第六話:不実
「不実、いま不実とおっしゃいましたか」
マサエールの声が一段低くなる。義姉がひっと息を呑んだ。その他、歳下の従姉妹も幾人かは顔色を青くする。
マサエールは本来、苛烈な性格である。ここ数年は愛する人と共にあり、子を為してはその性質を比較的穏やかにしていた。だがその苛烈さは内にしまわれただけであり、失われたわけではない。
その性格を家族たちは知っているが、兄嫁や歳下の親類たちは初めて目の当たりにしたのであった。
「ふえっ、ふぇ……あーーーーーー!」
マサエールの怒りに反応してか、モンジューが泣き出した。マサエールは一度肩を落とす。
「……義姉様、モンジューの面倒を見ていただいても?」
「え、ええ」
兄の嫁と幾人かの従姉妹たち、それとモンジューを抱えたウンダは部屋から退室した。
マサエールは咳払いを一つ。気を取り直し、改めて父に向けて言葉を放つ。
「ヨーリオム様を不実となじりますか」
「違うのか」
マサエールの紅の瞳が父を、男衆を睨む。
「家を離れていたので兄様については存じませんが、少なくともお父様には幾人かのお妾がいらしたはずです。それを差し置き、ヨーリオム様を不実となじるのは道理が通らぬでしょう」
「む……」
男たちは言葉につまり、この場に残った女たちは深く頷きを返した。
なるほど、新たな婚姻のために前の妻を捨てるような真似は確かに不実であろう。だが、妻がいながらそれとは別の女のところに通うのは不実ではないのか。お前にそれを指摘される筋合いはないとマサエールは言っているのだ。
クロノサは口を開く。
「……だがそれは兵を育てるためだ。どこの家でも行っている」
そもそも子供は死にやすく、無事成人できる保証などどこにもない。家門を守ろうとすれば多くの子をなすより他はなく、それが武家であればなおのことだ。その男子は兵に、騎士に、将になる。だが戦場に出れば育った子がさらに失われるということでもあった。実際、マサエールの一つ下の弟も、三つ下の妾腹の弟も戦場で散っている。家門のうちには生まれてすぐに儚くなった子もいる。
マサエールは頷いてみせた。
「もちろん、武家の娘としてその慣わしを否定する気はありませんわ」
「なら……」
「ですが! 不実か否かとは話が別です」
クロノサが言葉をあげようとし、マサエールはそれを遮った。
「不実とは誠意に欠けることです。妾たちを囲うことは、あるいはさらに言えば商売女を抱くことは、妻への誠意に欠けていると思いませんか?」
先ほどのクロノサの言、妾に子を産ませることが武家の慣いであるというのが、この時代この社会階層においては暗黙の了解があるとしてもだ。
であれば子をなす目的ではない商売女を抱くのはどういうことだと、赤い瞳は怒りをはらんで父を睨む。
「男どもは女たちに不実なのですよ」
「……父に歯向かうか」
クロノサの口から出たのはそのような言葉だった。結局、これに関して正当な言い訳ができるわけではなく、家父長の権威を持ち出したに過ぎない。
だがマサエールはその醜さを受け流して首を横に振る。
「いいえ、別にそのつもりはありませんわ。先ほども否定する気はないと申しましたでしょう。ただ、そんな理由でヨーリオム様を貶めんとするのは許さぬ。ただそれだけです」
「離婚を持ちかけられて、まだお前はあの男に気があるのか」
マサエールは胸を張る。
「当然でしょう。わたくしが愛した男ですよ」
クロノサは嘆息した。この気の強さ、情熱と信念に支えられた論理。長男が悪い男であるわけでは断じてないが、マサエールが男であればボレアリスの家をこやつに継がせただろうと何度思ったことか。
クロノサは一つ譲歩して尋ねる。
「俺が不実であるのは認めよう。だがそうだとして、彼が不実であるのもまた間違いあるまい。だとしてもか」
マサエールは少々考える様子をみせた。そして語る。
「程度はあれど、そもそも女たちは男たちの不実を受け入れているのです」
「む……」
これはある種の諦念であった。マサエール自身もヨーリオムが、マサエールの母もクロノサが、夫が妾を囲ったりすることに苦言を呈することはあっても否定はしない。それは女一人では生きていけないこの時代における女たちの生き方でもある。
実のところ逆にこれを完全に否定してしまうと苦境に立つのは女なのだ。つまり戦争で死ぬのは男であり、妾の多くは寡婦であるという側面がある。戦乱の世にあって生き残った男が数名の女を養うのは社会を治める必然でもあった。
「なるほど、確かに婚姻とは家との契約という側面があります。離婚により契約を破られたお父様がヨーリオム様に裏切られたから不実であると憤っているのですね」
「そうだ!」
クロノサは意を得たというように頷く。
男は、特に戦士階級の男は契約と名誉に生きる者である。それ故に裏切りを、顔に泥を塗られることを許さぬのだ。自らの不実に無神経なままに。
お可愛らしいものだ。マサエールは嗤う。女たちは泥の中で咲いているというのに。
「契約を破ることは許されぬとおっしゃる」
「当然ではないか」
「ならばお父様は、神に不実です。ヨーリオム様より先に塩の柱とされるべきでしょうね」
婚姻が契約であるのは家同士だけではない。それは神と人との契約でもあるのだ。彼らは皆、こう神に誓うのだから。
『死が二人を別つまで。ただ一人の夫を、妻を愛する』と。
ξ˚⊿˚)ξ書いていて楽しい、キレッキレマサエールちゃんトーク。





