7. 説得
「……実証機Mark-51による連続稼働試験は、成功を以て終了しました。ポテンシャル螺旋の補正により、エネルギー収支は黒字を維持し、慣性制御の位相は完全に安定しました」
俺は努めて事務的に報告した感情を排した事実のみが、この場では最大の武器になる。
議場に展開されたホログラムには、物理法則を再定義するような完璧なデータが整然と並んでいる。
議卓を囲む議員たちは、一年前のような嘲笑を浮かべてはいなかった。代わりにそこにあるのは、獲物を見定めた猟師のような、静かで、じっとりとした観察の視線だ。
「……素晴らしい成果だ、ハルシュタット主席技師。君の執念には敬意を表しよう」
議長のウェルターが、穏やかな、しかしどこか猛禽類のような声音で口を開いた。
「だが、問題はここからだ。君が示した計画、小惑星群へ実機を派遣するステラ・ウィンチ。このプロジェクトには、帝国の年間電力予算の2%、そして全自動ロボット生産ラインの1割を転換する必要があるとのことだが。これはもはや、一技術者の手に負える規模ではない」
「承知しております。だからこそ、本日はそのための本格的なリソース割譲と、国家プロジェクトとしての格上げを要請しに来ました」
俺がそう答えると、議員の一人が溜息をつくように首を振った。
「技師長、君は技術に明るいが、統治を知らなすぎる。いいかね。一兆トンを超える質量を月軌道へ導くという行為は、帝国にとって国家安全保障上の重大な不確定要素を招き入れることに等しい。もし慣性制御が軌道上で失われれば、それは人類を救う資源ではなく、月を砕く巨大な質量兵器へと変貌するのだよ」
議場に重苦しい緊張が走る。
彼らは俺の技術を否定しているのではない。その強大すぎる力を、自分たちの制御下に置けないことを恐れているのかのようだ。
「議員の皆様、その懸念は正当なものです。だからこそ、次なるステラ・ウィンチ計画のミッションは、月への資源運搬ではありません」
俺は即座に反論を被せた。これはもともと用意していた計画だ。
「次なる段階は、月の重力圏とは無関係な遠方での軌道偏向実験です。目標とする小惑星に慣性制御の楔を打ち込み、月へ向かう軌道ではなく、安全な方向へ数ミリ単位で誘導する。これで、我々が質量を完全に支配下においていることを証明します。月への周回軌道投入は、その信頼性が確立された後の最終フェーズです」
「……月から外れた軌道へ、誘導する……」
議長が、瞳を細めて俺を見つめた。
「左様です。これは資源確保の前段階であると同時に、帝国が星々の運行を制御する力を公に手にするためのデモンストレーションでもあります。もし我々に、小惑星ミリメートル単位でコントロールする力があると示せれば、それは市民にとって最大の安全保障となります」
沈黙が議場を支配した。
議員たちは頭の中で、俺の提示した論理を政治的なメリットへと変換し始めた。
彼らにとって重要なのは、俺が正しいかどうかではない。自分たちの地位を盤石にするために物語として利用できるかどうかだ。
「ハルシュタット技師長。君の提案は合理的だ。」
議長が、ゆっくりと立ち上がった。
「このプロジェクトは、ひとまず極秘扱いとする。そして、この偉業が達成された暁には、我々議会が市民の未来を憂い、不眠不休の議論の末に主導したものとして発表させてもらう。しかし、失敗した場合は闇に葬る」
威圧された声が響く。
「仮に成功したとしても、君が発表したところで誰も納得せんだろう。ここは我々が築き上げた市民との信頼関係を最大限に使おうじゃないか。君はあくまで、我々の指示の下で動く現場の責任者に過ぎない……それが、リソースを承認するための絶対条件だな」
明白な簒奪だった。
彼らは俺の技術を認め、それを利用して救世主の座を奪おうとしている。次の選挙を確実に乗り切るための、最高の手札にするつもりなのだ。
だが、俺に迷いはなかった。
「……承知いたしました。プロジェクトの全権を議会に譲渡します。私は、帝国資源安全保障局の指導に従い、技術者として任務を遂行いたします」
俺は、完璧な礼節を保ったまま、深く頭を下げた。
俺が守りたかったのは、自分の名前が歴史の教科書に載ることじゃない。ミナの生命維持システムが安定し、彼女に安全な未来を届けること。そのための物理的なリソースだけだ。
「賢明な判断だ、ハルシュタット主席技官。君のような愛国的な技術者がいてくれて助かるよ」
議長は、満足げに微笑み、告げる。
「期限は一年半だ。それ以上は承認しない」
彼は傍らの端末を操作した。
その瞬間、俺のデバイスには、これまでとは比較にならない規模のエネルギーコードと、ナノマシン生産枠の割り当て通知が次々と着信した。
議場を出る俺の背中に、議員たちの声が追いかけてくる。
「これで次の演説の目玉ができたな」
「我々が導く、星々の豊穣……有権者には受けるだろう」
彼らにとって、小惑星群へ向かうステラ・ウィンチ計画は、自分たちの玉座をさらに高く、強固にするための装飾品に過ぎない。
だが、廊下の窓から見える月の荒野を見つめながら、俺は冷徹に考えた。
手柄はくれてやる。権力も、名誉も、好きなだけ貪ればいい。その代わり、俺はミナの命を救うための物理的なリソースを手に入れた。
俺はバルカスとの通信を繋ぐ。
「……バルカス、準備しろ。予算は取れた。まずは月から外れた軌道へ飛ばす実験だ。まだ骨子しかないステラ・ウィンチ計画を完成させるぞ」
俺は地下へ向かうエレベーターの中で思う。俺は星を掴みに行く。そこにあるのが、本当の救済であれ、あるいは巧妙に計算された陰謀であれ、俺はもう止まることはできない。




