第三十話:それから
ξ˚⊿˚)ξ最終話。
それからおよそ二月の月日が経った。
農民兵たちはとうに帰郷している。一つには収穫の時期を迎えるということ。そしてもう一つはラディクスとプレイナムの戦の趨勢がもう決まっているためである。
今行われているのは残党への追撃、騎士やその従者、耕す田畑を持たぬ者たちが南方で戦っているのであった。
マサエールは日々、四阿に座り、布に刺繍を入れる。勝利を、無事を祈願する針を。
「マサエール様、寒くはございませんか?」
膝掛けを持ってオリザは問う。
夏も終わり、秋であった。昼は暖かいが、日がかげったり、夕方になるとすぐ冷えるようになった。
「大丈夫、もう少しで終えるから」
戦に絶対はない。また窮鼠猫を噛むと言うように、追い詰められた者が思わぬ力で反撃をするということもある。
「わたしごときの祈りが何を変えられるでもないけれど」
マサエールは手元に視線をやったまま呟く。
「いいえ、必ずや届いておりますとも」
「そうあれば、と願うばかりよ」
日々、祈りを込めた刺繍が溜まっていくのも、それをインスラと話していたあの四阿で続けているのも願掛けなのであろう。
「マサエール様!」
アイガーの声だ。屋敷からこちらに向けて小走りで、それでもたまらず遠くから声をかけたといった風である。
おっとりとした彼女のいつになく慌てた様子に、マサエールは思わず布を投げ出して立ち上がる。
「マサエール様……」
「ええ」
息を切らす彼女をマサエールは抱きとめるように迎える。
「夫が……皆が……」
アイガーは感極まって、なかなか言葉にならない。彼女がこれだけ慌てる用件は2つしかない。だが、その表情を見れば、どちらの用件かは誰にだって分かるのだ。
「戦が終わり、夫が、皆が戻ってくると……!」
「ええ!」
女たちは抱き合い、そこにいたオリザやメイドたちとも手を取り合って喜び合ったのだった。
帰還を知らせる使者がきて一週間もせぬうちに男たちが戻ってきた。
「マサエール様」
「ええ」
彼女は今も四阿にいる。オリザは問うた。
「お出迎えにはあがられないのですか?」
「謹慎中に騒動を起こした女ですもの。晴れの場には上がれないわ」
後妻打ちの件である。あれはクロノサはじめ戦地にいた男たちも歓喜し、称賛した。
だが建前上は謹慎中に勝手に抜け出し、当主に無断で騒動を起こしたということである。故にマサエールはその日以来、自室と四阿、庭を往復するのみの生活を自身に課しているのだった。
「お許しいただけますよ」
「きっとそうね。それでも正式に沙汰がくだった訳ではないから」
クロノサも兄も戦に行っていたのである。誰もマサエールを裁けはしなかった。それ故に自由といえば自由でもあるが、マサエールは慎むことを選んだのだ。
「……会いたいくせに」
オリザがどうしようもないな、といった風に呟く。
マサエールは、ぷいと顔を逸らした。
今日のマサエールは美しき極楽鳥の羽根を挿した帽子を被り、社交の場に十分出られるような華やかなドレスで装っている。彼女がボレアリス家に戻ってからこのような姿をするのは初めてであった。侍女たちも力を入れて入念に支度したものだ。
それがこう誰もいない四阿で消費されることに思うところがないではない。彼女は咎を負うような立場ではないのだから。
屋敷からは賑やかな声が聞こえ続けている。勝利と帰還、再会を喜び合う声と音楽が。誰もいない四阿で聞くそれは寂しい。
「マサエール様!」
だがその寂しさは男の声によって破られた。インスラのものである。
マサエールは腰を浮かせかけ、はしたないと座り直した。近づいてきた彼に頷きを返す。
「ええ」
「無事、戻って参りました」
「そうね。良く戦い、戻られました。お帰りなさい」
マサエールの言葉はいつも通りだ。だが、その表情からは隠しきれぬ喜びが漏れ出している。
ああ、とオリザは確信を得た。
マサエールは彼一人のために盛装したかったのだ。あるいは、彼に最初に見て欲しかったのだ。
「マサエール様、いつもお美しいですが、今日の装いは格段と似合っておいでです」
「ありがとう」
「すいません、気の利いた言葉も浮かばず……ただ、本心から素敵です」
「いいのよ。その言葉だけで嬉しいわ」
マサエールの思いが、祈りが報われたのだろう。オリザはひっそりとハンカチで目元を拭った。
インスラは言う。
「武勲を得ました」
「おめでとうございます。敵将を二人も落としたと、遠きこの地でも耳にしました」
「はい。それにより、男爵位を得られることが内定しています」
「重ねておめでとうございます」
インスラはマサエールの前に跪いた。
「身分の違いは百も承知です。それでも希わせてください。私の、妻となっていただけませんか」
マサエールは固まった。そう言われることを想像していなかったと思えば嘘になる。それでも結婚は家長の許しあってのものだ。屋敷の広間で両親からインスラに嫁ぐよう命じられることを想像していた。
「っ父は」
「お許しいただけると」
「貴方はそれでいいの? わたくしはもう歳で、初婚でもないし、子供もいるコブつきなのよ」
「私はマサエール様と同い年です。それにコブつきだなどと、モンジュー殿も、いつか授かれば私たちの子も、等しく愛しましょう」
インスラはそう言うが、婚姻において女が歳若い方が一般的である。
だが、インスラが言いたいのは、歳など気にしないというそういうことだろう。
「今のインスラなら、もっと良い女性だっていくらでも捕まえられるでしょうに」
「私が求めているのは美しい女ではありません、マサエール様なのです」
マサエールは抵抗するように言うが、インスラはマサエールから視線を外さない。マサエールだって前からわかっているのだ、彼が自分を願ってくれていることを。
インスラは続ける。
「私はマサエール様を願います。マサエール様はいかがでしょうか。もし私の想いが重荷であるなら……」
「いいえ」
マサエールはインスラの言葉を止めた。
「……もう私の名に、様はいらないわ」
それが答えだった。
インスラは立ち上がり、女を抱きしめてその名を呼んだ。
「マサエール」
この戦の後、ラディクス家はこの国における軍閥を統べ、ヨーリオムはその長となった。
ボレアリス家はその家臣の筆頭としてヨーリオムを支え、ヨーリオムもまたボレアリス家を重用し続ける。
タートリアがその後、マサエールやボレアリス家との間で問題を起こすことはなかった。
無論、これにはタートリアの反省もある。だが一年後、タートリアの妊娠をもって、ヨーリオムらが居を王都に移したということも影響していよう。
タートリアは女児を、次いで男児を産む。
一方のマサエールもインスラとの間に子をもうけていた。
それから十年。
世は平穏であった。
モンジューも、インスラとの子も、健やかに育つ。
しかし、都では疫病が流行った。それは身分の高いも低いも等しく命を奪っていった。ヨーリオムが薨去し、その男児も儚くなったのだ。
それは、幼きモンジューがヨーリオム唯一の直系男児となったことを意味していた。
運命は、マサエールを再び戦乱の舞台へと登らせるのである。
––後妻、打つべし。完
ξ˚⊿˚)ξこれにて完結です。
完結ですわよ! 完結ですからね!!
明日にでも人物一覧を貼りますが、本作はこれにて完結です。
ξ˚⊿˚)ξというわけで、せっかくなので皆さんブックマークとか評価とか入れてやってください。作者が喜びます。
感想も嬉しいです。ちょっと執筆に追われて感想返し滞ってましたが、これも明日以降返信していきます。
ξ˚⊿˚)ξそれではまたいつかどこかの作品でお会いしましょう。それではー。





