第十九話:打つべし。
「もうっ、なんなの……!」
タートリアは苛立ちを隠せないでいた。調略が進まないことにである。
ここはラディクス家の妻の部屋。かつてマサエールの部屋であったが、今や当時の雰囲気はない。タートリアが王都から持ち込んだ調度品で華やかに彩られているためだ。
「奥様はしっかりやっていらっしゃるではございませんか」
侍女たちは言う。
確かにラディクス家や、それに仕える家々の掌握は順調に進んでいる。
「奥様はヨーリオム殿のご寵愛を受けておいでですし」
今日も王都からヨーリオムの文が届いたばかりだ。内容も愛を語り、タートリアの身を案じるものであった。
「それは当然よ、私が嫁いでいるんだから。それに田舎の弱小貴族家や騎士なんてどうでもいいの。問題はボレアリスよ。全く上手くいってないわ」
確かにボレアリスは辺境の一貴族にすぎない。家格もグッリッジより下だ。だがそれは勢力が下というわけではない。中央の有力家は歴史と財がある。だが土地は決してそう広くないのだ。辺境の領土は広く、さらにまだ未開の地を開拓することも可能だ。
「これではお父様がなんと言うか……」
「奥様……」
つまり、グッリッジの当主がタートリアを送り込んだ理由の一つに、ボレアリスの力を削ぐ、あるいは勢力圏に食い込むというものがあるのだった。
タートリアは歯噛みした。
当主夫人にはいくら声をかけてもそもそも無視されている。挨拶すらしない。
明らかな非礼ではあるが、彼女が離縁されたマサエールの母であることを考えれば、こう対応されるのは仕方あるまいと周囲は考えている。こちらとしてもあまりそこをつつく訳にもいかなかった。
問題は、彼女以外の一門の者もそうであることだった。
「贈り物をしようとしたら、『そういうの間に合ってます』とか言われるの。デビュタントしたての子や分家の者にすらよ?」
「……それだけ統率がはかられているのでしょう」
当主夫人として若い娘たちにも対応が叩き込まれているのか、あるいは実家に戻ったマサエールの統率か。どちらにせよ上手くいってないことには変わりなかった。
「男たちにもなびかないし……」
実際、マサエールが推測したように、王都ではあまり良縁が期待できない貴族の三男坊以下が多いのは間違いない。問題を起こして王都にいづらくなった者も数名いる。
だが、決してそれだけではないのだ。優秀な人材だって何人も連れてきた。
「良縁ちらつかせてもなびかないのって、どういうこと……?」
結局、王都のやり方や価値観が辺境でも通用すると考えているところに彼女たちの限界があるのだった。
…………
一方のオーディワール城は変わりなかった。
女たちが社交に出掛けてはマサエールに報告する。
「お姉様、あの女の取り巻きが、我々のことを田舎者と、田舎くさい土地と」
「……まあ、事実ではありますからね」
王都から、あるいはグッリッジ領からすれば、この地が田舎くさいのは間違いあるまい。
「ジュノーが付き合いを断った男性に手首を掴まれたと」
「彼女は大丈夫ですか?」
「はい、すぐさま周囲の者が気付きましたし」
「それは幸いでした。母を通じて厳重に抗議いたしましょう」
マサエールからしてみれば相手の苛立ちが伝わってくるようである。
「マサエール様、謝罪の言葉をもらって参りました」
「ご苦労様です」
分家のポーラがラディクスの屋敷でタートリアと面会をしてきたのであった。茶会の場で報告を受ける。
「男はジュノーが美しくて声をかけただけであり、思ったより強く拒絶されてしまったためについ手を掴んでしまった。申し訳ないと言っていました」
ふーむ、とマサエールは考えこんだ。
「女としては許し難いですが、あまり強く追及するのも難しいでしょう」
「そうですね……」
ジュノーには男に警戒するように言ってあったことと、まだ若く社交に不慣れであるために上手くあしらえなかったというのも事実であろう。
そして確かに紳士的な振る舞いではないが、それは多くのボレアリスの男たちもそうなのである。この程度で大きな問題にしてしまうと、後で自らの首を絞めるおそれがあった。
「あの女も謝罪はした上で、そこまで露骨に警戒されるのも困る。この地に不和を招きかねないなどと」
確かにそれはラディクス家当主夫人の言葉としては正しい。だが、その地位をマサエールから奪っておいて言うのはずいぶんと厚かましいことだ。
「その男だって王都の競技会で優勝した者であり、ボレアリスの騎士より勇ましいと。ちゃんと話をすればきっとジュノーだって気にいるはずと」
あらあら、と女たちは笑う。
「それは看過できませんね」
だが、その一言を境に、マサエールの纏う空気は冷たく、鋭く変化した。
「マサエール様……?」
マサエールは目を閉じて、じっと動かなくなる。
彼女の妹や従姉妹、従者たちは彼女の黙考を邪魔せぬよう、咳一つせず言葉を待つ。
淹れたばかりの紅茶がぬるくなってしまうほどの時間を経て、マサエールは目を開く。赤い瞳はルビーのように鋭く、焔のように燃えていた。
唇がゆっくりと、だが力強く音を紡ぐ。
「後妻、打つべし」
ξ˚⊿˚)ξではまた日曜ですわ!





