第二十三話:討入前
––七月十日、午前。
「はい、できましたよ」
「はーい、おまたせー!」
「量はたくさんあるからねー!」
マサエールは芋を煮ていた。周囲には女たちが忙しなく動いて野菜を切ったり、木の器を積み上げて運んでいる。
彼女たちが何をしているかといえば、たっぷりの芋と野菜、そしてベーコンの入ったシチューを民に振る舞っているのであった。
女たちは皆、ドレス姿とはいえ、軽装のデイドレスなど動きやすい外出着である。中には腕まくりをしている者もいた。
「はいどうぞー」
「ありがとうございます」
ジュノーが器に入ったシチューを民に手渡す。
貴族の女が教会や孤児院などの炊き出しに参加することは美徳である。誰しも参加したことがあるし、ボレアリスの女たちは調理場に立つこともある。皆、料理はそれなりにできる。なんなら一番料理が下手なのは、ラディクスに嫁いだために、しばらくあまり料理をしていないマサエールかもしれなかった。あの家では料理とは料理人が専属に行うものであったために。
「ふーむ……」
マサエールはシチューを口に運びながら唸る。
討ち入り前に腹ごなしを済ませねばならないのだ。皆で交代に食事をしている。
美味しい。いや、無論料理人の作った食事の方が美味しいが、そういうものではない。どこか優しく、ほっとする味である。
––インスラに食べさせてやりたい。
ふと、そう思い顔を赤らめた。
彼の身分は士分、つまり騎士である。今回の戦で褒美を賜るであろうが、男爵になる程度であろう。貴族の中では最も格下であり、貧しくはないにしろ妻が竈に立つこともあるということだ。
つまり、マサエールはインスラに嫁いでいる自身を想像したということである。
「ヨーリオム様は過去になっているのですね」
マサエールはそう呟くと、食事の残りを平らげて炊き出しに戻った。
ここはラディクスの屋敷の前、門から少々離れた場所であるが、あたかも祭りでもやっているか、あるいは市でも立っているのかという様相である。
噂の後妻打ちを見ようと人が集まれば商人も集まる。施しがあれば貧民や子供も集まる。マサエールらの炊き出しの周囲では酒売りもいれば、肉を焼いて売るもの、小物を売っている出店までできていた。
さて、マサエールは何も善意でこれをやっているわけではない。
「頑張ってください、マサエール様!」
「ええ」
後妻打ちはどう言い繕うとも、そもそもが乱暴、狼藉である。だが、こうしてそれに民衆からの支持を得ることができるというのが一つ。
「昨日の夜もこっちを騎馬が覗いて戻って行ったっすよ!」
「情報ありがとう」
そして、民衆はマサエールたちの城壁であり、監視の目であるというのが一つだ。彼らが屋敷を取り囲んでラディクス家の情報をくれるために、タートリアは逃亡できずに屋敷に篭っていることが分かっている。
「シチュー売り切れましたー」
マサエールはジュノーの声を聞いて天を仰ぐ。突き抜けるような青空。太陽は中天に差し掛かろうとしている。正午だ。
「ちょうど頃合いですね。店、というのも変ですが店じまいにしましょう」
「はーい。おわりー」
「ごちそうさま」
「おいしかった、ありがとうございますー」
施しが終わったといっても、誰もそれを不満には思わない。
これからいよいよ後妻打ちが始まるというのだから。
「片付けはお任せください」
「あうー」
マサエールのところにやってきたのは乳母のウンダである。懐にはモンジューを抱えていた。
一門には戦えない女たちもいる。そんな彼女たちもやって来て、こうして手伝ってくれているのだ。
ウンダはモンジューをマサエールに渡す。
マサエールはモンジューを天高く持ち上げた。モンジューはきゃっきゃっと笑ってマサエールに手を振る。
「よっ……と。重くなりましたね、モンジュー」
「まうあー」
マサエールはくわっと目を開く。
「今、母と呼びましたか?」
「どうでしょうか。もう一度、と言いたいのかも」
「いいえ、これは母を呼んでいるに違いありませんわ」
マサエールはモンジューを抱きしめる。
モンジューの小さくふくふくとした手がマサエールの指を掴む。まるで約束事でもしているかのように指と手を絡めてマサエールは言った。
「ここで、母が戦うところを見ているのですよ」
ウンダは苦笑する。ここから中が見える訳でもなければ、一歳のモンジューに分かるはずもない。それでも、ウンダはマサエールが戦いに行く姿を、戦いから戻ってくる姿を。モンジューを高く掲げて、その瞳に映させようと決意した。
「うー、まうあー」
「ほら、また!」
マサエールはモンジューに頬を寄せて笑いあうと、彼をウンダに渡した。
彼女が下がり、代わりに前に出たのは侍女のオリザである。彼女は長い棒を捧げ持っていた。クォータースタッフと呼ばれる戦闘用の杖である。
長さは女性用に少し切り詰められて180cm程。丈夫な楢の芯材が使われた真っ直ぐな棒で、達人が打てば骨をも砕く。
マサエールはその中央を掴み受け取ると、調子を確かめるように身体の周囲で回す。女性用に切り詰めたといっても身長より長い棒である。愛用のそれを慣れた手つきで苦もなく操れば、棒の先端から風を斬る音が響いた。
彼女の纏う空気が変わる、表情が変わる。人好きのするような笑みは消え、口は一文字に結ばれ、紅の瞳が燃えている。
そこに立っていたのは母ではない、戦士であった。
彼女は棒の先端で地を突いて宣言する。
「征きます」
「はい!」
女たちは力強く答えた。
ξ˚⊿˚)ξ討入の前には飯を食うシーンが入らなければならない。古事記にもそう書かれている。





