第四話:帰郷
ボレアリス家の領地、交通の要衝に建てられたオーディワール城が前方に見えると、騎士の一人は先触れのために馬を駆けさせる。
そのため、マサエールの馬車が実家の城門をくぐった時、城中の使用人や騎士、従者らが列をなして彼女の帰還を出迎えたのであった。
「お帰りなさいませ、マサエール様」
「お帰りなさいませ」
先頭に立つ男が低く良く通る声を放って、美しい所作で紳士の礼をとれば、その背後に控える者たちも各々が礼をとる。
先頭の男は鎧姿でこそないが明らかに武人とわかる豊かな筋肉をしており、腰には剣を佩いている。
馬車の扉から身を乗り出したマサエールは、驚きを以て彼の名を呟いた。
「……インスラ?」
聞こえたその声、射干玉が如き艶やかな黒い髪。どちらも覚えのあるものであった。
男はゆっくりと顔をあげる。
「はい。覚えていただけていること、光栄でございます」
「……忘れたりはしないわ」
マサエールが齢十になる頃から、社交や勉学のために外に出る機会の増える彼女に、歳の近い従者や護衛がつけられるようになった。
従姉妹のオリザもそのうちの一人であるが、インスラもそうであった。
オリザは嫁入り先のラディクス家にまでついてきたが、インスラはそうしなかったので、こうして会うのは何年振りであろうか。
夫がいないマサエールの手をとって、馬車から降りるのを介助すべきは護衛の騎士であるが、彼らはインスラという男に軽く黙礼するとその場を譲った。
「お手を失礼致します」
恭しく差し出されたインスラの手に、マサエールは自らの手を預けて馬車から降りる。
そうして彼のエスコートで城内の館へと向かった。
「ずいぶんと立派になったのね」
「おかげさまで」
「今は何をしているの?」
「ありがたくもボレアリス家騎士団の副長を拝命しております」
「まぁ!」
ボレアリス家の騎士団なのであるから、その長は当然ながら一族の者が務めている。現在の騎士団長はマサエールの兄であり、ボレアリス家の継嗣、次期当主となる人物である。
インスラはボレアリスの一族ではなく家臣であるから、それが副長となったということは家臣たちの中で最も優秀である、あるいは将来が嘱望されているということだ。
「頑張ったのねえ」
「はっ」
「お父様たちは?」
「みなさま、中でマサエール様のお帰りを、首を長くしてお待ちです」
はぁ……。
と、マサエールはため息を一つ落とす。
本来なら扇で隠さねばならぬところであるが、ここは実家であるし隣にいるのは幼馴染のようなものだ。礼法の鎧を脱ぎ捨ててしまうのも仕方ないところか。
「いかがなさいましたか」
インスラが尋ねる。
マサエールは思わず赤面した。これ見よがしなため息なんて、側にいる者を心配させるだけというか、これではいわゆる『構ってちゃん』である。
いい歳した高位の貴族夫人……離婚しているので元夫人だが……に許されることではない。無意識下の行為ではあったが、インスラに甘えているようなものであろう。
「いえね、出戻り娘がどうした顔で会ったものかと」
父も兄も忙しいのだから、誰かしら家を外してくれていれば良いのにと思わなくもない。
いや、面倒な報告を何度もさせられるよりはマシだろうか。
「みなさま、マサエール様の事をずっと愛しておられ、此度の件についても深く案じていらっしゃいましたよ」
インスラは笑みを浮かべ、マサエールを安心させるように穏やかにそう言う。
マサエールも頷く。両親の、兄弟の、あるいは親類縁者や一門の者達の愛を疑ったことはない。
「そうね。でもその上で、少なくともお父様は厳しく当たると思うわ」
インスラは顔をキュッとしかめた。その様子が容易に想像できたのかもしれない。
「御当主様はその……」
「ふふ、御免なさい。困らせちゃったわね」
当然、父にはボレアリス家当主としての立場があるのだ。身内の場であっても、いや、だからこそ厳しく言うべきこともあるだろう。
そうこう話しているうちにマサエールは館の中に入る。連れて行かれるのは方向からして会議室だなとあたりをつける。一族のそれなりの人数が待っているのであれば、使える部屋は限られてくるためだ。
「長旅の後、休憩の間もなく申し訳ありません」
「いいのよ、道中快適で疲れてはいないわ」
扉の前に立つ兵士がマサエールの到着を室内に告げる。彼女は軽く咳払いを一つし、胸を張って入室した。
「お帰りなさい」
「お疲れ様でした」
中にいたのは両親に兄夫婦、弟妹たち。分家の代表としてか従姉妹も数名。使用人は家令と家政婦長など最上位の使用人だけが集められているようであり、彼らからは口々にあたたかい声がかけられる。
「皆様、不肖マサエール、ただいま帰りましたわ」
マサエールはそう言うと正面に向かって、深く淑女の礼をとる。
正面、部屋の中央奥に座すはボレアリス当主にして彼女の父、クロノサ・ボレアリス。五十路であるが、その体躯は武人らしく引き締まっている。
彼は年相応に白くなりかけた髭を、不機嫌そうに揺らして言った。
「ふん、よくおめおめと帰ってきたものだな」
ξ˚⊿˚)ξこの作品の元ネタ的なものはありますが、もちろんオリジナルなので。幼なじみの男騎士とかだって登場します。
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