第二十一話:口上
ボレアリス家の馬車が数台、ゆっくりとした速度でラディクスの領地を行く。
そのうちの一台は当主が乗るような格の高いものであるが、少々普段と様子が違う。その窓は全面が開かれ、中にいる貴人の姿を露わとしていたのだ。
その貴人こそマサエール・ボレアリスその人であり、彼女は凛とした表情で前を見つめている。
「おや、あれは奥方様……。いや、マサエール様ではないか」
「変わらずお美しい……」
「体調を崩されていたと聞いてたけど、お元気そう」
「治られたのか。それは良かった」
その姿を足を止めて見送った平民たちは口々に噂する。
ヨーリオムがマサエールと突然離婚したのは、彼女が体調を崩してと説明されている。よほどの大病を患ったかと、民も心配していたのだ。
「しかしなぜ、ヨーリオム様が出征なさっている今、やってこられたのだ?」
「なんでだろう……?」
「見に行こう!」
なかには馬車を追っていく者も出る。
人が歩くような速度で馬車は進んでいるのだ。まるでパレードのようにぞろぞろと民をひき連れて、馬車はラディクス家の屋敷の前に止まったのであった。
マサエールの乗るものとは別の馬車から、初老の男が降りる。
そしてマサエールに一礼して、書状を携えてラディクスの屋敷の正面に向かう。マサエールは彼に頷きを返しただけで、馬車から降りてはこなかった。
男はボレアリス家の家令であった。家令とは使用人の長である。使用人のみならず、屋敷や領地などの財も管轄する立場であり、主人であるクロノサが戦に出ている今、主人の代理として、それら全てを差配する立場にいるものだ。
それが領地から出て、当主の娘に過ぎぬマサエールに頭を下げ、そして使者のような仕事をするためにラディクス家の門前にやってきている。
民にはそれが尋常でない事態であるとは読み取れぬ。だが、迎えに出ていたラディクス家の者たちは、これを見て大いに動揺した。
こほん、と家令は咳払いをし、書状を開き、そして朗々たる声で口上を述べ始めた。
「先日、ラディクス家に入られたる、ヨーリオム殿の妻、タートリアによる度重なる非礼はご承知のことであろう」
ラディクス家の執事が表情を厳しくさせる。
当然、両家の間では分かっていることだ。だが、なぜそれをこの場で言いだしたかといえば、その理由は一つ。
マサエールの乗る馬車の周囲がざわめく。何ごとかと集まっていた、ラディクスの領民たちにもその声は届いているのだ。彼らに知らしめるために他ならなかった。
「そも、ヨーリオム殿の前妻たるマサエール様が離縁されて後、僅か五日で婚姻を結ばれ……」
集まってきた民も、特に女性たちがうんうんと頷くのが見える。マサエールは元々この近くに住まう姫であり、民からは人気があった。
体調の問題とあらば仕方ないとは思っても、こうして姿を見せればそれに疑念を覚える者も出よう。
家令はタートリアやそれが連れてきた者たちの問題行動を列挙し、こう締めくくる。
「……そしてついには長きに渡りこの地を護り続けてきた、ボレアリス家の武を軽んじる発言がタートリアより出るに至ったのである。これは到底看過できぬとマサエール様は仰せであり、当家もこれを支持するものである」
「苦言、しかと頂戴いたします」
ラディクスの執事は頭を下げた。
ラディクス家の使用人たちとしてもタートリアを諌めてはきた。だが、主人の妻、それも遠方から嫁いだ高貴な姫君を強くたしなめることも難しく、止められずに来たとの思いもある。
他家の家令にまで足を運ばせ、こうして公衆の面前で非難されるのは家門の恥であるが、やむなきことかと執事は思う。これで奥方が少し言動を謹んでくれればとすら思った。
だが、家令は書状を捲る、羊皮紙が擦れる音がした。
言葉には続きがあったのだ。
「ご覚悟めされよ。マサエール様は非礼への相当打ちを行うと仰せである。きたる七月十日、正午。当家の女衆を率い、木剣、長竿、棒を持ちて参られる。しかと出迎えの準備されたし」
そう述べると、民はどよめきの声を上げた。
家令は書状を執事に手渡すと、それ以降は口を開かず、踵を返し、マサエールに一礼して馬車に戻る。
マサエールは鷹揚に頷きを返し、馬車は出立した。
「相当打ち、後妻打ちだ!」
「マサエール様が後妻を打つと!」
「大変だ! 大変だ!」
民は興奮して後妻打ちがなされることを連呼しながら街へと走る。今日中には領内の誰もがこれを知ることになるであろう。
マサエールは一言も言葉を口にしなかったが、体調を崩して離縁したということが嘘であったと見做されるのも間違いない。女衆を率いて後妻打ちに参ると言っているのだから。
書状を受け取った執事は、まずはこれを上役やタートリアに伝えねばならぬことに頭を抱えたのであった。
ξ˚⊿˚)ξ家令と書くところを家老と誤字りがち。





