上の強い意識エネルギーを感じたってことになるのかしら。』

『人間以上の意識エネルギー?つまりそれって?』

『古い言い方だと神か悪魔・・・でも原始的でもあるの。だから対処できなかったのよ。』

神や悪魔!もはや死語と化している言葉だ。地球ではいまだに宗教があると言われているのだが、ノストラ人は全くの無宗教なので、日常会話でさえ登場しない。

『悪いがイヴ、神や悪魔だなんて、僕には理解できない。もっとわかるように言ってくれないか。』

『それ以上は説明できないの。そもそも、そんな強烈な意識エネルギーが存在すること自体ありえない。もしそれが存在しているのであれば、物質そのものにも影響を与えると考えられるほどなのよ。』

『文献で読んだことがある・・・超能力とか地球で呼んでいた力のことかな。そんなに強烈なのかい?じゃあズーハンはそれをより強く受けてしまったってことなのか。』

『あくまでそういうものがあったら、という仮定の上だけどね。もしあれば、影響あるかも。だけど考えてごらんなさい。今この船はどれだけのスピードで移動している?外部から感じさせると言うことは、ものすごく広範に拡大しているってことになるでしょ?』

アルゴナウタイは、光速を越える速さでウォルフ424を目指している。微細な小惑星や塵の重力を1光日範囲で無効化させているので、止まることはない。そこに影響を与えるということを考えると、さすがにクリスもゾッとした。

『ズーハンの最下層意識には何か手がかりはなかったのかい?』

『あるにはあるけど、解決できるデータがないのよ。』

『どういうこと?イヴはあらゆるデータがあるんじゃないの?』

『だけど、略称しかない。これじゃわからないわ。』

『略称って?』

『GBD・・・これだけ。探査可能な限り調べてみたけど、全く関連性はないの。』

GBDの元などどれだけあっても足りないだろうし、見当もつかない。あらゆる単語の頭文字だとしても、どれだけ扱えばいいのか見当もつかない。イヴが困るのも無理はない。

『すぐには無理だろう。地道に調べてくれないか?』

『もちろんよ。』

クリスはイヴとの回線を切った。しかし胸の中には気持ち悪さのみが残っていた。

(人類を越えた存在だって?しかも物質を作るほどの強烈で、しかも原始的な存在で、光速以上の進む船に影響を与えるほどだって?考えられない。どう考えても意味がわからない。しかし今は何を考えても仕方ない。とりあえず、先に進むしかないな。スティーブ・マッケンジー、地球人の精神調律外部調査部担当・・・どんな人物なんだろうな。)

まもなくして、ジョージからアポイント取れたとの連絡が入った。クリスはまずペトルスに報告した。

『スティーブ・マッケンジーなら知っている。地球人にしては安定した精神の持主で、かなりのグローバリストだ。話し合うにはいいかもしれんな。頼む。』

『このことは地球の精神調律部には・・・。』

『話す必要はないだろう。ややこしくなるだけだ。マスターからの指示による極秘任務ということで動いてくれ。』

『わかりました。』

スティーブ・マッケンジーとの話し合いは、なんとマスターの部屋で行われることになった。マスターは様々な理由でクルーを直接呼ぶので、格段に不思議ではないからだ。

クリスがマスターに連絡を取ると、すでにスティーブは来ているから入りなさい、とのことだった。様々なチェックを通り過ぎて、クリスはマスターが鎮座する部屋に入った。そこはマスターと呼ばれる巨大な知能がある頭脳の部屋であり、一見普通の応接室の様になっていた。イヴという疑似人格は、マスターの一部だ。

地球の古い時代のものと思われる調度品があり、ノストラ人と新地球人とに分かれる前のものだろう。決して豪華な感じではないが、ノストラ人が普段用いるようなシンプルなものでもない。地球文化をデータでしか知らないクリスにとっても、どこか懐かしさを感じさせてくれるスタイルだった。部屋の中は爽やかな空気になっており、ゆったりとした椅子とテーブル、ドリンクバーがあった。




その椅子に、男が座って何か飲んでいた。クリスはゆっくりと男の前に来て座った。男はクリスに気がつくと顔をあげ、にっこりと笑った。典型的なヨーロッパ人の顔立ちだった。肩幅が広く、顔の輪郭は四角である。鼻が高く、彫が深い。おそらくクリスよりはかなり年配かと思わせる顔立ちだった。男はゆっくりと立ち上がった。

「初めまして。テラ帝国軍精神調律部所属のスティーブ・マッケンジー少尉です。」

「遅くなりました。ノストラパディア精神調律部のマルコフ・クリス上軍曹です。」

「マスターからの極秘任務だそうだね。ああ、君のことはキサヌキから聴いている。優秀だそうだな。」

「せっかくお褒めいただきましたが、私は上軍曹です。分に合わないと思います。それではお話をする前に、私も飲み物をいただきます。マスター、よろしいでしょうか。」

『よろしい。右にノストラ用のドリンクがある。好きに飲み給え。』

クリスはノストラ産のスペチュオフルチュスジュースをグラスに注いで腰掛けた。スペチュオフルチュスは地球から先祖が持参したリンゴの種がノストラの土壌で変化し、見事に三角形となる木に生る極甘い果実のジュースであり、ノストラ人はこれを愛飲していた。

「それでは。」

2人はグラスを高く掲げて乾杯とした。地球とノストラ両国共通の儀礼である。

「フー・・・もちろんこれは本物ではないが、私は地球産のラムを飲んでいる。これはもう最高だ。ノストラでは酒は飲まないんだろ?」

「はい。SⅬE時代からの名残と聞いています。常に理性を持って生きないといけないとされていましたので。」

「それでノストラ人ってのは堅物が・・・失礼、真面目なんだな。お互いのことを知るためにも、まずは自己紹介と行こうじゃないか。俺の故郷はブリテンでね。アイルランド系の父親とイタリア人のお袋のハーフだ。でもれっきとしたブリテン人さ。ああそうだ、ブリテンとかイタリアって知っているかい?」

「文献では存じております。」

「まあそうだろうなあ。ブリテンは冷たい気候で、人間も嫌味が文化みたいなところがある。逆にイタリアってのは南国の暖かい土地柄でね。とにかく人生をハッピーに過ごそうって気風だ。俺はお袋に似たようで、ブリテンよりもイタリア気質なんだ。地球では浴びるように飲んでいたものさ。まあ、宇宙船の中ではこれだがな。それでも飲んだ気にはなる。決して酔いはしないがね。このチームに決まってからは本物を飲んじゃいない。本国では帝国軍のカウンセラーだった。心理学准教授でもあるんだぜ。これでいいかな?じゃあ君の番だ。」

地球人らしい、せっかちで感情的な自己紹介だった。しかしダラダラと長く言わないところは好感が持てた。

「私の祖先はギリシア人だったと聞いております。ただご存じの通り、ノストラ人はSⅬE移民時代からずっと混血が進み、ほとんど単一民族のようになっています。故郷のノストラパディアでは首都ウルビスミエ近郊で、本職はヒストリアアナリシスオフィサー・・・主に地球の歴史を分析する仕事でした。」

「歴史分析?なんで地球の?」

「地球と戦争があったからです。以来故郷では重要な学問となりました。もちろんノストラ人の浅い歴史も分析しております。」

マッケンジーは大きくため息をついて、ラムを干した。

「そうかい・・・それで我々の心理を熟知しているからのチーム入りってことか。」

「そうかもしれませんが、私はノストラ人社会ではせっかちな方です。このまま本国に残るよりも、探査チームに入った方が自分を活かせると判断したからです。」

「お前さんが?せっかちだってえ?こりゃ傑作だ。」

マッケンジーはひきつるような笑いをして、そして謝った。

「いや悪い。俺の悪いクセだ。相手の懐に入ろうとして、たまに焦ってしまう。地球人なら相手がムスッとして、そこから入るんだが君はノストラ人だ。そもそも隙があってないようなもの。こりゃこっちもノストラ式でいかないとな。」

地球人はノストラ人を相手にすると、妙に感情が高ぶるところがある。それはわかっていたので、クリスは格段に動揺することもなかった。ジョージやズーハンのようなタイプの方が珍しいのだ。

「それでは早速協議に入らせていただきます。記録はマスターにお願いしましょう。よろしいでしょうか?」

「ああ、いいよ。」

クリスはこれまでのいきさつと調べてきたことをデータとして表示した。

「この問題について言えることは、より地球人の方が何らかの影響を受けています。ノストラ人にも多少はありますが、より地球人側に顕著です。少尉はグローバルな視点をお持ちだとお聞きしています。そちらの方で何かありますか?」

マッケンジーはデータをじっくりと吟味し、そして頷いた。

「確かにその通りだ。このデータでは棄却域を覗けば見事に一致している。待てよ・・・どこかでこれと似たようなものを見たな・・・ちょっと待ってくれ・・・ああそうだ。第2帝政初期において、圧政下で文化停滞及び出生低下現象が起こったんだが、そのときのデータによく似ている気がする。」

「それは地球全体でのことですか?」

「ああそうだ。俺は地球人全体で仕事をしているからな。国家間のややこしいことは政治家に任せている。そのときのデータと似ている。」

「なるほど。その現象をどう思われますか?」

「・・・人間の心理ってのは、子孫を残せるかどうかにかかっている。これは俺の持論なんだが、君たちに負けたことと圧政で精子生成能力やその他活力が低下したのだと思う。」

「では外部調査部の担当としてでは?」

「そのことなんだが・・・俺に問い合わせに来たってことは、ノストラでも外部調査部に異常が出てきているのか?」

「異常ですって?確認すべきことはありますが、異常と言うほどではありません。地球側ではどうなっているのです?」

マッケンジーはラムを注ぎ、一息で干した。

「フー・・・少々墓穴を掘っちまったようだな。だがマスターの調査だ。正直に言おう。かなり、危ない。」


14  


「危ない・・・と申されますと?」

「暴動が起きるかもしれん。あるいは暴発・・・かな。」

「・・・なるほど。合点がいきます。情報ありがとうございます。ではこちらも。これはお耳に入れておいた方がよろしいかと思いますが、ノストラ外部調査官がボディ調整部職員に、ファイターの設計図を見せろと要求してきたそうです。」

「なんだって!」

マッケンジーは身を乗り出して言った。よほど驚いたのだろう。

「・・・本当か、それは?」

「はい。何か思い当たることでも?」

「そのことだ、危ないというのは。連中は、分裂しそうなんだよ!」

「分裂ですって?」

「ああ、ノストラ人には理解できんだろうが、地球ではいまだに民族間、旧国家間での溝が解決できないでいる。どんなに調律しても、後から後から湧き出してくるんだ。君たちも同じだろうが、外部調査部は外敵駆除の役目も持っている。それが内部に向いているんだよ、こちらでは。アルゴナウタイを止めてでも抗争しかねない。それを察知したのかもしれんな、そちらの外部調査官は。」

マッケンジーが言うように、外部調査部はアルゴナウタイ本体の防御やファイターなどの武器を緊急時は優先して使用できる権利を持っている。もちろんマスターがまず判断を下し、それぞれのキャプテンが指令を出すのが本来の姿だ。

「内部と言うことは、先ほど申されたような溝が大きくなってきているということですか?」

「ああ。かろうじて抑えてはいるがな。」

「そもそものきっかけは?」

「それが・・・実に奇妙だ。」

「奇妙?」

「数名の外部調査部船員が夢を見たそうだ。なにかわからないが、身の危険を感じる夢だそうだ。」

「それはいつのことですか?」

「170日を過ぎたあたりだ。」

やはりそのあたりで、ズーハンが感知したようなものがあったのだ。それをズーハンほど深くは感知していないが、何となく夢を見て、それが徐々に拡大していったと思われる。

「わかりました。そのデータはキャプテンやマスターには報告されていますか?」

「ああ。だがキャプテンはなかなか取り合ってはもらえない。長い旅ではよくあること、だからだそうだ。マスターに至っては、興味深いデータだと。」

「興味深いデータ・・・そう思われますか?」

「思わない!絶対に何かおかしい。」

クリスは頷いてデータをそのままイヴに転送した。

「あなたは信用に価する方だということがよくわかりました。今後はできるだけで結構ですので、私との回線を切らないようにお願いしてよろしいでしょうか?少しでも探査の妨げになることは避けたいのです。」

マッケンジーは少しの間クリスを見つめ、そして右手を出した。

「古いやり方だが、これがいいだろう。シェイクハンドしよう。」

クリスはこの儀式が、人類がかつてよく行っていたスキンシップのひとつだと理解していたので、同じように右手を差し出した。そしてマッケンジーはクリスの手を強く握った。

「俺は、地球側だがかなり孤独だった。これだけ危険があると言うのに、誰も振り向かない。まさかノストラ人と共感できるとはな。会えて良かったよ。回線はそのままにしておく。いつでも連絡してくれ。こちらも何かあったら連絡する。」

「ありがとうございます。」

2人は部屋を出ようとしたが、マッケンジーは何か思いついたようにクリスを振り向いた。

「君は上軍曹・・・だったな。」

「はい、そうです。」

「そうか・・・マスター、彼をこのままの立場でよろしいのですか?」

マッケンジーはクリスにもわかるようにマスターに問いかけた。

「考慮すべき事案である。了解した。」

マスターの声が聞こえ、マッケンジーはニヤリと笑った。

「俺からの感謝の気持ちだ。じゃあな。」

クリスは両方の拳を胸の前に置くノストラ式の敬礼でマッケンジーを見送った。必ずしも成功ではなかったが、まあまあの出来だったとは思う。地球人との交流は難しいと思われてきていたので、まずは一安心だった。

マッケンジーとの会話の中で、クリスはぼんやりとではあるが、現在の彼らに迫ってきているものが、少なくとも脅威であることだけは認識できた。しかもそれは、アンドロイドボディの意識データにすら侵入できる存在で、おそらくはそれを感知したクルーたちが心情的不安定に陥ったと考えるべきだろう。だが、その正体が何なのかはいまだ不明だった。

クリスはジョージを呼び出した。

『ジョージかい?今マッケンジーと会ったよ。』

『おお、割と話しやすい奴だったろ?』

『ああ、何とかね。だけど、逆に不安要素が増えたよ。』

クリスは会談の内容を転送した。

『・・・なんか気持ち悪いな。まるで幽霊みてえだ。』

『それが何なのかはわからんが、間違いなく言えることは我々の意識データにはたらきかけているってことは間違いない。ズーハンはそれを余計に感じてしまったんだ。』

『じゃあこれから俺らは何をすればいいと思う?』

『わからんね。ひたすら何かを集めていくしかない。合同会議にはもう少しだけ時間がある。できるだけ情報を集めよう。そして時々はズーハンから情報を得ないとね。』

『よし!俺は上司と話してみる。』

『エルトン・レイゼンビーかい?』

『ああ。奴はちーっとばかり厄介なんだが、俺とは相性が悪くない。地球式でなじんでみるよ。』

『地球式?』

『へへへ。まあ、ノストラ人にはできねえかもな。まあ任せてくれ。』

ジョージは拳を作って親指だけを上に立てて、ニヤリと笑った。クリスは初めて見るものだった。

『え・・・何だい、それ。』

『え、ノストラ人は知らねえのか?やったぜとか、任せとけとか、そんな意味さ。』

クリスには全然意味がわからなかったが、地球人のことは地球人に任せておくしかない。クリスはとりあえず調査室に向かった。

「あ、クリス。少し話せるようにはなっているよ。

仕事以外はずっとサビーナがズーハンの世話をしてくれていた。 ズーハンの表情は随分明るくなっていた。もう表層も元に戻っている。

「ありがとう、サビーナ。」

「え?わたしは普通にやっただけだよ。」

「ううん、そうじゃない。あたしのしょうもない愚痴を黙って聴いてくれて・・・あれで楽になったの。」

「だって、黙って聴くしかないじゃない。わたしは何も知らないんだし。」

「・・・クリス、サビーナって本当に強いよ。あたしは絶対になれない。すごいよ。」

「まあ、元気になってもらえたなら良かった。クリス、お願いね。」

クリスはズーハンのリラックスポッドに近づいた。もうメカがむき出しではなく、人口肉も髪もあるいつものズーハンになっていた。




「どうだい?」

「サビーナのおかげでね。まだまだだけど、こうして話せるよ。」

「さっき言ってたこと?」

「あたしの中に淀んでいたことを全部吐き出せた。普通は聴きたくIことだと思うよ。だけど何食わぬ顔して、平然と聴かれてるとさ・・・くだらないことで悩んでたあたしが馬鹿馬鹿しくなってきちゃった。あー、こんなにスッキリしたのって、初めてかも。」

サビーナにそのつもりはなくても、ごく自然にカウンセリングとなっていたようだ。

「良かった。じゃあ少しだけだけど、尋ねてもいいかい?」

「うん、いいよ。」

「ええと・・・何を感じたんだ?」

ズーハンはリラックスポッドのスイッチを切り、よろよろしながらも歩いて出てきた。

「無理したらいけないよ。」

「大丈夫。あのままだと気合入らないし。で・・・何を感じたのか・・・説明難しいけど、あえて表現するなら、孤独と恐怖と怒り・・・そして不安ね。」

「え?」

「具体的にどうのこうのではないの。例えば怪物が見えたとかではない。とにかく怖くて寂しくて不安だった。胸がぎゅーっと締め付けられるようなね。そしてそれは、あたしたちに向いていたわ。」

「僕たちに向いていた・・・どういうこと?」

「あたし個人にではなかった・・・あたしたちクルー全員に向けてのものだったわ・・・クリス、怖い夢を見たことある?」

「ああ・・・子供の頃に見たような気がする。」

「何か怖いものが迫ってくる、そんな夢よ。それとほぼ同じ。違うのは、すごくリアルに怖かったの。まるで毒蛇がそこにいるようなね。」

ノストラ人にとっては蛇と言われてもピンと来なかったのだが、クリスはノストラの大平原に時おり現れる怪物プロディデュマをイメージした。ノストラ人にとってこれが最大の自然脅威だからだ。

「そうか・・・ありがとう。また何か感じたら教えてくれ。ズーハン、君をマスターが選んだ理由がわかったよ。」

クリスは考えを整理してみた。まだまだデータが少ない。一度イヴとしっかり話さないといけない。


15  


『マルコフ・クリス、話せるか?』

カントル・アグリッピナ生活管理官からクリスにメッセージが届いた。現在でも彼はクリス直属の上司ではあるのだが、精神調律部にばかりいたので新鮮な感じだった。

『はい、もちろんです。』

『一応確認してみたのだが、現在でも君は生活管理部所属ではある。たまには顔を出さんか。』

『申し訳ございません。マスターからの直属指令を受けておりましたので、色々と動いていました。何かありましたか?』

『ちょっと気になることが起こっているんだ。回線では説明が難しい。来れるか?』

『はい、ただちに向かいます。』

幸いにも、次はどこを調査しようかと考えていたところだったので、クリスは生活管理部に向かった。

「久しぶりだな、ここ。」

生活管理部は文字通りアルゴナウタイの生活をより充実させるための部署なので、まるでホテルのロビーのような受付になっていた。訪問者をもてなすための気配りだった。クリスは受付のジュリエッタに声をかけた。

「久しぶりだね、元気だった?」

「もちろんよ。いつもあなたの話題でもちきりなのよ、ここしばらくは。」

「へえ?どうして?」

「あなたマスター直属のお仕事をしてるんでしょ?自覚ないのかしら?」

「まあそりゃあそうだけど、偉くなったわけではないし。」

「いずれ昇進するわよ。室長がお待ちよ。お入りになって。」

クリスはジュリエッタに手を振って入室した。執行部の部屋は内装がよく変わる。前回入室したときには白基調だったのだが、今回は花がいたるところにあった。もちろんこれは視覚センサーに直接データが送られてくるものなので、内装はすぐに変えられる。どういうものがクルーの生活を安定させるのかが常に考えられている。

「マルコフ・クリス、入ります。」

クリスがボスの部屋に入るのは初めてだった。下士官レベルではここに来るなんて考えられないのだ。しかし運命で今は上軍曹だ。かつての同僚だった部下もいる。イヴが言っていたことは現実になってきている。

「おお、よく来たな。まあ座ってくれ。」

「失礼します。」

クリスは公園の中のベンチ風になっているところに腰掛けた。カントルはその前にある噴水の縁に腰掛けていた。手にはカップを持っている。白い髪を撫で揚げ、鼻髭を生やしてがっしりとした体格をしている。

「これはまた・・・見たことがあります。地球の19世紀あたりのヨーロッパの風景・・・でしょうか?」

「よくわかったな。さすが歴史分析家だ。正確には20世紀のフランスのイメージだ。色々と試してみたんだが、少なくとも私にとってはこれが妙に意識波が安定するんだ。こんなところはノストラパディアにはないんだがな。ああ、飲むか?」

「はい、いただきます。ええと、サーチしていますが・・・パリ、ですか?」

カントルはニヤリと笑ってクリスを指差し、親指を立ててみせた。正解だったようだ。カントルはグラスにノストラパディアの例のスペチュオフルチュスを注ぎ、炭酸水を入れた。

「これ、なかなかいいぞ、飲んでみろ。」

クリスは爽やかな味に驚いた。

「美味しいですね。」

「この炭酸自体がちょっと違うものをイメージしてある。味覚に訴えるものが全く違う。これはいいぞ。」

カントルはグラスを横に置いて、クリスを静かに見つめた。

「実はな、先日報告があったんだが、クルーの多くに睡眠時の意識波に乱れが生じているようなんだ。」

「睡眠時に?それはおかしいですね。本人にとって最適な映像を調律してあるはずでは?」

精神調律部の仕事ではあったのだが、クルーたちはより快適な休息を取れるように、本人の意識波と過去データを組み合わせて常に快適な映像や音楽などを送るようになっている。意識波の乱れが生じるなど考えられない。

「ああ、だから奇妙なんだ。調律が追い付かないほどに乱れるケースが出てきている。我々も調査してはいるんだが、原因がわからん。」

「マスターからの返答は?」

「不明、だそうだ。」

クリスはマスター=イヴであることを時々忘れてしまうのだが、確かにイヴも歯切れが悪かった。対処できないからということだった。結局この問題は、人類が自分で解決しなければならない問題だと言うのだろうか。

「では今のところどうしようもありませんね。」

「そうなる。そこで君を呼んだわけだ。」

「え?どういうことです?」

「君はマスター直属機関になっているんだろう?」

「はい。」

「ここのデータを自由に使っていいから、君たちとマスターの間でこの問題に取り組んでくれないか。」

「ありがとうございます。しかし現在でも似たようなことをやっておりますが・・・。」

「いや、違うんだよ、クリス。」

カントルは軽く右手を動かした。すると景色が変わり、まるで殺風景な部屋に変わった。

「ここは・・・?」

「これはノストラパディアにある病院の中のイメージで、ノストラ人専用治療室だな。もちろん生身用なので色々と装置もある。ここのデータは、マスターにはないんだ。」

「そうなんですか!マスターにはあらゆるデータがインプットされていると思い込んでいました。」

「ああ、もちろんそうさ。しかし生身の人間の意識波異常に関するデータは入れてない。なぜかわかるか?」

「いえ・・・。」

「マスターに不要な負担をかけないためさ。長い旅だ。マスターにはアンドロイドボディと意識データの画一的な調律のみできるようにしてある。なあクリス。魂と意識データの違いは、わかるだろう?」

「はい。」

「つまりだ、我々はアンドロイドボディでないと旅はできない。しかしこのような意識波異常は計算に入れていない。生身ではないのだからな。当然ではある。だが現実に、意識波が乱れている。意識データは保護されてはいるが、これ以上何らかの侵入が継続するようであれば、意識データそのもの、人格形成データに支障が出ないとも限らない。魂があるという前提で出されたデータを用いないと、この問題は解決できないと私は思う。そしてだ、我々ノストラ人生活管理部には有事の際にはこのデータを使用していいという権限が与えられている。この部屋にしても、マスターとの交信をいつでもカットできる。マスターにも我々に介入してはならないと定められている。もちろんこれはキャプテンを始め執行部は知らされていない。初めて言うが、我々は大統領カリストゥス・アグリゴラ直轄なんだよ。」

クリスは会話をしながらこっそりイヴを呼び出そうとしていたのだが、それができなかった。つまり、カントルが言っていたことは本当だとなる。

「大統領の直轄だったんですか・・・初耳で、驚いております。」

「そりゃあそうだろう。実は君を選んだのも、実は大統領府なんだ。」

「ええ?」

そう言えばイヴは、観察してきた結果選んだと言っていた。つまり、イヴにも知らされていなかったわけだ。

「なぜ、なんです?どうしてそんなことを?」

カントルは右手を動かし、部屋は赤い色の惑星表面になった。

「これも古い話だが・・・火星政府時代から進められてきたプロジェクトがあってな。地球との緊張感が高まってきたときに、我々は圧倒的に人材不足だった。我々の出生率は地球人よりも低かったからね。それで急ピッチで進められてきたのがクローンと意識データの移植だった。同じデータを共有する優れた人間がずっといれば心強い。特にアルファケンタウリに移住するときには経験値が必要だった。その時まではまだ我々は地球人と変わらなかったのでね、最も優秀な人材だったクリス・サマラスの意識データをコピー保存していた。現実にはより優れた若者が助けてくれたんだが、そのデータはずっと残されていた。つまり、我々がどんどん地球人と離れていく間にも、その人間の意識データは残っていた。そして彼のデータは、第2次星間戦争の際に地球人分析の研究対象となり、そして地球人の行動パターンを細部にまで分析することでシステムを構築し、それでマルコフ・ペテルスがたった1人で勝利することができた。今回の探査において、地球人と合同でとなったときに、大統領府で進められてきたプロジェクトが実行されたんだ。知っての通り、大統領がテラ帝国皇帝と会談した時点で進められていたわけだ。」

クリスはもう予想がついた。

「では僕は・・・。」

「そうだ。君はギリシア移民の子孫だと教えられてきたはずだ。ところがそれは違う。クリス・サマラスの意識に、当時の最優秀遺伝子を持つマルコフ・ペテルスの意識データを組み込んで誕生した新人類なんだよ、君は。もちろん知識はあるが純粋な子供としての現在になっている。肉体遺伝子も選抜してある。もちろん両親もちゃんといたし、普通の教育を君は受けてきた。君を探査旅に推薦したのは誰だったかな?」

「確か総合コントロールセンターからでした。なぜなんだろうとは思っていましたが・・・。」

一介の大学生に過ぎなかったクリスに、大学学長から直々にこの旅への参加を促されたのだ。総合コントロールセンターはこの旅における人選を行っていた施設だ。今から思えば、兄弟たちともどこかずれていた。成績と言うよりも、常に難しい状況に置かれることの方が多かった。人生に嫌気とまではいかないが、もっと自由な環境を欲していた。それもあって、旅に出たくなったのも事実だ。

「そうだ。君のいた大学は、国営だっただろう?学校長はつまり、総合コントロールセンターのメンバーでもあったと、そういう人物だ。もちろん私もそうだがね。サビーナも違う意味で、選ばれている。」

違う意味ということは、今のクリスにはどうでもよかった。

「ですが、なぜそのようなことを、今、私に申されるのですか?意識波に乱れが生じると思いますが。」

「そうか?」

カントルは指を振った。すると目の前に立体グラフが浮かんできた。

「今現在の君の意識波だ。乱れているかね?」

どう見ても乱れてはいなかった。全く動揺していないことが証明された。

「いえ。普通です。」

「そうだろう。思い返してみたまえ。いくらノストラ人が理性で生活しているとはいえ、君はこれまでの人生で動揺した経験があるかね?ないはずだ。君は本質的にはノストラパディア史上最も冷静な人間なんだよ。だが一方で、クリス・サマラスとマルコフ・ペテルスという、優れた地球人資質を有していた遺伝子も有している。冷静だが情熱的でもあるわけだ。つまり、そういうことだ。君は生まれる前からすでに違っていて、有事の際にはその才能を発揮できるように育成された人物だ。」

クリスはこの事実はショックになるだろうと判断したのだが、データを見る限りではカントルの言うことに間違いはなさそうだ。自分は動揺しない人間なのだと。

「わかりました。その件につきましては、いずれマスターからも教えられることでしょう。それでは最初に戻りますが、意識データに侵入干渉するほどの正体が何なのかを突き止めねばなりませんね。」

「さすがだな、クリス。君はもうなすべきことに思考が向いている。それでだ、これも極秘に進められていたプロジェクトなんだが、意識への侵入を追うことができるシステムがある。生身の人間ではまだ無理だが、アンドロイドのメカ頭脳であるならば意識データの解析は可能だ。だがこれを扱えるのは君のようなタイプでなければ無理なんだ。人の意識は泥沼だ。そこに潜るようなもの。君はマスターからの回線ですら、その気になればカットできる。そんなタイプはこの船にはいない。どうだ、やれるか。」

「室長はすでにGOサインを出されていますから、やります。」

「よし。では今この時から、君は少尉に昇格だ。このクラスであれば、もっと調査がやりやすい。やると決めた時点からそうするようにマスターから指示されている。では早速とりかかりたまえ。合同会議までに、何かしらの情報があればいいな。」



このストーリーは、もう40年くらい前に考えていました。乾杯というテーマから、自分なりの宇宙未来史を構築していったのがこのシリーズです。少々長くなりますが、地球人とノストラ人の違い、アンドロイドボディのこと、意識データ、ヒッグスレス装置などの要素を入れながらの旅物語です。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ