第十七話:恋
それからは平穏な日々が続いた。
我が子モンジューや、乳母のウンダの子らがすくすくと成長していくのを見守り、女たちと棒を振り、時に茶を喫する。
ヨーリオムから受け取った慰謝料でひと財産あるが、特に使い途があるわけでもない。そもそもマサエールはあまり外に出るわけにはいかないのだから。父や兄から領地や領民、兵のために使いたいと言われれば気前よく出している。
時折、領内を散歩したり馬で駆けることもある。
「おお、領主様のとこの姫様じゃ」
「ありがたやありがたや」
そうすると、領民たちからは拝まんばかりに感謝されるのであった。
インスラとの交流は続いている。それこそ毎日のように昼過ぎくらいにマサエールへの挨拶と、花や菓子、まれに高価ではない装飾品や小物といった手土産を欠かさなかった。
ある日、インスラが来なかった日があった。夕暮れ時になってマサエールがぽつりと口にする。
「今日はインスラは来なかったのね」
特に返事を求めたわけではない呟きである。ただ、それを耳にとめた侍女のオリザはそれに答えた。
「ええ、今日は騎士団の巡回に卿が帯同されて昼には来られないと」
「あら、そうだったの」
「お伝えし忘れていたでしょうか。申し訳ありません」
オリザは頭を下げる。彼女のミスともいえないミスであった。主人が知っていると思っていたのもある。だがそもそもインスラは勝手に毎日会いにきているのであって、予定を立てていないのだ。彼の動向は侍女が伝えるべき内容でもなかった。
「いえ、いいのよ」
「何か御用がおありだったでしょうか」
「そうではないの」
マサエールは口を閉じて視線を僅かに落とした。オリザはそのマサエールの表情があまりにも美しくて、思わず声が出た。
「恋して、いらっしゃいますか」
マサエールの頬が紅に染まった。
淑女らしく扇を使うことすら忘れ、両手で顔を隠すように覆う。
そうしてしばらく動かなくなった。
「……わたくしね」
「はい」
「恋とは激しく身を焦がす炎のようなものしか知らなかったの」
マサエールとヨーリオムの恋はまさにそうであった。
「護衛たちを撒いて二人で山に登って、岩に腰掛けて南の空を見つめたわ」
南とは王都の方角だ。ヨーリオムは軍閥の長になり王都を掌握する大望を語ったと、マサエールにそれを支えてほしいと語った。オリザは彼女からその話は何度も聞かされている。
「結婚を反対するお父様たちから逃げ出して、夜道を馬で駆けもした」
部屋に閉じ込められたマサエールが真夜中に脱走してヨーリオムのもとに向かったのである。あの時はオリザも彼女の脱走を手引きしたと疑われて危ういところだった。
「ヨーリオム様はわたくしを愛し、わたくしも彼を支えていたわ。素敵な思い出はたくさんあるの」
「はい、その通りです」
オリザはその姿をずっと隣で見ていた。時に危険もあったし順風満帆とは決して言えないが、それは確かに素晴らしき日々であったのだ。
「恋が燃え尽きたときは死ぬときだと思っていた」
「マサエール様!」
オリザが声を上げ、周囲に控える者たちからも動揺を示すように物音が響く。
マサエールはオーディーワール城に戻ってきたその日、母に向かって言っていた。死ぬ覚悟はあったと。
辺境領主の長女として生を受け、軍閥の長たらんとする男の妻に嫁いだ彼女にとって、それは当然であったのだろう。
マサエールは顔から手を退かす。だが俯いたまま呟いた。
「でもね」
そう、『思っていた』し、『でも』なのだ。オリザは安堵する。
「そんなわたくしをここではみんな大切に扱ってくれて」
「勿論です」
オリザがそう言えば、控えているべきメイドたちからも肯定の声があがった。
「燃え尽きたはずの恋心に火をくべる人がいるの」
「はい」
「わたくしがほとんど蟄居しているせいでもあるけど、思い出になるような出来事なんてないのよ。ただ、日々の生活の中に彼がいて、大事にその火を育ててくれるような……」
マサエールの言葉は途中で立ち消えたように止まる。
足音が響く。一歩、二歩、三歩。そして膝をつく。かちゃり、と金属が擦れる音がした。
「炭は燃え尽きたようで、決してそうはありません。燃える時も炎は見えませんが、ゆっくりと温かに熱を放つものです」
男の声。金属の音は腰に佩いた剣のものか。
「インスラ……?」
「はい」
「なんで、いるの?」
「今日の任務が終わりましたので、急いで参りました」
マサエールの頬が先ほどにも増して紅潮した。
「どこから聞いてたのよ!」
「『恋とは身を焦がす炎』とおっしゃったあたりから」
「最初からじゃない!」
マサエールは叫び、はっ、とオリザを見た。
満面の笑みを浮かべていた彼女はばちんとウィンクを一つ返す。
「マサエール様」
インスラが彼女の名を呼んだ。
「インスラ違うのよこれはなんというかその」
聡明なマサエールには似つかぬ、しどろもどろな声に、インスラはただ彼女の手を取る。
「愛しています」
「……っ」
マサエールは息を呑み、思わず背筋を伸ばした。インスラは続ける。
「これからも火をくべ続けます。永久に」
「……永久なんて」
「信じられなくても構いません。ただ、続けますので」
マサエールには頷きを返すことしかできなかった。
ξ˚⊿˚)ξ悲報:4万字で終わらない。





