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9. 新たな作戦

セリアとの先行プローブを用いた並列処理の軌道計画が確定したその足で、俺は月の地下深層に広がる第七重工業区画へと向かった。


そこは、真珠色のドームの清潔な空気とは無縁の、プラズマ溶鉱炉の熱気と金属蒸気が支配する世界だ。


帝国のあらゆる物理的インフラを根底から支える男、極限精密製造局の工廠長バルカスが、巨大なマシニングセンタの傍らで俺の提示したデータ・パッケージを睨みつけていた。


「……五万トン級の本隊と、数百トンの先行プローブ。この二隻を二ヶ月で軌道へ上げろだと?」


バルカスの低い声が、工廠の重低音を切り裂く。


「十八ヶ月というふざけた政治的スケジュールの皺寄せが、全部こっちに来てるじゃねえか。基礎フレームから精錬していたら到底間に合わんぞ」


「だから、既存艦を流用する」


俺はコンソールを操作し、航宙局のデータベースから引き出した構造図を展開した。


「議会からの承認には、超法規的な徴用権限が含まれている。第七艦隊の退役予定艦オケアノス級、大型輸送艦をベースにする。これなら基礎フレームとV7エンジンの建造時間を丸ごとカットできる。完全な新規建造ではなく、あくまで改修だ」


だが、バルカスの顔の険しさは全く和らがなかった。彼は油に汚れた指で、ホログラムのオケアノス級の構造材を乱暴にハイライトした。


「ただの輸送艦のドンガラに、一兆トンの慣性を相殺するトポロジカル・エミッターを組み込み、数万トンのナノマシン素体プールと直結させるんだぞ? 空間を書き換えるほどの高周波重力干渉に耐えるよう、船体フレーム全体に位相補正用のダンパーに張り替える必要がある」


バルカスは俺に詰め寄った。


「コンマミリ秒の位相ズレも許されないんだろう? 既存フレームなんぞ使えんぞ。最新の制御系を干渉させずに統合するすり合わせと、エミッターの分子レベルの定着作業。どんなに工程を並列化しても、最低で四ヶ月……テストを含めれば半年はかかる。それを二ヶ月でやれだと? 物理的な加工限界を無視するな」


「だが、二ヶ月後の打ち上げウィンドウを逃せば、セレス・マイナーへ向かう最適軌道から外れる。十八ヶ月という期限を一日でも過ぎれば、予算は即刻凍結されるんだ」


「だからって、物理的な作業時間が足りないものは足りないんだよ! 定着の冷却プロセスを省けば、エミッターを起動した瞬間に自身の重力場で内側から圧壊する! 俺は職人として、確実に死ぬと分かっている艦を宇宙に送り出す気はねえ!」


技術の限界を誰よりも知る工廠長と、全体スケジュールの限界に縛られた技師長。


互いの主張はどちらも圧倒的な物理的現実であり、妥協点は見出せなかった。


船の改造時間を確保すれば、軌道が破綻する。軌道を優先すれば、未完成の船が宇宙の塵となる。


堂々巡りの激しい口論が続いた。図面を何度再構築しても、フレームに割く熱処理と分子定着に必要な絶対的な時間だけはどうしても削り落とせなかった。


焦燥感が管制室の空気を重くし、冷たい汗が背中を伝う。


「……クソッ。ハードウェアのアプローチが限界なら、変数の外側をいじるしかない」


俺は血走った目でコンソールを睨みつけ、決断した。


「バルカス、セリアのところへ行く。軌道を再計算し、渡航時間を圧縮してこっちの改造時間を稼ぎ出せないか掛け合う」


数分後、俺とバルカスはデータ・アーカイブ室の重いエアロックをくぐっていた。 セリアは相変わらず、モニター群の中心で高濃度のカフェイン・チューブを片手に立体ディスプレイを弄っていた。


「セリア、牽引艦の航行軌道をもう一度引き直せないか」


俺は単刀直入に切り出した。


「工廠での改修スケジュールが、どう計算しても二ヶ月では収まらない。本隊の出発を一ヶ月後にずらし、その分、航行中によりアグレッシブな軌道を取って、渡航期間を十二ヶ月から十一ヶ月に短縮することはできないか」


セリアの指先がピタリと止まった。


彼女はゆっくりと椅子を回転させ、心底呆れたような目で俺たちを見た。


「……あなたたち、軌道力学を魔法か何かと勘違いしてない?」


セリアはため息をつき、空中に牽引艦の放物線軌道とスイングバイの力学モデルを展開した。


「いいこと。私が引いたあの火星を使った加速アシストパスは、火星の重力の進入角度とタイミングを極限まで計算し尽くした最適解よ。五万トンのデッドウェイトを背負ってV7エンジンの最大推力で弾き出せる、限界ギリギリのラインなの。出発を一ヶ月遅らせれば天体の相対位置が変わり、重力アシストのウィンドウは完全に閉じる。力任せに直進して時間を買えるほど、四億キロの海は浅くないわ。推進剤が枯渇してセレス・マイナーを素通りするか、到着が数ヶ月遅れるかの二択よ。軌道はすでに最適解なの。変える意味なんてないわ」


「だが、このままでは船の改修が間に合わず、打ち上げすらできない!」


バルカスが焦りを露わにして言った。


「膨大な既存フレームの張り替えとエミッターの配管を終わらせるには、どう足掻いても二ヶ月じゃ足りん!」


俺たちは沈黙した。


議会の定めた十八ヶ月。変更不可能な軌道力学の壁。そして、越えられない物理的な建造の壁。すべてのロジックが袋小路に追い詰められ、窒息しそうだった。


だが、セリアはそんな俺たちの苦悩を他所に、呆れたように小さくため息をついた。


「……あなたたち、本当に頭が固いわね。月の地下に引きこもって数字と金属ばかり睨んでいるから、思考が重力に縛られたままなのよ」


彼女は立ち上がり、空中に月軌道からセレス・マイナーへと続く航路を大きく展開した。


「時間が足りないなら、船を進めながらロボットで改修を続ければいいじゃない」


「……何?」


バルカスは顔を上げた。


「V7エンジンの推力軸は既にあるんだし、肝心のコアユニット……つまり、セレス・マイアーを捉えて制御するための心臓部だけを、この二ヶ月でバルカスが完璧に仕上げなさい」


セリアの指先が、ホログラムの船体をいくつものブロックに分解し、軌道上へと散りばめる。


「それ以外の、巨大な外部リングの溶接、数万トンのナノマシン素体を繋ぐチャンバーの接続、冷却バイパスの配管……そんな細かい外部工事は、わざわざ重力下で無理に処理する必要ないでしょ?未完成のブロック化されたパーツをそのまま積み込んで打ち上げ、セレス・マイナーまでの十二ヶ月の渡航時間を利用して、航行しながら自動ロボットたちに完成させればいいのよ」


俺とバルカスは、雷に打たれたように立ち尽くした。


「真空と無重力状態なら、膨張の歪みも自重による応力も発生しない。巨大構造物の分子定着には、宇宙空間のほうが圧倒的に理想的な環境じゃない」


航行中の建造。その極めて合理的で、軌道力学的な発想を聞いた瞬間、俺の脳内で止まっていた思考が爆発的な勢いで回り始めた。


「……盲点だった。俺たちは完成品を飛ばすことに囚われて、十二ヶ月という膨大な航行時間を単なる移動のロスとしか見ていなかった」


俺は愕然と呟いた。十二ヶ月あれば、ナノマシンの自己組織化を急がせて熱変成を起こすリスクを冒す必要はない。ゆっくりと、極限の精度で分子を定着させることができる。


「いや、待て」


バルカスが眉をひそめた。


「V7エンジンが定常加速している最中だぞ。推力がかかり続ける中で外装や配線を組み上げれば、船の重心バランスが常に変わり続ける。推進ベクトルがズレて一瞬でコースアウトだ。四億キロ先の針の穴を通すミッションで、航行中に質量分布を変えるなんて自殺行為だぞ!」


「だ、か、ら、私がいるんでしょ」


セリアは不敵に笑い、自らの胸を指差した。その瞳には、軌道力学の魔女としての絶対的な自信があった。


「ロボットが構造材を移動させ、船体が組み上がっていく過程で生じる重心の推移、質量分布の変化、それに伴う推進ベクトルの微小なズレ……それらすべての変数を、私がリアルタイムで計算してディレイを考慮した軌道制御に組み込んであげるわよ。航行中の十二ヶ月間を、まるごと建造期間として使いなさい。……AIには重心が変わり続ける船の軌道なんて絶対に引けないけど、私ならさばき切れるわ」


俺の脳内で、バラバラだったパズルのピースが完璧に結合した。


「……いける」


俺は息を呑み、震える声で呟いた。


「コアの安定性さえ月で担保できれば、外装や補助回路の構築は定常加速中でも理論上は可能だ。重心移動の変数さえセリアが完全に掌握してくれれば、物理的な強度は目的地への到着までに100パーセントに達する……!」


バルカスはポカンと口を開けたまま、セリアと俺の顔を交互に見つめていた。


やがて、彼は顔を大きな手で覆い、腹の底から湧き上がるような豪快な笑い声を上げた。


「ハッ……ハハハハ! 航行しながら艦を作るだと? 船大工の常識を根底からひっくり返しやがった!」


バルカスは目をギラギラと輝かせ、拳を強く握りしめた。


「だが、出来なくはない。……いいだろう、乗ってやるよその作戦に。心臓部のコアだけなら、二ヶ月で神様でも壊せねえくらい完璧に組み上げてやる。外装の再構築アルゴリズムは、レオン、てめえがロボットに叩き込め!」


「ああ、任せろ」


俺も口角を上げ、力強く頷いた。


「重心のシフトデータは私のコンソールにリンクさせるようにね」


セリアが楽しげにウインクをする。


不可能だと思われた二ヶ月という壁。だが、天才たちがそれぞれの専門領域の限界をぶつけ合い、常識を破壊することで、解決の糸口は鮮やかに開かれ、焦燥と苦悩の雲は完全に晴れた。


「さあ、始めようか」


俺はコンソールに向かい、バルカスとセリアと共に、神の領域に手を掛けるための壮大な設計図へと没入していった。

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